祖霊信仰

 

 

 祖霊信仰は何も東北地方に限られてあるわけではない。全国各地にあるのだが、やはりなんといっても東北地方が優勢である。縄文文化が息づいているということかも知れない。かって、縄文時代は、三内丸山遺跡を見るまでもなく、サケマス文化に支えられて、東北が高度な縄文文化を持っていたということは古くからいわれていたことである。縄文文化の精神的支柱は、自然崇拝でありストーンサークルなどがその代表例であるが、自然との響き合い、宇宙との響き合いの中に日々の生活があったといって良い。その延長線上に祖霊信仰がある。

 千歳栄さんがその著書「山の形をした魂」(1997年、青土社)の中でいっておられるとおり、そういった祖霊信仰を基盤とする山形の精神風土によって、徳一の法相宗にしろ、天台宗の羽黒修験道にしろ或いは真言宗の湯殿信仰にしても、他にはない一種独特の宗教が生み出されて、現在に繋がっている。風土的発展を遂げているわけだ。徳一の恵日寺などは戦国時代の戦火によって今は見る影もないが、その精神は人々の心の中に生き続けていると考えるべきであろう。

 

 東北でもっとも風土的発展を遂げた宗教・・・・、それは何といっても円仁の影響を受けた各地の信仰である。恐山がその代表であるが、天台宗といってもそれらは必ずしも統一的なものではなくて、いつに風土的である。円仁に繋がり、台密に繋がり或いは天台宗に繋がっているとしても、おのおの風土的発展を遂げて独自性が強い。それが東北の信仰である。そういう風土的発展を遂げているという前提をよく理解していただくとして、円仁のことについて触れておきたい。

 

 私にいわせれば、円仁が苦労の末唐からもたらした密教によって、天台宗は真言宗を超えた。怨霊や妖怪とのなじみは天台密教の方がいい。いろんな寺をお参りしての私の実感である。天台密教の方が理屈なしにすーと入っていけるように感じる。懐かしみというか親しみを感じるような気がする。祖霊信仰と結びついて独特の変化をしてきているのではないか。そうだとすれば、東北において、天台密教が祖霊信仰を土壌として人々の心の中に深く浸透していったことは十分理解できるであろう。東北のように縄文文化の色濃いところでは、もともと、天台密教の方が適していたのではないかと思われるのである。円仁の登場というものを私は歴史的必然性だと思わざるをえない。

 

 東北の寺では、円仁の開基と伝えているものは109寺もあって、中興とするものが22寺、円仁に関係する仏像などを有している寺が169寺もある。他の地方を圧倒している。これを見ても円仁の東北との関わり合いの深さを知ることができる。

 

 東北における円仁の足跡ないし伝説は、何らかの形で征服された土地の霊と犠牲になった人々の霊を祈り鎮めるための宗教政策が反映していのだと考えられている。犠牲になった人々は、必ずしもエミシとは限らず、坂東から移住させられた人々或いは逃亡してきた人々を含むものである。坂上田村麻呂のあとに、円仁ら天台宗の僧の活躍があって初めて、東北は安定的に独自の文化というか風土を作り上げていく。東北の文化なり風土というものを語るとき、坂上田村麻呂と円仁(慈覚大師)は必ずペアで考えなければならない所以である。

 

 

Iwai-Kuniomi