ふたたび「モノとの同盟」について

 私は、ちょっと誤解していたらしい。同盟というのは、精神的な世界と物質的な世界との同盟のこと理解し、中沢新一が言う「モノとの同盟」というのをタマと物との同盟というように理解してきた。どうもそうではないらしい。恥ずかしながらここに訂正のための文をしたためる。 

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今年後半のWhatsNew

 

今年の正月から6月までのWhatsNewはすでに整理済みですが、

それ以降年末までのWhatsNewを整理しておきます。

 

 

宇宙との響きあい

薬師信仰について

日向薬師に参ろうか!

関東の三大稲荷

広隆寺の牛祭り

太秦に行こう!

八幡大菩薩の誕生

ディエゴスアレス

マダガスカル友好親善訪問

共生の論理 (new)

「劇場国家にっぽん」と「いわき」

共生の論理

高橋富雄の「いわき長谷寺考」

トライアッド

「いわき」と徳一

人権問題と「劇場国家にっぽん」

 

なお、今年に入ってから6月までのWhatsNewはここ、また昨年までのWhatsNewはここをそれぞれくクリックして下さい!

 


 

宇宙との響きあい

 

 

  私は、去8月1日に名古屋で開催された「グランドワーク東海」主催のシンポジュームで、「宇宙とのひびき合い」と題する20分ほどの私のスピーチの最後を次のような言葉で締めくくった。

 『 時代が変わるためには人間が変らなければならない。では、人間が変るためにはどうすればいいか。哲学的な言葉でいえば「純粋生命」とか「絶対無の場所」とか「純粋な述語性」という言い方になるのかもしれないが、判りやすくいえば「生きているということ」でいいかと思うが、(人間が変るためにしなければならない大事なことは)「生きているということ」に対する感動であり、そのための「場づくり」である。グランドワーク、それは、「ひびき合いの場づくり」である。 』

 私は、「宇宙との響き合い」とか「響き合いの場づくり」という言い方が気に入っている。私の秩父の山小屋の・・・いろり小屋は「響き小屋」と名付けようと思っているが、人々とのコミュニケーションも、要は、響き合いですからね。なんぼ響き合いのない会話をやっても仕方がないですからね。響き合いなんですよ、響き合い。宇宙との響き合いなんですよ。それでは、去8月1日に名古屋で開催された「グランドワーク東海」主催のシンポジュームで、「宇宙とのひびき合い」と題する20分ほどの私のスピーチの全文を掲載しておきます。

 

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薬師信仰について

 

 薬師信仰は、稲荷信仰や地蔵信仰についで庶民に親しまれた信仰である。薬師如来は、本来、時の権力者によって、国分寺などの権威ある寺院に多く建立されたようであるが、わが国の古代信仰と結びついて、庶民に親しまれた薬師信仰というものが誕生していくようである。庶民の信仰ということになると、「お札」の存在が欠かせませんが、「お札」との関連では、信濃の国分寺に「蘇民将来子孫家也」のお守りが注目されます。

 

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日向薬師に参ろうか!

 

 今私は、平和の原理を探し求めて旅をつづけている。わが国のあるべき姿を求めて旅をつづけている。憲法論議に間に合うか。

 自民党は、再来年が結党50周年である。それを記念して憲法改正案を国会に提出するという。そして、その前の作業として、わが国の国家像を明らかにして、それをもとに来年7月の参議院を闘うという。安部幹事長の発案である。大賛成である。前々回の参議院選挙は、自民党は民主党に大敗した。自民党では、安部晋三を中心に有志の者数人で民主党のどこに基本的な問題があるかを検討した。安部さんは国防問題を取り上げられ、私は国家像を取り上げた。私は、民主党は国家意識が極めて希薄であると思う。私は、国際化の時代であるだけに国家意識というものが極めて大事であって、わが国の歴史と伝統文化に根ざしたしっかりした国家像というものがあって、はじめて国際社会から尊敬され、国際的にはじめて名誉ある地位を得ることができるのであろうと考えている。

 わが国の国家像はいうまでもなく「国際平和文化国家」である。しかし、「国際平和文化国家」といってもあまりにも抽象的で、どういう哲学にもとづき、どのような国土づくりをやればいいのか判らない。わが国の哲学の流れからして、どういう平和哲学を持てばいいのか。そこが問題である。そこで私は、平和の原理を探し求めて旅をつづけているのである。わが国のあるべき姿を求めて旅をつづけているのである。是非、憲法論議に間に合わせたい。

 「平安遷都を訪ねて」では「怨霊、鬼、妖怪」をキーワードに旅をつづけ、「武家社会源流の旅」では「行基」「良弁」「明恵」をキーワードに旅をつづけてきた。そして、今「劇場国家にっぽん」では、「徳一」をキーワードに旅をつづけている。(註:「劇場国家にっぽん」はまだ最終的な整理ができていませんので、今までのものは、「昨年までのページ」と・・・「今年の前半のページ」と・・・「今年の後半のページ」この3っつのページの・・・最後から逆に見ていって下さい。)

ゴールを急がなければならないのだが、あせってはことを仕損じる。私のねらいは、最終的は明恵(わが国における自然法の思想的源流)だが、当面は徳一(わが国における違いを認める文化の思想的源流)だ。近々徳一を訪ねて会津に行きたいと考えているが、徳一を語るには、その前に関東の古代信仰を語らねばならない。徳一以前の関東において、はたして古代信仰がどうであったのか?

 

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関東の三大稲荷

 

 

 関東における古代の信仰はどうなっていたか? なかなか難しい問題だが、その辺の問題にできるだけ多角的に迫っていきたい。まずは畿内からの影響である。権力機構による影響である。八幡信仰のことについてはすでに述べた。関東武士団の影響が濃厚である。では、稲荷信仰はどうか?  八幡信仰は、関東武士団、とりわけ源氏の影響が支配的である。稲荷信仰については、どうもそのような権力機構による支配的な影響というものは見当たらない。稲荷信仰は、庶民に支えられた信仰であり、庶民レベルでは、必ずしも権力機構の影響は強くなかったのではないかというのが私の感想である。関東では、秦氏の影響もまったく感じられない。

 板東33ケ所観音霊場巡りというのがある。西国33ケ所観音霊場巡りと秩父34ケ所観音霊場巡りと併せて観音霊場100ケ所巡りというが、私は、秩父34ケ所観音霊場巡りは前にやったことがあるので、今は、板東33ケ所観音霊場巡りをやっている。私自身の信心のこともあるが、むしろそれよりも関東における古代の信仰がどうであったのか、その辺の勉強をしたいという気持ちも強い。もう少しで全部が終わる。その段階で何か結論できることがあるかも知れない。そう願っている。

 

さて、私のねらいは徳一である。近々徳一を訪ねて会津に行きたいと考えているが、徳一を語るには、その前に関東の古代信仰を語らねばならない。徳一以前の関東において、はたして古代信仰がどうであったのか?

 

 

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 広隆寺の牛祭り

 

 

 広隆寺の牛祭りは、円仁によって始められたという。ああ、そうか。円仁という人はどういう人かしらないけれど、まあそういう円仁という偉い坊さんが始めたのか。それにしてもまあ、妙なお祭りを始めたもんだなあ・・・というぐらいで、・・・だいたい話は済んでしまうのだろうと思う。

 しかし、円仁という人はどういう人か。それを知っている人はおそらくあまりいないのではないか。そういうことではこれからの日本は世界でやっていけないと思うのだが、まあ今のところはいいとしておこう。円仁は慈覚大師のことだが、ほとんどの人は大師といえば弘法大師を頭に描くのではなかろうか。しかし、本来、大師という称号は、天皇からいただくものだが、慈覚大師が一番最初である。慈覚大師が日本ではじめて大師という称号をもらって、後年、慈覚大師がもらったのなら何とか最澄や空海にも貰えないだろうかという動きがあって伝教大師や弘法大師が誕生したのである。私は、最澄も偉かったけれど円人のほうがもっと偉かったと思っているぐらいだ。

円仁については、今まで、私はいろいろと書いてきてきた。実はまだ書き足らない部分があるのだが、それは後日に譲るとして、ここでは、とりあえず今までの主なページを紹介しておきたい。

1、赤山大明神

2、怨霊普遍

3、舟形と円仁

4、円仁死して飛翔す!

