朱雀(すざく)高校

 

私の母校・朱雀(すざく)高校は、二条城の西側に面して在る。二条城が邪魔して分かりにくいが、ちょうど二条通りの位置に位置している。

 「神仙苑」は、二条城によって大半が取られてしまったので、これも分かりにくいが、平安時代、鎌倉時代、室町時代はちょうど朱雀高校の位置から東に神仙苑が広がっていたことになる。又、朱雀高校の少し東に千本通りがあり、ちょうど二条通りの延長線上に「出世稲荷」があり、もうそこは「朱雀門の跡」である。 したがって、私の母校・朱雀高校は、「朱雀門の跡と神仙苑の間に在る」ということになるのだが、当時における神仙苑の広がりを考慮すれば、正確には、「朱雀門の東側・神仙苑の西側」にあるということになる。

 

 しかし、大雑把な言い方からいえば、朱雀門のあったところといっても良いし、神仙苑のあったところといってもそう間違いではない。そして又、歴史的な時間というものを超越してしまえば、朱雀高校は朱雀門であり神仙苑である。

 

 朱雀門は、大極殿のある大内裏(だいだいり)に入る門であり、その外は俗なる世界、内は聖なる世界という、いうなれば世界をわける境の門である。その外は、俗なる世界であると同時に、それは邪悪の世界でもあり、恐ろしい鬼の出現する世界であった。だから、当初には、毎年、6月と12月の晦日に、武官百官が朱雀門に出てきて大祓の儀式を行ったのである。その大祓とは、聖なる大内裏から邪悪なるものを追い払う神事であり、いうなれば恐ろしい鬼を追い払う儀式であったのである。

 

 平安京の起点は船岡山である。川の場合もそうであるが、京都では、船岡山から下流を見て左・右をいう。したがって、京都は、朱雀大路の東が左京、西が右京である。京都盆地を貫流する鴨川が関係しているからか、或いは運河としての堀川が関係しているからか、さらには神仙苑が朱雀大路の東側に広がっているからなのかどうか、京の都は、左京が栄え、右京はそれほど栄えないままずっときた。右京を根城に朱雀門には鬼が棲んでいたらしい。

 

 宇治の平等院に「葉二(はふたつ)」という名笛が残っている。元は朱雀門の鬼の笛であったところから、別名「朱雀門の鬼の笛」という。その笛を吹ける者がいなかったので、天皇の命により、浄蔵という笛の名手が、月のあかるい夜、朱雀門にきてその「葉二」を吹いた。そうすると、朱雀門の上から、鬼が大きな声、でそれを褒め称えたという。

 

 朱雀門の鬼は、「羅城門の鬼」や「一条戻り橋の鬼」などとは大分様子が違うようである。朱雀門の鬼は、名笛を持っていたり、名笛の奏でる音曲の良し悪しが判った。籟は、竹の笛の意。天が奏でる笛の音・天籟を聞くことができたし、地の奏でる笛の音・地籟を聞くことができた。人籟を聞くことも当然できたのであろう。ただ単に邪悪の世界に棲むだけでなく、聖なる世界をかいま見ることができたので、宇宙の真理というものを、そして又、当然、この夜の真理というものを会得していたのではなかろうか。

 

 日本の鬼は、邪悪なるもののすべて、象徴的には、自然界の猛威を表しているといっても良いかも知れない。そういう言い方からすれば、聖なるもの、それは自然の恵みである。朱雀門の鬼は、邪悪なるものと聖なるものとの境に棲む。それは、邪悪であるとともに聖である。言うなれば、朱雀門の鬼は、自然との「共生」の、まさに象徴的存在であるのかも知れない。

 

 このように語れるのも、ふるさと・京都のお陰、母校・朱雀高校のお陰である。私は、今、そういったことをつくづくありがたいと思う。


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