戻り橋

 

 

 戻り橋の名についてはこんな由来がある。

 

文章(もんじょう)博士の三善清行が亡くなったのは918年だが、

その死去の知らせを聞いたその子の浄蔵(じょうぞう)・・・、

彼は天台の修験行者で大峰山で修行中であったのだが、

その彼が京都に戻ってきたとき、

偶然父の葬列に出会った。 

 

そこで・・・祈祷上手の高僧・浄蔵が念じたところ、

亡くなった三善清行が一瞬蘇生したと言われており、

「戻り橋」の名がある。

 

映画・陰陽師(おんみょうじ)では、

安部晴明の式神は蝶々の変身で、密虫という可愛い女だが、

巷に伝わっている話では、

醜悪な顔をしていて清明の妻がそれを恐れていたという。

そこで、晴明は、

用事のないときはその式神を戻り橋の下に隠しておいたと伝わっている。

 

安部晴明が

父親の惨殺死体を

秘術の限りを尽くして蘇生させた場所も戻り橋である。

 

現在はそういう妖し気な雰囲気はないが、

それでも地元の花嫁はけっしてここを渡らない。 

 

註:その戻り橋の近くに安部晴明の家があったらしい。現在は晴明神社になっている。清明神社から大通りの向こう側に堀川という川が流れていてそれに架かる橋が戻り橋である。大通りを堀川通りという。晴明神社は堀川通りに面しているのでわかりいい。バスストップからすぐのところであるので交通の便はすこぶる良い。戻り橋と晴明神社には是非一度はお出かけ下さい。

堀川の東側にも道がありこれは東堀川通りという。同級生の佐々木清八君の家がその東堀川通りにあった。彼は毎日東堀川通りを下って私の家の前を通って朱雀高校に通った。お兄さんが碁会所を開いていて高校生の時に碁を教えてもらったことがある。また、私は、家庭教師・重久(しげひさ)先生のところに英語を習うため週に2回堀川通りを自転車で通ったものだ。その頃は晴明神社に詣ったことはなかった。

晴明神社から歩いて5分のところに白峰神社という崇徳天皇と淳仁天皇の怨霊を祭った由緒正しき神社がある。堀川今出川から東に少し行ったところである。是非お出かけ下さい。なお、安部晴明は吉備の人で現在その屋敷跡やゆかりのものが残っているらしい。大阪にも安部清明神社があり、そこが出身地であるとの話もあるが、どれが本当かは良く解らない。一度は訪れてみたいものだ。

 

 

 

博雅(ひろまさ)が戻り橋を渡って清明の屋敷に行くところ。

博雅(ひろまさ)と清明との付き合いの始まりだ!

 

 

 

戻り橋には

その後も

いろいろと恐ろしい話が伝わっている。

 

なかでも

渡辺綱(わたなべのつな)の鬼の話

が有名である。

 

戻り橋の辺りはほんに恐ろし気なところである。

そういうところに晴明の屋敷があった。

映画によると、

その屋敷事態もなんだか妖し気な雰囲気だ!

 

 

中世には、

晴明の屋敷に仕えていた人々がこの付近に住んでいたのだが、

下層の陰陽師(おんみょうじ)もこの付近に住んでいて、

この付近は陰陽師(おんみょうじ)関係の地域というおもむきがあった。

往来の人々に占いをする人も多かったらしい。

 

戻り橋は古来橋占いの行なわれていたところとして有名である。 

 
Iwai-Kuniomi