今までのWhatsNewにアンカーを張りました!(その2)
父母の愛!(New)
いよいよサダム・フセインに対する戦いが始まる。いよいよブッシュ大統領の力の政策が始まるのである。サダム・フセインの次は、いうまでもなく金正日(キムジョンイル)である。日高義樹のワシントン緊急レポート「世界大変動が始まった(2002年11月30日、徳間書房)」は、ブッシュ大統領の力の政策をドキュメント風にその全貌を余すことなく書いている。実にリアルであり、こういった事実を知らずしてこれからの政治をやっていけないことは間違いない。政治家並びに政治評論家必読の書だ。
日高義樹が言うように、世界大変動が始まったのである。911テロはアメリカ国民にとって言葉には言い尽くせないほど衝撃的な事件であり、ブッシュ大統領の決断によって始まるこの世界大変動の流れは長期に続くのであろう。当面この流れを大きく変えることはできないと思う。それはそのとおりだが、果たしてそれで良いのか。
中沢新一の言う「東北」つまり「環太平洋の環」という概念とそこから展開される哲学は実におもしろい。おもしろいなどと言ってはいけないのかも知れない。すごいのだ。世界的スケールで東北地方の伝説や民話が理解できる。環太平洋の仲間たちよ、手を携えてやっていこう・・・という感じだ。その感じは中沢新一の著書「熊から王へ(2002年6月、集英社)」からの抜粋「熊の主題をめぐる変奏曲」で十分おわかりいただけるであろう。
ここではその補強として、NHKスペシャルの「日本人はるかなる旅1、マンモスハンター、シベリアからの旅立ち(2001年8月、日本放送出版協会)」にもとづいて、日本人の起源について説明しておきたい。最新の研究成果である。
狩猟社会の人々は、動物や植物というモノに化身した森のタマが、自分たちに自然の賜物を贈与してくれていると考えて生きていた。この考えが「東北」の思想であり、盤司盤三郎の伝説によく現れている。「東北」の思想がよく現れている伝説に「鮭の大介」というのがある。「鮭の大介」の伝説については、中沢新一の著書「熊から王へ(2002年6月、集英社)」にもいくつか紹介されているが、私の好きな新潟県は信濃川の民話を紹介しておきたい。森の王者が熊であれば川の王者は鮭である。
私は先に、「 東北の旅は万年の旅である。熊を主題とする神話的思考の変奏曲は、北東アジアからアメリカ大陸にまでの広大な空間にまたがって・・・さまざまな形で存在し、東北でも、その一部が風土となって今なお息づいている。 」と述べたが、・・・・・・そういう神話的思考の変奏曲は・・・・・・確かに・・・・東北の民話に残っている。そのひとつが盤司盤三郎伝説である。まず盤司盤三郎伝説を紹介しておこう。
前にも述べたが、祖霊信仰は何も東北地方に限られてあるわけではない。全国各地にあるのだが、やはりなんといっても東北地方が優勢である。縄文文化が息づいているということかも知れない。かって、縄文時代は、三内丸山遺跡を見るまでもなく、サケマス文化に支えられて、東北が高度な縄文文化を持っていたということは古くからいわれていたことである。縄文文化の精神的支柱は、自然崇拝でありストーンサークルなどがその代表例であるが、自然との響き合い、宇宙との響き合いの中に日々の生活があったといって良い。その延長線上に祖霊信仰がある。
そして、これも上述の文章と同じページの中で述べたことだが、東北地方は円仁との結びつきが非常に強いのである。御承知のように、円仁が苦労の末唐からもたらした密教によって、天台宗は真言宗を超えた。怨霊や溶解は平和の原理と結びついているが、その怨霊や妖怪とのなじみは天台密教の方がいい。いろんな寺をお参りしての私の実感である。天台密教の方が理屈なしにすーと入っていけるように感じる。懐かしみというか親しみを感じるような気がする。祖霊信仰と結びついて独特の変化をしてきているのではないか。そうだとすれば、東北において、天台密教が祖霊信仰を土壌として人々の心の中に深く浸透していったことは十分理解できるであろう。東北のように縄文文化の色濃いところでは、もともと、天台密教の方が適していたのではないかと思われるのである。円仁の登場というものを私は歴史的必然性だと思わざるをえない。
これも前に述べたが、近代科学文明は万能ではない。私たちは、近代科学文明の基礎となったデカルトの哲学から決別して、新しい文明を作らなければならない。もはや「我思う、故に我あり」は古いのである。・・・・「我語る、故に我あり」・・・・、中村雄二郎さんのリズム論こそこれからの新しい時代を切り開いていくのではないかと思う。宇宙との響き合い! 人間の身体性を軽視すること無く、感性を大事にしなければならない。五感・・・、いや第六感をも大事にしなければならないのではなかろうか。
近代文明万能という意識から脱却し、縄文文化から学ぶべき点を明らかにしながら新しい文化と文明を想像していかなければならない。その鍵は東北地方とアイヌ文化にある。
したがって、北海道もそうだが、私たちはもっと東北地方のことを知らねばならない。東北地方の縄文文化の形跡を知らねばならない。そしてその形跡から、縄文文化の復元をしなければならない。それが私たち日本人の完成を磨くことになる。第六感を磨くことになる。そしてそれが21世紀のわが国におけるモノづくりの基盤をつくるに違いない。
前にも述べたように、21世紀の大事なキーワードは、共生、コミュニケーション、連携であります。この三つの言葉は、少しずつニュアンスが違いますが哲学的には同根の言葉であり、21世紀は、共生の時代と言っても良いし、コミュニケーションの時代と言っても良いし、連携の時代と言っても良いのであります。ここではコミュニケーションの時代と言っておきましょう。
コミュニケーションの時代は、国の基本的な戦略としてコミュニケーション産業を育てる必要があります。コミュニケーション産業はコミュニケーションに関するすべての産業であって音楽なども含みますが、戦略的に大事なのは、IT産業であり、ビジター産業であります。
また、コミュニケーションの時代におけるライフスタイルとしては、感性を磨けば磨くほど楽しくなるような趣味が尊ばれ、自然との響き合い、宇宙との響き合いというものが大事になりましょう。そして、そのための環境・・・、中村雄二郎さんのいうところの「トポスの知」がいよいよ大事になってくるでありましょう。かかる観点に立って、地域づくりとしては、自然と歴史と文化にもとづく「知のトポス」を作っていかなければなりません。そうすることによって、東北地方が・・・・わが国の国土づくりのフロンティアとなっていくにちがいない。東北地方の自然と歴史と文化にもっと光をあてなければならないのであります。なんども言いますが、そのことが21世紀のわが国におけるモノづくりの基盤をつくるに違いないのであります。
私は、かかる観点から東北の旅を続けなければなりません。東北の旅は、その自然もさることながら、やはり歴史と文化を求めての旅になるでしょう。前に述べたように、東北文化のへそは立石寺であります。キーワードは、円仁と盤司盤三郎であります。その他、東北の歴史を語るには坂上田村麻呂とアテルイが欠かせず、坂上田村麻呂とアテルイをキーワードにいろいろな旅を始めたいと思いますが、とりあえずの旅は、円仁と盤司盤三郎を追いたいと思います。
円仁と盤司盤三郎を追っての旅!
