大磯・高麗神社

 

大磯は、朝鮮半島からの渡来人の関東平野における朝廷指定の上陸地点である。

大磯から関東各地に別れていったが、

その主力は、

大磯から多摩川の狛江、

そして入間川の高麗郡にいたる流れである。

大磯はその流れの拠点になった。

 

そういうことから、大磯には今は高來神社というが、高麗神社がある。

 

ところで、渡来人の関東平野の開拓に与えた影響は大変大きい。

 

大和朝廷自らの開拓は、

物部一族によっても行なわれたのではないかと思われるが、

皇族が派遣されて積極的に進められた。

それが武士の発生に繋がっていく。

 

しかし、私は、

渡来人の関東平野の開拓に与えた影響は非常に大きかったと思う。

渡来人の活躍というものを見のがす訳にはいかないだろうと思うのだ。

 

大磯は、埼玉県の高麗郡とともに、

それら渡来人の活躍というものを考える際の要となるところだ。

大磯・高麗神社から箱根権現へと繋がっていくし、

箱根権現は、伊豆権現とともに、鎌倉幕府成立と繋がっていく。

 

大磯を語らずして板東武士を語ることはできない。

かかる観点からは、大磯は、武家社会の源流にある。

 

(註)埼玉県の今は入間郡日高市、旧は高麗(こま)郡高麗(こま)村にも高麗(こま)神社がある。祭神は、猿田彦大神(さるたひこおおかみ)と高麗王若光(こまおうじゃっこう)である。宮司は、高麗王若光の第五十九代目子孫である高麗(こま)さんである。猿田彦大神は、今ではこんなことを気にする必要性は全くないが、もともとは新羅系渡来人の神であるという。開拓の神である。 

 

 

 

 

後ろに見える山が高麗山で、

神奈川県の自然公園になっていて、

古くからの貴重な植生が多い。

 

(註)高麗山は一度登ってみたい山です。

まだ登っていないので、とりあえず、

ふたつのページを紹介しておきます。

一つは 大磯駅長さんのページです。

もう一つは静岡の人のページです。 


 

さて、近畿地方から船で関東に向かう場合、

当然黒潮を利用しての沖乗りが原則であろう。

沖乗り航法からどこで地乗り航法に切り替えるかは、船頭の腕の見せ所だ。

 

大磯に向かう場合は、

私の想像では、伊豆の大島が見えるところで地乗りに切り替える。

そして、地乗りになってからはまずは大山を見ながら初島を目指す。

初島までくれば、大山を見ながら大磯を目指す。

高麗山はすぐそこだ。

 

古代でも、このような沖乗り航法、地乗り航法という航海技術はあったようである。

 

高麗山があるだけに、大磯は、格好の港であったのではないか。

渡来人の上陸地点に指定された訳だ!

 


ご承知の方が多いと思うが、「続日本紀」霊気二年(七一六年)の条に次のような記述がある。

 

「駿河(するが)、甲斐(かい)、相模(さがみ)、上総(かずさ)、下総(しもふさ)、常陸(ひたち)、下野(しもつけ)七国の高麗人(こまびと)一七九九人を以て武蔵国に遷し、初めて高麗郡をおく。」

 

古代朝鮮からいろんな種族が渡来してきた。勿論、三韓時代からの渡来人も少なくなかったと思われるが、その主力は新羅(しらぎ)人であり、百済(くだら)人であった。この記述は高麗(こま)人、すなわち高句麗(こうくり)人に関する記述であり、その点で注目される。

 

百済滅亡に引き続き、六六八年には高句麗が滅びて、朝鮮半島は新羅によって統一された。その際、高麗王若光(こまおうじゃっこう)は一族を引き連れて日本に亡命、朝廷の指示で大磯に上陸、各地に散在して、この地方の人たちに、鍛冶、建築、工芸など各種の技術を伝えた。若光は高徳の人で、文武(もんむ)天皇から従五位下の位と「王(こきし)」の性を賜った。

 


 

大磯の海岸は、

日本における海水浴場発祥の地である。

さあ、大磯の海岸にいってみよう!

 

 

 

Iwai-Kuniomi