サステイナブルコミュニティ総合研究所

 

 

 

 サステイナブルコミュニティ総合研究所は、

青森県下北郡、つまり下北半島の北の端にある。

大畑町である。

 

わが国にサステイナブルコミュニティというものを最初に紹介した、サステイナブルコミュニティの第一人者・川村健一さんが私にかねがね大畑に連れていきたいと言っていた。なかなか機会がなかったのだが、去る1月にやっと大畑行きが実現した。どういうところかさっぱり知らないまま勝手に想像していたのだが、一見普通の港町である。

 

昔は背後の山地が青森ヒバの宝庫で随分栄えたそうだが

、今はほそぼそと沿岸漁業で食っているまあ普通の漁村である。

 

 

漁は津軽海峡のイカが主たるものらしい。

 

 

その大畑が、サステイナブルコミュニティ総合研究所の誕生で、21世紀はこれから、ひょっとしたらモデル地域として世界から注目されるかもしれない。もちろんこれからの取り組み次第である。私の希望的観測によれば川村さんも応援していることだしきっとそうなるに違いない。いやそうなって欲しい。私はそんな願いを持ちながらこの文を書き始めている。大畑は実に素晴らしい。サステイナブルコミュニティ総合研究所設立の趣旨は確かにすばらしい。そのリーダーの角本孝夫さんがすばらしいのは言うまでもない。そしてやっぱり大畑の皆さんがすばらしい。しかし、私がそんな予感を抱くのは、やはり大畑の持つ風土ではなかろうか。その風土に根ざした大畑原則が素晴らしい。大畑原則については追い追い触れていくこととして、まずはサステイナブルコミュニティ総合研究所の設立趣旨を見てみよう。

 

 『 20世紀、近代科学の発達は、私たち人類にかつてない繁栄をもたらしました。大量生産、大量消費を前提とした経済発展は、止まるところを知らず、人類は永遠の繁栄を手にいれたかに見えました。しかし、近年その繁栄の影に隠された限界が見え始めてきました。オゾン層の破壊、大気汚染、海洋汚染、地球温暖化、熱帯雨林の減少、異常気象、種の絶滅・・・・地球の許容範囲を越えるほど巨大化した人間の社会経済活動が生み出した歪が、大きな脅威となって現れ始めたのです。

 私達は今、その進むべき方向を見直さなければなりません。大量生産、大量廃棄、自然破壊、エネルギー浪費を繰り返し、大きな犠牲を払って生み出された束の間の豊かさと決別し、真のクオリテイオブライフを追及しなければならないのです。これから私たちが目指すべき方向は、人々がそれなりに気持ち良く、無理なく、生き続けることができる循環型環境社会サステイナブルコミュニティです。自動車への依存を減らし、エネルギ−消費を極力押さえ、生態系に配慮し、人々は自分の住むコミュニテイに強いアイデンテイテイを持ち、ヒューマンスケールのコミュニテイの内でできるだけ循環が完結する。そんな持続可能な循環型環境社会サステイナブルコミュニティを早急に構築することが必要です。

 そのためには、地域を構成するひとりひとりが、地域を真剣に考え、自らの責任で主体的に行動することが重要です。私たちは、地域の人々自らが、まちづくりや自然環境保全活動を主体的に実践できるよう支援するとともに、その意識の醸成を図りながら、持続可能な循環型環境社会サステイナブルコミュニティ構築を目指します。 』

 

 もちろん、私の提唱する「劇場国家にっぽん」と同じではない。私はそもそも「平和の原理」というものを意識しているし、結果として自然だけでなく歴史や伝統を重視する考え方に立っている。しかし、上記の趣旨と重なっている部分は決して少なくない。志はほぼ同じといっていいのではないかと私は感じている。それではまずは大畑町へ出かけよう。

 

 先般開通した東北新幹線「はやて」は八戸で乗り換えだ。

八戸駅が見違えるようにきれいになった。

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東北本線は野辺地で大湊線というローカル線に乗り換える。

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30人ほどの人を乗せた快速列車が一輌、

時々小雪のちらつく荒涼とした下北半島を北へただひたすらに走る。

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小一時間で下北だ。

終点大湊のひとつ手前の駅である。

坂井隆さんが迎えにきてくれていて、大畑町に直行。

 

 

