劇場国家にっぽんと天皇制

 

先にも述べたが、劇場国家にっぽん・・・・・それは、「場所の論理」にもとづく・・・・元気国家にっぽんであり平和国家にっぽんである。そして、具体的な政策としては「場所」が主役でなければならない。「場所」が主役といって判りにくければ地域とかコミュニティーとかに言い換えて差し支えないが、そういう場所、地域、コミュニティーに焦点を当ててすべての政策が構築されなければならない。憲法改正まで視野に入れて、すべての政策を構築しなおさなければならない。先に私はこのように述べたのだが、憲法改正まで視野に入れて劇場国家にっぽんを論ずることになるとこれはもう・・・・私の手におえないのかもしれない。しかし、私は、劇場国家にっぽんという国家像を提案している以上、憲法についても、私なりの問題提起はしておかなければなるまい。憲法第9条などすでにいろいろと議論になっているところについても追い追い私の考えは申し述べるとして、ここでは、今までほとんど議論のされていない・・・・「天皇制」について私なりの問題提起をしておきたいと思う。

 

時代は今まさに歴史的な変革期を迎えている。これからの時代の地平を切り開くには余程の哲学が必要ではないかと思われる。私は、田邊元の「種の論理」と西田幾多郎の「場所の論理」が見直されて、東西融合の新しい哲学が生まれ出てこないとこれからの世界に希望はないぐらいに考えている。中沢新一が「種の論理」の見直しを、そして中村雄二郎が「場所の論理」の見直しをそれぞれに手がけておられるようであり、私はその経過を大いなる期待をもって見つめている。一日も早くあたらしい哲学の誕生を見たいものだ。

私はいうまでもなく土木技術者としてまったく浅学の輩でしかない。政治家としてもまったく中途半端である。公共事業を守り建設業を守るために精一杯の努力をする・・・、そのこと以外にたいした力はない。しかし、現状を憂うる一政治家として自分の考えを多少なりとも申し述べることぐらいはやっておかないと世間に申し訳ないであろう。そのようなわけで、恥を省みずに、「種の論理」や「場所の論理」という・・・私にはちょっと手におえないきわめて難解な哲学を取り上げることとした。世の中の議論のきっかけにでもなれば望外の喜びである。

 

西田幾多郎は、天皇制について次のように主張する。

すなわち、「何千年来皇室を中心として発展してきたわが国文化の後を顧みると、まさに、全体的一と個別的多との矛盾的自己同一をよく体現している。全体的一としての歴史の主体はいろいろと変わった。古代においては蘇我氏があり藤原氏があり、その後明治維新に至るまで、鎌倉幕府、足利幕府、徳川幕府と変わった。しかし、<皇室はこれらの主体的なるものを超越して、全体的一と個別的多との矛盾的自己同一としての自己自身を限定する位置にあった>。わが国の歴史においては、いかなる時代でも社会の背後に皇室があり、時代の担い手としての主体が行き詰まったとき、日本ではそれが革命とならずに皇室に帰ることによって新しい時代に対処する。明治維新がそのいい例である。こうしてわが国の歴史では<皇室はどこまでも無の有であった、矛盾的自己同一であった>ということができる。そして、このような皇室を中心とした日本文化の特質は、<主体から環境へという方向において、どこまでも自己を否定して物となる。物となって行うにある>。だから、己を空しゅうして物を見る、自己が物の中に没する、無心とか自然法爾とかいうことが理想にされるのである。そのような日本文化の基礎にある論理は、物を対象とする西洋の主体的論理でも対象的認識の論理でもありえない。それは、仏教哲学に顕著に見られる<矛盾的自己同一的な場所の論理、心の論理>である。云々。」

 

このような西田幾多郎の考察に対して中村雄二郎はまことに手厳しい批判を加えている。「西田幾多郎は何故このような不用意な考察を行ったのか??」・・・という訳だ。中村雄二郎は西田の考察を日本民族中心的な偏見だとしているのだが、私もそう思う。やはり世界的な視野に立って考察を進めるべきであろう。西田の論理の欠陥についてはいずれ論ずるとして今ここでは触れない。今ここでは、西田の「場所の論理」にもある種の欠陥があるということだけを言っておけば十分だ。特に天皇制についてはそうであり、「場所の論理」の新たな理論武装が必要である。しかし、先ほども述べたように、今は西田の「場所の論理」を超える新しい哲学の誕生を見ていない。

