源頼光



みなもとのよりみつ  源頼光 948?‐1021(天暦2?‐治安1)

平安中期の武将,貴族。清和源氏満仲の長子。摂津源氏の祖。摂津,伊予,美濃等の諸国の受領を歴任。内蔵頭,左馬権頭,東宮権亮等をつとめた。藤原摂関家に接近し,その家司(けいし)的存在となって勢力を伸長した。例えば988年(永延2)摂政兼家の二条京極第新築に際し馬30頭を献じたことや,1018年(寛仁2)道長の土御門第新造のときにその調度品のいっさいを負担したこと,道長の異母兄道綱を娘婿に迎え彼を自邸に同居させたことなどはその現れである。こうした摂関家との関係は,安和の変以降の父祖の伝統を受け継ぎ清和源氏発展の基礎を築くものであった。また頼光は早くからその武勇で知られており,彼や彼の郎党と伝えられる渡辺綱,坂田公時以下のいわゆる頼光四天王の名は《今昔物語集》をはじめ多くの説話集や軍記の中に見いだすことができる。 大塚 章


[説話と伝説] 頼光と渡辺綱など四天王の武勇談は能の《大江山》,御伽草子の《酒□)しゆてん)童子》にみえ,大江山の鬼退治として親しまれるようになった。屋代本《平家物語》剣巻に,瘧)ぎやく)病(わらわやみ)にかかった頼光は,加持しても効果なく,床に伏せっていると,ある夜たけ7尺ばかりの法師が縄をかけようとするので,枕元の名剣膝丸)ひざまる)をとって切りつけると手ごたえがあり,灯台の下に血がこぼれていた。その血をたどると北野社の塚穴に達し,掘ると中に大きな山蜘蛛)くも)がいるので,からめとって鉄の串にさし川原にさらした。これより膝丸を蜘蛛切と改名したと伝える。この話を脚色したのが能の《土蜘蛛》で,悩ますのが葛城)かつらぎ)山の土蜘蛛,退治するのが独武者)ひとりむしや)となっている。御伽草子絵巻《土蜘蛛草子》も同材で,葛城山の土蜘蛛となっているが,退治するのが四天王となる。能も絵巻も葛城山の土蜘蛛とするのは,神武紀に,高尾張邑)たかおわりのむら)に土蜘蛛と称する土着民がいて,神武が征伐し,村名を葛城と変えたとする伝承と関係があろう。
 山本 吉左右





[12坊の境内には源頼光ゆかりの土蜘蛛塚がある!]
[閻魔堂の狂言について] [土蜘蛛について]

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