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怨 霊普遍

 

 「ジキル博士とハイド氏」という小説は、イギリスの小説家・スチーブンソンが1886年に書いた有名な小説である。人格者ジキル博士が薬を飲むと 極悪非道なハイド氏に変身するという、・・・言うなれば、二重人格者の悲劇を描いたものだが、人間の善悪の葛藤を取り扱った・・・大変哲学的な課題を秘め た小説である。

 いうまでもなく、ジキル博士とハイド氏は同一人物である。したがって、ハイド博士はジキル氏であると言ってよい。こういう二重人格者は世の中にそ う珍しいことではないが、現在、十三重人格者まで確認されているという。

 「群盲象を撫でる」というたとえがあるが、一人の人間にもいろんな人格がある。通常は、それらがバランスよくコントロールされているので、悪い人 格はそう表にでてこない。そのコントロールされているさまを、河合隼雄さんは「アイデンティティーネットワーク」という概念で説明されておられる。いろん なアイデンティティー(人格)がネットワークで繋がっている。ある人格が何かの拍子で力を得て巨大化すると、その繋がりが切れる。その繋がりが切れると、 その巨大化した人格が表面に飛び出してくる。それがたまたまジキル氏であったりするのである。

 

 人間は誰でも善人といえば善人であるし、悪人といえば悪人である。善人にもなるし、悪人にもなる。確認されているのは十三重人格者であるが、世の 中にいろんな人がいることを考えれば、一人の人間の中に存在するアイデンティティー(人格)は、数えきらないぐらいの種類があるのではなかろうか。それら アイデンティティーの中心が「自己」である。

 

 

 

 老松克博さんによれば、日本人の自己は漂泊しており、西洋人の自己は定住している。その意味するところは必ずしも単純ではないが、単純に言えば、 アイデンティティー(人格)の中心が、日本人の場合はふらふらしており、西洋人の場合はしっかりしていると言えば判りいいであろうか。西洋人の自己という ものがしっかりしているのに対し、日本人の自己というものはしっかりしていない。極端に言えば、日本人の場合は自己というものがない。そう単純に言ってし まえば判りいいかも知れない。

 

 しかし、そう単純に考えて貰っては困る。老松克博さんの真意は、そうではなくて、日本人の自己というものは漂泊しているのであり、その漂泊のよさ というものを見直すところにある。

 コミュニケーションの極意は、その人の立場に立って話を聞くというところにある。その人の悩みを聞かなければならない。ディベートではなくて、コ ミュニケーションによって、相手の心との間にもし共振(シンパサイズ)が起これば、相手の自己に近い自分のアイデンティティーがそれなりに大きくなるであ ろう。その分、自分の自己は動くことにある。

 

 日本人は、稲作を主とした農耕民族であり、共同体を大事にしてきた。村の秩序を乱す者は村八分にされた。何をしても個人の自由ということではな く、まわりを気にしてきたということだ。自己主張というものはできるだけ押さえ気味にしてきたのである。私たちは、多弁は銀、沈黙は金、・・・そういう世 界を生きてきたのである。日本人の自己というものは、中心が定まらず、まわり次第というところがある。それほど広範囲ではないが、ある一定の範囲内で、自 己というものはあっちへ行ったりこっちに来たり・・・あちこち移動する。ふらふらと漂泊するのだ。

 

 私たち日本人の自己が漂泊するその範囲の外側に、その人のアイデンティティーとしての神がおり、その人のアイデンティティーとしての怨霊がいる。 アイデンティティーネットワークの周縁部にアイデンティティーとしての神や怨霊がいるのだが、もちろんそれは自己そのものではない。アイデンティティーで ある。アイデンティティーではあるが、漂泊する自己の外側にある。しかし、漂泊する自己はその存在を感じることはできるし、それと自己が共振(シンパサイ ズ)することはあり得るのである。

 アイデンティティーとしての神はこの世の中の神と共振することができるし、アイデンティティーとしての怨霊はこの世の中の怨霊と共振することがで きる。したがって、漂泊する自己は、アイデンティティーとしての神や怨霊を通じて、この世の中の神や怨霊と共振することができる。

 定住する自己は、ふらふらと移動するということがないので、アイデンティティーネットワークの周縁部にある神と怨霊を同じような感じ方で感じると いうことはない。神を身近に感じる人は怨霊とはおおよそ縁遠いし、怨霊を身近に感じる人は神とはおおよそ縁遠い。

 漂泊する自己にとって、神は怨霊であり、怨霊は神であると感じることができる。しかし、定住する自己にとって、そういう感じ方をすることはできな いのである。漂泊する自己にとっては、悪は善であるし、善は悪である。君は私であるし、私は君である。絶対的な認識ができる。しかし、定住する自己にとっ ては、あくまでも悪は悪、善は善であるし、あくまでも私は私である。私が君であったり、君が私であったりすることはない。あくまでも相対的な認識しかでき ない。漂泊する自己にとっては、ロボットですら私と同一視できるのである。

