縄文・ミシャグチ・道祖神

 

 

 中沢新一はすごい人だ。フィロソフィア・ヤポニカ以来、緑の資本論のほかカイエ・ソバージュシリーズなど、おそらく世界的な名著といえるであろう画期的な哲学書をつぎつぎと出してきた。そしてこのたびは、環太平洋神話学への一試論との副題のもと、「縄文・ミシャグチ・道祖神」という題の研究発表を行なった。「東北学」の9巻(2003年10月、東北芸術工科大学東北文化研究センター)の特別論考としてである。

 

 中沢新一は、同論考のなかで次のように述べている。けだし、的を射た考えであるので、私たちは還元主義の間違いに陥らないように十分注意しなければなるまい。

 『 考古学が発達し分析を進めてきた物質的資料と、文字に記録された神話と、民俗学的な素材との間をつないで、そこに共通して働いている「野生の思考」を明らかにすることのできる確実な方法が、探し求めなければならない。』

 

 『 いまだになお謎の解けぬ多くの主題を解釈する鍵が、われわれの手に直接近づきうるような形で、神話やいまなお生きている説話のなかにあることは、疑いあるまい。』

 

 『 縄文文化の遺物を手がかりにしてあきらかになってきた思考の形態と、それから何千年もたってから記録された神話や、さらにはそれよりもあとの近世になって形成された今に伝えられている民間伝承群などの間に、直接の対応関係を見つけようとすると、私たちはしばしば還元主義の間違いをおかす。複雑な作動をおこなっているものを、単純な思考に切りつめて還元してしまうという間違いだ。』

 

 『 これから私たちは縄文文化の背後で活動していた思考をあきらかにするために、民俗学や人類学がもたらしてくれる情報を活用する新しい方法を開拓する試みをおこなってみようと思う。』

 

 

 中沢新一は、そういいながら縄文とミシャグチと道祖神に関する論考をすすめていくのだが、そのなかに「丸石」がでてくる。丸石道祖神のことである。中沢新一は、同論考のなかで次のように言っている。

 

 『 縄文中期文化と重なりあう分布を持つ道祖神の習俗は、その内部に丸石道祖神と双体道祖神という、二つのタイプの違う表現をもっている。』

 

 『 丸石の由来は縄文文化にまで遡るほどに古いものであるのに対して、双体道祖神のほうは少なくとも石像としての表現を見るかぎり、江戸時代の初期からそれほど遡るものではない。・・・中略。石に男女の像を彫り込む双体道祖神そのものは近世的な成り立ちをもつとはいえ、この石の表現が登場する以前に、同じ観念を担った別の形態の道祖神が存在したことが考えられるのだ。そして、その「原=双体道祖神」は、縄文文化・・・ミシャグチ・・・道祖神と変化をとげながらも一貫した連続体として、人びとの心の中に働き続けてきた思考の構造を表現しているものに違いない。だから、表面は近世的な装いで表現されていても、その奥で生きている原=双体道祖神そのものの由来は、きわめて古いと言えるのだ。』

 

 

 縄文・ミシャグチ・道祖神に関する中沢新一の論考は、まだまだ長く続くのだが、今後必要に応じて紹介するとして、ここでは丸石道祖神が縄文文化に遡るほど古いものであるということと、双体道祖神など近代的な表現の中にもその名残が伺えるということを申し上げておきたい。タマ(魂)には、アラタマ(荒魂)とニギタマ(和魂)とがある。アラタマには「たましずめ」が必要であるし、ニギタマには「たまふり」が必要である。丸石道祖神は、もちろん「たましずめ」のためのものである。双体道祖神や陰陽石は「たまふり」のためのものであろうが、ここではこれらの点について深入りはしない。丸石道祖神というものがあるということと、それが双体道祖神や陰陽石とはちがって形而上深い意味を持っている点だけを申し上げておきたい。

 

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