水五訓



 秩父の家の、私の部屋、万年床の手の届く所に何冊かの本が置いて
ある。その中に、私の人生哲学シリーズというサブタイトルのついた
「自然と土と人間」という小冊子が突然目についた。河川局長のとき
か河川環境管理財団理事長のときか、数年前に多分送っていただいた
ものだろう。自費出版の非売品の本である。そのうちに読もうと思い
ながら、他に読みたい本が沢山あってまだ読めていない本だった。そ
れが突然私の目についた。四国は高松市の建設業者で、大洋建設工業
という建設会社の会長、植田郁男さんの書かれたものである。5冊目
の本だそうだがとてもいい本だ。その中に水五訓という一節があって、
丁度堀川に想いを寄せながら水のことを少し考えていた矢先のことで
あり、不思議にもそれが私の目を引いたのである。混沌とした現代、
矛盾だらけの現代を、水の心を心として生きていくことの重要性を訴
えておられるのだが、全く同感である。植田郁男さんはこのように言
っておられる。つまり、「人間の社会は自由自在、自律の精神が根本
でなければなりません。それには心が土台であります。豊かな社会と
は我執を捨ててものにとらわれない水にも似たる心で生きる姿にある
のではないだろうか。」

 植田さんと同様、私も、、一休禅師、沢庵和尚、宮本武蔵の言葉を
紹介しておきたい。
「雨あられ雪や氷とへだつとも、とくれば同じ谷川の水(一休禅師)」。

「本心は水の如くひとところに溜まらず妄信は氷の如くにて手も顔も
洗われず(沢庵和尚)」。

「大海に雑魚は踊る、だが誰が知ろう百尺下の水の心を(宮本武蔵)」。


 水五訓は、いささか理屈っぽいので私はあまり好きではないが、一
応それも紹介しておこう。
1、自ずから活動して他を動かしむるは水なり。
2、常に己の進路を求めて止まらざるは水なり。
3、障害に逢い厳しく精力を倍加するものは水なり。
4水から潔くして他の汚濁を洗い清濁に入るのは水なり。
5、洋々として大海を満たし発しては雲と変じ霧と化す。凝っては玲
瓏たる鏡となり、しかもその性を失わざるは水なり。
(黒田如水)


 最初は理屈っぽくても、そのうちに理屈なんてものは自然と溶けて
なくなってしまうのだろう。情と理が一体化したところ、それが私た
ちの求むべき感性であり、私たちの求むべき人生の、そしてまた文化
の行くつく先だ。それは自然に学ばなければならない。水に学ばなけ
ればならないと思う。水を大切にしなければならない所以であろう。



Iwai-Kuniomi