5、東北地方と円仁

6、立石寺

7、祖霊信仰

8、源信と恵心院

9、盤司盤三郎の面影

10、巫蠱(ふこ)の術

 

 ぼちぼち牛祭りが始まる!

いそいで広隆寺に行こう!

 


 

太秦に行こう!

 

 

 私は先に、問題を解く鍵は「野生の思考」だと述べ、次のように述べた。

 

 何故八幡大菩薩が関東武士団の心を掴んだか。それは・・・・東国には、当時はまだ「野生の思考」が残っていたからである。かくして関東武士団によって八幡神は全国に広がっていく。ところで、この・・・・全国的にもっとも数の多い八幡神社は、先に述べたように本来は秦(はた)氏の氏神であった神が昇格したものである。そのほか、実は・・・、秦(はた)氏がお祭りした神が全国に普及したものに稲荷神社がある。稲荷神社は、もともとわが国の古代信仰として信仰されていた「田の神」が昇格したものである。それをそうなさしめたのは秦(はた)氏である。京都の稲荷神社は、今でこそ全国の稲荷神社の総元締になっているが、もとは秦(はた)氏の創建になる。

 

けだし、秦(はた)氏という氏族はものすごい氏族である。

 

 さて、秦氏といえば京都は太秦。

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八幡大菩薩の誕生

 

 

 先に述べたように、私は、今まで、いろいろな場面で神仏習合について語ってきた。今、それを振り返りながら、まだ語っていないものがあるかどうかを吟味してみたい。そして、まだ語っていないものがるのならそれを語ることとしたいのである。今までいろんなところで言ってきているように、私は、神仏習合という信仰形態に光り当てたい。まだ、語っていない重要な問題に、八幡大菩薩がどういう事情で誕生したか、という問題がある。神仏習合が行なわれるようになった理由を、私は、すでに「大山と徳一」というページで、「トライアッドの原理」ではないかと思い、そういう指摘をさせてもらった。こうである。

 『 しかし、年貢の徴集というものは、貴族と豪族と神社と仏閣、この4つの組織が機能的にバランスする必要がある。4つの組織機能ではもともとバランスがとれない。やはり、バランスがとれる組織形態とは、トライアッドである。グウ・チョキ・パーの組織形態がいちばんいい。すなわち、年貢の徴集制度は、宗教組織をかますのなら、それは神仏習合でないとうまくいかない筈である。日本の場合は・・・・・である。このようなことで、私は、神仏習合というものが徐々に形成されていったのではないかと考えている。 』・・・・と。

 

 ところで、三つ一組のものを英語でtriad(トライアッド)というが、私はすでに、「トライアッド」というページで、そのことに関する河合隼雄の考えを紹介した。河合隼雄は次のように言っている。すなわち、

 『 一、二、三、という数について考えてみるとき、一はまさにはじまりであり、唯一である。それが二となると、分離、対立、協調、均衡などの様相が生じてくる。事実、「二人の創造者」というのも、神話によく生じるテーマである。それが、三になると、二の様相に相当なダイナミズムが加わってくる。「三頭政治」は世界の歴史のなかで、ときに出現している。人間は二項対立的にものごとを考え、処していくのを好むがそこに第三の要素を入れ込むことによって、二項対立的な構造にダイナミズムを与えるのである。そのような意味のみならず、二つの対立的分類より三つの分類のほうが、全体をより立体的に構成できるという考え方もある。二次元より三次元的に考えるほうが、より豊かなイメージをもつことができる、というわけである。』・・・・と。

 そして、そのトライアッドは、河合隼雄のいう「中空均衡構造」であるが、これからのわが国における・・・国家の統治構造を考える際の基本的な原理になるべきである・・・・という私の考えを示した。

 

 国家の統治原理とでもいうべき「トライアッドの原理」、そしてその具体的な表象が八幡大菩薩であるのだが、問題は、その八幡大菩薩がどういう風に誕生したのか、という問題である。このことについて、私は、まだ何も語っていない。

 さて、神道であるが、ひとくちに神道といっても、日本古来の神道と物部氏神道、それに中臣神道などいろいろだし、ひとくちに神社といってもいろいろだ。天皇家と直接結びついた神社はいうまでもなく、伊勢神宮だが、他の・・・・・宇佐神宮だとか鹿島神宮だとか古くて格調の高い神社は、天皇家とももちろん無関係がないではないが、どちらかのいうと中央貴族や地方豪族との関係が深い。まあ、俗っぽい言い方でいえば、そういう神社の運営管理費を誰が出すのか・・・ということである。その辺は複雑で一概に言えないが、大別すれば、天皇家の関係も含んだかたちの貴族と、中央貴族の関係を含んだ豪族に分けることができるように思う。そういう貴族と豪族と神社と寺院とがからみ合って、年貢の取り立てや神社仏閣の維持管理が行なわれていたのである。その複雑な権力関係の中でトライアッドの原理が働いて神仏習合という信仰形態が生まれてきたのではないかというのが、すでに「大山と徳一」というページで述べたことである。では、宇佐神宮の場合はどうであったのか。実は、これが誠にややこしいのである。

 義江彰夫はその著「神仏習合」(1996年、岩波書店)の中では、こう言っている。

 すなわち、『 藤原氏の伝記「家伝」下によれば、古く715年に、国家鎮護神のひとつ越前国気比(けひ)神宮の神がみずからの願いによって神宮寺を建立させているし、746年までに、九州宇佐の地に武力で国家鎮護する宇佐八幡宮が同時に八幡大菩薩と呼ばれるようになっており、云々・・・』・・・と述べている。このとおりであるが、これでは八幡大菩薩が誕生した状況が語られていない。

 このような格式の高い、天皇家とも密接な関係にある神宮と言えども、やはりいろいろと悩みはあったわけで、特に、国分寺など仏教寺院の興隆とともに、経済的な運営管理が大変になっていたのではなかろうか。つまり、国分寺などの仏教寺院の勢力拡大にともなって豪族と神宮ないし神社との結びつきは希薄になっていったのではないか。これは大変だ。何とか仏教寺院側と話をつけないと神宮ないし神社はやっていけなくなる。そういう危機感が満ちてきた。そこで考えられたのが、神宮ないし神社の境内に寺をつくることであった。つまり、神宮寺ないし神社内仏教寺院の誕生である。

 さて、鹿島神宮に神宮寺ができるのが760年ごろである。宇佐神宮より10数年遅いが、徳一が筑波で活躍する頃にはすでに各地の大神社には神宮寺を建立する動きがでていた。そういう地方豪族レベルの神宮寺建立の動きについては、勝道上人の活躍の負うところが大である。このことについては何度も述べた。義江彰夫によれば、中央の貴族レベルでは奈良時代のはじめから、地方豪族レベルでは奈良時代の後期から、そういう神宮寺の建立の動きが出てきて、そういう神宮寺というものの基盤が確立するのは九世紀の半ば頃であるというのだが、実は、この説明は必ずしも正確ではない。地方豪族レベルの神宮寺建立の動きについてはその通りであるが、奈良時代はじめの中央貴族レベルでの動きは神宮寺建立の動きというのでは正確でない。ということで、九州は宇佐の地に八幡大菩薩が誕生した、そのいきさつについて、ごく簡単に説明しておきたい。

 道昭(どうしょう)という人がいる。道昭は、唐に留学し玄奘から唯識を学び、帰国後、わが国に法相宗を興した。法相宗の始祖である。法相宗は、行基や徳一などの優秀な僧侶を数多く輩出したが、その中に法蓮(ほうれん)という人がいる。徳一の先輩にあたる。

