田邊哲学から導かれるもの 

 

 

 今まで、私たちは、田辺元の多様態哲学「種の論理」を勉強してきたが、中沢新一はその田邊元の多様体哲学を解説して次のように言っている。しばらく耳を傾けよう。

 

 田邊元の「種の論理」は、徹底した中間性の思考であり、対立しあっている表象をひとつの概念の同一性の中で合致させるような弁証法とは根本的に異質な、「絶対弁証法」とでも呼ぶべき差異の思考なのである。「種の論理」は、私たちのまわりの世界の様子を、根本的に変化させていく力をもっている。

 すなわち、田邊元の「種の論理」は、徹底した中間性の思考の立場として、哲学と科学と芸術の理解に、決定的な方向を開く力を備えているのだ。もともとこの思想は、国家の問題、「個」と「公」の関係を解明するために追求されたものであるから、実践的な政治学の方法としても、発展させることができる。また、それは宗教の理解にも、威力を発揮する。

 

 共同体に対しては国家、民族に対しては人類、そして民族国家に対しては人類的国家に属する未知の形態。それは「種」を超越し、「個」の眼前に立ち上がる。しかし、田邊元によれば、その「類」なる普遍ですら、「種」を基体としてしか出現することはない。ましてや、「類」的普遍から直接に「個」が生まれでてくることなどはありえないし、「個」がたくさん集合すれば、その中から「類」が発生してくるなどということもありえないことだ。「個」と「類」から、具体的な人間の世界がつくりだされることは不可能なのである。具体的な世界は、「種」という中間者が基体となり、媒介となって、はじめて生まれ出る。「類」は、このような基体としての「種」に、「個」のおこなう行為的実践が働きかけるとき、はじめて私たちの世界に出現してくる概念なのである。

 

 「個」は「種」に内在するテリトリー化や空間化や所有存続の衝動を否定して、真の平等化を実現しようとする否定の契機をあらわしているものなのだ。しかし、「個」がそのような自分に備わった自由への契機を忘却して、「種」的な無意識に埋没してしまうとき、「個」もまた根源悪に染まっていくことになる。国家のような存在は、真実自由な「個」が「種」的な基体の上に立って、それを否定的に乗り越えていくことによってはじめて「類」として実現されることになるが、もしも国家を構成する「個」が「種」に埋没した存在に置かれるときには、その国家はみずからの底に恐るべき根源悪を潜伏させることになるだろう。

 あらゆる歴史が、このような国家の根源悪をあますところなく証明している。とりわけそれは、「種」的な原理を直接に国家の原理とすることによって、ほんらい「類」であるはずの国家を「種」化してしまう、20世紀の国家主義の場合に著しい。

 

 コーラをめぐる多様体哲学を創造していった田邊元は、コーラのような「種的基体」がそのまま自然に「絶対無」の概念に転換をとげていくことは、とうてい考えられなかった。そこには自分の基体であり自分を包摂している「種」を否定する「個」の自力的な行為実践がなければならない。それでなければ、私と汝の間に生まれるべき愛も生まれ得ないし、国家の存在の底に伏在するという根源悪を解体することも不可能になろう。観想でなく行為であることが哲学には必要だ。

 多様体が多様体のまま、自然のうちに「絶対無」には転換され得ない。無の作用に全面をつらぬかれた有の多様体である「種」の基体をなりたたせているものの根元に、「個」の実践を通じて深々と入り込んでいったとき、そこに限界なき無である「一者=全体」にみなぎる否定力と、それをそのまま有として媒介的に肯定する力とが、無即有として作用主のない作用を続けている様子を、田邊元は思考によってとらえた。

 

 私は、先に、「人とモノ、社会と自然、善と悪、白と黒等々、二元論的に把握するだけでなく、その中間的な、ここではハイブリッドと呼んでいるのだが、そういうものがある。あるというよりそういうハイブリッド的なものが現在大変多く、それをどう理解するかが今問われているのである。」と述べた。

 田邊元の多様体哲学によれば、白か黒かという二元論的な認識は明らかに間違っている。仮に、この世の中に最初は白と黒しかないとしても、その白と黒というものは、それぞれ色という「種性」を保存しながら白と黒という「個体性」が分裂し、その中間的なものとして、白適白、黒的白、白的黒、黒的黒などが発生する。それぞれがハイブリッド的に存在するのであって、その差異というものを認めなければならないのである。

 

 そうなのだ。ハイブリッド的な思想が大事なのだ。私は、よく「両頭截断」というが、二元論的な認識というか相対的な認識ではなくて、絶対的な認識が大事なのである。善といえば善、悪といえば悪。善でもないし悪でもない。そういう絶対的な認識が大事なのである。

 さあ、それでは、今までの勉強をもう一度振り返っておこう。 復習だ!

 いずれ西田哲学「場所の論理」と田辺哲学「種の論理」が深い関係を持って「平和の原理」を指し示す時がくると・・・今私は予感している。 そう遠くない時期に・・・・だ。

 だから、皆さん方にも田辺哲学「種の論理」についてもしっかり勉強しておいて欲しい。

 

1、ハイブリッド思想の確立を!

2、田邊哲学への期待

3、未開社会の思考を支配する「分有の法則」

4、「分有の法則」の哲学的考察

5、「分有の法則」について・・・私の解釈

6、「種の論理」というものについて

7、田邊元の多様体哲学

 

 なお、西田哲学「場所の論理」については

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Iwai-Kuniomi