イラク戦争の戦後復興は市場化が基本か

 

 

3月27日の日経新聞で、田中直毅は、イラク戦争後の展望として、市場化を通じた秩序づくりが基本になるであろうことを述べている。911テロの直後、中国と台湾が同時にWTOに加盟したが、世界における秩序化とはまさに市場化であることを証明したようなものだ。市場化の波はもはや世界を覆い尽くそうとしている。しかし、実際にそういった市場化という秩序とはおおよそ無縁な地域が厳然として存在している。それが中東を中心としたイスラム社会だ。そのイスラム社会の原理的構造を理解することは極めて重要だ。田中直毅は、イラク戦争後の展望として、市場化を通じた秩序づくりが基本になるであろうといとも簡単に述べているのだが、果たしてそうなるのか。田中直毅の見方は余りにも表層的過ぎないか。イスラム社会に市場化を通じた秩序を持ち込むということ、それが何を意味しているのか、文明史的な深い思索が必要だ。ここはひとつ、表層的な見方ではなくて文明史的な深い思索をするために、哲学者の見方を知っておくことが重要ではないか。まずは、中沢新一の説明(「緑の資本論」、2002年5月、集英社)を聞こう。

 

 私たちは、これまで明らかにされることのなかった、神学と経済学を結ぶ「見失われた環」を再発見するための探求をはじめる必要がある。イスラームとキリスト教、同じ一神教の二つの文明圏における、今日の「衝突」が意味するものを最大の深度で理解するためにも、この探求は重要なのである。

そこで、資本主義とも社会主義とも異なる「イスラーム経済」という現実が実在することを、認めることからはじめるにしよう。たとえ経済支配力ということに関しては弱体であるとはいえ、イスラーム経済はかって実在し、今も実在し、これからも実在する。それを無視することは、もはや不可能である。すると資本主義にしろイスラーム経済にしろ、今日のいっさいの経済活動の基礎は貨幣なのであるから、その貨幣の理解に、カトリック的貨幣論イスラーム的貨幣論が存在し、それぞれの貨幣論が異なる経済的現実を形成してきたと考えることができるだろう。 』

 

まあむつかしいですね。いずれ貨幣論については勉強するとして、今日のところはただむつかしいとだけ言っておきたい。イスラム社会における市場化を通じた秩序化といっても、田中直毅の言うようにそう簡単なものではないのではないか。そのことを十分頭に入れていただいた上で、それでは田中直毅の説明を聞くことにしよう。

 

『 WTOの非加盟国は、22を数えるアラブ連盟構成国の半数に及ぶ。これに比べ、サハラ以南のアフリカ諸国では南アフリカ共和国を基点として南からの秩序化の努力が功を奏し、WTO加盟が相次いだ。これに対し中東ではWTOの枠組みが機能をはたしていないだけではなく、経済制裁やボイコットという手段も生きつづけている。イラク、イラン、リビアはWTO非加盟国でかつ国際的な制裁下におかれている。イスラエルは近隣諸国からボイコットの対象となっている。アルジェリア、レバノン、シリア、サウジアラビア、そしてキルギスを除く中央アジア諸国はWTO非加盟国である。当然ながら関税率は20%を超えるのが当たり前とされ、密輸入品の国内的価値をいやが上にも高からしめている。非合法が誘発される構造とさえいえよう。 』

 

田中直毅が言うように、今を生きようとする一人ひとりに具体的な選択肢を確保して秩序化の礎にすることは、市場を通じてのネットワーク化によってのみ可能であり、そのことが今や世界的に公認されているということかもしれない。そうかもしれない。そうかもしれないが、私の頭の中には、どうしても納得のいかない部分が残っている。どうもすっきりしないのだ。イラクにおける戦後復興は市場化が基本であり、あらゆる分野で民営化ないしPFIが進むのではないかと、彼は述べているが、その点、私もそう思う。市場経済の波が世界中に及ぶ。それは確かであるが、そのような世界的な大波に対し、小さな波かもしれないが贈与経済の波をどう興していくかという誠に重大な課題が世界に横たわっているし、イスラム社会にはまだ現存している贈与経済をどのように守るかという課題がある。そのことを忘れてはならない。

その贈与経済の重要性を説いたのが中沢新一の「緑の資本論」である。「モノとの同盟」である。中沢新一が言っているように、贈与経済の再構築が今後の世界平和の鍵を握るのであろう。アメリカの世界化に少しでも歯止めをかけ、民族の習慣や風俗をどう守っていくか。そのことに十分意を用いながら市場化を進めなければならない。市場化による秩序だけが善であるかの如き錯覚に陥ってはならない。市場化を進める場合、片方に贈与経済の問題があることを常に念頭においておくべきではないか。田中直毅は、『米国流の突出を際立たせることを通じて米国内外に不安材料を広めることにもなろうから、日本なりの受け止め方と、その提示とはもはや不可欠であろう。』と言っているが、そのとおりだ。日本の役割が重要だ。市場化との関連で言えば、日本は公共財の建設と管理に、PFIを積極的に採用しなければならない。従来の方式ではイラクの戦後復興にはPFIという手法が不可欠だと思う。日本はよほどPFIに精通していないとイラクの戦後復興に参加できないのではないか。田中直毅は、PFIのことに言及しているのでPFIについてはおそらく私と同じ考えだと思うが、贈与経済のことは一切頭にない模様だ。贈与経済こそが今後の世界平和の鍵を握るのではないか・・・。

 

アメリカの世界化は当面避けて通れないし、それを否定的に受け止めてはならない。むしろ肯定的に受け止めながらも、その足らざるところをわが国が補完していくという態度でなければならない。したがって、日本なりの提示とは、ひとつは、市場経済のグローバル化を前提としながらも、伝統技術の保全活用に関する経済援助および技術援助ということになる筈である。単なる民営化を押し進めてはならない。PFIにどうボランティア活動というかNPOの分野を取り込むか、そのことが極めて大事である。もうひとつは、イスラム社会経済が市場化という波を受けてどう変質するかという問題である。アメリカの突出を避け、国連の機能回復なり国際政治の別の枠組みなり、何か新しい国際的な調整組織を作らなければならない。そのためには、アメリカのソフトパワーが作動するよう、まずはアメリカの良識に働きかけなければならないのではないか。

 

最後に、中沢新一の言葉をお聞き願いたい。

 

『 スークの商人とそれを支持する消費者たちは、地球共同体の原理に頼って資本主義に抗する別種の経済システムを守ろうとしているのではない。イスラームにあっては、その生活の倫理を、自己増殖をおこなうものに対する一神教的批判の原理という、イスラーム世界共通の思考が支えている。その思考の素粒子レベルにいたるまでの一貫性に対して与えられた名前がタウトヒードであり、アッラーへの信仰である。そこには、人間の自然的知性がつくりだしてしまう世界に対する、一つの透徹した批判システムの作動をみることができる。イスラームとは、その存在自体が、一つの「経済学批判」なのだ。原理としてのイスラームは、巨大な一冊の生きた「緑の資本論」である。資本主義にとっての「他者」は、この地球上に確かに存在する。イスラームはわれわれの世界にとって、なくてはならない鏡なのだ。 

 

 


 

1、アメリカという国

2、国連主義の破綻

3、アメリカの誤算

4、国際世論をどう形成するか

5、国際社会の一体性回復は可能か

 

 

 

Iwai-Kuniomi