おそらく祭祈遺跡であろうが、縄文時代の遺跡・環状列石は奥羽地方に多く残されている。環状列石に似たストーサークルは、世界のあちこちに残っている。それらは、極めて古い時期に作られており、古代人の意識を知る上で大変貴重な遺跡と言える。写真は、秋田県鹿角(かづの)市大湯(おおゆ)環状列石であるが、ここから奇妙な土器が出土している。二重丸の模様をつけた三角形の土器である。ほぼ正三角形に作られた土器の中央部に二重の円を浮き彫りにしたものだ。それは、多分、呪具であろうが、一つの解釈として、三角形は遠くから見た山の姿、二重丸は環状列石を表わしているとの解釈がなされている。

大湯環状列石は、もっとも有名な環状列石であるが、約90メートルの距離を隔てて作られた二個の環状列石から成る。それらは、紀元前2000年ないし1500年頃のものだろうと考えられている。二個の環状列石は、いずれも1ないし2メートルの長さの石を100個あまり、二重円の形に並べたものである。

少し話しは山形に飛ぶが、・・・・・山形では、山脈に連なる山々で里に近く、あまり高くもなく美しい山が端山と呼ばれ、里にすむ人々に親しまれていた。端山の奥にさらに高く聳えるのが深山(みやま)である。この重なるように結び会う端山と深山の形が山形にすむ人々に篤い信仰心を育んできたのである。
人間にとって死は最大の関心事である。かって端山の近くにすむ里人も、死と死後の世界の事を葬送の中で想念したと思う。
里人が死ぬとその屍は端山の麓に葬った。肉体が腐敗する頃、その人の魂は肉体を離れて美しい端山の頂きに登ると考えた。端山に登った霊は、残してきた子供や家族を山頂からじっと見守って、33年のあいだ頂きに留まると言う。
そしてさらに高い深山に登りそこから天のアノ世に行くと考えたという。
以上は、山形県建設業協会会長・千歳栄さんの著書「山形の自然と文化」(建設月報巻頭言集)からの抜粋であるが、より詳しくは、同じく千歳栄さんの著書「山形宗教学ことはじめ・山の形をした魂」(平成9年5月、青土社)に書かれているので是非それをご覧いただきたい・・・・。
コノ世とアノ世。私達の霊はお盆のときにはアノ世からコノ世に帰ってくるし、またそういう盆の里帰りというよういちじてきなものではなく、いずれ私達はアノ世に行ってからもコノ世に生まれ変わってくる。死んで生まれて、又死んで・・・・・そんな循環をくり返していくのだ。
こういった意識は、いうまでもなく、縄文時代から脈々と受け継がれてきた我が国の伝統的な意識であり、「円の発想」及び「循環の思想」の底流を流れている。