 禅に、「両頭裁断(せつだん)し、一剣天に依って凄まじい」という言葉がある。これは相対的な認識を排し、絶対的な認識をすべきことを説いたもの であるが、こういう禅の極意を会得することは、・・・・おおよそ漂泊する自己でないとできないのではないかと思う。漂泊の世界は、ものごとにこだわらない 自由の精神に充ちている。何ものにも自由に共振(シンパサイズ)できる世界だ。それはまた、何ものをも捨てることのできる世界でもあるのだが・・・。

 

 

 

 「怨霊、鬼、妖怪」をテーマに、「平安遷都の旅」を続けてきたが、どうやらそれも一区切りがつきそうだ。去る一月(1999年1月)に山口昌男さ んの「天皇制の文化人類学」という本がでたからだ。岩波現代文庫であり、今、本屋の店頭に積まれている。あとは「蝉丸」のページを作りさえすれば、それ で、私は、次のステップに移れそうだ。ありがたいことだ。

 

 山口昌男さんの考えの核心部分は、蝉丸論にある。したがって、私はどうしても「蝉丸」のページを作らなければならないのだが、ここでは、まずは山 口昌男さんの決意をご紹介し、私の怨霊論の行く先を指し示しておきたい。

 

 「今日、われわれは天皇制を考える場合、勇を鼓して、われわれの最も不慣れな部分、すなわち、天皇制を支え天皇制によって補強される美意識を、そ して、この美意識を可能にする宇宙論敵モデルを組み立てていく作業にとりかからねばならない。」・・・全く同感だ!

 

 私は、この「平安遷都の旅」は、「北嶺の人」からスターとした。円仁に焦点を当てていたからだ。大師といえば普通弘法大師のことだが、すでに述べ たように、実は、大師の称号は円仁が最初である。私は、平安時代の朝廷を精神的に支えたのは、円仁であり、台密であったと考えている。その証拠は、千日回 峰をおえた行者の最後の作法として「天皇への報告」という・・・そのことである。

 「命がけの長い修行がお陰様でやっと終わりました。ありがとうございました。

これからは、私の神通力をもって、天皇をお守りする覚悟でございます。」・・・・・天皇をお守りするということは、あらゆる災いから天皇をお守りす るということだが、当時の考えからすれば、あらゆる災いは怨霊がもたらすものであるので、それは、・・・・怨霊から天皇をお守りするということにほかなら ない。天皇が怨霊の標的になってはならない。怨霊の標的は、現実の権力者・藤原氏など別のところになければならないのである。そして、彼らは怨霊の恐ろし さという者を思い知らなければならないのである。その段階になって初めて怨霊鎮めが行われるのである。怨霊鎮めは、早すぎてもいけないし遅すぎてもいけな い。

 

  また、山口昌男さんは、こう述べている。「素戔嗚尊(すさのおのみこと)と日本武尊(やまとたけるのみこと)・・・この二人の役割は、王権が混 沌と無秩序に直面する媒体であったといえる。したがって、王が中心の秩序を固めることによって、潜在的に、そうした秩序から排除されることによって形成さ れる混沌を生み出していくように、王子の役割は、周縁において混沌と直面する技術を開発することによって、混沌を秩序に媒介するというところにある。」

 混沌を秩序に媒介する、・・・それはとりもなおさず「平和の原理」だが、菅原道真の怨霊によって無秩序に陥った王権も、結局は、秩序の回復がなさ れるのだが、それを媒介した技術は何であったのであろうか。今まで私と一緒に旅をしてきた読者にはすでにお判りのことであろう。円仁を頂点とする・・・密 教僧と修験者の技術である。災い転じて福となす、そう単純に言ってしまうのはやや不正確である。怨霊を暴れさすだけ暴れさした上でそれを鎮めるということ でないと、怨霊が暴れざるを得ないその原因というものを取り除くことは難しい。・・・その技術、その普遍的な技術は、・・・まさに秩序回復の技術である。 怨霊を暴れさすだけ暴れさしてそれを鎮める、・・・・それが「平和の原理」である。

 

 

 

 漂泊の世界は、ものごとにこだわらない自由の精神に充ちている。何ものにも自由に共振(シンパサイズ)できる世界だ。宗教的世界というのは神との 共振世界であるが、そのうち、漂泊の世界といえるのは、わが国だけのものであろう。密教僧や修験者などによって支えられているのだが、それは、「やよよろ ずの神」の世界であるとどうじに怨霊の世界でもある。そこでは、怨霊は神であり、神は怨霊である。怨霊を祭ることは、神を祭ることである。神を祭ること は、怨霊を祭ることである。

 

 戦後、私たちは、怨霊を祭ることを忘れてしまったようだ。というより、なぜか怨霊が見えないのだ。戦後の諸制度の中で、怨霊が鳴りをひそめてし まったようだ。

 広島の平和の祭典もいいけれど、怨霊の問題が忘れ去られているようだ。多分、怨霊が暴れ回るには怨みの標的が必要だが、その標的とすべき戦犯がす でにいなくなってしまっているということだろう。アメリカ人には手が届かない。