角本孝夫さんと会う。早速に話を聞く。角本さんの居間である。それがサステイナブルコミュニティ総合研究所の事務所になっていて、大畑原則もここで生まれたのだという。川村さんは梁山泊といっていたがみんなのサロンである。パソコンはパワーポイントがあってスライドを見ながらの説明である。所狭しと本やビデオが並んでいて・・・まあ角本さんの仕事部屋そのものである。仕事部屋そのものがサロンになっているという感じ・・・。酒を酌み交わしながら侃侃諤諤・・・、そういう中から大畑原則ができたという。いいですね!それでは、角本さんの説明とそれに対する私のコメント(カッコ書き)を紹介しておきたい。大畑原則そのものは後ほどじっくり見てもらいたい。まずは角本さんのナマの説明から・・・・・。

 

イ、 大安寺に保存されていた中世の地図。1457年のものらしい。ロシア人の居住地などが見える。南部藩との戦いではそういう外人部隊が参加したらしい。交流の歴史は古い。(大畑における交流とはいうまでもなく海上交易が主体である。今後どのような海上交易がありうるのか。ともかく海外から人にきてもらうことによって何かが起こる。ともかく縄文時代から続く風土とそこから生み出される知的な公共財を売ろうではないか!)

 

ロ、 縄文遺跡も結構あるらしい。もちろん山際である。大畑は「アイヌ語のオオハッタル」からきているらしい。川尻の淵という意味である。深山神社に伝わるところによると古い時代は栃の木が繁茂していたようだ。(大畑川を中心とした流域の縄文文化に焦点を当てて何を創作できるか。実際の遺跡の発掘もさることながら脳内発掘を推進しよう!)

 

ハ、大畑にはかって女性だけの寺子屋があった。ノマド論を意識している。(そうだ。ノマド論だ。こういう大畑の歴史に何かを学ぶとすれば、それは海洋国家特有の開明性ではなかろうか。21世紀型の明るくて開かれたノマド論を展開しなければならない。環太平洋の環における・・・・海洋国家のサロンネットワークを構築できないだろうか。)

 

ニ、1伐10裁という山の掟があった。国有林という管理形態は山を荒らしているのでダメだ。(そうだ。まったくそうだ。奥山と里山の中間地にある生産林はよほど厳しい伐採のルールを考えねばならないし、里山は木の実や山菜の宝庫となるよう必要な管理をしなければならない。そして、私の「劇場国家にっぽん」の構想からいえば、奥山は全国的なエコロジーネットワークの一環であり、同時に地域にとっては多様な野生生物の棲息する聖地である。)

 

ホ、モントレーは鰯(いわし)だが、姉妹関係を結んでいる。(私の「劇場国家にっぽん」の構想からいえば、ダイバーシティが大事なキーワードであり、何か共通項があれば何でもいいから連携をすることだ。市民レベルの連携だ。環太平洋の環、中沢新一のいう「東北」でできるだけのネットワークを作りたい。)

 

へ、漁港を漁場に再生したい。そのために、サンパ船小屋をつくった。[09][10][11][12](行政が公共施設を作るとどうしても所管の業務にしたがって、目的が単目的化されてしまう。しかし、川にしろ、山にしろ、海にしろ、実際の自然公物は自然の多様性を保持すべきである。制度によって自然好物を単目的化するの間違いだ。私の「劇場国家にっぽん」の構想からいえば、「場所」には宇宙的なリズム性がなければならない。)

 

ト、「恐怖の森」というキーワードがよい。(私の「劇場国家にっぽん」は、怨霊、妖怪から平和の旅を続けて最終的にたどり着いた「国の姿」である。河童の棲む川、天狗の棲む森。怨霊の鎮まっている杜。それらはみんな「恐怖の森」といっていいかもしれない。自然に対する畏敬の念を私たちは常にもち続けなければならないのではなかろうか。そしてまた、それは「陰の思想」からすれば真理の「場所」である。陰翳礼賛!!!)