ふたたび山寺に参りましょうか。
源氏物語はまことにスケールの大きい宇宙論的な物語である。今私は源氏物語をひとつの下敷きにとして天皇制のあるべき姿を模索しようとしている。どういうことになるかわからないが、ともかく天皇制の劇的空間に迫っていこう。システムを具体的に想像するのはそのあとでいい、ともかく天皇制の劇的空間を頭に描くことだ。
私のホームページは「旅」をテーマに始まったようなものだが、今もなお「旅」の途中ではある。まず最初に私は、平和の原理を追い求めて、怨霊や妖怪をキーワードに「平安遷都の旅」をした。その旅は、もちろん京都に始まったのであるが、円仁は立石寺に行き着いたところで立ち往生となった。どこへ行くのが面白いか。「旅」のテーマは「平和」である。平和の原理を追い求めての旅・・・、その行き先を探していたら「憲法」が頭に浮かんできて、連想ゲームのようであるが、「貞永式目」、「明恵と北条泰時」、「武家社会源流の旅」となった。この旅はまだ途中である。明恵は高山寺まで行って今度は意識的に立ち止まった。明恵の思想を多少なりとも勉強する必要が生じたこともあるが、わが国の国土づくりや地域づくりの哲学をもう少し勉強する必要性を深く意識したからである。天皇制というものは終局の演劇空間であるが、哲学的にいえば、所詮国土づくりとか地域づくりとはさまざまな演劇空間をつくることではないのか。演劇空間といって語弊があるのなら、西田哲学「場所の論理」にもとづく「場所づくり」と言い換えてもいいが、まあ私流に言えば「響き合い」の空間をつくることだし、所詮国土づくりや地域づくりは演劇空間というか劇的空間をいろいろとつくることだと思う。劇的空間はいうまでもなく劇的な感動を与える空間であり、中村雄二郎のリズム論を援用して言えば、それはとりもなおさず「響き合い」の空間である。
このような観点から、私は、「劇場国家にっぽん」の旅を新たに始めているのである。その旅も源氏物語を意識してようやくここまできた。宇治の恵心院と横川の恵心院を訪れることができ、ようやく地獄が語れるようになった。地獄を語ることなしに天国を語ることなどできはしない。怨霊や妖怪を語ることなくして平和を語ることはできないし、武家社会という権力を語ることなくして天皇制という権威を語ることはできない。山口昌男がその地平を切り拓いてくれたように、文化というものはそもそも「両義性」を有しているからである(「文化と両義性」、山口昌男、岩波書店、1975年5月)。
源氏物語はまことにスケールの大きい宇宙論的な物語である。宇宙論的な物語がなければ天皇制などというわが国の根源的なシステムを想像しその絵を描くことなどできはしない。さあそれでは源氏物語の宇宙性と天皇制の劇的空間に迫っていこう。
1、光源氏の栄光
3、新枕の陶酔
8、源氏物語の宇宙性
9、天皇制の劇的空間
10、「冬祭り」の哲学
11、対称性社会の知恵
12、宇宙性のトポス
比叡山横川には、比叡山・根本中堂からバスが出ているので、それを利用する人が多い。根本中堂へは京都駅又は京阪三条からのバスを利用するか八瀬からのケーブルカーを利用するのがいい。ケーブルカーからロープウエイーに乗り換えるが、ロープウエイーの三町駅から根本中堂へは歩いてもたいした距離でもないし、バスも出ている。琵琶湖方面から行くには坂本からケーブルカーが出ている。ケーブルカーの終点がもう根本中堂だ。車で行くにはドライブウェイーがある。京都と大津を結ぶ山中越えから大津市雄琴(おごと)へつながっている。
私は小さい頃から比叡山には何度も行っている。修学院は雲母坂(きららざか)から登ったことも何度もある。しかし、横川にはまだ残念ながら行ったことがない。
平安遷都の旅と称して怨霊を追っかけて旅を続けてきたが、その旅は立石寺で止まったままである。そして、とりあえず武家社会の旅に移ったのであるが、その武家社会源流の旅も今、高山寺の明恵のところで止まっている。どうもそれらの先は浄土教を勉強しないとダメらしい。その鍵を握っているのは、横川僧都・源信である。
さらに、ここ暫く集中してきた源氏物語もいよいよ最終段階に来て、横川僧都・源信を取り上げて終わりである。
そういう事情からどうしても比叡山は、横川に行かなければならないはめになった。

1978年8月 草野心平


司馬遼太郎流にいえば、「国の姿(かたち)」ということだが、戦後ずいぶんたつのに、未だにわが国の「国家像」が定まっていない。戦後を未だに引きずっているようだ。このことが何よりも一番問題で、私はそのために、平和の問題、憲法の問題を取り急ぎ勉強中である。
靖国問題との関係でいえば、私は、いうまでもなく、わが国の伝統的な神道こそ良しとしており、戦前の国家主義的神道には批判的である。わが国はやよよろずの神々がいます・・・いうなれば出雲的な神々の世界であるべきだと考えている。そして、さらにいえば、神仏習合こそわが国伝統的な宗教感覚ではないかと考えている。
天皇制についても、わが国の伝統文化からすれば、やはり今の象徴天皇が積極的に肯定されるべきで、明治憲法については批判的である。
明恵の「あるべきようわ」
<URL:http://www.eva.hi-ho.ne.jp/iwai/whatsnew/isomina2.html>
と田辺元の「種の論理」
<URL:http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/haiburi1.html>
が私の出発点であった。
そして、現在は、西田幾多郎の「場所の論理」にもとづいて「劇場国家にっぽん」というキャッチフレーズで「国家像」を描こうとしている。中沢新一の「緑の資本論」や中村雄二郎の「リズム論」などもベースにおかなければならない。まだまだ道は遠い。まだまだ勉強しなければならないことがあるのだが、とりあえず今の私なりの「新しい社会のビジョン」を発表した。
<URL:http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/doumei.html>
