まやかしの人権

 

 

 私は、これからの世界は「違いを認める文明」をつくっていかなければならないと考えている。日本はアメリカと一緒になってその先導役を努めなければならないし又それができると考えている。そういう私の考えをつまびらかにして、それを一つの思想として世の中に問いたい。そのために、私は、ここ数年、いろいろと準備をしてきた。

 

 その準備の内容については私のホームページに掲載したものも少なくない。私のオフィシャルなホームページ「築土構木」というより、むしろプライベートなホームページ「桃源雲情」の方が中心であるのでそれをご覧いただきたい。「桃源雲情」では、「平安遷都を訪ねて」「武家社会源流の旅」という一連の旅シリーズにそれをまとめている。その後は、ここ2、3年、「劇場国家にっぽん」といううたい文句で「WhatユsNew」にいろいろとアップしてきているところである。今は、会津を旅しながら最終的なまとめに入っている。最終的には、わが国における「違いを認める文化」の真髄として・・・明恵の思想「あるべきようわ」を紹介しながら、「劇場国家にっぽん」の姿(かたち)を明らかにする予定である。私の憲法改正試案をまとめるのはそのあとの作業となる。今は、「劇場国家にっぽん」の最終とりまとめをやりながら憲法の勉強をしている最中である。

 

 要するに、「わが国の姿(かたち)」について、私なりには、おおむねまとめの目途がついてきたということだ。そして、その段階でようやく・・・・憲法改正についても私の考えを整理しはじめたところである。

 現憲法は、いうまでもなく押し付け憲法であって、わが国のアイデンティティがない。憲法改正に当っては、是非とも「歴史と伝統・文化の継承」という文言を書き込みたいし、第1章第1条は、是非とも「天皇は日本国民の伝統の象徴であり、したがって日本国民の統合の象徴である。」というような文章にして、統合のよって来るところが国民の伝統にあることを明記したい。この2点が私のもっともこだわるところであり、他はそれほどこだわらないのだが、人権思想についてはどうしてもこの際言っておきたい。この文章の表題を「まやかしの人権」としたが、私の言いたいことは、今の人権思想が間違っているのではないかということだ。この点について、いずれ詳しく論ずることがあろうかと思われるが、とりあえず今の段階で気のついているところを申し述べておきたい。

 

 私の手許に憲法学の大御所・芦部信善(あしべのぶよし)の「憲法(新版、補訂版)」(1999年3月、岩波書店)という本がある。この本は、憲法学の本としてはまあ・・・・わが国の代表的な本であろう。特別に変った本というものでは決してない。その本をあらためて読んで見て、まず気になるのが、憲法に関する歴史的な観念というか歴史的な理解についてである。

 そもそも憲法とは何か。国家は、芦部がいうように、いかなる社会・経済構造をとる場合でも、必ず政治権力とそれを行使する機関が存在しなければならないが、この機関、権力の組織と作用および相互の関係を規律する規範がある。それが成文であろうとなかろうとその規範が憲法であるという言い方もでき、これを「固有の意味の憲法」という。本来そういう憲法についての研究もありうると思われるのだが、どうも憲法学者の言う憲法とはそういうものでもないらしい。憲法学者の言う憲法とは、18世紀末の近代市民革命期に主張された、専断的な権力を制限して広く国民の権利を保障するという立憲主義の思想にもとづく憲法である。これを「立憲的意味の憲法」と言うのだそうだが、芦部によれば、その趣旨は、「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、すべて憲法をもつものではない」と規定する有名な1789年フランス人権宣言16条にもとづいているのだそうだ。芦部は言う。「この意味の憲法は、歴史的な観念であり、そのもっとも重要なねらいは、政治権力の組織化というよりも権力を制限して人権を保障することにある。」・・・・と。それでは、その「立憲的憲法」に関する芦部の説明を聞いてみよう。次は、芦部信善(あしべのぶよし)の「憲法(新版、補訂版)」(1999年3月、岩波書店)という本からの引用である。

 

 『 立憲的意味の憲法の淵源は、思想史的には、中世にさかのぼる。中世においては、国王が絶対的な権力を保持して臣民を支配したが、国王といえども従わなければならない高次の法(higher law)があると考えられ、根本法(fundamental law)とも呼ばれた。この根本法の観念が近代立憲主義へと引きつがれるのである。

 もっとも、中世の根本法は、貴族の特権の擁護を内容とする封建的性格の強いものであり、それが広く国民の権利・自由の保障とそのための統治の基本原則を内容とする近代的な憲法へ発展するためには、ロック(John Locke,1632−1704)やルソー(Jean−Jacques Rousseau,1712−78)などの説いた近代自然法ないし自然権(natural rights)の思想によって新たに基礎づけられる必要があった。この思想によれば@人間は生まれながらにして自由かつ平等でであり、生来の権利(自然権)をもっている、Aその自然権を確実なものとするために社会契約(social contract)を結び、政府に権力の行使を委任する、そして、政府が権力を恣意的に行使して人民の権利を不当に制限する場合には、人民は政府に抵抗する権利を有する。

 このような思想に支えられて、一七七六年から八九年にかけてのアメリカ諸州の憲法、一七八八年のアメリカ合衆国憲法、一七八九年のフランス人権宣言、九一年のフランス第一共和制憲法などが制定された。』

 

 以上である。以上であるが、このような説明には重大な間違いがあるのではないか。つまり、このような説明を聞いていると、立憲的憲法というものが近代の歴史の流れの中で当然の帰結として位置づけられているような錯覚に陥る。

 まず第1に、芦部はロックやルソーを近代憲法の父のごとく言っているが果たしてそうであろうか。確かに、ロックやルソーの説いた近代自然法ないし自然権の思想がアメリカ合衆国の独立や憲法制定の動きに大きな影響を与えたことは事実であろう。しかし、アメリカ合衆国は、憲法を制定するその最終の段階で、ロックやルソーの説いた近代自然法ないし自然権の思想は徹底的に排除したのではないか。

 第2に、ロックを近代憲法の父というのなら、何故イギリス憲法は不文憲法のまま温存されているのか。ロックは、ホイッグ党の党首・シャフツベリ卿の政治顧問でもあり、名誉革命の後は新政府の政治顧問にもなっていたのである。イギリスの立憲に当然大きな影響力を及ぼしていた筈である。しかし、実際は、イギリスには不文憲法が残っている。この点をわが国としてどう考えるのか。私は、「歴史と伝統・文化を継承する」という点で、イギリスには学ぶべき点が多いと考えている。したがって、ロックを近代憲法の父などと褒め称える気には到底なれない。わが国としては、ロックではなく、バークを褒め称えるべきではないのか。

 第3に、芦部は、「人間は生まれながらにして自由かつ平等であり、生来の権利(自然権)を持っている」というロックやルソーの自然権思想を前提に近代憲法というものを考えているようだが、果たしてそれが正しいのであろうか。私は、「人間は生まれながらにして自由かつ平等であり、生来の権利(自然権)を持っている」というロックやルソーの自然権思想は間違っていると考えており、今それを明らかにしようと苦労している。これから世界が必要とするのは、「人間は生まれながらにして不自由かつ不平等である」という事実を認めたうえで、「違いを認める文明」というものを築き上げていくことではないのか。国民の自由と平等というものは、それぞれの国がそれぞれの歴史を生きるなかで、いろいろなレベルでいろいろと努力を重ねて確保していくべきものではないのか。

 

 註:「築土構木」の掲示板「自由の広場」にアップした・・・人権に関する主なものです。一応、私の考えを詳しく述べていますので、御覧いただければ幸いです。

 

Iwai-Kuniomi