南方熊楠の大発見・・・シンダレラ物語

 

 

 ヨーロッパで伝承されているシンデレラ物語にはいろいろなタイプがあるのだが、中沢新一によれば、先に紹介したポルトガル版「カマド猫」の話には新しい変形の要素が登場しているという。そして、それが私たちの探求をアジアに近づけていくことになるという。

前回、私たちは、それを勉強した。いよいよ「シンデレラに抗するシンデレラ」を勉強することとしたい。「環太平洋の環」ではそういうシンデレラ物語が語られているのか。「環太平洋の環」ではおおよそシンデレラ物語らしくないシンデレラ物語が語られている。心にしみる物語である。中沢新一いうところの「環太平洋の環」の重要性が自ずとわかってくるはずである。

それではいつものように、中沢新一を勉強することとしたい。以下はすべて「人類最古の哲学、カイエ・ソバージュ氈v(2002年1月、講談社)からの引用である。

 

 

 このポルトガルの民話を手がかりに、私たちはアジア世界に立ち戻っていくことになります。いままでのところ発見されている世界最古のシンデレラ物語は、九世紀の中国で記録されたものです。その事実を発見したのは、明治時代の大博物学者・南方熊楠でした。南方熊楠はこれを、九世紀に書かれた「支那書」の中にみいだしました。

当時、ヨーロッパの学者の誰も、シンデレラの話が東洋に伝わっているなどとは思っていませんでしたので、これはまぎれもない人類学上の大発見だったのですが、当時のョーロッパの学者は日本に学問があるとは思っていませんでしたから、南方熊楠の発見をさほど評価しませんでした。それがちゃんと評価されるまで、ずいぶん時間がかかっています。

 つぎが南方熊楠の『西暦九世紀の支那書に乗せたるシンダレラ物語』(1911年)の原文です。原文は明治時代の文章ですから難しいですけれども、読んでみましょう。

 

  さて予二十三年前在米の間、『酉陽雑俎(ようようざつそ)』続集巻一に、支那のシンダレラ物語あるを見出し、備忘録に記しおき、その後土宜法竜師(どぎほうりゅう)などに報ぜしことあり。英国の里俗学会、かつて広く諸国に存するシンダレラ物語の諸種を集め、出版せし一冊あり。予在外中、好機会多かりしも、多事なりしため、ついにこれを閲せざりしぞ遺憾なる。近日ロンドンの学友を頼み、右の書に支那のシンダレラ譚ありやと調べもらいたるに、全くなしとの返事なり。しかし、その人かかることに趣味を持たざれば、実際は知れず。とにかく、自分せっかく久しく取っておきの物を、そのまま埋め去ることの惜しまるれば、ここにその文を載す。たとい、すでに学者間に知悉(ちしつ)されしことなりとも、この物語を、欧州特有の物と思いおる人々の、耳目を広むるの少益ありなんか。

 内容をすこし説明していきましょう。冒頭では「私は英国フォークロア学会が出した『諸国シンデレラ物語』というアンソロジーのあることは知っていたけれとも、忙しくて読めなかった。これはまったく残念なことだった。その本の内容を知らないまま、私は中国の、古い伝承のなかにシンデレラ物語を見つけた。でもひょっとしたらその本にすでに書いてあるといけないと思い、友人に頼んで調べてもらったが、その本のなかには、支那のシンデレラ物語についてはまったく話がない、という返事をもらった」というようなことが書かれています。

 

物語はこうです

 

 続いて『酉陽雑俎』の原文がはじまります。この本を書いたのは段成式という山東出身の人で、唐の時代の末期に嶺南の役人に赴任していました。この人の使用人が李士元という人物で、南中国の不思議な話をたくさん記憶していたのだそうです。李士元の出身地は「【巛+邑】洲洞中」とされています。

 ここで「洞」と呼ばれているのが、現代の中国の少数民族「荘族」の居住地にあたることがわかっています。その後荘族の居住地はあまり変化していないようですから、李士元の語ったそのシンデレラ物語が、荘族の伝承であったという可能性はとても高いと思います(君島久子「荘族のシンデレラとその周辺---重葬との関わりについて」『芸文研究』一九八九)。いずれにしても、この話が漢族の伝承ではないというところが大切です。南中国の少数民族と日本人とは、時代が古くなればなるほど、深い関係を持ってくることがわかっていますからね。さて物語はこうです。南方熊楠の原文によりましょう。

 