天皇は、もちろん、明治憲法における天皇ということでもないし現憲法における天皇ということでもなく、今後改正されるであろう新憲法の下での天皇ということだが、わが国民統合の象徴天皇として、靖国神社に参拝されてしかるべきである。天皇をおろか総理大臣ですらそれができていないのは、そういう環境が醸し出されていないからであり、それは国家としてゆゆしき問題ではないのか。一日にも早くそういう環境をつくり出すべきである。 私はそのために、平和の問題、憲法の問題を取り急ぎ勉強中である。前途多難であるけれど急ぎたい。
昨年、靖国問題で、私は、一連の意見を申し上げた。
<URL:http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/706.html>
しかし、言葉足らずであったこともあり、ここに真意を明らかにしておきたい。
@、本来の神道を取り戻さなければならない。
A、靖国神社は、いずれ総理大臣や天皇も参拝できるよう環境を整えなければならない。
B、国際平和の思想を確立しなければならない。
源信は、そのころ比叡山は横川(よかわ)で天台宗座主・良源について学んでいた。その道場が恵心院(えしんいん)である。
したがって、源信のことを、横川(よかわ)僧都(そうず)とも恵心(えしん)僧都(そうず)ともいうのである。
恵心僧都・源信は、985年、「往生要集」を著わし、現世の悪や浄土の美や地獄のおそろしいありさまを具体的に描きだし、浄行三昧念仏を唱えることにより、人々に極楽浄土の往生をすすめ、浄土教発展の基礎を確立した。その源信ゆかりの寺が宇治の恵心院である。
そしてその恵心院のあたり・・・宇治川の河畔に・・・・宇治十帖の舞台・・・・浮舟(うきふね)の住まいが設定された。
・・・・という訳で、浮舟(うきふね)を偲ぶには、宇治の恵心院を訪れるのがいちばん良い。
小泉総理が誕生し、いわゆる小泉改革が進められるようになって、私は、いわゆる抵抗勢力のレッテルを張られ、多少そういうふうな報道もありました。もちろん、私自身は小泉改革に反対しているわけではなく、したがって自分自身としては反対勢力とは考えていません。PFIを推進すべく首相官邸で小泉総理と昼食をともにしたこともあり、また自民党の部会でも小泉改革推進の発言もしております。しかし、物事は是々非々であり、良いことは良い、悪いことは悪いのであります。したがって、私の公式ホームページ「築土構木」のフォーラム「自由の広場」でも、いいたいことを自由にいってきております。今後ともそうするつもりです。
しかし、自分の発言については、間違ったと思えばただちに考え直すという弾力性と世間に対してある主の責任を持つということが大事かと存じます。そういう意味で、今までの発言について、整理を致しました。考え直さなければならないと思う点もあり、また実現に向かってさらなる努力をしなければならないと思う点もあります。この整理した私の発言を時々見直しながら、思索をさらに深めていきたいと思います。皆様方のさらなる御指導御鞭撻を乞い願うばかりであります。
1、履歴0・・・・おおむね平成12年頃 (註:このインターネットフォーラムのスタートは花田君が秘書になってすぐの頃、平成9年9月のことです。その後・・・・このインターネットフォーラムは秘書に任せて、岩井國臣はもっぱら桃源雲情の方に専念していました。岩井國臣がこのインターネットフォーラムに書き込みはじめたのは平成12年の始め頃からです。)
2、発言履歴02(平成12年秋頃から暮れ頃までのものです)
3、発言履歴03(平成13年1月から平成13年4月小泉総理誕生まで)
4、小泉改革に関する私の発言履歴(小泉総理誕生の頃のもの。発言番号870で既に発表)
5、発言履歴2(参議院選挙の頃から暮れ頃までのもの。発言番号871で既に発表)
6、発言履歴その3・・・平成14年1月1日から
7、発言履歴その4・・・平成14年5月13日から
8、発言履歴その5・・・平成14年5月29日から
9、発言履歴その6・・・平成14年6月8日から
10、発言履歴その7・・・平成14年6月29日から
極楽といえば浄土教であり、浄土教といえば源信の「往生要集」である。一般的には、極楽といえば、法然の浄土宗や親鸞の浄土真宗を頭に浮かべるが、その源流をたどれば源信の「往生要集」にいく。宗教に関心をもつ人であれば源信を知らない人はないであろう。紫式部も源信の影響を受け、世界の名著・源氏物語は源信の思想を背景にして出来上がったと言って過言ではない。源信は誠に偉大な人である。しかし、実をいうと、浄土教えの源流をたどっていくとあの・・・・「円仁(慈覚大師)」にいくのである。
皆さん驚いてはいけない。なんと私の目指す「光と陰の党」とでもいうべき新らしい我が自民党は、一見合理的というより不合理な面が多いし、まあいうなれば矛盾だらけの党である。「ヒューマニズムなんてクソ食らえ!」なんていうとちょっと言い過ぎかもしれないけれど・・まあそうである。「真理の追究なんでばかばかしい!」というとちょっと言い過ぎかもしれないが・・まあそうである。「自由競争なんてクソ食らえ!」なんていうとちょっと言い過ぎかもしれないが・・まあそうである。合理性とか真理とかヒューマニズムとか自由競争とかについては、それとの共生を図り、あえて反対の闘争はしないが・・それよりもっともっと大事なものを追及していく覚悟である。
私の目指すもの・・・・、それは「信」ということかもしれないが、「信」といえば「信」、そうでないといえばそうでないのである。私の目指すもの・・・・、それは「贈与経済」ということかもしれないが、「贈与経済」といえば「贈与経済」、そうでなといえばそうでない。しかし、少なくとも当面は、わが国の経済システムとして、グローバルな市場経済のなかに、「贈与経済」をつくり出していかなければならないのである。
1、土木技術と哲学
私は、近代土木技術がここまで発展した今日、ようやくにして土木哲学を「氾く(ひろく)論ずる」時期がきた・・・そのように思えてならない。土木技術には計画部門、設計部門、施工部門がある。これらは土木技術を支える三大支柱だが、計画部門がこれからの大きな課題だということだ。土木計画学は、国づくり、地域づくりを論じなければならない。土木計画学は、平和の国づくりを論じなければならない。そのためには、哲学を語らなければならないのだ!
