8、「劇場国家にっぽん」と「知のトポス」
私は、すでに、「伝統の創造力」ということについてふれた。わが国は、21世紀においてITなど先端技術で生きていかなければならない。だとすれば、歴史・伝統・文化の重要性を再認識する必要がある。その理論的根拠を与えるものが「伝統の創造力」である。私の提唱する「劇場国家にっぽん」では、歴史・伝統・文化をもっとも重視する・・・その哲学として「場所の論理」を考えており、目下、その勉強をしているさなかである。勉強中ではあるが、今まで勉強してきたところで今はっきり確信をもって言えることは場所の重要性ということである。場所の重要性については今までもいろんなところである程度述べてきたが、中村雄二郎の説明にもとづき、西田幾多郎の「場所の論理」の基礎的勉強を続けてきた現在、場所の持つ重要性について、一応の整理をしておきたいと思う。
先の述べたように、場所には、<存在根拠(基本)としての場所 >のほか、<身体的なものとしての場所>、<象徴的な空間としての場所>、<論点や議論の隠された所としての場所(トポス)> の三つの場所があることを学んだが、けだし場所というものは本当に大事である。
中村雄二郎が言うように、「私たちは身体を持つのではなく、身体そのものを生きている」のだとすれば、 <身体的なものとしての場所を生きている>のであり、「私たちは場所を生きている」と言うことができるのである。私たちはそういうテリトリーとしての場所を持ち、その場所そのものを生きなければならないのである。私が過疎地域(多自然居住地域)を重視し「マルチハビテーション」を提唱する所以である。私たちは、そういう私的空間で、宇宙との響き合いを体験しながら豊かな人生を生き、そして感性を磨かなければならないのである。
また、中村雄二郎によれば、<象徴的な空間としての場所>のもっとも代表的なものは、宗教的、神話的な空間つまり聖なる空間であるが、私たちはそういう聖なる空間でこそ宇宙との響き合いを超えた神との交感ができるのである。聖なる空間は極めて大事である。<象徴的な空間としての場所 >については、もちろんそういう聖なる空間も大事であるが、忘れてならないのは、・・・・宇宙との響き合いを極めて強く感じ得る・・・濃密な意味を持った特別の場所のことである。「響き合いの場所」だ。宇宙との響き合いのための象徴空間・・・・「響き合いの場所」を公的空間として整備していかなければならない。「劇場国家にっぽん」としては、そういう舞台装置がいたる処にあってしかるべきだ。
<論点や議論の隠された所としての場所(トポス)>とは、私のいうところの「知のトポス」である。今までかならずしも正確な意味でそう呼んできたわけではないが、<論点や議論の隠された所としての場所>を今あらためて「知のトポス」と呼ぼう。もっとも典型的な「知のトポス」は、歴史的、文化的な場所であろうが、「知のトポス」としての歴史的、文化的な場所は、先にテーマがあって・・・・、そのテーマを論ずるなかでその場所のもつ意味が定まってくるのであろうから、人それぞれが自分の「知のトポス」を作ることになる。私は、平和を論ずるために平和を考える旅をし、武家社会の源流を論ずるために武家社会の源流を訪ねる旅をしてきた。私の皆さん方に問いかける「知のトポス」が多数ある。人それぞれが「知のトポス」を作れば良い。そのうちに特別のものについては多くの人に共有されて、やがては国家としての「知のトポス」ができていくのではなかろうか。インターネットの時代に始めてそれが可能になった。
私は、西田幾多郎の「場所の論理」を哲学的基盤として、「劇場国家にっぽん」のグランドデザインを描こうとしている。今まで、「場所の論理」については、その周辺部を探ってきた。いよいよ本丸に入っていきたいと思う。まずはその準備である。準備として、西田幾多郎は、意識とか自覚というものをどう考えたか、その点の学習が必要だ。哲学や論理学を学んだ人には簡単であっても、私のような理工系の人間にはかなりむつかしい。むつかしいけれどここをクリヤーしないと本丸の奥深くには入っていけない。
先にも述べたように、意識と自覚と判断の積み重ね、それが経験であるが、経験無くして人格というものは形成され得ない。自己は経験においてある。経験は場所である。したがって、自己は場所においてあるという言い方もできるのである。意識と自覚と判断のメカニズムが判れば、経験や場所の本質が判るであろう。
まずは、意識や自覚のメカニズム!
なお、このページは「場所の論理」について勉強したシリーズの第8番目のページになっている。
全体はここをクリックしていただけばいいのだが、そのうち大事なのは第1番目と第10番目である。是非読んで下さい!