 ところで、日本書紀ができるのが720年であるが、まあいうなればそのころ、藤原不比等(ふひと)が律令国家を支える基盤として中臣(なかとみ)神道を完成していく。これに危機感を持ったのが秦(はた)氏ではなかったか。秦(はた)氏は、もともと蘇我氏と同じように仏教派である。京都は太秦(うずまさ)にある弥勒菩薩で有名な・・・・かの広隆寺は秦(はた)氏の創建になる。広隆寺は、聖徳太子創建の四天王寺と並ぶ・・・・わが国ではもっとも早い時期に創建された歴史的寺院である。御承知のように、秦河勝(はたのかわかつ)は聖徳太子の右腕であり、根っからの仏教信奉者である。秦(はた)氏がおそらく法蓮(ほうれん)に働きかけたのであろう。法蓮(ほうれん)は、すでに九州は英彦山で山岳仏教を修得すべく修行中であったようだが、おそらく秦(はた)氏の意向にしたがって、宇佐の地で弥勒寺を創建、のちにその弥勒寺を宇佐八幡宮の境内に移す。

 宇佐の八幡宮というのは、もともと秦(はた)氏の氏神さまである。八は多くを意味する語。幡(はた)は秦(はた)である。もともとは遠賀川の中流にある香春岳(かわらだけ)にあった秦(はた)氏の氏神さまである。遠賀川のその辺(あたり)から宇佐付近までは秦(はた)氏の勢力範囲であって、多くの旗をなびかせながら氏神の領地内巡行が行なわれていたようで、その秦(はた)氏の氏神を「八幡(はちまん)神」と呼んでいたようである。

 中央集権的な律令国家が進みそうだ。もちろん、秦(はた)氏にも八幡(やはた)という氏神がある。それが律令国家と中臣(なかとみ)神道という・・・新しい国家システムに飲み込まれてしまいそうだ。宇佐の神も応神天皇と神皇皇后という母子神に摺り替えられてしまった。藤原不比等(ふひと)の進める中臣(なかとみ)神道に飲み込まれるのではないか。そういう危機感から、弥勒寺の八幡宮への移設が実行されたのである。

 かくして、八幡大菩薩が九州は宇佐の地に誕生するのだが、そののち、八幡大菩薩は和気清麻呂らの力によって山城の国は男山の石清水(いわしみず)寺のあとに勧請される。その前に東大寺の境内に手向山八幡宮が建立されるが、男山すなわち石清水(いわしみず)への勧請はいうなれば八幡大菩薩の本格的な中央進出である。そのあと誉田(こんだ)八幡(現大阪府羽曳野市)などもできる。そして、次第次第に・・・関東武士団の心を掴んでいくのだが、そこがいちばん肝心のところで、徳一が行なった神仏習合の社会的背景である。徳一は、そういう精神的な社会的背景と神宮寺建立という経済的政治的な流れの中で、神宮寺という形態にはとらわれないで、古代信仰をも視野に入れたもっと本質的な神仏習合の信仰形態を模索した。神宮に神宮寺を建立するというのではなくて、仏教の教義の中に日本の神を取り込んでしまおうというのである。実に・・・「壮大な考え」・・である。そういう「壮大な考え」に気がついた徳一は、山のお陰であり、「東北」のお陰であるが、実に偉大である。その「壮大な考え」が空海に引き継がれ、本格的な神仏習合が完成していくのである。もし徳一が存在しなかったとしたら、私たちが知っているあの偉大な巨人・空海は存在しなかったであろう。幸い、徳一がいた。徳一の神仏習合は、古代信仰と唯識との合体である。徳一と空海の思考、それは現実肯定の・・・いうなれば「野生の思考」の復活である。大事なことは、その「野生の思考」が復活する土壌があるということだ。そういう風土が東北にはあるということだ。そういう状況の中、やがて八幡大菩薩は、宇佐神宮や石清水(いわしみず)八幡宮から離れて、次第次第に一人歩きするようになる。そして、関東武士団の心をとらまえて彼等の精神的支柱となっていく。鎌倉の八幡宮ができるずっと前のことである。

 「男山考古録」によると・・・・「日本書紀通証」は、貞観一二年宗像大神告文に神功皇后新羅出兵の折、相ともに力を加えてわが朝を救ったとあるのを引いて「宇佐  男山等の宮三女神合祭神功・応神、乃称弓箭神者」と記し、つとに弓矢の神・戦勝の神として知られるところであった。このため武家の崇敬するところとなり、とくに源頼信が永承元年誉田(こんだ)八幡(現大阪府羽曳野市)に祭文を棒げて家門の繁栄を祈って以来、八幡神は武神にして源氏の氏神でもあると考えられるようにもなった。その子頼義と孫義家の信仰も強く、前九年の役(永承六−康平五年)では戦勝を八幡宮に起請し、戦後報謝して康平六年(1063)石清水八幡を勧請して相模国由比郷に一社を創建したという(「吾妻鏡」治承四年一○月一二日条)。なお、義家の生家は鎌倉だが、実は、その生家のあとに・・・・義家をお祭りした甘縄神社がある。是非、お立ち寄り下さい!現在の鶴岡八幡宮は・・・もっと海に近い相模国由比郷にあったその旧八幡宮を頼朝が今の位置に移したものである。東北遠征の戦勝記念である。

 

 それでは、関東武士団の八幡信仰の例を、「将門記」に見ることにしよう。

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ディエゴスアレス

 

 

 私たちは、歴史を生きている。私たちは、過去の歴史とのつながりの中で意識の有無にかかわらずさまざまな影響を受けながら、現在を生き、未来を生きるのである。現在を立派に生き、未来を立派に生きるためには、歴史はしっかり身につけておくべきである。

 

 マダガスカルとの友好親善のためには、マダガスカルがわが国の歴史の中にどのような形で登場してくるのか、或いは日本がマダガスカルの歴史の中にどのような形で登場してくるのか、それらを知っておくことはたいへん大事なことであろう。元駐マダガスカル大使の山口洋一の著書「マダガスカル・・・アフリカに一番近いアジアの国」(1991年、サイマル出版会)によれば、わが国の歴史の中にマダガスカルが登場するのは日露戦争の時と第二次世界大戦の時であり、マダガスカルの歴史の中に日本が登場するのは独立運動の時であり、それぞれ概要がよくわかる。

 

 ここでは日露戦争の時と第二次世界大戦の時にマダガスカルがどのように登場してくるのか、それらの点に焦点を絞ってお話したい。ディエゴスアレスとの関係が極めて深いからである。ディエゴスアレスとわが国との関係といってもよい。まず、日露戦争から始める。

 

 

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マダガスカル友好親善訪問

 

 

 日本古来の信仰と関連して、中西進は、その著「古代日本人・心の宇宙」(2001年4月、日本放送出版会)の中で、わが国の神話・古事記に関し大事なところに登場するのがミオヤの神と呼ばれる祖先神だと述べ、古代日本人における祖先崇拝の強さというものを指摘している。祖先崇拝というものはアジア一帯の信仰だといわれているが、中西進によれば、マダガスカルにそれが特に色濃く残っているという。祖先を大事にするということは、年寄りを大事にするということであり、伝統・文化を大事にするということである。

 伝統の創造力という言い方があるが、わが国がこれから「モノづくり」に生きていこうとするのであれば、伝統を大事にしなければならない。祖先を大事にしなければならない。また、世界平和のためには、中沢新一がいうように、「モノとの同盟」が必要である。科学文明とそれぞれの国の固有文化との同盟が必要である。世界全体が、「違いを認める文化」というものをつくりあげていかなければならない。

 現在私は、「徳一」を追いながら、神仏習合の源流を旅している。日本古来の信仰と仏教とがどのように習合していったか、その思想的背景というか、その歴史的背景を調べている。わが国の歴史や伝統・文化のなかで、「違いを認める文化」というものがどのように形成されていったか。これは、大変興味のある問題である。私は、これから、世界全体は、「違いを認める文化」というものをつくりあげていかなければならないと思う。世界平和のためには、ダイバーシティーというものが大事なキーワードになると思う。これから、世界は、科学文明の対極にある・・・それぞれの国の伝統・文化というものを大切にしていかなければならないが、その基本は、祖先を大事にするということではなかろうか。現在私は、そんな思いを持ちながら「徳一」を追い・・・神仏習合の源流を旅しているのである。

