劇場国家にっぽんと響き合いの地域づくり
先に述べたように、人間というものを理解するうえで、民族というものを理解するうえで、或いは文化というものを理解するうえで、「場所」というものが何よりも大切である。何はともあれそこに行き、そこで楽しみ、そこの人々や歴史や自然と響き合うことである。私が旅を薦め、そして「場国家にっぽん」を提唱する所以であるが、場所というものの重要性はそれだけにとどまらないようだ。
けだし、自分というものはもちろん生まれながらのものもあるが多くは経験によってでき上がっていくもののようだ。そしてその経験は・・・・・場所というものがないと経験できないのであるから、自己というものは、或いは自我というものは場所が作りだしていると言えるのかもしれない。そしてより大事なことは・・・・・共同体は場所であるということだ。場所を抜きにして自己も、共同体も存在し得ない。混沌としたこの時代・・・・・、自己が元気を出さなければならないし、共同体が元気を出さなければならないのだが、そのためには何よりも場所が元気を取り戻さなければならない。・・・・混沌としたこの時代・・・・、「場所」というものの哲学が必要なようだ。どうも「劇場国家にっぽん」は「場所」を哲学する場所でもあるらしい。
劇場国家にっぽん、それは上述のような「元気国家にっぽん」であるのだが、その目指すべきは共生社会であり、コミュニケーション社会であり、そしてネットワーク社会である。それらはフランシス・フクヤマのいうところの高信頼社会である。それは、中央集権的国家の対極にある地方分散型社会である。地方分散型社会は違いを大切にし、大規模なものより小規模なものを大切にする社会であり、小規模分散型社会といっても良い。
劇場国家にっぽんは、老若男女はもちろんのこと、国の違いなどあらゆる違いをのりこえてすべてが共生する社会を目指している。それは、「バラバラでいっしょ!」をモットーに・・・・違いというものを大事にする社会である。劇場国家にっぽんでは、言葉による通常のコミュニケーションのみならず、演劇形式、音楽形式、お祭り形式、ゲーム形式、運動形式等々さまざまな形態のコミュニケーションが大切にされる。日常生活に溶け込む形でそれらが行われる必要があるということだ。もちろん「旅」が大いに活用されることだろう。
日常生活で経験するものとは一味違う経験が「旅」によってなされる。「旅」は、ただ単に見て回るということだけでなく、他の地域でのお茶、お花、ゲートボール、ラジオ体操、ハイキングなどさまざまな文化活動、私はそれら日常生活に溶け込む形で行われる文化活動をコミュニケーション活動といっているのだが、・・・・・そういったコミュニケーション活動に参加するということが大事である。「旅」によってちょっとした日常生活における違い、それは文化の違いといってもいいのかもしれないが、これからの時代、そういう文化の違いというものを体験することが何より大事であるのかもしれない。基本ルールは相手を傷つけない、相手の立場を尊重するということである。劇場国家にっぽんは平和国家にっぽんでもある。劇場国家にっぽんは、元気国家にっぽんであり、平和国家にっぽんであるのだ。それは、共生社会を目指し、コミュニケーション社会を目指し、ネットワーク社会を目指している。キーワードは「響き合い」・・・・・。モットーは「バラバラでいっしょ!」・・・・。
劇場国家にっぽんは、コミュニケーション社会でありネットワーク社会であるから、インターネットによるコミュニケーションは当然のこと、リゾートオフィス等々・・・新しいライフスタイルが発達する。旅が増え、マルチハビテーションが一般化する。したがって、それぞれの地域で、交流のための場所・プラットフォームが発達する。
プラットフォームは、インターネットにおける交流の広場である。サイバチックではあるがこれも極めて大事な場所である。しかし、場所の持つ特性・身体性というものを考えるとき、やはり地域における交流というものは具体的なものでなければならない。身体の延長として場所がいよいよ元気になることだ。サイクリングロード、遊歩道、渓流釣り、乗馬倶楽部、ゴルフ場、カヌーなどの運動施設も必要だろう。詩吟、俳句、囲碁、お茶、お花、座禅など文化活動のための舞台装置も作らなければならない。クラブハウスを持ったクラインガルテンなども良い。
要は、人びととの響き合い、歴史との響き合い、自然との響き合いのための場所作り、環境整備ということだ。これからの時代、人びとは、何でもいい、何かに熱中して、打ち込んで人生を生きることだ。要はやる気だ!劇場国家にっぽんではそういう気持ちを大事にしたい。元気国家いっぽんということだ!それには・・・・・コミュニケーション!・・・・そして、コミュニケーションで大事なことは相手を大事にするということだ。意見が一致しなくても良いから相手の立場を尊重するということだ。いろんな人が平和に暮らすには・・・・・・・コミュニケーションの実践を重ねることであり、・・・・・劇場国家にっぽんではそのための舞台装置(インフラ)を作っていかなければならない。そして、そこで演ずる役者とそれを支えるスタッフ・・・、もちろんそれらは必要であろう。しかし、あくまで主役は「場所」である。人の想いと響き合える場所、歴史と響き合える場所、自然と響き合える場所である。それらの場所とそれらを支えるスタッフを作っていかなければならない。劇場国家にっぽん・・・・・それは、「場所の論理」にもとづく・・・・元気国家にっぽんであり平和国家にっぽんであり、具体的な政策としては「場所」が主役でなければならない・・・・、このことをまず申しておきたい。「場所」が主役といって判りにくければ地域とかコミュニティーとかに言い換えて差し支えないが、そういう場所、地域、コミュニティーに焦点を当ててすべての政策が構築されなければならないのだ。
