滋野の井


 私の卒業した滋野中学は、滋野井からその名がきている。滋野とい
う地は、もともと水に大変恵まれた土地であって、滋野井なる井戸か
らこんこんと水が湧き出ていたらしい。中学校の南隣に同級生・小堀
さん実家、生麩屋さんの「麩嘉」があるが、そこが滋野井のあったと
ころだ。今も痕跡らしきものが残っているが、すっかり井戸水が少な
くなって「麩嘉」は困っているらしい。


 私の家は、私の父がそこに引っ越すまで、内藤さんという方が「餡
こ屋」さんをやっていた。餡こは、いうまでもなく小豆と砂糖が主な
材料だが、やはり水が大事であり、そこで「餡こ屋」さんが営まれて
いたのはいい井戸水がでたかららしい。小豆や砂糖はどこででも手に
入るが、水は場所による。家には、確かに、立派な井戸があり、結構
いい水がでていた記憶もあるが、それもいつとはなしに涸れてしまっ
た。


 平安遷都は、「風水思想」に立脚した都市計画がベースにあると言
われている。平安遷都は、おそらく、和気清麻呂を中心として、秦氏
と加茂氏の力に負うところ大であったと思われるが、誰の指示であっ
たのであろうか。今となってはただ想像するしかないが、私は、和気
清麻呂が淀川の開削を計画したりして土木の神様として今も祭られて
いるので、「風水思想」に立脚した都市計画を考えたのは、和気清麻
呂だと思っている。なんと気宇壮大な計画ではないか。


 京都は盆地だが、愛宕山と比叡山という姿のいい二つの山が、周囲
の小高い山を引き連れながら、それを守護するように鎮座している。
そして、加茂川と桂川という、いうなれば秦氏と加茂氏の川が、龍尾・
山崎で合流する。「風水思想」からはもっとも理想的な地形をしてい
るのだそうだ。龍頭・船岡山から吐き出される気によって、周囲の山
から集まる気が一気に天空に上昇する。その龍穴が、神泉苑である。


 神泉苑は、空海が唐から帰朝後、神泉苑で祈雨法を修して霊験をあ
らわし,その功によって真言宗をたてることを許されたとされる。神
泉苑で対抗する行者守円(敏)が瓶中に竜神を閉じ込め,殿上でクリ
を加持してゆでたり,呪詛したりするのを大師は破って勝利する。


 神泉苑は、二条城の南、堀川に近い。おそらく、堀川に沿って流れ
る加茂川の伏流水が、ここで一気に湧出していたのではないか。そう
考えると、滋野井の水も「餡こ屋」さんの水も神泉苑の湧き水とおそ
らく同じ水脈のものであろう。神泉苑も堀川とともに往時の面影は今
はない。何とか復活できないものか。






[賀茂川から堀川を望む]
[堀川について] [堀川について(2)]
[堀川の想い出]
[神泉苑] [水の復活]

Iwai-Kuniomi