 

チ、市町村合併がやかましいが、本来、アメリカのリージョンステイツという考え方がいい。いくつかのコミュニティが集まってリージョンステイツを作り上げ、 民間企業やNPOがリージョンのメ経営モを担うという。リージョンステイツの中心は立法権と徴税権を持ち、自治権を保証される連邦となる。大畑もこういうものを念頭においていろんな議論をしている。(川村健一さんの影響だろうが、すばらしい!私たちも大いに勉強しなければならないのではないか。)

 

リ、珪藻、藍藻の森。藻場、海中林、河畔林、鎮守の森など林系という系を考えなければならない。町全体を魚付き林にしたい。尻屋崎では明治44年、魚つき林を作り、現在は十分漁業だけで十分食っていけている。それに見習うべきだ。また、町の緑には、緑によって死角を作るという考え方が大事だ。(こういった大畑の考え方は素晴らしい。こういったビオトープは現実にできるところから実施していきたいものだ。)

 

ヌ、耕作放置された農地を利用し、縄文試行農園をやっている。ソバ作りから食うまで・・・。雑穀文化論を展開したい。(こうした運動は私の「劇場国家にっぽん」の構想とほとんど機軸を一にする。五穀豊穣という言葉があるが、五穀を作って農の喜びを体験するということは非常に大切なことである。私の「劇場国家にっぽん」の構想からいえば、五穀に限らず、花に限らず、道具に限らず、モノづくりである。是非、「モノづくり博物館」を作りたいものだ。)

 

ル、正津川海岸で自然石による大畑式というか乱積みの離岸堤を作った。素晴らしい磯ができて海草が豊富に育っている。

大畑では、公共資源論というかストック資源論をひとしきりやった。議論の結論として、公共財というのは土地の人々が支えていく回路であるということになった。そういう考え方から、大畑川の流域条例を作った。これからの公共財は、行政も住民を巻き込んで行政的な経営をしなければならない。大畑川では、青森県の土木事務所と一緒になって自然工法の川づくりをやっている。[13][14][15][16][17][18](素晴らしいの一言に尽きる。私の「劇場国家にっぽん」の構想とまったく同じ考えである。公共財については是非PPPでやってもらいたい。)

 

 

 

オ、ネットワーク都市の考え方が大事だ。江戸時代の海洋ネットワーク都市をイメージしながら1996年にはイカリンピックというのをやった。インターネットを活用して地球規模のネットワークを独自に模索。ストック資源 を蓄積するためのアイデアを結集する。ジョイント・ベンチャーへの布石ともなる。(まったく素晴らしいことだ。私の「劇場国家にっぽん」の構想においても、ビジター産業を地域のリーディング産業に考えているので、行政レベルのみならず、市民レベルの交流はが大前提となっている。)

 

ワ、1997年にこの部屋で大畑原則を作り発表した。大畑原則では、縄文時代からの時間軸の発想によって現在の人間の活動を見直し、自然の多様性、循環性、柔軟性を損なうことなく、それでいて各人が一体感を持ったコミュニティの一員として伸び伸びと暮らしていける、新たなシステムを提案するものである。(素晴らしい。実に素晴らしい。素晴らしいの一語に尽きる。この大畑原則を今後どのように全国に波及させていくか。楽しみである。)

 

ヨ、当時は、土地価格の平準化が目標だったが、今は逆転気味である。中心部が周辺より土地価格が下がっている。当初は、商店街などコミュニティ中心部と郊外住宅地の土地価格を平準化して価格差をなくし、商店と居住者たちの商店街地域への還流を誘導する考えであった。逆転現象が見られるので方法論を考え直さなければならないが、ともかく商店街に居住者を還流させなければならない。この還流が居住者と商店街が使命共同体を設立するための前提となる。(中心商店街の活性化は全国的な問題だが、活性化の原理は何か。)

 

 

 以上のような話を聞きながらあっという間に時間がすぎていったのだが、角本さんの話は哲学があってすばらしい。特に、私は、町には死角となる緑が必要であるという話と公共財というのは土地の人々が支えていく回路であるという話には深い感銘を覚えた。

 町の緑は「陰」でなければならない。先にも述べたが、最近、柳父章(やなぶあきら)の「翻訳文化論」が「秘の思想(法政大学出版局、2002年11月)」として新たな展開を見せその哲学的発展が期待されている。柳父(やなぶ)は、「秘は、送り手と受けての側でつくられる」といい、記号論的に「秘」の問題を捉えているが、その奥ゆきは大変深い。これを私流に言えば、形はあってないほうがいい。大事なものはできるだけ隠すほうがいいということだが、柳父の「秘の思想」も「陰」の本質を言い得て妙である。町の緑は「陰」でなければならないのだ。