 

上述の文中「皇室はどこまでも無の有であった」と西田は言っているが、果たしてそういうことが言えるのか。今後この点の歴史的社会的検討が必要であろうが、直感的に、皇室が無であったとは到底思えない。皇室は皇室としての形を持っているから有である。それは当然そうなのだが、西田は、その形ある存在は本質的に無の存在だと言っている。もともと無だけれど便宜上有として存在しているという訳だ。しかし、皇室は・・・・、無を理想とする存在だとは言えても、無の存在だと言い切るわけにはいかないのではないか。

皇室は明恵の「あるべきようわ」以来権力から分離され、権力的な行為は行えないようになった。武家社会の時代、皇室がある意味で「物の中に没する」ように仕向けられた。しかし、明治以降戦後まで皇室の権威と政府の権力は深く結び付き、皇室は到底「無の有」とはいえない存在であったのではないか。もちろん現在は違う。元に戻ったというか、政府の権力とは完全に分離されて、再び「物の中に没する」存在になった。私は思うのだが、現在は、戦前の姿とは違う・・・・その「物の中に没する」存在というものが多くの人びとの共感を呼んでいるのではないか。現在、それが私たち日本人の「共通感覚」として育ってきているのではないか。皇室には確かに己を空しゅうする姿があり、それが故に私たち日本人の理想となり得る。しかし、歴史的にそうであったというのはやはり言い過ぎで、それでは戦前の姿を肯定せざるを得なくなる。否定すべきは徹底的に否定して初めて・・・・肯定すべきものが肯定できるのである。この国際社会においてわが国のあるべき姿(かたち)を明らかにし、その上で、明治以降戦後までの皇室について否定すべきは徹底的に否定するという作業が急がれなければならない。それを抜きにして、憲法改正の論議はいたずらに空回りするしかないであろう。

私は、今、この国際社会においてわが国のあるべき姿(かたち)として・・・・・「劇場国家にっぽん」という国家像を提唱し、「場所の論理」にもとづいて、天皇制に関する考察を進めていきたい。なお、ここでいう「場所の論理」はどうしても西田のそれが中心にならざるを得ないが、できるだけ自分の考えも入れ込んでいきたいと思っている。そういう意味でここでいう「場所の論理」は必ずしも西田のそれではない。「場所の論理」は追い追い勉強していくとして、とりあえずは天皇制についての私のイメージを明らかにしておきたい。

 

現在の日本がそうであるように、権力と権威とが分離されている社会では、社会システムというものは、一応、世俗的世界と超越的世界の二つの世界に分けて考えるのがいいかもしれない。世俗的世界、これは普通の一般社会ということであるが、そこでは、身分とか職業などの社会的立場とは関係なく、宗教は、政教分離の原則の下で、自由に活動し得る。近代国家において、権力の源泉は法律すなわち政治であるが、この政治と宗教との分離、すなわち政教分離ということがもっとも肝要なところだ。宗教というものはえてして権威の源泉となるから、権力と権威との分離ということと政治と宗教の分離ということとはほぼ同義語である。わが国における政教分離は、山折哲雄によれば(蓮如と信長、PHP研究所、1997年12月)、蓮如と信長によってもたらされた。戦後に始まったことではない。戦前が異常であったのだ。わが国おける政教分離が非常に永い歴史を有しているということをまず念頭においてもらいたい。こういう国は世界でも珍しい。さらに言えば、最澄と徳一の宗教論争、法然と明恵の宗教論争・・・・・、これほど知的な論争は世界にもそうは見当たらない。宗教の違いを理論的に認めようとする国、また実際にも無数の神が共生する国、そういう国は世界でも実に珍しいのである。

ところで、権威の依って立つところはそもそも何か?・・・・いうまでもなく日本の場合は宗教ではない。では何か?・・・・天皇しかないではないか。それが私の最初に言いたい事である。では、天皇の権威はどこからくるか?天皇の権威の源泉・・・・それは歴史の重みと国民の共通認識である。国民の共通感覚は場所性である。そして歴史性はもちろん場所性であるから、結局、・・・・・わが国の場合、権威の依って立つところは「場所性」ということになるのではないか、それが私の次に言いたい事である。

 

Iwai-Kuniomi