 今回のマダガスカル友好親善訪問は、いくつかの目的があるが、そのなかで私が重大な関心を持っているのは「祖先崇拝」ということであり、その実態を知るためにはどうすればいいか・・・その下調べという意味合いが強かった。どのようなものでも、最初の訪問で実態というものが判るはずがない。最初は、どこを見れば良いのかも判らない。いつ行けばいいのかも判らない。国内で、旅をして、調べものをするときもそうだ。ともかく何度か行っているとそのうちに何かが判ってくるものだ。そんな気持ちで今回はマダガスカルを訪れた。いろんなことが判ってきた。マダガスカルの歩き方が・・・・。これからが楽しみである。

 

 では、マダガスカルの一側面というぐらいの感じで、とりあえずの報告をさせていただく。一般の方の興味のありそうな部分のみの報告である。今回のマダガスカル友好親善訪問については、いろいろな目的があり、公式行事も少なくなかった。それらについては、今後、必要に応じ、おいおい報告していきたい。マダガスカルは、現在大変貧しいが・・・大変良い国である。これからの発展も期待できる。わが国が、今後、積極的に友好親善を深めるべき大事な国である。皆さん方も、是非、マダガスカルに出かけて欲しい。

 

それではとりあえず真っ先にここをクリックして下さい!

 

1、マダガスカルはまずアンチラベへ

2、アンチラベ

3、ナモロナ川に向かう

4、ドメン・ナチュール

5、悪路を行く

6、国道7号線・沿道の風景

7、国道7号線・沿道の風景(その2)

8、フォードファン

9、フォードファンのホテルとその周辺

10、ベレンテ自然保護区へ

11、ベレンテのカフェテリアで

12、ベレンテ自然保護区を散策

13、フォードファンの風景(その2) 

 


 

共生の論理 (new)

 

 

 私は、去8月1日に名古屋で開催された「グランドワーク東海」主催のシンポジュームで、「宇宙とのひびき合い」と題する20分ほどの私のスピーチの最後を次のような言葉で締めくくった。『 時代が変わるためには人間が変らなければならない。では、人間が変るためにはどうすればいいか。哲学的な言葉でいえば「純粋生命」とか「絶対無の場所」とか「純粋な述語性」という言い方になるのかもしれないが、判りやすくいえば「生きているということ」でいいかと思うが、(人間が変るためにしなければならない大事なことは)「生きているということ」に対する感動であり、そのための「場づくり」である。グランドワーク、それは、「ひびき合いの場づくり」である。 』

  東大名誉教授に清水博という生命学の大先生がおられる。その大先生がつい先だって「場の思想」(2003年7月17日、東京大学出版会)という本を出された。私のスピーチは、一月ほど前に原稿を用意していたのだが、数日前にその清水博先生のその本を読んだばかりであり、その印象が強烈に残っていたのでついついそれに引きつられて、「純粋生命」荷対する感動とか「生きていること」に対する感動「場の思想」を受けての大変むつかしい本だが、大変役に立つ本である。清水博先生は、1932年生れであるので私より6年上である。東京大学の薬学部を卒業され薬学博士であるので、薬の先生かと思ったらとんでもない。大学院時代は化学物理学を学ばれ、ハーバード大学やスタンフォード大学でも研究生活をされたことのある生命学の大先生なのである。生命に関する学問をバイオホロニスというが、先生の研究は生命というものを分子のレベルから解明しようとするもので、もちろん世界最先端の研究である。先生は、九州大学理学部教授の後、東京大学薬学部の教授、定年後は金沢工業大学で「場の研究所」をはじめられたりしている。その行きつくところは当然かもしれないが、もともと生命学の大先生が哲学書かと見まちがう本を出されたのである。これはもうどうしても読まなければならない。哲学を勉強するものの必読の書だ。

 

 近代文明は行き詰まり、現在、新しい文明を創り出すまさに大転換期にある。人と人、そして人と自然の共存在の実現に、いまや「救済者」の出現が待ち望まれているのであって、そこで問われるべきは、具体的にどうすればいいかということである。具体的にどうすれば「共生の論理」にもとづく新しい文明が作られるかということである。そのことはいうまでもなく「劇場国家にっぽん」の最大の課題であるというべきだが、具体的には、私たち一人一人がコミュニティ的生命世界に生きるということである。それを可能にするのは、いうまでもなく、「共生の論理」である。私は、今後、西田幾多郎の「場所の論理」や中村雄二郎の「リズム論」と田邊元の「種の論理」や中沢新一の「モノとの同盟論」を統合する哲学として、清水博の「共生の論理」を採用したいと思う。

 さて、清水博は、そういう「共生の論理」にもとづく文化、それは「違いを認める文化」だが、そういう文化を「場の文化」と呼んでいる。そして、日本は、歴史的には、仏教を基礎に普遍的な「場の文化」を生み出した経験をもつ世界でも特殊な国であるといっている。私もそう思う。私は、歴史をひも解けば容易にそういう「場の文化」や仏教を基礎とした普遍的な「違いを認める思想」に行き当たる。したがって、わが国の歴史と伝統文化を大切にするということは「共生の論理」にもとづく新しい文明を創造することに他ならないと思うのである。憲法改正に当っては歴史と伝統文化の尊重という条文をどこかに入れなければならないが、その議論は未だ先の議論にしたい。とりあえずは、仏教を基礎とした普遍的な「違いを認める思想」というものを勉強したい。それは「唯識」であり、徳一の思想にその典型を認めることができる。修験道はわが国の古代信仰(スピリットの世界)と結び付いた道教の流れと見ることができるし、密教は古代信仰(スピリットの世界)をそれなりに取り入れた山岳仏教だし、徳一の仏教は古代信仰(グレートスピリットの世界)と仏教の本格的な習合を図ったものと見ることができる。「違いを認める思想」は徳一にもっとも強く現われている。それは言うまでもなく「唯識」にもとづくものといえるが、すでに述べたように「唯識」と清水博の「場の思想」には底通するものがある。

 

 

それでは、以下、「共生の論理」について解説をしていきたい。

 

1、 散逸構造

2、 自己の卵モデル

3、 場のアトラクター

4、 関係子(メディオン)

5、 唯識とメディオン

6、 アーラヤ識 ─マナ識 ─ 意識の関係

7、 アーラヤ識とは何か

8、 マナ識 ─ どうしても自分にこだわる心

9、 「種」と「種子」

10、場とは何か

11、救済者

12、共存在の原理(共生の論理)

 


 

「劇場国家にっぽん」と「いわき」

 

 

 私は、これからの国際社会、世界において、わが国はどういう役割を果たすべきなのか・・・・ということを考えている。もちろん、わが国はわが国らしい生き方を生きていけば良いのであって、世界におけるわが国の役割を考えるということとわが国のわが国らしい生き方を生きるということと同意義ではあるのだが、それは又、わが国の憲法の中味を考えることにも通じる。要は、問題は「わが国の姿(かたち)」であり、私は、「劇場国家にっぽん」ということで、「わが国の姿(かたち)」を明らかにしようとしている。

 前に述べたように、「場所」には、通常いうところの場所のほかに、<身体的なものとしての場所>、<象徴的な空間としての場所>、そして<論点や議論の隠された所としての場所>の三つの「場所」がある。「劇場国家にっぽん」における国土づくり、地域づくり、町づくりは、通常考えられている場所づくりのほかに、これら三つの場所づくりを目指さなければならない。