「劇場国家にっぽん」は、この3つの世界からなっている。歴史と伝統を大事にし、とどうじに進歩を大事にする。そのためには何よりも「モノ」づくりが大事にされなければならない。それによってはじめて人々の間に・・・響き合いによる感動が生れてくるのである。延原時行が言うように、大音響に象徴される大きな感動というものがなければ、ニヒリズムから逃れることは難しい。「劇場国家にっぽん」は、大きな感動、小さな感動、あらゆる感動を得るための・・・「場所」づくりと「モノ」づくり、そしてそのためのコミュニティーづくりを目指している。
すごい!中沢新一はすごい!
すでに前に、私は、中沢新一が21世紀の新しい哲学を創り出してくれるのではないかと、その期待を表明しておいた。中沢新一の著書「フィロソフィア・ヤポニカ(集英社、2001年3月 )」にもとづき田邊元の「種の論理」の解説をしたときのことである。私の期待にたがわず、中沢新一は、「緑の資本論」として新しい唯物論を展開しようとしているのである。その鍵を握るのが「モノ概念」である。私は、中沢新一の「モノ概念」にもとづき技術のあり方を考え、地域のあるべき姿を提唱したいと思う。「劇場国家にっぽん」の一つの側面を明らかにするつもりである。
青山士(あきら)をはじめ先人の叡智に想いを馳せ、我々土木技術者は、万象に天意を覚り、森羅万象の奏でる宇宙のリズムに耳を傾けなければならない。天籟、地籟、人籟を聞かなければならないのである。私は、今、土木技術という言葉を農業土木や建築なども含めて広義の意味で使っている。より広義には、CivilEnineeringということでいいのかもしれない。土木技術は、モノ的技術である。今までつくられたいろんなモノを見て、今まで使われたいろんなモノ的技術を見て、天籟、地籟、人籟を聞き、天意を覚らなければならないのである。
私たちは、この苦難の時代、伝統の技術、伝統の力というものを信じることから再出発をしなければならない。「世襲の原理」を軽んじてはならないのだ!
なるほど・・・。そうなんだ。技術とは、「モノ」が内蔵している<あらわれ>を、感覚的対象として目にも見え、手でも触れられるようにすることである。技術により手を加えることによりはじめて「モノ」の本質を感じることができるのである。同様に、技術により手を加えることによりはじめて「場所」の持つリズム性を感じることができるのである。人工が自然を完成するということはそういうことである。
この中沢新一の「光と陰の哲学」によってつくり出さなければならない経済システムは、贈与経済である。そして、この中沢新一の「光と陰の哲学」によってつくり出さなければならない政党は、「光と陰の党」であり、伝統の力を重んじかつグローバルな力とも共存を図っていこうとする、矛盾に満ちながらも共生にまい進する政党、ハイブリッド思想を身上とする政党である。自由民主党がそういう政党に変身できるかどうかはまだわからない。わからないが私の直感としては伝統を重んじる保守本流であるが故に十分それが可能でないかと思う。私は、とりあえずそういう新しい哲学を持った「光と陰の党」とでもいうべき新らしい自民党への変革を目指して「劇場国家にっぽん」の構想をまとめていきたいと思う。
7、贈与経済
今わが国は資本主義の真っ只中にある。キリスト教という「不変の同一性」という神のもとで発達した資本主義の真っ只中にあり、贈与の空間が消滅しつつある。真の豊かさと真の幸福が消滅しつつある。中沢新一が言うように、今大事なことは、モノとの同盟である。わが国だけの問題ではない。資本主義が猛威を振るうところでは、モノとの同盟が必要である。モノとの新しい同盟関係の創造が、今こそ求められているのである。贈与空間の復活である。
8、モノ的技術の復権
中沢新一いわく。
宗教は、モノとの新しい同盟をつくりあげるさまざまな実践へと、解体吸収されていくのである。さまざまな実践、それは個人の探求であったり、協同の実践であったり、伝承文化運動の形をとったり、市民運動と呼ばれることもある。あらわれる形はさまざまだ。しかし、それらすべてがひとつの共通点を持つことになるだろう。それは非人間的なモノへの愛である。人間主義 (ヒューマニズム)の狭量さを超えて、資本のメカニズムをも凌駕して、広々としたモノへの領域へとふみこんでいくのである。そのとき、宗教は死んでよみがえるだろう。宗教がみずからの死復活をおそれてはいけない。だいいち、そのことを説いてきたのは、宗教自身だったのだから。
いやあ、すごい!すごい・・・です。さあ、これでやっと「劇場国家にっぽん」の骨組みができそうだ。うれしい。
9、感動システム
「劇場国家にっぽん」は、この4つの世界からなっている。歴史と伝統を大事にし、とどうじにタマを大事にする。そのためには、市場経済ではなくて、贈与経済によって、「モノ」づくりを進めなければならない。それによってはじめて人々の間に・・・響き合いによる感動が生れてくるのである。「水の音」や「夜もすがら」という宇宙との響き合い、タマとの響き合いによる心の深層部分を震わすような感動というものがなければ、各種のニヒリズムから逃れることは難しい。「劇場国家にっぽん」は、そういう感動を得るための・・・「場所」づくりと「モノ」づくり、そしてそのためのコミュニティーづくりないしネットワークづくりを目指している。それは、贈与経済としての・・・・感動のシステムづくり・・・・といってもよい。
10、感動システムのイメージ
伝統技術についての情報センター・「モノづくり博物館」と感性を磨くための「響き合いの場所」・・・・、そしてそれを含む・・・・地域の基礎的産業とNPO活動などとのつながりのシステム・・・・、それらをつくっていかなければならない。これが私のいう贈与経済における感動システムづくりである。これもまた新しいモノづくりであることはまちがいない。
11、モノづくり博物館