秦・漢の前に洞主の呉氏あり。土人、呼んで呉洞となす。両妻を娶る。一妻卒し、女(むすめ)あり、葉限と名づく。少(おさ)なきより恵(さと)く、よく金を鈎(と)る。父これを愛す。末歳に父卒し、継母(ままはは)の苦しむるところとなる。常に険(けわし)しきに樵(きこり)し、深きに汲ましむ。時に、かつて一の鱗(さかな)を得たり。二寸余にして、【(赤+貞)】(あか)き【(髟+者)】(ひれ)、金の目なり。ついにひそかに盆水に養う。日々に長じ、数器も易(か)うるも、大きくして受くるあたわず。すなわち、うしろの池の中に投ず。女(むすめ)は得るところの余食あれば、すなわち沈めてもってこれに食らわす。女の池に至れば、魚は必ず首を露わし、岸に枕す。他人至らば、また出でず。その母、これを知って、つねにこれを伺うも、魚いまだかつて見(あら)われず。よって女を詐(いつわ)っていわく、なんじ労するなからんや、われ、なんじがためにその襦(うわぎ)を新たにせん、と。すなわち、その弊(やぶ)れし衣を易(か)え、のち他の泉に汲ましむ。里を計れば数百なり。母は徐(おもむ)ろにその女の衣をつけ、利(と)き刃(やいば)を袖にし、行きて池に向かい魚を呼ぶ。魚すなわち首を出だす。よってこれを斫(き)り殺す。魚すでに長さ丈余、その肉を膳(くら)うに味は常の魚に倍す。その骨を鬱棲(つみごえ)の下に蔵(かく)す。日を逾(こ)えて女至り、池に向かえどもまた魚を見ず。すなわち野に哭す。たちまち人あり、被髪(ひはつ)、粗衣にして、天より降って女を慰めていわく、なんじ哭すなかれ、なんじの母はなんじの魚を殺せり、骨は糞の下にあり。なんじは帰りて、魚の骨を取って室に蔵すべし、須(もと)むるところ、ただこれに祈れば、まさになんじに随うべし、と。女、その言を用い、金【(王+幾)】(き)衣食、欲するに随って具(そな)わる。

 洞の節(さいじつ)に及び、母は往きて、女をして庭の果を守らしむ。女は母の行くこと遠きを伺い、また往く。翠紡の上衣をつけ、金の覆(くつ)を躡(は)く。母の生みしところの女これを認め、母に謂(い)わく、これはなはだ姉に似たり、と。母もまたこれを疑う。女覚(さと)りてにわかに反(かえ)り、ついに一隻(ひとつ)の履を遺(のこ)し、洞人の得るところとなる。母は帰って、ただ女の庭樹を抱いて眠れるを見てまたこれを慮(おもんばか)らず。その洞は海島に隣りす。島中に国あり、陀汗(だかん)と名づく。兵強くして、数十の島、水界数千里に王たり。洞人ついにその履を陀汗国に貨(う)る。国主これを得て、その左右に命じて、これを躡(は)かしむ。足の小なる者躡けば一寸を減ず。すなわち一国の婦人をしてこれを躡かしむるに、ついに一として称(あ)う者なし。その軽きこと毛のごとく、石を覆(ふ)むに声なし。陀汗王、その洞人の非道をもってこれを得しかと意(おも)い、ついに禁錮して、これを拷掠(こうりゃく)すれども、ついによって来たるところを知らず。すなわち、この履をもってこれを道旁に棄て、すなわち人家を遍歴してこれを捕えんとす。ここに、女の躡く者あり、これを捕えてもって告ぐ。陀汗王これを怪しみ、すなわちその室を捜して葉限を得たり。これを躡かしむるに信(まこと)なり。葉限、よって、翠紡の衣をつけ、履を躡いて進むに、その色(すがた)天人のごとし。始めて事を王に具(もう)し、魚骨と葉限とを載せて、ともに国に還る。その母および女は、すなわち飛石のために撃たれて死す、洞人これを哀しみ、石坑に埋め、命(なづ)けて【(りっしんべん+奥)】女塚という。洞人もって【(示+某)】祀(ばいし)をなし、女(むすめ)を求むれば必ず応ず。陀汗王は国に至り葉限をもって上婦となす。一年、王貪り求めて魚骨に祈り、宝玉限りなし。年をこえてまた応ぜず。王すなわち魚骨を海岸に葬り、玉百斛(こく)を用いてこれを蔵し、金を際(わく)となす。徴卒の叛するときに至り、まさに発(あば)いてもって軍を贍(たす)けんとするに、一夕、海潮の淪(しず)むるところとなる。成式の旧家人、李士元の説くところなり。士元はもと【巛+邑】(よう)洲の洞中の人、多く南中の怪事を記し得たり。 

 

