プラットフォームとリズム

 

 

 私は、「場所」というものを大事にしたいというところから・・・・「劇場国家にっぽん」を提唱しているのだが、「場所」を重視する立場からは、・・・・・ともかく現場に出かけることである。人の話を聞くことも大事だが・・・・・、現場に行って、現場を見て、現場の人の話を聞くことである。内橋克人は現場を重視する本物の経済評論家であると思う。技術開発の現場を永年訪ね歩いて・・・、日本の産業の現状を分析するその眼力はさすがに鋭い。内橋によれば(平成14年2月、文芸春秋)、小泉総理にはどうも無知からくるところの大いなる錯覚があるらしい。内橋はさすがにそういう失礼な言い方はしていないが、彼の言わんとしているところはまあそういうことだ。

小泉総理は「構造改革」の旗を振りかざし、「構造改革なくして景気回復なし」と連呼している。・・・・が、いささかでも生産の現場や経済の現実を知るものにとっては無意味としか言いようがない。内橋はそのように言う。その理由は、肝心かなめの「永遠なる地価の上昇に支えられた膨張型大量生産」という経済構造は90年代にすでに壊れてしまっているからだ。つまり、すでに壊れてしまっているものをどう改革するのか・・・・、内橋の言っていることはそういうことだろう。

 さて、今までわが国が高度成長を続けてこれたその秘密はどこにあるのか。わが国経済の高度成長は言うまでもなく製造業の競争力に支えられてきたから、その秘密とは、わが国製造業の高度成長の秘密ということになる。つまり、製造業の成長エンジンは何であったのかということだ。製造業における・・・今までの成長エンジンは、内橋によれば、土地の高騰によるコストのかからない調達資金ということである。その資金力によってドンドン設備投資が行われて最新鋭のロボット工場ができていった。これが世界を席巻して行ったのだと彼は考えている。まったく私もそう思う。そして彼は・・・、バブルの崩壊は、単なる金融の問題ではなくて・・・、そういう成長エンジンがもう動かなくなったところに・・・より深刻な問題があるという。この点も同感である。しかし、私は、何故土地の高騰が生じたのか、何故土地神話といわれるような地価の右肩上がりが続いたのか・・・、そこまで考えてみないといけないと思う。いうまでもなく、土地の値上がりは急激な都市化の進展に起因する。そして、急激な都市化というものは、「三種の神器に象徴されるような欧米先進文化への憧れ」からくるところの「欧米に追いつけ追い越せ」という国民的大合唱・・・・・がその背景にあって進んでいった。となれば、今までの成長のエンジンは、「三種の神器に象徴されるような欧米先進文化への憧れ」であると言えはしないか。

 

 世界最大の生産力を誇った日本の生産力に陰りが生じているのは紛れもない事実である。内橋はエレクトロニクスを例に説明しているのだが、インターネットを駆使し、世界で最も安いところから部品を一括調達するという新しい生産方式によって、日本経済が最大の売り物としてきた大量生産さえ、拠点をアメリカに奪われようとしている。しかも、この生産方式は、エレクトロニクスにとどまらず、自動車産業など他の分野にも及んでいくはずだ、というのである。

 製造業の空洞化という点で、さらに危機的なのは中国の台頭だが、彼によれば、テレビ、半導体、DVDに至るまで、もはや中国の生産力は日本を凌駕している。日本と一ケタ安いコストで、しかも良質の製品を生み出すのだから、大量生産の分野で中国との競争を勝ち抜くことはもはや不可能だろう、と。さらに・・・、内橋によれば、もっとも危惧されるのは、人材、マンパワーの面での空洞化だ。彼の言うことに今しばらく耳を傾けてもらいたい。

『 私が「匠の時代」の取材で出会った技術者の多くは、地元の工業高校、高専などの卒業生たちだった。彼らこそが日本の技術の重要な部分を根幹で支えてきたのである。ところが、いま、工業高校、高専などを卒業しても地元の工場には入れない。失業者、フリーターとして,都市の細切れ労働で使い捨てられ、何年たっても技能や技術を身につけることができない。反対に、低い賃金で勤勉かつ優秀に働く中国人研修生などが地場産業を支えている姿を何度も目にした。こうした「人の空洞化」という深刻な課題が、小泉内閣の視野にはまったく入っていないのではないか。』