さて、先に述べたように、「ユニクロ現象」とも呼ばれる現象がわが国の地方経済を疲弊のどん底におとしめようとしている。中国の産業競争力が高まり、わが国の資本が大挙して中国に生産拠点を移す一方で、日本の各地域の工場は閉鎖や縮小に追い込まれているのだ。セーフガード(緊急輸入制限)の発動により少し息を継いでいる農業もいずれは大打撃を回避できなくなるかもしれない。本当にピンチだ。大ピンチだ。
しかし、これも先に述べたことだが、よくよく考えてみれば、こういうピンチは今に始まったことではなくて、世界の経済が経済合理性を追及する中で、農業や林業はずっと前から大打撃を受けてきている。自由貿易体制のもとでは比較優位説の考え方が基本である。このピンチを前向きに捉えるしかあるまい。災い転じて福となす。ピンチはチャンスではなかろうか。過疎問題を何とかしなければならないと思っている私としては、この大ピンチをチャンスに切り替える絶好の機会がきたと考えたい。「共生、コミュニケーション、連携・・・これこそ21世紀における大事なキーワードだ!」・・・・・、「都市と農山村との共生を図れ!」・・・・・、「ITとビジター産業に舵を切れ!」・・・・、「劇場国家にっぱん!」などと・・・・私は言ってきた。そういった私の持論の受け入れられる可能性が出てきたと考えたいわけだ。わが国のありようを真剣に議論するべきときがきた。わが国の地方経済のありようやわが国経済のありようを議論しなければならないし、わが国の社会システムのありよう、わが国憲法のありようを議論するべきときがきたのだ。
中西輝政氏が、その著書(いま本当の危機が始まった、集英社、2001年12月19日)で述べておられるように、戦後日本は、どんな文明でも持続的な生命力を失わないために必要な二つの支柱というものを欠落したまま、短期間に、そして不用意に、経済大国の地位を築き上げてしまい、それゆえに今、それをまるで白昼夢を見るかのように、あっけなく喪失してし始めている。そうなんだ。私もまったく同感だ。去る9月11日に見たあの白昼夢のごとく、わが国の経済基盤は・・・今あっけなく崩れ落ちようとしている。中西輝政氏は訴える。文明を支える二つの支柱、それは「自己決定」に支えられた自我意識と・・・・・それをさらにそのそこで支える「文化共同体の観念」であるが、・・・・・今こそこの二つの支柱を取り戻すためには憲法改正への議論が不可欠である。私もそう思う。この機会を逃してわが国に希望に満ちた新しい時代の訪れるわけがない。今はすべてを変える絶好のチャンスなのだ。
再度申し上げるが、劇場国家にっぽん・・・・・それは、「場所の論理」にもとづく・・・・元気国家にっぽんであり平和国家にっぽんである。そして、具体的な政策としては「場所」が主役でなければならない。「場所」が主役といって判りにくければ地域とかコミュニティーとかに言い換えて差し支えないが、そういう場所、地域、コミュニティーに焦点を当ててすべての政策が構築されなければならない。
憲法改正まで視野に入れて、すべての政策を構築しなおさなければならない。私の専門とする国土政策については上述のとおりである。では、税制ならどうなるか・・・、この際、ひとつの例として・・・・私の考えを提示しておきたい。まず固定資産税である。固定資産税は場所と結び付いて徴収されるのでそのままでいいだろう。しかし、所得税は国税であり、現在、場所とはなんら結び付いていない。劇場国家にっぽんでは、場所が主役ですべての政策が考えられなければならない。だとすれば、現在の所得税は、場所と結び付いた地方所得税に改められなければならないということになる。住民税は、現在も場所と結び付いているが、マルチハビテーションの時代において、主たる居住地だけに課せられる現在の税体系は如何なものであろうか。セカンドハウスやリゾートオフィスにも税がかかるように改められて然るべきである。地方所得税も同様に主たる勤務先や主たる居住地とセカンドハウスやリゾートオフィスに分けてではあるが、場所に結び付いた形で徴収されて然るべきではないか。消費税も、これからの増税分は原則として地方消費税であるべきだろう。
税制のみならず、わが国のありようを真剣に議論するべきときがきた。わが国の地方経済のありようやわが国経済のありようを議論しなければならないし、わが国の社会システムのありよう、わが国憲法のありようを議論するべきときがきたのだ。「劇場国家にっぽん」を提唱する所以である。