紫式部

むらさきしきぶ

 

平安中期の物語作者,歌人。《源氏物語》 《紫式部日記》 《紫式部集》の作者。

生没年不詳。誕生は970年(天禄1)説,973年(天延1)説などがあり,また978年(天元1)説は誤りである。本名も未詳。

父は当時有数の学者,詩人であった藤原為時。彼女は幼時に母(藤原為信の女)を失い,未婚時代が長かった。

996年(長徳2)越前守となった父とともに北陸に下り,翌々年帰京,父の同僚であった山城守右衛門佐の藤原宣孝と結婚,翌年賢子(のちの大弐三位(だいにのさんみ))を産んだ。1001年(長保3)夏に宣孝が死に,その秋ごろから《源氏物語》を書き始めた。

05年(寛弘2)ごろの年末に一条天皇の中宮彰子のもとに出仕した。はじめ〈藤式部〉やがて〈紫式部〉と呼ばれるようになる。〈紫〉は《源氏物語》の女主人公紫の上にちなみ,〈式部〉は父為時の官職式部丞による。出仕当初は違和感に苦しんだらしいが,やがて中宮の親任を得て《楽府》の進講をした。また天皇が〈日本紀をこそ読み給ふべけれ〉と賞めたので,同僚から〈日本紀の御局〉とあだ名されたともいう。

10年(寛弘7)夏ごろ《源氏物語》を完成し,さらに同年末までに《紫式部日記》をまとめたらしい。

一条天皇没後も上東門院彰子に仕え,《小右記》長和2年(1013)5月25日条に〈為時女〉の文字が見える。同年10月ごろから長期間宮仕えを中断したあと,19年(寛仁3)1月に再び彰子のもとに出仕しているが,それ以降は明らかでない。

晩年には仏教信仰に傾斜を加え,友人との贈答歌にも無常の色が濃い。日記を通じて見えるその人がらは,強烈な自我を根底としながら表面は慎ましく,調和と中庸を旨とするところがあり,複雑な性格と思われる。

 伝承としては,(1)狂言綺語の罪によって地獄に堕ちたとするもの,(2)その裏返しの,紫式部は観音菩の化身とするもの,(3)石山寺に参籠の折,湖水に名月が映ったのを見て,〈今宵は十五夜なりけり〉と《源氏物語》を〈須磨〉巻の一節から書き起こしたとするもの,(4)その起筆は大斎院選子内親王から上東門院に珍しい物語をと注文されたためとするもの,(5)紫式部は道長の妾であったとするものなどがある。ことに(5)は近来その可能性が注目されているが,信用すべき根拠には乏しい。

                        今井 源衛

 

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