 私は、今までこのシリーズで、「平和の原理」に迫ろうとして、ひとしきり徳一を語りたいと考えている。そして、徳一を語る手始めとして、「いわき」を取り上げてきた。「いわき」と徳一という切り口で「いわき」を語ってきた。「いわき」における<論点や議論の隠された所としての場所>を語ってきたのである。しかし、「劇場国家にっぽん」ということで「いわき」を語るには、私など、浅学非才、まだまだ勉強不足だ。「いわき」を語るには、やはり地元の方々に期待せねばならない。

 西田幾多郎の「場所の論理」なり中村雄二郎の「リズム論」を参考にしながら、地元のみなさんには「いわき」という「場所」をおおいに語って欲しい。そして、その語りを全国に或いは世界に発信して欲しい。地域からの情報発信である。これが言うまでもなく基本である。しかし、地域外の人でも、自分の哲学にしたがい<論点や議論の隠された所としての場所>を語ることができる。いろんな角度から「場所」を語らなければならない。私が「劇場国家にっぽん」を提唱するゆえんである。みなさん、おおいに旅をして、自分のテーマを存分に語ろう。<論点や議論の隠された所としての場所>を語るということだ。

 先にも言ったように、「いわき」を語るには、私など、浅学非才、まだまだ勉強不足だ。「いわき」を語るには、やはり地元の方々に期待せねばならない。しかし、「劇場国家にっぽん」を提唱する以上、どういう切り口で「いわき」を語らなければならないのかを示唆しておくのも私の責任であろう。

 私は、今まで、「いわき」との関連で「徳一」を語ってきた。「いわき」で語るべき次のテーマは、すでに高橋富雄の長谷寺考のところで述べたが、古代からの信仰の問題である。古代からの信仰の名残りが残されている「場所」は、やはり聖なる空間であり、<象徴的な空間としての場所>と言わなければならない。そういう「場所」のもつリズム性に注目しなければならないのである。

 

 私は、先に「いわき湯本温泉」というページで次のように述べた。

「いわき」には、大国魂神社というこれ又古い神社があって、東京は府中の大国魂神社「くらやみ祭り」と同じような祭り・・・、すなわち東国の方言でいえば「かがいの祭り」であるが、若い男と女の祭り・・・・、再生と豊穣の祭りが行なわれていたようである。温泉神社も、基本的には、やはり「かがいの祭り」を行なう神社であったのではないかと思われる。「くらやみ祭り」とか「ざこね祭り」といえば庶民的であり、「歌垣(うたがき)」といえば貴族的だが、どちらも本質的には同じようなものだ。

 

率(あども)ひて 

未通女壮士(おとめおとこ)の 行き集(つど)ひ

 かがふ刊歌(かがい)に 人妻に 吾(あ)も交はらむ 

吾が妻に 人も言問(ことと)へ

《万葉集》巻九。筑波山。

 

それは、

季節のサイクル、身体性のリズムにも応じて・・想像力を開く歓楽であり、

日常性をこえて聖化された・・・お祭り騒ぎ,群集のカーニバルであって,

神も心をにぎやかにした。

 

 古代というものは、性においても誠におおらかであった。感謝。感謝。感謝の気持ちである。そうすることが・・「神も心をにぎやかにした」のである。古代の神社は、自然に対する畏敬の念と感謝の気持ちが表われたものであろう。神はおこらしてはならない。神は喜ばさなければならない。神への感謝である。そして、何よりも豊穣とか贈与が大事にされ、海の幸、山の幸はもちろんのこと、生まれてくる子供達もみんな神から授かったものとして大事にされたのである。神からの贈り物、贈与である。ありがたい!ありがたい!誠にありがたい!・・・感謝。感謝。感謝の気持ちが一杯である。 

 

 

 それでは、「いわき」の大国魂神社にお参りしようか。

参ろう!参ろう!・・・・・・参るとしましょう!

  


 

共生の論理

 

 

 私は、去8月1日に名古屋で開催された「グランドワーク東海」主催のシンポジュームで、「宇宙とのひびき合い」と題する20分ほどの私のスピーチの最後を次のような言葉で締めくくった。

 『 時代が変わるためには人間が変らなければならない。では、人間が変るためにはどうすればいいか。哲学的な言葉でいえば「純粋生命」とか「絶対無の場所」とか「純粋な述語性」という言い方になるのかもしれないが、(人間が変るためにしなければならない大事なことは)「生きているということ」に対する感動であり、そのための「場づくり」である。グランドワーク、それは、「ひびき合いの場づくり」である。 』・・・・と。

 

  さて、東大名誉教授に清水博という生命学の大先生がおられる。その大先生がつい先だって「場の思想」(2003年7月17日、東京大学出版会)という本を出された。私のスピーチは、実は、延原時行の「感動システム」の話をしようと思って一月ほど前に原稿を用意していたのだが、数日前にその清水博先生のその本を読んだばかりであり、その印象が強烈に残っていたのでついついそれに引きつられてしまった。「純粋生命」に対する感動とか「生きていること」に対する感動という話をしてしまったのである。全体を流れる大きなテーマは、「宇宙とのひびき合い」であり、もちろんそれは変わっていない。さて、清水博先生の考える「場」とは何か。とりあえず、その点のみ「場の思想」という本から要点を紹介しておこう。

 

 場とは何か。清水博は「場の思想」(2003年7月、東京大学出版会)のなかで次のように言っている。 

 『 場とは何かと聞かれたときに、私は次のように答えることが多い。「あなたの体をつくっている細胞の一つを想像してください。その細胞があなたの生命(あなたの体全体に宿っている生命)をどのように感じるでしょうか。あなたがその細胞になったつもりで考えてください。そのときにあなたが感じるもの、それが場なのです。」分かりやすく言えば、場とはこの場合は自分を包んでいる全体的な生命の活き(はたらき)のことである。 』

 

 清水博によると、生物の細胞にはいろんな細胞があって多種多様である。そういう何億という多種多様な細胞が一つの生命のなかで共に存在している。共存在している。清水博の定義によると、「共存在とは、異なる個性や生き方をする多様な存在者が一つの場を共有して調和的に存在すること」だそうだが、何億という細胞は一つの生命のなかでまさに共存在しているのである。ガン細胞というのは、調和を壊す細胞であるから、共存在できない細胞であるという言い方もできる。生きているということは、共存在者が調和を保ちながら一つの体に存在しているということである。共存在者が調和を保ちながら存在しているところを「場」という。人間というものも、細胞の身になって考えたとき、多種多様な共存在者が存在するひとつの「場」である。したがって、私たちは、「生きているということ」に感動するということは、細胞の身になってそういう「場」の神秘というものを感じるということである。それを哲学的にいえば、純粋生命を感じるとか、絶対無の場所を感じるとか、純粋な述語性を感じるとかいうのである。まあ、むつかしいことはいい。しみじみと「生きていること」に感動すれば良いのである。「生きていること」に感動し、ワクワクすれば良いのである。そういう体験を何度かしていると、「純粋生命」とか「絶対無の場所」とか「純粋な述語性」とか共存在の神秘を直感的に理解することが可能になるのではないか。また、そういう体験を何度かしていると、「共存在とは、異なる個性や生き方をする多様な存在者が一つの場を共有して調和的に存在すること」であるということが分別でき、違いを認めることが当たり前になるのではないかと思う。「共存在」である。一般的な言葉でいえば、「共生」である。「共生の思想」は清水博いうところの「場の思想」である。是非、皆さんも、清水博の「場の思想」(2003年7月、東京大学出版会)を読んで欲しい。 

 清水博の「場の思想」(2003年7月、東京大学出版会)は大変むつかしい本だが、大変役に立つ本である。清水博先生は、1932年生れであるので私より6年上である。東京大学の薬学部を卒業され薬学博士であるので、薬の先生かと思ったらとんでもない。大学院時代は化学物理学を学ばれ、ハーバード大学やスタンフォード大学でも研究生活をされたことのある生命学の大先生なのである。生命に関する学問をバイオホロニスというが、先生の研究は生命というものを分子のレベルから解明しようとするもので、もちろん世界最先端の研究である。先生は、九州大学理学部教授の後、東京大学薬学部の教授、定年後は金沢工業大学で「場の研究所」をはじめられたりしている。その行きつくところは当然かもしれないが、もともと生命学の大先生が哲学書かと見まちがう本を出されたのである。これはもうどうしても読まなければならない。哲学を勉強するものの必読の書だ。