中沢新一のおかげで「モノづくり」の哲学が確立されようとしている。ようやくだ。中沢新一の「光と陰の哲学」によって、わが国は21世紀を生きていかなければならない。歴史と伝統・文化に生きるということだ。いや、中村雄二郎流にいえば、歴史と伝統・文化を生きるということである。私たちは、歴史と伝統・文化を生きなければならない。それは、ホワイトヘッド流にいえば、新しい創造の世界に生きるということだ。このような哲学にもとづいて、21世紀に生きる私たちは、「モノづくり」を国是としなければならない。そして、国民共通のインフラとして、「モノづくり博物館」を創らなければならないのである。
最近は誠におぞましい事件があとを立たないが、それらおぞましい事件の中でも親が子供を殺す、子供が親を殺すという事件ほどおぞましい事件はない。母親の気持ちとしては、自分は殺されてもいい、子供だけは何とか助けて欲しい・・・というのが当たり前・・・。それが、事もあろうに、自分も殺され、最愛の子供も殺される。しかも・・・・自分が信頼していた夫に・・・である。怨めしい。夫が怨めしい。これが怨みをはらさいでか・・・。
いかみの怨霊はそういう・・・夫を怨む母親の怨霊である。何を隠そう、その母親こそ・・・、いかみ(井上)内親王、光仁天皇の皇后である。聖武天皇の娘である。場合によれば天皇になってもおかしくないお方である。地位の高いお方の怨霊は凄まじい。いかみの怨霊はどんなに恐ろしいことか・・・・・。こんな恐ろしい怨霊が今までの歴史にあったであろうか。
宇治十帖の発端「橋姫」は、「その頃、世(よ)に数(かず)まへられたたまわぬ古宮(ふるみや)おはしけり」で始まる。「その頃、世間から忘れられておいでの古宮(ふるみや)がいらっしゃった。」という意味である。古宮(ふるみや)とは源氏(薫<かおる>)の異母弟・宇治八宮のことである。
さて、世は、光源氏の時代からその子供・薫(かおる)の時代に移っている。源氏物語の主人公が光源氏からその子供・薫(かおる)に移っているということだが、実をいえば、宇治十帖における本当の主人公は「浮舟」である。源氏物語の起承転結からいえば、この宇治十帖が結論部分であり、まあいうなれば、紫式部は宇治十帖を書きたいために源氏物語を書いたのである。だとすれば、この宇治十帖で・・・紫式部は最終的に何を言いたいのか。いうなれば「源氏物語」の心髄は何かということである。
<論点や議論の隠された所としての場所(トポス)>とは、私のいうところの「知のトポス」である。もっとも典型的な「知のトポス」は、歴史的、文化的な場所であろうが、「知のトポス」としての歴史的、文化的な場所は、先にテーマがあって・・・・、そのテーマを論ずるなかでその場所のもつ意味が定まってくるのであろうから、人それぞれが自分の「知のトポス」を作ることになる。私は、平和を論ずるために平和を考える旅をし、武家社会の源流を論ずるために武家社会の源流を訪ねる旅をしてきた。私の皆さん方に問いかける「知のトポス」が多数ある。六道の辻あたりは私にとって欠かすことのできない「知のトポス」だ。
私は、「劇場国家にっぽん」の旅で、当面、文化の両義性というものを意識しながら「源氏物語」をとりあげ、地獄の旅をしている。いずれ文化の両義性というものを十分意識した上で・・・・・天皇制のあり方を論ずることになるであろう。我が国のあり方として「劇場国家にっぽん」を提唱しているのだが、それも憲法との関連、天皇制との関連など・・・・従来タブーとされていた事柄にも触れざるを得ないのではないか。そのための準備を・・・今しているということだ。とりあえず今は地獄の旅である。
さて、地獄の旅としては、紫式部と並んで小野篁が欠かせない。小野篁といえば珍皇寺であり、珍皇寺といえば六道の辻である。六道の辻あたりは典型的な「知のトポス」である。六道の辻には是非是非一度は出掛けてもらいたい。
「場所」の哲学的な意味がなんとなく判りかけてきた。「場所の論理」がなんとなく判りかけてきた。いましばらく「劇場国家にっぽん」の旅をつづけながら、「場所」について考えていきたい。「場所」をとおして「わが国のあり方」をいろいろと考えていきたい。再度「場所」に関する私のペーパーを掲げておく。けだし、六道の辻は誠に重要な「場所」である。
東西文明が否応なく接触せざるを得ない今日、東西思想の相互触発が必然であり、世界の哲学界で最近西田哲学の研究が盛んになってきているようだ。延原時行(のぶはらときゆき)がその著書「ホワイトヘッドと西田哲学の<あいだ>・・・・仏教的キリスト教哲学の構想・・・・、2001年3月、法蔵館」の中で、『「西田哲学」の名が、今日の世界の哲学界で年毎に定着していく様は、実に、見るだに楽しくも嬉しい興奮であった。』と述べているが、私たち日本人は、哲学者でなくともオピニョンリーダーとして振舞うからには、西田哲学のなんたるかはある程度知っておく必要があるようだ。
以上のようなことから、「劇場国家にっぽん」を構想するに当たってはどうしても、中村雄二郎のリズム論を踏まえながら、西田幾多郎の「場所の論理」を勉強しておくことが不可欠であると思われる。西田幾多郎の「場所の論理」の再認識といっていいかもしれない。中村雄二郎の西田幾多郎に関する著作としては岩波現代文庫のもの(西田幾多郎(1)、中村雄二郎、2001年1月、岩波書店)が適当かと思われるので、これにより「場所の論理」の勉強をしていきたいと思う。
源氏物語の圧巻は宇治十帖であり、その伏線として六条御息所が重要な役割を果たしている。私は源氏物語の宗教的な側面に焦点を当てて人生の二面性を語ろうとしている。いうなれば天国と地獄である。急いではいけない。天国を語る前にどうしても地獄を語らねばならない。私は先に、六条御息所の持つ地獄性について語った。
彼女の怨みの霊は、源氏ではなく、源氏の恋人たちに向かうのだ。次々と怨みを晴らしていくのである。娘の斎王に同行して伊勢に下りやがて死ぬのだが、彼女の霊は彼女が死んでもなお、源氏の愛人に取り付くのである。すさまじい霊の執念である。
それでは、今回・・・・、いよいよ地獄に御案内しよう。紫式部の隠れた世界・・・・・地獄へどうぞ!
