流動的知性 偉大なるクラウンマザー

 

 

 奥さんとか奥方というのは、常に奥に居て、表に出ないけれども、実質的にはいちばんの実力者だ。人類は、おばあさんと、子供と孫の三世代が同居する唯一の生物であると言われている。 

 家にはおじいさんも居るかもしれないが、どうしてもおばあさんには頭が上がらないのではないか。したがって、家の大事はすべて、おばあさんが仕切ることになる。おばあさんが偉いのだ。おばあさんが居たからこそ、人類はこのように発展してきた。一見、根拠のないウソ話のようだが、どうも本当らしい。

 ものごとの理解の仕方には部分的な見方と、包括的な見方と二つの方法がある。おばあさんはそれまで生きたいろんな経験をもとに、ものごとを包括して見ることができる。おじいさんは死んでしまってもう居ないという家が多いが、元気に生きていても大体は、盆栽など何か一つのことに凝ってしまって、もう全体が見えにくくなっているのではないか。部分的な見方は、思考の流動性に欠けるので、思考停止になりがちだ。やはり流動的な思考でないと、全体が見渡せないし、脳の進化もしにくいのではないか。私は、そんなことを思いながらおばあさんの偉大さを考えている。おばあさんが居たからこそ、人類はこのように発展してきた。私にはよくわかる。

 さて、インディアンには「クラウン・マザー」という、おばあさんのなかのおばさんが居る。まあ、普通のおばあさんといえば普通のおばあさんだが、子供を育て、人に優しく世話好きで、もっとも人望のあるおばあさんが「クラウン・マザー」に選ばれるのだそうだ。普段は権力的なことはとくに何もしないのだが、実は、大酋長がおかしくなったと思ったら、その首を切ることができるという。もちろんいきなりというのではなく、三回注意して直らなければ……ということらしい。しかし、大酋長の首切りができるということはすごいことだ。そして、こんなシステムを持っているインディアンはすばらしい。「クラウン・マザー」は、表面的なことだけでなく、ものごとの真実が見えているということだろう。

 私は、この「クラウン・マザー」というシステムを生み出したインディアンの大いなる知恵に「平和の原理」が隠されているように思われてならない。後でおいおい説明していくことになるが、私は、平和には「奥の奥」という感覚が大切だと考えている。表も大事だが、奥も大事である。光も大事だが、陰も大事なのだ。御本尊だけではどうも元気が出てこない。進化に自ずと限界が出てくるのではないか。御本尊のほかに「後戸」の神が必要なのである。アメリカという御本尊に「後戸」の神としての日本。そんな思いを抱きながら私はイラク戦争を見ている。

 

 ラカン(1901〜1989。フロイトの考え方に新生面を拓いたフランスの精神科医・精神分析家)の鏡像段階説ではないけれど、言葉では真実は語れないのだ。我々がいかに考えても、その時に考えつくことなんて大したことではないのではないか。生活に関わることは、おばあさんの知恵で何とかいけるだろう。しかし、社会的な事柄については、歴史の知恵というか、歴史と伝統・文化に学ばなければやはり正しい判断はできないのではないか。歴史を生きるということはそういうことだと思うのである。

 

さあ、それではいよいよ「流動的知性」

探究の旅に出かけるとしよう!

そうしよう!そうしよう!(工事中)

 


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 Iwai-Kuniomi