日本神話の構造・・・中空均衡構造

 

 

 ご承知のように、日本書紀は時の政府の政治的意図が働いて若干日本神話の原型が崩れている。日本神話の原型を比較的保っている書物となるというまでもなく古事記である。古事記以外に日本神話を描いた書物はないので、今のところ、古事記を日本神話と考えざるを得ない。したがって、以下、日本神話といえば古事記のこととお考えいただきたい。

 

 通常、私たちは、日本神話という物語はイザナキ、イザナミから始まるという意識をもっており、おおよそその前の神々には関心がない。しかし、河合隼雄は、アメノミナカヌシ、タカムスビ、カミムスビという三神に注目する。イザナキ、イザナミは、神代七代(独神三柱と四組の男女の神)の最後の神であるが、実は、神代七代の前に五柱の「別天つ神(ことあまつかみ)」という神がおり、その最初の神がアメノミナカヌシ、タカムスビ、カミムスビである。つまり、アメノミナカヌシ、タカムスビ、カミムスビは日本神話最初に出てくる三神である。何故三神なのか。そこが大問題なのである。日本神話は、天地がはじめて発(ひら)けた時、という言葉からはじまるように、この世界がどうしてできたのかを論じることなく、そこに出現した三柱の神の名を記すことからはじまっている。そもそもイザナキ、イザナミの前に、何故そういう多くの神々が登場してくるのか、或いはアメノミナカヌシ、タカムスビ、カミムスビが生れでた「高天の原(たかまのはら)」という「地名」が何を意味するのかなどいろいろと興味ある疑問があるが、ここではそれらの点は省略して、アメノミナカヌシ、タカムスビ、カミムスビという三柱の神が一組で登場する・・・その意味に焦点を絞る。

 『アメノミナカヌシ、タカムスビ、カミムスビは、話の最初に出てくるのだから、重要なのはわかるが、別に「つくり出す」神ではない。それでは何のために存在しているのだろうか。そして、それはどうして三神一組、つまりトライアッドでなければならないのだろうか。』・・・・。河合隼雄の日本神話の構造に関する考察はそこから始まるのである。

 

 神々のトライアッドという組み合わせについては、ユングによれば、宗教史上におけるひとつの元型であるそうで、河合隼雄は著書「神話と日本人の心」のなかでそれを紹介している。そして、河合隼雄は、こう言っている。『キリスト教の教義の三位一体は、文字どおり「一体」であり、トライアッドとは異なるが、ユングの研究にも示されているように、トライアッドと関連が深く、唯一の神の三つの側面を表わしているとも考えられる。ここで、父と子と聖霊という三位という組み合わせは、今後、日本のトライアッドを考えてゆく上で、いろいろと示唆するところがあるだろう。』・・・・と。トライアッドがキリスト教を理解する上でも不可欠なものであるということ、また今後日本のあるべき姿を考える際にも示唆するところがあるということを、河合隼雄はそう言っているのだが、この点については後ほど述べるとして、先を急ぐことにしよう。また、アメノミナカヌシ、タカムスビ、カミムスビそれぞれの神に対する河合隼雄の考察も紹介したいのだが、これらは「神話と日本人の心」を読んでもらうとして、先を急いで結論部分だけを紹介することとする。

 

 河合隼人いわく。『タカムスビとカミムスビとには明らかに差が認められ、前者は、天、父性的な機能に関連づけられるのに対して、後者は、地、母性的な機能に関連づけられることがわかる。ここで興味深いのは、父性的なタカミムスビがアマテラスという女性との関係が深く、これに対して、カミムスヒという母性的な神が、スサノオ・・・オオクニヌシという男性神と関係が深いという事実である。後にもたびたび論じることになるが、日本神話におけるバランスのはたらきのひとつである。

 このような両者の間に無為のアメノミナカタヌシが存在してトライアッドを構成している。これはまさに日本神話の全体構造の基礎をなすものということができる。ここにおける「無為」の意味は、すでに「二人の創造者」の一人が無為である例をあげて指摘しておいたとおりである。アメノミナカタヌシという無為の中心が、すべての創造の源泉と考えるのである。』・・・と。

 

 ここで、「二人の創造」の一人が無為である例とは、世界の創造神話について、ユング心理学の立場から解明を行なったフォン・フランツの研究成果のことであって、「神話と日本人の心」のなかで河合隼雄は次のとおり紹介している。

 

 『フォン・フランツは多くの「二人の創造者」の例を、主としてアフリカ及びアメリカ先住民の神話から取り上げて紹介している。彼女によると、「善と悪の対立が非常に激しいのは、二人の創造主のモチーフにはあまり見られない」。むしろ、二人の間の対立はそれほど明確でなく、「一人は少し明るくて、もう一方は少し暗いとか、一方がやや男性的で、他方がやや女性的とか、片方がどちらかといえば器用で、もう一方は無器用、ぼんやり、動物的だとかいった具合になる」と言う。二人の間に強い倫理的な対立はないのである。

 フォン・フランツのあげている「中央カリフォルニア北部アコマヴィ族」の興味深い神話をごく簡単に紹介する。世界のはじめ、晴れた空に突然雲が生じ、凝縮してコヨーテになる。次に霧から銀ギツネが生じ、二匹は船をつくって、水上を漂う船のなかに住む。長い年月のうちに彼らも退屈してくる。銀ギツネのすすめでコヨーテが眠っている間に、銀ギツネは自分の毛から陸をつくり、木や石や岩を加える。船がこの新しい世界に到着したときには、銀ギツネはコヨーテを起こし、二人は上陸して、そこに住むことになる。

 この二人の創造者の特徴は、一方が仕事をしている間、片方はただ眠っていることである。この点について、フォン・フランツは、コヨーテは銀ギツネの仲間として、「ただ眠っていることによって寄与しているのです」と語っている。これは実に興味深いコメントである。この意味をもう少しわかりやすく示すような例を、フォン・フランツは他の章に語っている。アメリカ先住民のジョシュア神話である。

 二人の創造主がいて、一人がコラワシと呼ばれ、もう一人は名前が定かでない。コラワシは動物や人間をつくりはじめるが二回失敗する。彼の相棒は何もせずに煙草を吸っているが、その間に一軒の家が出現し、そこから美女が出てくる。相棒はこの女性と結婚し、16人の子どもをもうけ、彼らからアメリカ先住民のすべての種族ができたとのこと。

 これについて、フォン・フランツは、積極的に行動する方は二回の創造の失敗をするが、「名称不明の相棒が、積極的な創造ではなく、煙草をすうことによって、人間が存在しうる状態を間接的に生みだします」とコメントしている。これらの神話は創造行為における「無為」の重要性を強調しているものと考えられる。実際に創造的な仕事をするとき、積極的にいろいろなことを試みるよりは、何もせずにいる方がよい結果を得ることは、経験的にもよく知られていることである。しかし、これらの神話において、「二人の創造者」の話が語られているのは、積極的な行為者と無為の者との間に、微妙な協調関係が必要なことを物語っている。』・・・・と。

 

 日本神話の構造は、基本的にはトライアッド構造だが、それは「グウチョキパー構造」ではなくて、二つの相対するものとその中間的の存在の・・・トライアッドである。その中間的存在は、理想をいえば、無為であればあるほどいい。無為を理想とする思想、それは老荘の思想でもあるのだが、河合隼雄は、そういう思想は日本にも古来からあった世界観、宗教観であると言っている。河合隼雄はそういう無為の存在を中心としてトライアッドを「中空均衡構造」と呼んでいる。アメノミナカヌシという無為の中心が、すべての創造の源泉と考えられている。

 

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Iwai-Kuniomi