「風土工学と杜のくに・・・日本」は2年ほど前のレポートですが、誤字がありましたので訂正しました。
「劇場国家にっぽん」にとって大事なレポートですので、あらためて紹介しておきます。
なお、下記の詩は、当時そのレポートを築土構木のインターネットフォーラムに紹介したときの詩です。
これも「劇場国家にっぽん」にふさわしいし詩ですね!
皆さんからも「劇場国家にっぽん」の詩を寄せて下さい!
現在、全国各地で市町村合併が問題になっている。現在、2,026の市町村が合併のための協議会や研究会を作っており、全体の市町村数の62%を超えている。
福島県・矢祭町(やまつりまち)のように侃々諤々議論の末町議会全会一致で反対決議をしているところもあるし、長崎県・壱岐のように住民発議で合併協議会ができる寸前のところで逆転し、再び町村長の発議で合併協議会が発足したところもある。群馬県・上野村は黒沢村長の極めて強いリーダーシップの下まったく合併問題が俎上にのってこない。
まあいろいろであるが、全般的には「平成の大合併」に向かって動き出しているようだ。多摩川の源流地域では合併をしない方向でまとまったようだ。秩父郡ではいま議論の真っ最中だ。多くのところが侃々諤々熱の籠った議論がなされていることだろう。いろいろ私の意見を聞かれることもあり、以下は、「劇場国家にっぽん」との関連において私の考えを少しまとめておきたいと思う。
1、市町村合併に思う

日本は山国である。国土面積の約70%が山であるという国は世界にないが、そのこともさることながら、日本では登山の歴史が非常に古く世界に類をみないのである。西洋では、山は悪魔の住むところとして長い間近寄る人は少なかったようであるが、わが国の場合、縄文時代にすでに頂上で祭祀が行われていたようであり、石器時代の狩猟生活を考え合わせてみて、人々と山との係わり合いは相当に古い。
山との係わり合いのなかで「響き合い」というものが重要ではないかと思い、簡単なエッセイを書きました。
私は、この「劇場国家にっぽん」の旅を「陰陽師」でスタートした。そして、「陰陽師」の「巫蠱(ふこ)の術」を紹介し、次のように述べた。
『 道教は仏教の伝来とともに我が国に伝えられたとされているが、私は、道教は仏教の伝来よりももっと古い時代に我が国に入って来ているのではないかと考えている。徐福(じょふく)伝説が示すように、中国から直接黒潮に乗って我が国に来た人もいたし、朝鮮半島経由で渡来した人もいた。古来、私たちの想像異常に多くの人たちが中国から我が国に渡ってきたと思う。しかし、本格的な伝来はやはり仏教の伝来と一緒ではなかったかと思う。
陰陽道の元祖は賀茂氏だが、その賀茂一族のルーツというか本願地は葛城である。葛城は、広くは蘇我一族や聖徳太子一族など百済系の本拠地で・・・・・、いうなれば仏教伝来のふるさとみたいなところである。葛城といえば「役の行者」だが、役の行者は賀茂一族だと考えられているし、役の行者は道教に通じていたとの説が有力である。
私の考えでは、役の行者は、道教を下地にして、それを仏教化したのではないかと思う。道教の仏教化、すなわち修験道である。仏教化しないで・・・・神道と結びつきながら純粋に発達したのが陰陽道(おんみょうどう)で、これは、・・・・妖しき故をもって・・・・、すなわち極めて危険なる故に・・・・・、律令制度の中で、陰陽寮が設置され、もっぱら宮中専属とされたのではないか。こんなものが市中に出回ってはたまらない。
そして、空海や円仁によって密教が我が国に伝えられてくると、次第に・・・・密教が陰陽道(おんみょうどう)と対抗できるようになっていき、宮中においても密教が陰陽道(おんみょうどう)と並立するようになっていったのではないかと思う。今私が申しているのは宮中のことである。それまでの仏教では、陰陽道を超えることは叶わなかったのではないか。私はそんなふうに見ているが、その真偽はともかく、平安時代は宮中において陰陽道(おんみょうどう)が隆盛を誇っていたことは間違いない。藤原道真などは常に多くの陰陽師(おんみょうじ)を従えていたといわれている。
その後武家社会になっては、当然陰陽道の宮中での重みは薄らいでいく。そして、宮中での立場が崩れるに連れて陰陽道の市中での普及が強くなっていく。これは当然の帰結であろう。我が国の文化における道教なり陰陽道なりの影響は大変大きい。道教や陰陽道を語らずして我が国の文化を語ることはできない。』
私は、「劇場国家にっぽん」の哲学を「種の論理」と「場所の論理」に求めている。先に「種の論理」については、このホームページでも少し勉強をした。「場所の論理」についてはこれからである。また、そういった哲学から政治として具体的な政策を考えていきたい。「憲法の改正」を意識して・・・・・だ。「場所の論理」を求めての旅、具体的な政策を求めての旅・・・・・、そして、上述のように、私としてはどうしても「修験道」を中心に宗教を考える旅をしたいと思っている。さらに、憲法改正となるとどうしても「明恵」を中心に「宗教」や「天皇制」のことを考えねばならない。そういった旅も必要である。前途遼遠だ!
