立石寺

 

平安時代は、江戸時代とともに我が国においてもっとも平和な時代であったと言われている。いうまでもなくその基礎は桓武天皇が創られたのだが、平安遷都と東北経営がうまくいったということだろう。東北経営については、いうまでもなく、征夷大将軍・坂上田村麿の功績がなんといっても一番だが、・・・・・山形県は「立石寺」の果たした役割を忘れてはならないのではないか。

 

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」

「立石寺」とは・・・・松尾芭蕉の俳句で有名なあの山寺のことだが、・・・・その「立石寺」というのは、実は、円仁がもっとも力を入れて創建した寺である。そして、坂上田村麿のゆく先々に円仁の影が付きまとっている。これはどういうことか??

 

古代において、天変地異はただちに社会を不安に陥れたし、これに加えて時の朝廷により不遇の死に方をした人たちの怨念は「物の怪」として常に為政者やその一族を脅かし続けた。坂上田村麿は平和外交でもって事に臨んだようであるが、それにしても多くに戦死者がでたことであろう。その怨念というものは凄まじいものであったにちがいない。その凄まじい怨念を降伏しないかぎり、・・・・・天皇家はもちろんのこと、・・・・平安朝の安寧はなかったのではないか。そこに円仁及び台密の果たした役割があったし、その拠点が「立石寺」であった・・・・私にはそう思われてならない。

 

東北経営の為に平安朝が建立した天台密教(台密)の寺は100を超えるといわれているが、その中心は「立石寺」であった。台密の開祖は、いうまでもなく、最澄の直弟子・慈覚大師こと円仁である。円仁という人は、一般にはあまり知られていないが、空海や最澄と並ぶ・・・・或いはそれ以上の大変な偉人である。その円仁が・・・・・もっとも力を入れて開創したのが「立石寺」なのである。

 

先に述べたように、京都の赤山禅院は、円仁の遺命によって創建された寺であり、いうなれば円仁と極めて関係の深い・・・・そして誠に怪し気な寺である。「立石寺」もまた円仁と極めて関係の深い・・・、そして誠に怪し気な寺である。

逝去して棺桶に安置された円仁は、こともあろうに天狗のごとく飛翔して、あっというまに「立石寺」に現れた。そして、その「立石寺」からアノ世に登っていったされているのである。

 

もともと「立石寺」のある山形は端山信仰のもっとも盛んなところであった。家族が亡くなるとその遺体は里近くのいわゆる端山の麓に捨てられたのである。霊がうようよ・・・・、恐ろしくて懐かしい・・・・、それが端山だが、「立石寺」も又誠に怪しい霊の世界だ。

 

 

京都の大文字焼きは、つとに有名な夏の風物詩である。しかしこれは実に意味のある仏教行事である。先祖の精霊は、お盆にはお里帰りをするのだが、ひとしきり家族と対面した後アノ世にお帰りになる。それをお送りするのが大文字焼きなど・・・、京都五山の精霊送り火である。そのなかの「船形」を開創されたのも円仁である。円仁という人は、あまり一般には知られていないけれど、私達にも大変なじみが深いのだ。

そのほかもっと注目されていいのは、円仁の「旅行記」であろう。皆さんもご承知のことと思うが、世界の三大旅行記というのがある。玄奘(げんじょう)の「大唐西域記」とマルコ・ポーロの「東方見聞録」、そして円仁の「入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)」である。

 

入唐求法巡礼行記は、元駐日大使ライシャワーが英語に翻訳し、研究を重ねて博士号を取ったことでも知られている。

 

円仁はすばらしい人だ。その円仁がもっとも心血を注いで創建したのが「立石寺」である。

  

「立石寺」・・・・、その根底にあるのは、いうまでもなく、山形でも広く行われていた「端山信仰」であろう。そして、・・・・・・これを梅原猛先生流に言えば、「森の思想」「アノ世の思想」・・・・・ということになろうか。・・・・「浄土の思想」だ。・・・・・山形が「端山信仰」の地であったからこそ湯殿山があり、羽黒山があり、そして「立石寺」がある。

 

さて、すでに紹介したところだが、・・・・・現在(1997年9月現在)明治学院大学助教授をしておられる武光誠先生は、その著書「魔の日本古代遺跡」(PHP研究所)で次のように述べておられる。

『縄文人は、すべてのことは大きな魔のはたらきによって起こると考えた。人間の生と死、晴天と雨天、夏と冬といったものは別々のものではなく連続した大きな流れの一部に過ぎない。そして、自分と他人を区別すると心が貧しくなるので、みんなが幸福になるように考えて生きよう。人間も動物も植物も、道具やさまざまな自然現象もすべて同じ自然界の仲間だ。』

 

縄文人のこのような考え方を、武光誠先生は「円の発想」と呼んでおられるのだが、これは正に「平和の思想」であり、まさに梅原猛先生の言っておられる「循環の思想」そのものではないか。

 

この武光誠先生の言われる「円の発想」というのは、おそらく梅原猛先生の言われる「循環の思想」と同じものであろうが、・・・・・かの有名な古代の祭祈遺跡であるストーンサークルは、こういった「円の発想」や「循環の思想」とつながり、さらには「端山信仰」につながるものがあるように思われて大変興味津々たるものがある。紀伊の熊野もそうだが、東北地方には縄文文化が残っている。東北地方こそ21世紀の世界をリードする地域になるのではないかという予感がする。

 


 

さあ、それでは、とりあえず、山寺へ参ろうか・・・・。

参るとしよう。

 

 

 

 

 

 

Iwai-Kuniomi