 おそらくこれは事実だろう。だとすれば、こういう危機的状況を打開するにはどうすればいいのか。そこが問題である。わが国産業の・・・・これからの成長のエンジンは何か? 内橋克人は「技術の社会化」と呼んでいるが、要するに、国民がこぞって求める下からのニーズというのか・・・・一般大衆のニーズというのか・・・そういう社会のニーズにもとづき技術開発をしていくことが肝要だということらしい。ニーズとシーズという言い方をすることがよくあるが、シーズからくるところの技術開発ではなくて、ニーズからくるところの技術開発ということができるのかもしれない。

 しかし、私は、成長のエンジンは、やはりこれからも資金だろうと思う。特にベンチャーキャピタルが重要で、そのための市場が発達していなければならないと考えている。投資信託も含め株式市場ということだ。そして個人投資家のウエイトが高まっていかないといけない。そのためには、国民の個性や自立性というものが育っていかないといけない。個性ある人生、個性ある生活というもの、言いかえれば自己実現ということになろうか、そういうものが国民の共通目標にならなければならない。NPOは自己実現の場として極めて重要である。個人のイキイキした活動がきっとベンチャーキャピタルを支えるに違いない。イキイキした個人・・・、それがベンチャーキャピタルのエンジェルだ。

 

 ところで、人間の欲求について,A・マズローの五段階説というのがある。マズローの欲求五段階説によると、人間の欲求にはもっとも低次の生理的欲求から、もっと高次の自己実現(個性化)まで五段階の欲求がある。そして、低次の欲求がある程度満足されないうちは次の欲求が起きず、また逆に、低次の欲求をある程度充足している人は、必ずそれ以上の高次の欲求を求めて、然るべき行動を起こすというのである。

このマズローの欲求五段階説で重要なのは、五段階か十段階かは別として、人間の欲求というのが低次のものから高次のものまで段階的に分類できるという見通しがついたことと、もうひとつは最高の欲求が自己実現(個性化)であるということである。いつの時代も人さまざまであり、それぞれの人の欲求は然るべき分布をしているのであろう。最も分布密度の高いところがその時代の潮流を形成する。物質的な欧米文明に追いつけ追い越せの時代は、先に述べたように三種の神器に象徴される欧米の生活の物質的な側面が私たち日本人の欲求の対象になっていた。しかし、物質的には欧米先進文化に追いついた今では、時間的にも空間的にももっとゆとりのある生活をしたいという欲求に代わってきている。欲求の分布形は変わっているが、「贅沢(ぜいたく)」を求めるその本質は変わっていないかもしれない。一番の贅沢は自己実現(個性化)である。もちろん自己実現(個性化)が主流になったとはいえないまでも、自己実現(個性化)の密度が高まっているのは間違いない。生活苦から自殺する人も絶えないので、一番低次の生理的欲求がなくなったわけではないし、物質文明真っ盛りの中にあって物質的な欲望がなくなったわけではない。しかし、分布形としてはかなり横に広がってきていると考えられる。すなわち、価値の多様化の時代に入っているということだ。

 

 先に述べた現下の危機的状況を打開するためには、私は、やはり、国民の欲望に的確に応え得る政策展開が必要であると思う。「三種の神器」に代わる「贅沢(ぜいたく)」は何か。具体的には広々とした家と水と緑の生活環境、そして「旅」とか「リゾートオフィス」、或いは「マルチハビテーション」というものを念頭におきながら・・・・、私は、いろいろと「創造的場作り」を考えていかなければならないと考えている。「元気国家にっぽん」としては、そういう「夢」を抱きながら、元気の種をいたるところに仕込むとともに元気的環境の整備をいたるところで進めていかなければならない。元気の種それは・・・・コミュニケーション・・・、つまりさまざまなプラットフォームであるし、元気的環境それは・・・・自然や歴史・伝統・芸術の息づく場所・・・・、つまりさまざまな響き合いの場所である。「ゲニウス・ロキ geiniusu loci」(「土地の精神」)である。「劇場国家にっぽん」、「元気国家にっぽん」における国土政策の基本・・・・、それは、プラットフォームと響き合いの場所である。

 

Iwai-Kuniomi