とりあえずは、先に孝明天皇について触れたので、まずは孝明天皇ゆかりの「場所」に旅・・・・しよう!
そうだ。そうだ。行こう!行こう!
キーワードによる検索をチェックしていたら、極秘のページが出てきましたので(念のためここに説明しておきます!)、この際、以下の通り公表することにしました。
これは一昨年の記録です。これはもともと娘や孫たちだけにURLを教え、私たち親族だけで見ていたホームページです。誰か大事な人と出かけて数多くの写真を撮ったときは、このように自分のホームページにアップして関係者だけで写真を見る、・・・・そういう極秘のホームページの使い方もあります。みなさんも是非お試し下さい。
実は、私のホームページ「武家社会源流の旅」の大事な「場所」に娘や孫たちを是非連れていっておきたかったのです。自分の想いを娘や孫と判って欲しいと思うのはごく自然のことですが、どうすればその想いを伝えられるか。「場所」なんです。「場所」にはリズムがあります。同じ「場所」を体験することから・・・・中村雄二郎さんのいう「共通感覚」というものが芽生えてくると思うのです。せめて娘や孫とは「共通感覚」を持ちたい。親は子供や孫にくどくどという必要はありません。背中で語れば良いのです。「場所」に連れていって・・・・。
「場所」には「響き合い」というものがあります。ともかく意味のある「場所」に行くことです。みなさんも、是非、子供や孫を意味のある「場所」に連れていってあげて下さい。
鎌倉は日本の歴史を語るとき或いはこれからあるべき日本の姿を語るときもっとも重要な「場所」です。京都よりも・・・です。もちろん東京よりも。その「場所」とは鎌倉のことでした。鎌倉を語らずして日本を語るなかれ!・・・・そんな想いをもって娘や孫たちを鎌倉に連れていきました。鎌倉を見て下さい!
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/0008.html
桃源雲情のキーワード集を作りました。
ホームページは、通常、オープニングページから順次クリックしてページをめくっていく訳ですが、ページ数が膨大になってくると、なかなかお目当てのページに辿り着くことができません。そのために、私は先に、総目次を作ったのですが、これとてなかなか面倒です。面白そうなページになかなか辿り着けないのです。
そこで、私は考えた。私のホームページ「桃源雲情」の中の大事なキーワードを書き出し、そのキーワードでページの検索をやればいいのではないか・・・・・、と考えたのです。まずはやってみて下さい!
中にはキーワードから直接ページに飛んでいけるようにリンクを張ってあるキーワードがありますが、まだ作業中というか中途半端なものもあります。御勘弁下さい。いずれ暇を見て完成します。中途半端なものもURLを載せていますので、それを使ってお目当てのページを開いて下さい。
例えば、鞍馬というキーワードでホームページ内検索をすると74のページが検索されます。これはホームページの構造に欠点があってそのように数多くのページが検索されてしまうのです。この点をカバーするために検索結果の絞り込み作業をしてあります。すなわち、鞍馬というキーワードがアクティブになっていますので、それをクリックすると、基本となるページのほかに17のURLが整理されているページが出てきます。そのURLを使ってお目当てのページを開いて下さい。
今後リンクを張ってあるキーワードを逐次増やしていきたいと存じます。乞うご期待!
なお、オープニングページは、一番下のところに、自己紹介やリンク集などと同じ並びでボタンを作りました。
今を去ることおよそ1200年前の昔、桓武天皇は謀反の罪をかけられて憤死した弟・早良親王(さわらしんのう)の祟りを恐れその怨霊をお祭りしたということは事実である。しかし、それは、映画のように、将軍塚にその怨霊を封じ込めたというようなことではありません。将軍塚は、・・・京都における伝説によれば、・・・・何か天下に異変が起こる前に鳴動するという不思議なところです。映画のひとこまであるこの写真にあるように、・・・・京都を一望に見下ろす場所に将軍塚はあります。京都の東山というか、円山公園の奥、ちょうど都ホテルの上の方にあります。この写真にあるように景色のとても良いところですので一度は是非お出かけ下さい。5月のツツジの頃が季節としては一番良いようです。
早良親王の怨霊をしずめるためのお祭りは、鬼の友だちといわれる・・・・かの小野篁(おののたかむら)や天下の美人・・・あの小野小町などを輩出した・・・・小野一族の根拠地・・・・小野郷の崇導(すどう)神社です。小野郷は、京都の八瀬の近くです。崇導(すどう)神社は八瀬に行く国道沿いにあります。八瀬というところは不思議なところで、鬼の生まれかわりといわれる・・・かの八瀬童子のいるところです。あの辺(あたり)はともかく不思議なところです。みなさんも一度は是非お出かけ下さい。
「劇場国家にっぽん」の旅に出る準備が苦労の末にやっとできました。
私は、やはり、老若男女、強者も弱者もともに共生しうる社会・・・、平和社会を目指さなければならないと思います。平和社会・・・それは善も悪も共存する平和な社会であるのでしょうね。・・・悪はなくならない。悪があって善がある。善があって悪がある。悪はなくならないのだと思います。残念ながら・・・・。しかしですね・・・・、しかし、悪は飼いならされなければならないと思います。日々の生活の中でうまく飼いならされなければならないのだと思います。それはとりもなおさず・・・・、これから私たちみんなが向かうべき日々の生活文化であり、芸術文化が目指す平和社会ではないのでしょうか。だとすれば・・・・・・、そういう真の芸術文化社会を目指す・・・、そのことこそ真に創造性豊かな都市をつくることになるのではないでしょうか。私にはそう思われてならないのです。如何でしょうか?