 

 近代文明は行き詰まり、現在、新しい文明を創り出すまさに大転換期にある。人と人、そして人と自然の共存在の実現に、いまや「救済者」の出現が待ち望まれているのであって、そこで問われるべきは、具体的にどうすればいいかということである。具体的にどうすれば「共生の論理」にもとづく新しい文明が作られるかということである。そのことはいうまでもなく「劇場国家にっぽん」の最大の課題であるというべきだが、具体的には、私たち一人一人がコミュニティ的生命世界に生きるということである。それを可能にするのは、いうまでもなく、「共生の論理」である。私は、今後、西田幾多郎の「場所の論理」や中村雄二郎の「リズム論」と田邊元の「種の論理」や中沢新一の「モノとの同盟論」を統合する哲学として、清水博の「共生の論理」を採用したいと思う。

 さて、清水博は、そういう「共生の論理」にもとづく文化、それは「違いを認める文化」だが、そういう文化を「場の文化」と呼んでいる。そして、日本は、歴史的には、仏教を基礎に普遍的な「場の文化」を生み出した経験をもつ世界でも特殊な国であるといっている。私もそう思う。私は、歴史をひも解けば容易にそういう「場の文化」や仏教を基礎とした普遍的な「違いを認める思想」に行き当たる。したがって、わが国の歴史と伝統文化を大切にするということは「共生の論理」にもとづく新しい文明を創造することに他ならないと思うのである。憲法改正に当っては歴史と伝統文化の尊重という条文をどこかに入れなければならないが、その議論は未だ先の議論にしたい。とりあえずは、仏教を基礎とした普遍的な「違いを認める思想」というものを勉強したい。それは「唯識」であり、徳一の思想にその典型を認めることができる。修験道はわが国の古代信仰(スピリットの世界)と結び付いた道教の流れと見ることができるし、密教は古代信仰(スピリットの世界)をそれなりに取り入れた山岳仏教だし、徳一の仏教は古代信仰(グレートスピリットの世界)と仏教の本格的な習合を図ったものと見ることができる。「違いを認める思想」は徳一にもっとも強く現われている。それは言うまでもなく「唯識」にもとづくものといえるが、すでに述べたように「唯識」と清水博の「場の思想」には底通するものがある。 

 

それでは、おいおい、「共生の論理」について解説をしていきたいと思う。乞う御期待!

 


 

高橋富雄の「いわき長谷寺考」

その1:徳一に関する歴史感覚 

 

 

 時あたかも最澄と空海が奈良仏教に対抗する形で山岳仏教を打ち立てようとしていた時代である。奈良仏教はどうしていたのであろうか。そこが問題である。私はそこを問題にしたいのである。21世紀のわが国の有り様なり世界平和を考えたとき、奈良仏教を支えてきた仏教の基本的な教説、それを私は仏教哲学と呼びたいのだが、その仏教哲学というものが今後大変大きな役割を果たす筈である。私はそう考えている。時代の流れは、密教を母体としてわが国にいろいろと新しい宗教を生み出していくのだが、奈良仏教が時代とともに消滅した訳ではない。奈良仏教は、徳一や明恵などという偉大な人物を生み出しながら連綿と歴史を繋いできて、今までも仏教哲学の源としての地位をなくしてはいない。奈良仏教、とりわけ法相宗や華厳宗はいよいよ21世紀においてふたたび光を放とうとしている。これが私の歴史感覚である。かかる歴史感覚から徳一を語りたい。

 奈良仏教との決別を意図して平安遷都を強行した桓武天皇。桓武天皇は偉大な天皇である。勉強すべきことが実に多いがとりあえずここでは先を急ぐ。ともかく新しい政治体制のもと・・・、桓武天皇の意図どおり動いていったかどうかは別として、平安遷都はまちがいなく大きな時代の流れというものをつくり出した。東北を完全な支配下に入れて、全国統一のもと、わが国はいよいよ新しい時代に突入するのである。そして藤原氏を頂点とする貴族政治が成熟していくがこの点についてもここでは触れない。ただ、東北経営は桓武天皇の最大の政治課題であったし、その直接の担い手は藤原氏であったということだけは指摘しておかなければならない。藤原氏の菩提寺は東大寺に隣接した興福寺である。

 当時、興福寺は、奈良仏教を代表する寺院であったと考えてよい。その興福寺の新進気鋭の若きエースが徳一であり、徳一に藤原氏から・・・或いは南都六宗から・・・大きな期待が寄せられたと考えてあながち間違いはではなかろう。興福寺は、薬師寺とともに、いうまでもなく法相宗の本山である。法相宗はかの三蔵法師(玄奘げんじょう)がインドからもたらした唯識哲学(唯識説)がもとになっている。わが国における仏教の本家本元、それが法相宗であるといっても決して言い過ぎではなかろう。その新進気鋭の若きエースが徳一である。桓武天皇の意志は、時代の要請として、次の平城(へいぜい)天皇や・・・・嵯峨天皇に引き継がれた訳だし、その徳一に対する藤原氏の期待というものは徳一の生きている間続いたであろう。

 特に藤原四家との関係でいえば、摂関家藤原北家と興福寺との関係が深く、嵯峨天皇の信認のあつかった藤原冬嗣(ふゆつぐ)が非常に興福寺を大切にしていたことは注目すべきである。813年、藤原冬嗣(ふゆつぐ)は興福寺の南円堂を建立している。徳一に対する藤原冬嗣(ふゆつぐ)の支援についても、おそらく・・・・、並々ならぬものがあったに違いない。嵯峨天皇と近い空海はそのことを十分承知しており、徳一に対する尊敬の念を表わさざるを得なかったのではないか。高橋富雄は、空海の「老獪(ろうかい)な微笑外交」と呼んでいるが、もちろんそれもあったかも知れない。そうかも知れないが、私は、私の歴史感覚からして・・・、藤原冬嗣(ふゆつぐ)と徳一との関係から空海は「優雅な微笑外交」を取らざるを得なかったのだと見ている。

 

 徳一は、南都六宗の期待を一身に受けて、また藤原氏の絶大な支援のもとで、東北に赴いたのだと思う。石城でしばし足場固めをして、慎重な計画のもとに会津における大伽藍の建設に着手したのではなかろうか。私の想像である。新しい大伽藍は、比叡山や高野山にすぐるとも劣るものであってはならない。南都六宗の威信がかかっている。徳一の恵日寺大伽藍は寺坊3800余坊、寺野15里四方いらかを並べ、軒をつらねたという。戦国時代に伊達正宗の焼き討ちに遭うまでは隆盛を極めたという。徳一が如何に優秀な僧侶であっても、このような大伽藍が個人の力で短期間にできるものではあるまい。背後に大きな力が働いていたと考えざるを得ない。そのような大きな地下rというものは、歴史的な必然性というか時代の流れの中で生まれてくるものではないのか。私にはそう思えてならない。

 

 恵日寺大伽藍の話は後日に譲るとして、「いわき長谷寺」に話を戻そう。高橋富雄によれば、「いわき長谷寺」は平城天皇の勅願寺であったという。勅願寺は正式には御願寺というが、高橋富雄は同じものとして勅願寺といっているので、私も勅願寺という言葉を使うが、もし「いわき長谷寺」が高橋富雄のいうように勅願寺であったとしたら、これは由々しきことである。勅願寺、つまり御願寺とは、奈良時代の官大寺と異なり,皇室を檀越(だんおつ)とする皇室の私寺で祈裳所,菩提所として営まれ,天皇譲位後の居所としての性格もそなえるものである。こんなものが、奈良ならいざ知らず、石城にあるとはちょっと考えにくい。まあ、控えめに考えて、興福寺と縁のある寺として勅願寺としての噂が立っていたのだとしても、それはもう・・・、「いわき長谷寺」の格式は大変なものである。藤原氏の絶大な支援があったことはまちがいないのではないか。