 私は、広島の平和の祭典では怨霊を意識した祭りをやって欲しい。しかし、密教僧や修験者抜きの祭典でどうして怨霊が祭れるのかと思ってしまう。あ の「平和の火」は、1200年間密教僧がお守りしてきた「消えずの火」である。このことひとつを考えただけでも、広島における本来的な平和の祭典は、密教 僧や修験者抜きでやれない筈のものである。

 怨霊鎮めの祭典にそのような宗教色を出せないという、・・・そのあたりにも難しさがあるが、広島における怨霊を鎮めるための儀式がどうしても必要 だ。広島にはまだ浮かばれぬ怨霊がうようよしているのだ。これを祭らなければならない。太田川は勿論のこと、広島城でも、広島球場でも、学校の校庭で も・・・・まだ成仏できない遺骨が数多く埋もれていると言われている。

 8月6日、原爆の日。あの騒々しい昼間ではなく、夜明けのまだ薄暗い頃に、・・・・原爆ドームの近くや・・・太田川の畔を歩いてみるといい。怨霊 のうめき声が聞こえてくる。

 

 怨霊は社会の秩序を乱す。それはそうだが、・・・それには原因があって、その原因を取り除かない限り、秩序を回復することは難しい。怨霊が暴れ回 る必要性がある所以である。

 少年犯罪だからといって、ことを曖昧にしてはならない。加害者側は被害者の怨霊に悩み苦しまなければならない。家族も含め被害者側の受けた苦しみ の何十倍もの苦しみを加害者側はその家族を含めて全員が味わわなければならない。道真の怨霊によって、首謀者の一族が次々とやられたようにだ。

 

 少年法など・・・必要以上に加害者側を守っているような・・現在の法制度は言語道断である。

 このような意見に反対の意見もある。非行少年を作らないためには、むちではなく愛情こそ必要だというのが、そういった反対意見のおおむね基本的な 考え方である。なるほど、非行少年を作らないために、親はもちろんのこと、家族は愛情を持って子供と接しなければならない。当然のことだ。しかし、問題 は、そういうことではなくて、愛情で接しながらも万が一殺人を犯したらどうその罪を償えばいいかという問題なのだ。殺された人の怨霊がどういうことで鎮め られるのかという問題なのだ。もうそのあたりで許してやって欲しいと被害者の家族が言い出すまで、張本人はもちろんのこと加害者側の家族は苦しみに苦しみ 抜かなければならない。

 怨霊が暴れ回る必要性がある所以である。現行制度は、怨霊から加害者側を守ってやっている。とんでもない逆転だ。

 

 怨霊はおおいに暴れ回らなければならない。そういうことが大前提だが、その上で、・・・怨霊というような秩序を乱すものをどのように祝祭的な次元 に置き換えることができるのか。それが「文化の活力」というものだろう。・・・山口昌男さんもそのような趣旨のこと仰有っているが、それが歴史から学ぶべ き知恵であると思う。

 今後21世紀において、わが国は、そういう「文化の活力」に充ち充ちた国であって欲しい。そのためには、いたるところで、怨霊を顕在化させるとと もに、その怨霊を鎮める祝祭的な儀式が行われなければならない。そして、そういう国民的な儀式の象徴として、天皇の行う儀式が位置づけられなければならな い。そうなることによって、天皇は実質的に、「日本国民統合の象徴」となるのであって、私は、是非ともそうしなければならないのだと思う。私が「怨霊普 遍」と言う所以である。

 

 北嶺の人万歳!・・・円仁万歳!・・・やよよろずの怨霊万歳!そして、・・・・・やよよろずの神万歳!

 

「守れ権現」

 

守れ権現 夜明けよ霧よ

山は命のみそぎ場所

六根清浄 お山は晴天

 

風よ吹け吹け 笠吹き飛ばせ

笠の紅緒は荒結び

六根清浄 お山は晴天

 

雨よ降れ降れ ざんざとかかれ

肩の着ござは伊達じゃない

六根清浄 お山は晴天

 

さっさ火を炊け ゴロリとままよ

酒の肴は山鯨

六根清浄 お山は晴天

 

 

 やよよろずの怨霊とやよよろずの神を感じることができるのは、私たち日本人の特質であるが、その原点は山にある。密教僧や修験者は、山を修験の道 場と考えていたので、あらゆる苦行に堪えながら人跡未踏の山に登った。全国あらゆる山に・・・だ。

 富士山の初登頂記録は633年である。深田久弥さんが書いておられるが、これは世界最初の登山であって、それ以降、ポポカテペトルが登られる 1522年まで、900年間も富士山が世界の最高登頂記録を保持していたのだそうだ。古くは、西洋では、山は魔物の棲むところと考えられていて、高い山に は近づかなかったと言われている。わが国は、そういう意識は比較的少なかった。その差は、「定住する自己」と「漂泊する自己」の差である。

 

 これからの旅は、「漂泊の旅」がいい。そして、その原点は、「山の旅」である。修験の山を訪ねながら、おおいに「山の旅」を楽しみたいものだ。