まあ、いろいろと考えねばならない問題があるようです。それらは追い追い・・・・「劇場国家にっぽん」の旅を重ねながら・・・・いろいろと考えていくことにしましよう。急ぐことはない。旅の始めに当たり・・・・、さきには、現在考えている私の考えなり、どうしてもこれだけは欠かせないと思われる人の考えなりを紹介してきました。次はその続きであります。参考にすべき意見はまだまだ多いと思われますが、準備はこのへんにとどめて・・・・・、次回からは・・・・・いよいよ「旅」の報告をさせていだきたいと考えています。どういう旅をするか・・・・乞うご期待!
8、知のトポス
11、プラットフォームとリズム
12、物語を生きる
13、歴史と伝統の創造性
14、マスコミなどの弊害
17、矛盾システムを生きる
今年は一念発起して、新たな国づくりを目指して、「劇場国家にっぽん」というテーマでいろんな取り組みをしていきたいと思っています。御支援をお願いします。
ドナルド・キーンの「明治天皇」を読み、憲法改正を意識して象徴天皇制の問題について考えてみました。「国家の知」を鍛えなおす必要性を強く感じています。
また、9ー11の突き付ける「文明のあり方」についても、この正月に少し考えてみました。
これらはすべて、西田幾多郎の「場所の論理」が関係してきます。おいおい勉強していきたいと思います。
とりあえずは、正月にしたためた拙文を御批判承知の上アップしておきます。
1、劇場国家にっぽん
3、劇場国家と天皇制
5、孝明天皇を悼む
7、文明の価値
聖書に「Love is Pasient」というのがあるそうだが、愛というものは自分の思うようにそう自由に出し入れできるものでない。相手に対する想いとか思いやりというものが自然に湧いてくるうちはいいが、自己中心的になりそうでなくなると、自己を抑えないかぎり相手に愛を感ずるなんてことはできない。克己ということが必要になってくる訳だ。克己ということはガマンするということだが、ガマンをするということはなかなか大変で、そう簡単にできることではない。やせ我慢になりがちである。やせ我慢でなくて自然にガマンができるようでないとダメだ。そのためには、自己に捉われない境地、すなわち無の境地になるのがいちばんいい。自分自身をコントロールするという努力は必要だが、克己というものでなく、楽しみながら自由自在に自分をコントロールできれば一番いい。実際には、そう簡単にいかないのだが、私が言いたいことはそれを理想にすべきだということである。努力が必要だという意味において「自力」、楽しみながらという意味において「他力」がそれぞれ必要である。私が「自他力」という勝手な言葉を使うのはそういう趣旨である。なんとなくお分かりいただけたでしょうか。
「Love is Pasient」というときの愛は、極めて高次元のものであり、己を捨ててはじめて得られるものであろう。自力でもなく、他力でもない・・・・、なおかつ自力であり他力である。そういう絶対認識の境地こそ私たちが目指すべき境地である。私が口癖のように言っている「両頭截断(りょうとうせつだん)」ということだ。
現実の政治や経済社会活動において、或いは私たちの日常生活において、さる9月11日に発生した・・・あのようなテロ行為を容認することは到底できない。それを短絡的にイスラム原理主義と結び付けてはいけないのだが、それにしても私があの同時多発テロに関連して思うのは、排他的な宗教というもの、排他的な思想というものは、これからの平和な世界とはおおよそ無縁なものである。そういう意味で私はイスラム原理主義に疑問を感じている。同様に、法然の浄土思想にも疑問をもっている。私は、平和のためには、やはり違いを排するのではなくて、違いというものを認める思想がいいと思う。「劇場国家にっぽん」のモットーは、「バラバラでいっしょ!」
この桃源雲情というホームページをつくりはじめた当初は、「ゴンちゃん散歩だよ!」から始め、ただ何となく身の回りのものを紹介するというかたちで、帰京報告ということで京都の紹介をしてきました。余り知られていない・・・・私の自慢したい京都のいいところです。それが「平安遷都の旅」と称して、京都の紹介もテーマ性を持たせました。「平和の原理を探る」という私なりのテーマ性です。それも「円仁」から「立石寺」に及んで、ちょうど2000年の正月頃のことですが、平和の原理も少し違う角度からアプローチしたほうが良いのではないかと考えはじめ、「武家社会源流の旅」を始めました。家の近くの「等々力不動」を出発して主として関東を旅してきました訳です。そして、再び京都は「高山寺」に戻って参りました。
私の思索の旅も少しづつ進み、いよいよ永年の懸案であった・・・・能の「蝉丸」が指し示す・・・・「逆さの哲学」を問題にできるようになったかもしれません。しかし、まだ急いではいけないように思います。21世紀の初頭に、9月11日、あの忌わしい同時多発テロがぼっ発してしまいました。これが歴史的な必然であるのかどうか、まだ私には何とも言えませんが、何となく・・・、何となくではありますが、歴史的な必然性のようにも感ぜられます。判りません。判りませんが、そのへんを多少意識して、次のテーマに移りたいと思います。
次のテーマは、「劇場国家にっぽん」です。「平安遷都の旅」と「武家社会源流の旅」を踏まえて、同時多発テロというような今日的な課題にも対処しうる・・・私の哲学的ないしは政治的基盤ができれば良いのですが・・・。さて、どうなりますやら・・・。
もちろん、私は、平安について、平安の都・京都についてほんのさわりの部分を描いただけですし、武家社会の源流ということになればなおさらのことであります。まだまだ描きたいことが残っています。それらはおいおいやることにしましょう。「劇場国家にっぽん」を描きながら今までの不足分を描くことにしましょう。
まずは、「陰陽師(おんみょうじ)」から始めます。ここをクリックして下さい!