森のタマ・川のタマ
私は先に盤司盤三郎の伝説を紹介した。東北地方の潜在的な考え、さらには中沢新一のいう「東北」の思想が盤司盤三郎の伝説に現われていると考えら れるからだ。中沢新一は、その著書「緑の資本論(2002年5月、集英社)」の中で、森のタマについて次のように述べている。少々長いがきわめて重要な部 分であるので、原文のまま紹介しておきたい。
『 狩猟時代の古い日本語をしゃべる人びとに、あなたたちの幸福とは何ですか、という質問をしたならば、「それはあなた、さちの力によって、森の タマ(霊力)が動物のからだというモノをまとってあらわれたその動物たちを、うまく仕留めることができることですよ。そうすれば、タマの霊力が私たちにも 分け与えられ、生命は増し、私たちはこよなく幸福(さち)を味わうこともできるのです」などという答えが、返ってくるにちがいない。「さち」ということば は、この場合、モノという容器(これが狩猟の場合は、動物のからだということになる)に含まれて人間の前にあらわれた森の多産性をあらわすタマを、その容 器を破壊することによって、抽象的な力として取り出して、自分たちの体内に取り入れるための、一連の技術(技芸)とそれに使用される道具のことを指してい た、と考えることができるだろう。 』
『 狩猟の過程は、鎮魂の過程とちょうど鏡面対称のような関係にある。鎮魂では、内包空間で充実しきった成長をとげたタマが、「かひ」の容器を 破って、外気の中にモノとなってあらわれてくる。ところが狩猟では、モノ(動物のからだ)の容器を破壊して、その中から森のタマを純粋な抽象形態で取り出 して、人間たちが自分の体内に取り込むことで、幸福の感覚を味わっている。鎮魂では物部氏の技芸である「霊体を結修する鎮魂の法」がそこにおこるタマの変 容をうながしていた。それが狩猟では、「さち」の技芸能力によって、霊力の取り込みがおこなわれるのだ。どちらの場合にも、それぞれの技術が、タマの変容 を媒介している。そして、非感覚的な霊力と物体性とが、おたがいを交換しあいながら、技術のよってひとつの結びあわされ、鎮魂法と狩猟とはひとつの円環を なしている。 』
このように、狩猟社会の人々は、動物や植物というモノに化身した森のタマが、自分たちに自然の賜物を贈与してくれていると考えて生きていた。この 考えが「東北」の思想であり、盤司盤三郎の伝説によく現れている。「東北」の思想がよく現れている伝説に「鮭の大介」というのがある。「鮭の大介」の伝説 については、中沢新一の著書「熊から王へ(2002年6月、集英社)」にもいくつか紹介されているが、私の好きな新潟県は信濃川の民話を紹介しておきた い。森の王者が熊であれば川の王者は鮭である。
鮭の大介・小介
むかし、大介(おおすけ)・小介(こすけ)という夫婦の鮭(さけ)があった。霜月(しもつき)(陰暦十一月)十五日、
「大介・小介、いまのぼる」
と呼ばわりながら、鮭の群れをひきいて信濃川をのぼってくるといわれていた。
この大介・小介は、からだのたけは一丈(約三メートル)あまり、銀のうろこをきらめかせ、そのうつくしさ、見事さはたとえようもなかったという。 人々は大介・小介を鮭の王とあがめ、どんな漁師たちも霜月の十五日には、けっして網をおろさなかった。そして戸をたてて家にこもり、外へは出ようともしな かった。
この頃のこと、新潟の町に玉瀬(たませ)長者とよばれる長者があった。ひろびろとした田んぼとたくさんの船をもち、なにひとつ、思いのとおらない ものはない大長者さまであった。
ところが、ある年の霜月十五日のこと、長者は一そうの船も沖へ出ず、川へ網をうつのもいないので眉を寄せた。
「いったいどういうわけで、今日は仕事を休んでいるのだ」
「へえ、今日は鮭の大介・小介が信濃川へのぼってくる日ですけ、休みでがんす」
「大介・小介ののぼってくる日、そうか、今日は霜月十五日か」
長者はようやくその日が十五日だったかと気がついた。
その日はそれですんだが、日がたつにつれ長者はしだいしだいに腹が立ってきた。
「なんじゃい、鮭の大介・小介いうが、たかがさかなの夫婦じゃ。そのために一日休むとはけしからん。しかもわしが休めともいわんのに、勝手に休み よって……」
長者は考えれば考えるほど、腹が立ってならなんだ。
「ようし、みとれ」
長者は拳をにぎっていうた。
つぎの年、霜月にはいると長者は、はやばや漁師たちを集めていうた。
「この十五日は休まんぞ。休むどころか信濃川に網おろして、大介・小介をつかまえるんじゃ」
さあ、たまげたのは漁師たちで、
「そればっかりはこらえてくれ」
「どんなたたりがあるかしれん」
と、口々にいうたが、長者はきかん。きかんどころか、
「わしの命令にそむくやつは、この土地にはおかんすけ、さっさと出てもらいたい」
とどなりつけた。そういわれてはどうすることもできない。漁師たちはとぼとぼと帰っていった。
いよいよ十五日になった。長者は川がみえる場所へ桟敷(さじき)を組ませ、緋毛氈(ひもうせん)を敷きつめた。そこでゆっくりと大介・小介が網に かかるのを眺めようというのであった。空は青く晴れていた。長者はよいきげんであった。
「どうじゃ、この天気のよいことは。網をおそりてはいかんというのなら、嵐が起こりそうなもんじゃ。それがこの天気じゃ、鮭の大介・小介がきいてあ きれるわ。さあ、網をうてい」
サンブと網がおろされた。しかし、どうしたことだろう。ただの一匹の鮭も網にかからない。
「なに、かからないだと、そんんばかなことがあるか。うつんじゃ、網うてい」
しかし、網にはやっぱり、雑魚一匹かからなかった。長者の目は、しだいにつりあがってきた。そして声をからして叫んだ。
「網うてい、網うてい」
それでも網はかからない。大介・小介をとるというので集まってきた見物人たちも、
「長者さんでも、どもならんな」
「大介・小介にはかなわんな」
「たたりのこんうちに、早よ家に帰ろう」
といって、帰ってしもた。そんな声も長者の耳にはいったから、長者はもう気も狂ったように、
「早ようしろ、早よう網うてい」
といいつづけたが、しまいには漁師たちも、
「これでかんべんしてけろ、もうなんぼ網うっても駄目でがんす」
といって、帰ってしまった。ただひとり残された長者は、ひとりでぐいぐい酒を飲みながら、川をにらみつづけていた。人影はもうなく、いつのまにか 真夜中だった。
ふと気がつくと、長者の前に、ひとりの老婆が立っていた。その髪は銀のように輝いていた。
「長者、今日は御苦労であった」
老婆は口から、ひとこと、ひとこと、押しだすように、ゆっくりといった。
「お、おぬしは……」
長者はがくがく震えながら、なにかいおうとしたが、口がきけない。ただ、ずうんと地の底へひきこまれていくように気が遠くなっていく。老婆は静か に背をむけると、ゆっくりと歩きだした。川の岸辺まで来たとき、はげしい水音がした。
長者は気をうしなっていくなかで、真夜中の川辺にひびきわたる声を確かにきいた。
「鮭の大介・小介、いまのぼる」
バシャバシャと川の水はとびはね、月の光にきらめいた。大介・小介を先頭に、鮭の群れは川をうずめてさかのぼっていく。しかし、長者の息はもう絶 えていた。
(新潟県)