だいたいの意味はつぎのようです。  

 南人の伝えるところによると、秦、漢以前に洞主の呉氏という人がおり、土地人は呉洞と呼んだ。両妻を娶ったが一妻が死に、葉限という娘が残され、また呉氏も死ぬ。葉限は継母に苦しめられ、きこりや水汲みに使われていたが、あるとき金の眼の小魚を得たので盆の中で飼っていたが、どんどん大きくなっていくので、池で飼うことにした。娘が池に行くと魚は必ず岸辺に首を出す。ほかの人がやっても出てこない。そこで継母は娘の着物を借りて池に行き、刃を袖に隠して魚を呼び、首を出したところを切り殺してしまった。大きく育った魚の肉は、まことに美味であった。その骨を肥の下に隠した。その後、娘は戻ってきて池に向かって魚を呼んだが、魚は出てこない。悲しくて泣いていると、被髪粗衣の人が天から降りてきて彼女を慰め、「魚の骨が肥の下にあるからそれを取って隠し、ほしいものをその骨に祈ればかなえられる」と言った。ためしてみるとそのとおりに食物や衣装が出る。「洞」の祭りに縦母と実子が出かけた後、娘は翠紡の上衣に金の履をはいて祭りに行く。継母とその実子が姉ではないかと疑ったため、娘はあわてて帰る。履(くつ)を片方残し、洞の人に拾われる。その洞の人は、履を海の中の陀汗国に売る。履は国王の手に入る。国中の者にはかせたが合うものがいない。その履の軽いことは毛のようであり、石を踏んでも音をたてない不思議さだ。王はようやくにして葉限を探しあて、はかせてみるとぴたりとあった。彼女が翠紡の衣をつけ履をはくと天人のように美しかった。葉限は魚の骨とともに陀汗国にともなわれて、国王の妻になった。継母と妹は飛石に打たれて死ぬ。

 

 

魚とその一骨 

「葉限」というのが中国のシンデレラの名前です。ここでも葉限は生みの母と父親をなくして、継母のもとで苦しめられることになっています。「遠くの深い水辺に行って水を汲んできなさい」とこき使われていた葉限は、水辺で一匹の魚を得ます。

 魚は葉限にとてもなついて、まるで恋人同士のようでした。その様子を知った継母は、葉限を遠くにやったすきに、魚を殺して食べてしまいます。大変美味だったと言います。ここで重要なことがおきます。縦母は食べ残した骨を、糞尿が捨ててあるゴミ捨て場に捨てたのです。魚がいなくなってしまって悲しんでいる葉限のもとにあらわれた仙人は、魚の骨は肥(こえ)の下に埋まっている。これを掘り出して隠し、ほしいものを骨に願えばなんでもかなえられる。と言います。

 中国のシンデレラはポルトガル版とシンデレラと同様、水界に深いつながりを持っています。美しい魚とまるで恋人同士のように親しんでいた葉限は、突然この魚を殺され食べられてしまいますが、残された魚の骨を丁寧に扱うことで、幸運をつかむことになります。ここでは、「魚の骨」が超自然的仲介者の働きをすることになります。「魚の骨」を丁寧に扱うと幸運がもたらされる---このような考え方は、水界の主と人間との関係をめぐるきわめて古い時代からあった思想が、背景になっています。水界の王(これは鯨やシャチのような大きな動物としてイメージされることもありますが、「鮭の王」のような存在が考えられていました)は、人間を飢えから救うために、自分の配下である魚たちを、人間への贈り物として届けてくれる、というのがその思想です。こうして「魚の王」から贈与された魚たちを、葉限の継母のように「うまいうまい」と食べた挙句に、食べ残した骨などを、無造作に捨てたりすると大変なことになると、昔の人は考えました。自分が心をこめて送った贈り物を、人間たちがぞんざいに扱ったことに腹をたてた「魚の王」は、二度と人間たちのもとに豊かな魚を届けてくれることはないでしょう。だから人間は食べ終わったあとの魚や動物の体の取り扱いには、十分な配慮が必要だと考えたのです。これは、自然の中を生きる人間の守るべき根本的な倫理観に関わっています。人間の世界に「水界の王」や「森の王」が贈ってくれたものに、人間はどうやって報いたらいいのか。これを大きく考えた人々は、その感謝を表現するさまざまな様式をつくりだそうとしてきました。広くおこなわれていたのは、魚の骨をきれいにとって、感謝をこめながら水界の王に戻すやり方です。森の獣であると、その獣の骨と肉をきれいに分離して、骨を綺麗に飾って、動物を与えてくれた森の王にお返しするという儀式がおこなわれています。アイヌの熊祭りにその思想は、はっきりあらわれています。アメリカ・インディアンですと、北西部で鮭がたくさん獲れますが、この鮭の骨をちょっとでも粗末に扱いますと、彼らは大変怒りました。そんなことをすれば、たくさんの鮭が二度と川を上ってこなくなってしまう、だから鮭の骨を丁寧に扱って水の中にもう一度戻すという儀式をします。

