歴史と伝統の創造性
現在の危機的状況についてはあまりにも多くの人が論じているので、私は、これについて何も言うまい。しかし、現在の危機の本質はどこにあるのかということについてはあまり論評がないので、これについてはどうしても私の考えを述べておかなければならないだろう。中西輝政氏はその著書で「本当の危機が始まった」と指摘しているが、さすがに鋭い指摘が多いので是非多くの方に読んでもらいたいと思っている(「本当の危機が始まった」、2001年12月、集英社)。現在の危機を乗り越える上でまことに重要な示唆に富んだ著書である。しかし、中西輝政氏の考えには重大な欠陥があるのではないかという気がするので、どうしても私の考えを申し述べておかなければならないと思うのだ。私の考えを申し述べる前に、少し長くなるが彼の言っているところを紹介しておきたい。一ヶ所の重大な欠陥を除き・・・・さすがの見識である。
『 橋本改革の最大の弱点は、私が当時から指摘してきたとおり、六大改革をすべて「各論」として提示し、それらを束ねる国家像・・・、改革の根本理念をもたなかったことだ。それら個々の具体的な改革をおこなって、それで「日本をどんな国にするのか」という、あるべき日本を提示し得なかった・・・というより、元来、もち合わせていなかったからである。しかもその点では、すでに多くの人々が指摘しているとおり、小泉総理の改革もまったく同様のこと、と言わなければならない。
そして、その小泉総理は今、橋本内閣のときとは異なり、テロ対策や中国の挑戦という、当時は存在しなかった外からのまったく性質の異なる歴史的な日本の「本当の危機」に直面し始めた。国として考えてみたとき、この「本当の危機」こそ、単なる経済再生よりも、はるかに重大な挑戦と言わねばならず、それゆえ日本は、これまでのどの時期にも増して、「国家としての視点」が迫られているのである。(中略)
まず第一に、今この国は「かってない大きな決断」を乗り越えねばならない時代に入ったことを示している。憲法や教育基本法の改正は戦後一貫して避け続けてきたテーマだ。また、これらの選択は「歴史に学ぶ」ことの大切さを改めて教えるものとなっている。(中略)
いくら否定しようとも必ず追いついてくるもの、それが「自分」というものであり、この国の個性つまり「歴史と伝統」なのである。この最後の拠り所というものを、繁栄の中で一時、忘れていたにすぎないのだが、今日、この国が始めて大きな苦境に直面して、「アイデンティティーの喪失」と感じられる事態に立ち至っている』
以上であるが、この他、安易に西欧に学ぶことの危険性を指摘しているのだが、上の文脈で言えば、「歴史と伝統」についての考え方が少し偏っているのではないかと心配される。彼は、「歴史と伝統」を反映の中に一時忘れていたとの理解を示しているが、果たしてそうだろうか。私は、「歴史と伝統」の喪失はそういう戦後の現象ではなくて・・・・もっと根の深いものではないかと考えている。したがって、私としては、「歴史と伝統」についての浅薄な理解のまま国のあるべき姿を論じられても困ると思うのである。
辻井喬は、その著書「伝統の創造力(2001年12月、岩波書店)」で次のように述べている。わが国の場合、皇国神話が崩壊して生まれた空白状態にアメリカ文化は容易に浸透することができた。その上15年戦争とその準備の時期を含む長期にわたる狂信的な神国思想と、それに反対する思想を徹底的に弾圧した軍国主義者の支配のなかで、ごく少数の高級官僚と貴族階級出身の指導者を除いて、自らの思考によって物事を判断するリーダーが存在しなかった。70年間続いた共産党の一党支配が崩れた後のロシアと共通する部分があった言っていいかもしれない、と。さらに、辻井喬は、極めて重要な歴史観を語っているので、少し長いが紹介しておく。
『・・・繰り返せば、経済の成功が文化芸術を衰えさせたのではないのだ。敗戦直後に、それまでの反動もあって、否定してしまった、人間が人間らしく生きていくうえで必要な要素を取り戻さなければならない。それには敗戦前の軍事国家の権力が、何を歪め、何を換骨奪胎して悪用したかを見極め、泥の中から蓮の種を拾い上げる作業を私たちは大急ぎで組織的に行わなければならないのである。過去に遡って点検するに当たっては、明治維新の時から続いていた欠陥と、第二次大戦における敗戦の後に新たに生じた欠陥とを分類し、第一の欠陥(明治維新時)と第二の欠陥(敗戦時)とが歴史の連続性の中でどのように因果関係を持っていたかを明らかにすることも大事な作業であるだろう。なぜなら、意図的か否かを問わず、明治に戻れというスローガンによって実質的には敗戦前の体制へ戻ろうとする動きの危険性を真の伝統擁護の立場から見逃すわけには行かないからである。云々・・』
そうなんだ。「歴史と伝統」の真の意味をしっかりと認識することが今もっとも大事なことである。私は先に、「創造力は歴史や伝統文化を肯定し、否定し、さらに否定するところから生じる。」・・・と述べた。まずは歴史や伝統文化は好きにならなければならない。しかし、歴史好きは得てして盲目的に歴史を肯定しがちであるので、オピニョンリーダーとしては批判的な態度が重要である。
否定の否定という・・・いうなれば弁証法的な分析をきっちりやってはじめて真の歴史好きといえよう。真の歴史好きでないと創造力は発揮されない。伝統もそうであって、真の伝統を理解している者でないと創造力は発揮できない。歴史と伝統の創造力とはそういうものである。「劇場国家にっぽん」、「元気国家にっぽん」、「平和国家にっぽん」において、「歴史と伝統」が重要視されるのは何よりも創造力を重視するが故である。