 また、公共財が土地の人々が支えていく回路であるというのもまったくそのとおりだと思う。これも先に述べたが、既存のものでも新規のものでもいい、行政から補助が出ている公共的な事業、民間が事業主体の公共事業(PFI)ということだが、そういう事業に焦点を当て、そのお手伝いをボランティアでやることを考える。ボランティアを基本とするので、それほど大きな活動資金はいらないが、それでもやはり活動資金が当然必要だ。でも、魅力的な事業計画をつくり、寄付を集めるところからはじめたい。ともかく地域づくりのNPO活動を実践することだ。それがとりもなおさず「光と陰の哲学」の実践ということであろう。「光と陰の哲学」の実践ということは風土的に芽生えた地域文化を守ることであり、それが風土を生きるということだ。風土を生きなくてどうしてこの世をイキイキと生きることができるだろうか。

 

 

 それでは、ここに大畑原則を紹介し、「劇場国家にっぽん」のひとつのモデルとして今後じっくり学習していくこととしたい。これからの時代、コミュニティが大事である。行政的な破綻とコミュニティの破綻とは違うという角本さんの話は誠に刺激的であった。大畑の人は役場を当てにしていないというのだ。大畑の人は行政が破綻しても自分らはイキイキと生きていくという確信をもっているようだ。どこからそういう自信が生れてくるのか。大畑の人たちの生き方について私たちはじっくりと勉強しなければならないのではなかろうか。

 

 過疎地域はいよいよ大変である。現在各地域でおおゆれに揺れている町村の合併問題が今後地域のあり方にどのような影響を与えていくのかよく判らないが、行政がどうなろうと自分らはイキイキと生きていくんだという大畑の人たちの積極性は貴重である。多くの過疎地域でそういう住民レベルの積極性がでてきて欲しい。そういう積極性のある地域でまずはNPOのネットワークを組む必要がある。私が今進めようとしているJUUU−NETである。お互い励ましあい助け合ってサステイナブルコミュニティを作り上げていきたいものだ。その際重要なことは行政の役割であり、行政(パブリック)と民間(プライベート)との連携の仕方、パートナーシップの取り方である。公共財は、原則として、私が町づくり型PFI(PPP)と言ってきている新しい手法で計画し、整備し、管理すべきであろう。町づくり型PFI(PPP)によって、都市の陰にかくれて今まさに存亡の危機に立たされている過疎地域は・・・、ふたたび新たな光を放ち始めるに違いない。「光と陰の哲学」を実践しうるのはそういう過疎地域である。そういう過疎地域が数多く誕生してはじめて「光と陰の哲学」が定着を見せ始めるのではなかろうか。

 

 

大畑川は母なる川である。

その水源はかってヒバの原生林であった。

そして同時にそれは彼等マタギの・・・・

生活の場でもあったのである。

しかし今はすっかり荒れ果ててしまった。

国は国有林のせいである。

 

でもちょっと流域に入れば

私など都会人にはヒバのすばらしい森を見ることはできる。

 

上流には良い温泉がある。

恐山への分かれ道を少し行ったところだ。

マタギゆかりのすばらしい温泉、薬研(やけん)温泉である。

河童温泉とも呼ばれている。

むかし、河童が慈覚大師を助けたとの伝承から、

そのような名で呼ばれているらしい。

最近は河童の姿も見なくなってしまった。

98災害でトロトロガンドウも土砂で埋まってしまった・・・。

河童はどこへ行ったやら・・・・。 

 

私達はサステイナブルコミュニティー総合研究所のメンバー・・・・

古畑さんの旅館(古畑旅館Tel0175342763)に泊めてもらう。

古畑さんはマタギの名人子孫であり、家には秘伝書その他立派な家宝が残っている。

玄関にはすばらしいヒバの古木がある。

 

山越えでもうひとつのマタギの里・畑に行けるのだが、冬はいけない。

遠回りをして翌日行くことにした。

 

翌日は古畑さんと叉の機会をお約束して畑に向かう。

さあ出発だ。

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角本さんの案内である。

いずれ大畑川を遡って山越えをしたいと思っているが、

とりあえず今回は、

マタギの里・畑を垣間見たその報告をしておきたい。

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 なお、角本さんから蠣崎の城跡を見ませんかと誘われ、

是非ということで柿崎城址を見に行った。

蠣崎氏は、

この地・川内でおこり、

南部氏に終われて北海道にわたり、

松前藩主となる。

南部氏と同様に武田の流れともいろいろいわれているが、

よくは判らない。

13湊の安藤氏の傘下のもと、

陸奥湾を根拠地として海運で力をつけたらしい。

ロシアとのつながりを持っていたのではないかといわれている。

それでは、その蠣崎氏の城跡を見に行こう! 

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