知のトポス

 

トポスとは、元来「特定の意味をもつ場所」のことである。アリストテレス以来、話し手の言論(ロゴス)、話し手の人柄(エートス)、聞き手の感情(パトス)の総体として認識されるようになっているので、現在では、中村雄二郎の「トポスの知」というような言い方を見ても判るように、「哲学的な意味での場所」と言ってよい。俗に言えば、「哲学の道」、「哲学の森」、「哲学の川」、或いは「哲学の丘」ということになろうか。宇宙や人々との響き合うことのできる場所のことである。21世紀のわが国において人びとの感性というものを大切にし、それを育んでいくためのに、私たちはいたる処にそういう場所を創り出していかなければならない。

 

田邊元は西田哲学「場所の論理」を静的直感として批判したが、私は、「場所の概念」というものは、或いは「場所」というものは、誠に大事であると感じている。和辻哲学は、ハイデガー哲学「時間性にもとづく人間把握」に対抗して、「場所性にもとづく人間把握」として誕生し、「風土」の概念が定着した。私は、人間というものを理解するうえで、民族というものを理解するうえで、或いは文化というものを理解するうえで、「場所」とか「風土」というものが何よりも大切であると考えている。この場合、人びとにとって、実際的には、その場所を理解するといっても容易ではなく、何はともあれそこに行くこと、そこで楽しむこと、そこで実際に人々や歴史や自然と響き合うことである。私が旅を薦め、、そして「劇場国家にっぽん」を提唱する所以である。

 

ところで、冒頭に例示した「哲学の道」、「哲学の森」、「哲学の川」、「哲学の丘」などというものについては、それぞれそこに何か意味がなければならない。地域の人々の想いがこもっており、それがゆえに訪れる人々の感情を揺り動かす・・・・、そういう何かがなければならない。近くに美しい湧き水があるだけでいい。近くに古戦場があるだけでいい。近くにそれなりの神社があるだけでいい。要は、地域の誇りうる・・・、自然的な何か、歴史的な何か、文化的な何かがなければならない。それら「知のトポス」を創るためには、そこに永く住み、そこに愛着を感じている人がいるということが大前提である。そこにイキイキとした人々の生活があるということが大前提である。地域ないしコミュニティーというものが大事なのである。「劇場国家にっぽん」が小規模分散型社会でなければならない所以である。

Iwai-Kuniomi