


[比叡山の鬼大師]

[鞍馬の天狗]
台密では、如来、菩薩、明王のみならず、星神、諸尊、天部、護法のほか、いろんな妖怪などすべてが大日に帰依する変化身ととらえており、等しく帰依の対象となる。大日を中心にして諸仏や諸尊が同一円上にある・・・・、いうなれば「円の発想」・・・・ストーンサークル構造・・・それが台密である。極端に云えば、仏と妖怪との合体、それが台密ではないか。
東密では、大日、如来、菩薩、明王が信仰の対象である。しかし、それら大日、如来、菩薩、明王というのはひとつのヒエラルキーを形成しており、その下に魔の世界があって天部(護法)と妖怪が存在する。ピラミッド構造だ。鬼や天狗は妖怪の仲間だが、そういった妖怪は供養の対象になっても信仰の対象にはならない。
台密では、鬼大師も鞍馬天狗も人々に親しまれている信仰対象だ。
この世には、聖と邪、善と悪、平和と戦争、富と貧困がある。これらは相反するものではあるが、我々の心の中にもそれら相反するものが同時に存在する。ジキルとハイドは同時に存在するのだ。善でもあるし悪でもある。
河合隼雄さんの言っておられる「ネットワーク・アイデンティティー」が大事であって、「切れてはいけない」のだ。仏と妖怪をつなぐ糸や平和と戦争をつなぐ糸が切れれば、世の中はきっと危険きわまりない状態に陥るだろう。そういった相反するもの・・・これは間違いなく存在するのであるから、常に良好な関係においておかなければならない。関係付け・・・・、つまりネットワークである。悪なるものも・・・・、我々の中で、 我々の意識・無意識のなかでうまくネットワークされなければならないのだ。
台密こそ21世紀をリードする平和の宗教ではないか。