 

 徳一研究は、過去、会津恵日寺と筑波山中禅寺を中心になされてきたところ、高橋富雄が始めて「いわき長谷寺」に注目したことの意義は誠に大きい。そして、そのことに関連して・・・高橋富雄は、「徳一の仏教哲学と古代信仰の結びつき」について考察しているが、その見解は、これからの仏教の進むべき地平を切り開いているのではないかと思われる。21世紀における世界平和に資する仏教哲学というものの地平を切り開いているのではないかと思われるのである。

 中沢哲学を始め、新しい哲学によって、唯識哲学や華厳哲学の再整理が行なわれ、高橋富雄の見解を参考に、徳一が晩年目指したものの近代化がなされれば、仏教に新たな息吹が吹き込まれるに違いない。

 それではいよいよ「湯の岳」について高橋富雄の説明を紹介する運びとなった。

 しかし、徳一の仏教哲学と古代信仰の結びつきについての高橋富雄の考察に触れる前に、いわきの「湯本温泉」と「湯の岳」について語らねばならない。まずは湯本温泉を紹介したいと思う。

 

それでは、湯本温泉に参ろうか。

参ろう!参ろう!

ここをクリックして下さい! 

 
 

トライアッド

 

 

 期せずして、「和の原理」である「3の原理」とでも言おうかそういうものを取り上げた本が2冊出た。ひとつは河合隼雄の「神話と日本人の心」(2003年7月18日、岩波書店)であり、もうひとつは井沢元彦の「3の霊力に迫る」(2003年8月10日、旅行読売出版社)である。前者は命がけの本であり、後者は気楽な本である。気楽なほうから紹介していきたいと思う。まずは気楽に聞いてもらいたいので、「和の原理」とか「3の原理」という言い方を改め、とりあえず「グウチョキパーの原理」としておこう。

 

 3年程前に出雲大社の地下から古代の極めて古い柱の遺構が発見された。記憶にある方もあろう。かって大林組のチームが出雲大社の原型をコンピューターで復元したことがあるが、ものすごい高さの木造建築であったことを私も鮮明に覚えている。もちろん、奈良の大仏殿よりはるかに大きい世界最大の木造建築である。今は遺構が残るだけで実物はないのだが、これほどの木造建築は今まで世界で造られたことがない。かっての出雲大社は、歴史上、世界最大の木造建築であった。何故そんな馬鹿でかい神社がつくられたのか。井沢元彦は、その謎を解くこそ日本の歴史の真実を探ることだといい、次のように述べている。

 『私はこの謎を解きたいと思っている。ごくごく簡単にいえば、出雲大社というのは大国主命の神殿である以上、本当の最高神である天照大神(アマテラスオオミカミ)との間の「国譲(くにゆず)り」、つまり大国主命と天照大神の「話し合い」の精神を象徴しているからこそ、日本「最大」の建築物でなければならなかったのだ。

 この「話し合いの精神」のことを、日本人は伝統的に「和」と呼んできた。聖徳太子も17ヵ条憲法第1条で、「和を以って貴(たっと)しとなす」といっている。日本は「和」によって構成されている国なのである。』・・・と。

 

 そうなのだ。「和」である。「和の原理」は、「グウチョキパーの原理」である。2は対立の数字といわれ、3は調和の数字といわれている。二人が争えばどちらかの顔がつぶれるが、三人だと三人とも顔が立つようにルールを決めることができる。グウとチョキとパーの役割さえ決めればいいのだ。「グウチョキパーの原理」が働いて「和」が保たれる。井沢元彦の著書「3の霊力に迫る」では、日本三景とか日本三大霊場とか、日本三○○といった名物を数多く紹介し、日本人が如何に三にこだわっている民族かを浮き彫りにしようとしている。ベストテンというのも最近はよく見かけるが、日本のいわゆる名所や名物はまあ三○○である。ベストテンとかベストファイブというのはおおむねいちばんから順番がついている。日本人はそういうのをあまり好まない。まあいい加減といえばいい加減だが、一番にならなくて良いのである。三本の指に入ればそれで十分。そういう民族である。三つ一組のものがあってグウとチョキとパーの役割を決めれば、先に述べたように、誰がいちばんかでもめることはない。しかし、実際は、必ずしもそういうグウチョキパーの役割を決めなくても良いのではないか。三つ一組のものがあれば、誰もがグウチョキパーをイメージするので、もはや文句は出ないのではないか。私たちの感覚からいえば、まあ三本の指に入ればそれで十分なのである。井沢元彦が言うように、日本人には三の霊力が働いているのである。

 

 ところで、井沢元彦は、それがいちばん言いたいのであろう、上記のように、出雲大社のことに触れながら、『日本は「和」によって構成されている国なのである。』と述べているが、そのことを神話の構造論から明らかにしたのが河合隼雄の力作「神話と日本人の心」である。見事な本である。河合隼雄には変な思い込みがあってせっかくの名著も竜頭蛇尾に終わっている感もないではないが、全体として見事な研究成果である。さすがである。まず河合隼雄が長年取り組んできたそのすばらしい研究成果について・・・・、その核心部分を紹介し、そのあとで・・・・、最終章の批判を行ないながら・・・・私の見解を述べたいと思う。

 

 

 三つ一組のものを英語でtriad(トライアッド)というが、河合隼雄は次のように言っている。『一、二、三、という数について考えてみるとき、一はまさにはじまりであり、唯一である。それが二となると、分離、対立、協調、均衡などの様相が生じてくる。事実、「二人の創造者」というのも、神話によく生じるテーマである。それが、三になると、二の様相に相当なダイナミズムが加わってくる。「三頭政治」は世界の歴史のなかで、ときに出現している。人間は二項対立的にものごとを考え、処していくのを好むがそこに第三の要素を入れ込むことによって、二項対立的な構造にダイナミズムを与えるのである。そのような意味のみならず、二つの対立的分類より三つの分類のほうが、全体をより立体的に構成できるという考え方もある。二次元より三次元的に考えるほうが、より豊かなイメージをもつことができる、というわけである。』・・・・と。そして、そのトライアッドという切り口で古事記に書かれている神話を分析し、神話の構造を明らかにした。そして、そのことによって、日本が「和」によって構成されてきた国であることを主張している。それでは、河合隼雄の著書「神話と日本人の心」にしたがって、日本神話の構造について勉強するとしよう。

 

1、日本神話の構造・・・中空均衡構造

2、国家の統治構造について

 


 

「いわき」と徳一

 

 

 私は先に、徳一のことに触れておいた。私のホームページには、いろんなところに徳一という名前が出てくるが、主たるページは「空海、最澄、そして徳一」というページと「空海と徳一」というページである。

 

 奈良時代から平安時代に時代は大きく変わったが、わが国の仏教も南都六宗から真言宗と天台宗という新しい宗教に移っていく。空海と最澄という偉大な宗教家によって新風が吹き込まれたということだが、その時期、徳一というこれまた偉大な宗教家がいたということは余り意識されていない。当時、わが国のニューフロントは東北地方だが、その東北地方においては、最澄は徳一に抑えられて全く手がでなかった。 最澄は、唐の留学から帰り、天台宗を唱えて奈良仏教を攻撃したので、徳一は最澄に反撃を加えて五カ年間にわたって大論争を展開した。理論闘争において最澄は徳一に勝てなかったのだ。最澄は、徳一を折伏(しゃくふく)し、東北に天台宗を広めようとして、まずは関東に乗り込んできたのだが、徳一に遮られて成功しなかったということだ。「空海、最澄、そして徳一」というページは、このような徳一が最澄と大論争をやったということを紹介した。そろそろ徳一と最澄の宗教論争を勉強することとしたいが、その前に徳一とゆかりのある「場所」を訪れるなどもう少し徳一のことを理解したほうがいいのではないか。

 

