ふたたび「怨霊」について
毎日新聞の「時代の嵐」というコラム(2000年8月27日)に中西輝政さんが書いておられたが、「祈り」ということは大事だ。
私が「怨霊」をテーマに旅を続けている所以である。
もっとも、今はちょっとお休みをして「武家社会源流の旅」に切り替えているが・・・・。
いずれ二つのの旅がドッキングして、憲法改正にあたっての重大な示唆を与えることになると考え、しばらく「武家社会源流の旅」を始めたのだが、今日 は、中西輝政さんのコラムを思い出し、「怨霊」について触れておきたい。
中西輝政さんは、コラムの中でこう言っておられる。
一人の日本人として私は、昨年の8月1 5日の本欄でも書いた通り、毎年8月になれば風化することのない 「祈り」によって、21世紀にも「あの戦争」で逝った人々の魂を迎え、そして「送り火」で送りつづけねば、と思っている。
そうなんですよ。
風化することのない「祈り」なんですよ。 [怨霊鎮め」なんですよ。
梅原猛さんは、その著書「将たる所以」(1994年、光文社)でこう言っておられる。
梅原猛いわく。「この怨念の鎮魂ということは、特に日本社会において著しいように思われるが、それは 日本社会のような単一民俗化した人間が稠密(ちょうみつ)に住んでいるところでは、戦いがおこった時も皆殺しにするわけにはいかず、・・・・怨霊の鎮魂が 特に必要とされるのである。」
21世紀は世界平和の時代である。
したがって、これは何も日本に限っての話ではないように思われる。
今年もまた私は原爆ドームで「平和の祈り」を捧げてきました。
ここに、「金のトランペット吹き鳴らせ」というページと昨年(2000年)の慰霊祭のひとコマを紹介しておきます。