 葉限が得た超自然的仲介の能力は、古い狩猟時代から生きつづけていた、動物の骨の扱いに関するこの倫理思想を背景にしている、と考えられます。継母はこれを無造作に扱ったために、仲介を失うのですが、葉限は仙人に教えられた通り丁寧な「骨崇拝」をおこなうことで、仲介の能力を獲得し、望みのものは何でも手に入るようになったわけです。

 

 

 

富とは何か

 

 葉限は黄色い魚の骨を仲介にして、水中の異界と結びつくことができるようになったために、望みのものならなんでも手に入る幸運を手に入れることができました。海や山の狩猟の獲物をもたらしてくれるのは「魚の王」であったり「山の王」であったという話を今いたしました。つまり「異界の王」が人間に豊かな獲物を与えてくれる、という考えがきわめて古い時代から人間には抱かれていましたが、その場合、「異界の王」はそうした富を人間に贈り物として贈与してくれる、と考えられていました。しかも、贈与に対するお返しは対価をお金や物で支払うことができません。じっさいそれは今でも大変に失礼なことと思われています。「自然の王」でもあるこうした「異界の王」が人間に施す贈り物は無尽蔵で、とうてい人間がそれに対する対価を支払えるようなものでないことを、人々はよく知っていましたから、人間は無形の贈り物をお返しとすることで、この気前のいい贈り物への返礼としました。無形の贈り物、それは尊敬をこめた丁寧な儀礼を通して動物たちの霊を送り返すことであり、自然とのあいだに倫理を守った生き方をすることでしょう。

 民話にはこういう旧石器時代以来の古い思考が、形を変えて生き残ったようです。富ということの考えも変わって、もう豊かな獲物や収穫だけが富とは考えられなくなっています。豊かな財産や装飾品や高い地位などが、いちばん手に入れたい富になっていましたが、思考の基本模造だけはすこしも変化しなかったために、民話でもやっはり富は死者の世界や異界とのあいだに通路が開くことのできたものだけが、手に入れることができると考えられたのでした。

 

   

「経済(エコノミー)」という言葉のもともとの意味は「しみったれ」です。つまり、お金を無駄遣いしないで、家の中で節約して、そして循環させていくというのが経済です。ところが超自然の与えてくれる富の方は「経済」ではなく「贈与」に関わっていますから、それが与えてくれるもののイメージは無際限でゴージャスです。節約も出し惜しみもしません。欲しいものはなんでも与えてくれるのです。こういう富についての観念が、シンデレラ物語の背後には潜んでいるようです。経済の枠を外れているもの、言い換えると、富を社会的に交換していくための回路からはずれているものへの欲望が、シンデレラ物語を突き動かしています。葉限の物語では、ヨーロッパのシンデレラ物語ではあまり表面に出てこない古いタイプの仲介者(水界の王)が表ざたになっていますが、その反面、超自然の仲介者による援助が、なんとなくエコノミー関係の問題に引き寄せられているという印象を受けます。

 中国で語られたシンデレラ物語には、すでにこのようなあからさまな経済的欲望が入り込んでいます。仲介の発見に重きがおかれているのではなく、超自然界との交通も、もっぱら財宝や富の獲得という意味に狭められているようです。それに考えてみれば、ヨーロッパのシンデレラ物語でも、結婚によって失われていた社会的仲介状態をみいだそうとする神話と言ってみても、当の女性からすれば社会的なサクセスを幸運によって手に入れることにほかならないわけですから、現代でも「シンデレラ・ストーリー」と言えば、結婚を通じて最短距離で社会的サクセスを得たいという女性の願望のことが、話題になっていると言っていいでしょう。シンデレラの物語は人類的な古さを持つと同時に、資本主義の精神とも結びつきやすい、不思議な性格を持っています。

 

 しかしこのような民話を、もしも人生の最大目的を経済活動や社会的サクセスにおいたりしない人々が耳にしたら、いったいどう思うでしょうか。その人々は、きっとシンデレラ物語から資本主義的な汚れを洗い流して、元のもっと純粋な形に作り変えたいと思うのではないでしょうか。

 

 

ここがシンデレラ物語に関して中沢新一のいちばん言いたいところであるようだ。シンデレラ物語から資本主義的な汚れを洗い流して、元のもっと純粋な形に作り変えればどうなるか。それが、先に述べた「見えない人(Invisible man)」の話である。それでは、もういちど「結婚の条件」というページから入って、「見えない人(Invisible man)」の話をじっくり味わっていただきたく思います。

 

 それでは、最後に、最近いろいろと問題になっている人権問題に触れてこのシリーズを終わりたい。最後にどうぞ・・・ここをクリックして下さい!

 

 

Iwai-Kuniomi