 最澄は徳一とは宗論で渡り合いともに相ゆずらなかったが、空海は奈良仏教の代表ともいうべき徳一とは論争をせず、むしろ尊敬の念を持って付き合おうとしたようだ。当然だろう。815年、空海42才の時、会津は磐梯恵日寺(えにちじ)にいた徳一に対し、空海は、名香ひとつと包みを添えて、お経分の書写を頼んでいる。その手紙の一部を次に紹介しておく。

 「聞くなら徳一菩薩は戒珠玉の如く智海弘澄たり、汚れを払って京を離れ、錫(しゃく)を振って東に往く。初めて寺を建立し、衆生の耳目を開示し、大いに法螺を吹いて万類の仏種を発揮す。ああ世尊の慈月、水あれば影現ず、菩薩の同事、いづれの趣にか到らざらん。珍重珍重。」

 空海と徳一とは気脈の通ずるものがあり、霊妙不思議な法力と二人の庶民性とが相寄るものがあったのだろう。常陸から会津にわたる徳一の関係の寺院のほとんどが空海の開創、徳一の初住と記録して研究家を迷わせているが、これも二人の関わり合いを現していて面白い。「空海と徳一」というページは、徳一と空海との不思議な関係を示唆しておいたものであり、これから訪れる徳一ゆかりの寺が真言宗の寺になっていることに疑問を感じる方もおられるかと思うが、それは徳一と空海とが不思議な関係にあったからである。まず、このことを理解しておいて欲しい。

 

 それでは、いよいよ徳一ゆかりの地を訪れることにしよう!

まずは「いわき」に参ろうか!・・・・参ろう!参ろう!

 


 

人権問題と「劇場国家にっぽん」

・・・啓発のための社会装置を如何に作るか・・・ 

 

 平和のためには、「平和の原理」にもとづくわが国らしい社会装置(社会的インフラ)が必要である。それは、人権という脈絡でいえば、人権尊重のための啓発システムということである。すなわち、「平和の原理」にもとづくわが国らしい社会的装置、それは人権尊重のための啓発システムでもあるわけですが、私は、そういう言い方をすることによって、結婚ということの哲学的なというか文化的な意味を意識しながらその重要性を言っているのであります。こう言っても何のことか良くお判りにならないだろうと思いますが、私は、人権啓発のための社会装置として、先に述べた「身体と脳の学習プログラム」というものを考えており、わが国の山岳地域においてそのための国際的な教育機関を作りたいと考えているのです。京都の桂に国際日本文化研究センターという日本文化を国際的に研究しようという誠に大掛かりな研究センターがありますが、日本文化を国際的に勉強するための教育機関が日本にあっても決しておかしくないと思います。否、むしろそういうものがあって然るべきだと思うのです。私の認識としては、日本文化は世界平和に貢献できる力をもっているし、又そうしなければならないのではないかと思っているのです。

 

 日本文化を学ぶといっても様々なものがあるかと思いますが、私は、世界平和という文脈の中で考えれば、やはり日本の平和憲法の何たるかを世界の多くの人に学んで欲しいと思っています。今現在、日本人は現憲法をどう考えているのか。憲法改正を考えている人も少なくないと思いますが、もし憲法改正をするというのであれば、どういう哲学にのっとって改正すべきなのか、その辺のことを学んで欲しいと思うのです。哲学です。日本の伝統的な哲学を学んで欲しいと思うのです。憲法改正を考えるとき、当然、世界に通用し、しかもわが国らしい憲法にしなければならないと思いますが、そのためには、明治憲法はもちろんのことですが、私は、鎌倉時代の「御成敗式目」というか当時の坂東武士の思想まで遡っていろいろと考えなければならないと思っているのです。武蔵という言葉の語源は、どうも古代朝鮮語と関係があるらしい。江戸という地名はもともと江戸氏からきており、江戸氏の本貫地は秩父です。その秩父は渡来人と誠に関係が深いし、関東を語るとき在来人と渡来人との混血ということを強く感ぜざるを得ません。結婚というもの、血のつながりというもののもつ哲学的というか文化的な意味は極めて重要であります。そのことをこのシリーズで勉強したはずです。これからの歴史教育において、皇国史観ではなく、関東はもちろんのこと東北も当然視野に入れてわが国の歴史や文化を考えねばなりませんが、東北に着目することによって、私たちの思索は世界に繋がっていきます。私たちの思想は東北を通じて世界に広がっていきます。「環太平洋の環」です。「環太平洋の環」のネットワークです。「環太平洋の環」における「身体と脳の学習プログラム」です。そして、「環太平洋の環」における「族外決婚」のすすめ・・・。

 中沢新一は、「モノとの同盟」ということをいいながら、ベーリング海峡を中心として「環太平洋の環」ということを言っておられますが、アメリカインディアンも含め、アジア系民族の血のつながりというものに私は注目しております。そういう血のつながりの中で、共通する神話を持ち、共通する「人類最古の哲学」をもっているのではないか・・・というのが中沢新一の言いたいところのひとつだと思います。人権問題を考えるとき、そういう血のつながりの重要性、結婚ということの持つ哲学的なというか文化的な重要性、これらは一言でいえば結婚哲学の重要性といって良いかと思いますが、そういう結婚哲学というものを十分考える必要性があるのだと思います。「環太平洋の環」です。「環太平洋の環」のネットワークです。「環太平洋の環」における「身体と脳の学習プログラム」です。そして、「環太平洋の環」における「族外決婚」のすすめ・・・。

 「環太平洋の環」に限りませんが、まあその辺を十分意識して、わが国は国際化をすすめるべきではないでしょうか。「環太平洋の環」の人々を中心に「身体と脳の学習プログラム」を学ぶ・・・国際的な教育機関を山岳地域に作りたい。私は、今年に入って、地域と公共事業(その2)と題していろいろと私の考えを書きました。もちろんまだまだ考えは定まっていないというべきでしょう。まだもやもやしたものが残っているのですが、わが国の山岳地域に、身体を動かしながら創造力を養う国際的な「モノづくり大学」のようなものを何とか作りたい、それが私の夢です。「身体と脳の学習プログラム」を学んだ人たちの中から、「環太平洋の環」のいろんなカップルが誕生するということは実に楽しいことだと思います。私は、そういう「野生の哲学」を身につけたカップルの誕生が21世紀に世界平和をもたらすのではないかと思っています。わが国の山岳地域からそういう「平和のカップル」が続々と誕生すれば・・・実に楽しいことですね。こんなうれしいことはありません。「劇場国家にっぽん」・・・万歳!

 今回のこのシリーズでもいろいろと勉強してきましたが・・・、かぐや姫の物語(竹取物語)というものは・・・、南方熊楠(みなかたくまぐす)の「燕石考(えんせきこう)」で明らかにされたように・・・、「環太平洋の環」に共通する結婚に関する神話すなわち結婚哲学であるのでしょう。人権問題を考えるとき、結婚哲学が必要なのです。結婚には人種的な差別があってはなりません。「族外結婚」はむしろ大いに祝福されるべきであります。大いに祝福して子孫の繁栄を祈るのです。「祈り」です。「平和の原理」にもとづくわが国らしい社会装置(社会インフラ)、それは人権尊重のための啓発システム、「身体と脳の学習プログラム」・・・・それは「祈り」のシステムでもあるわけですが、私は、結婚ということの哲学的なというか文化的な意味を十分意識しながら、つまり結婚哲学というものを十分考えながらそういう人権尊重のための啓発システムの構築を図りたい。それが「劇場国家にっぽん」のねらいでもあるのです。

 

1、「かぐや姫」の物語とは

2、鳥の巣あさり

3、結婚の条件

4、神話と現実

5、「身体と脳の学習プログラム」

6、南方熊楠

7、ポルトガル民話版のシンデレラ

8、南方熊楠の大発見・・・シンダレラ物語

 


 

今年に入ってからのWhatsNewはここ!

 

今年に入ってからの主なもの

 世界平和をどう実現するか

  光と陰のシリーズ

 

昨年までのWhatsNewはここ! 

 

Iwai-Kuniomi