天皇制の劇的空間

 

 

蝉丸物語り

 

 

早良親王の怨霊が行く! 

 今を去ることおよそ1200年前の昔、桓武天皇は謀反の罪をかけられて憤死した弟・早良親王(さわらしんのう)の祟りを恐れその怨霊をお祭りしたということは事実である。しかし、それは、映画「陰陽師(おんみょうじ)」のように、将軍塚にその怨霊を封じ込めたというようなことではありません。将軍塚は、・・・京都における伝説によれば、・・・・何か天下に異変が起こる前に鳴動するという不思議なところです。映画のひとこまであるあの写真にあるように、・・・・京都を一望に見下ろす場所に将軍塚はあります。京都の東山というか、円山公園の奥、ちょうど都ホテルの上の方にあります。この写真にあるように景色のとても良いところですので一度は是非お出かけ下さい。5月のツツジの頃が季節としては一番良いようです。

早良親王の怨霊をしずめるためのお祭りは、鬼の友だちといわれる・・・・かの小野篁(おののたかむら)や天下の美人・・・あの小野小町などを輩出した・・・・小野一族の根拠地・・・・小野郷の崇導(すどう)神社です。小野郷は、京都の八瀬の近くです。崇導(すどう)神社は八瀬に行く国道沿いにあります。八瀬というところは不思議なところで、鬼の生まれかわりといわれる・・・かの八瀬童子のいるところです。あの辺(あたり)はともかく不思議なところです。みなさんも一度は是非お出かけ下さい。

 

 

孝明天皇ゆかりの「場所」 

 私は、この「劇場国家にっぽん」の旅を「陰陽師」でスタートした。そして、「陰陽師」の「巫蠱(ふこ)の術」を紹介し、次のように述べた。 

 『 道教は仏教の伝来とともに我が国に伝えられたとされているが、私は、道教は仏教の伝来よりももっと古い時代に我が国に入って来ているのではないかと考えている。徐福(じょふく)伝説が示すように、中国から直接黒潮に乗って我が国に来た人もいたし、朝鮮半島経由で渡来した人もいた。古来、私たちの想像異常に多くの人たちが中国から我が国に渡ってきたと思う。しかし、本格的な伝来はやはり仏教の伝来と一緒ではなかったかと思う。

 陰陽道の元祖は賀茂氏だが、その賀茂一族のルーツというか本願地は葛城である。葛城は、広くは蘇我一族や聖徳太子一族など百済系の本拠地で・・・・・、いうなれば仏教伝来のふるさとみたいなところである。葛城といえば「役の行者」だが、役の行者は賀茂一族だと考えられているし、役の行者は道教に通じていたとの説が有力である。

 私の考えでは、役の行者は、道教を下地にして、それを仏教化したのではないかと思う。道教の仏教化、すなわち修験道である。仏教化しないで・・・・神道と結びつきながら純粋に発達したのが陰陽道(おんみょうどう)で、これは、・・・・妖しき故をもって・・・・、すなわち極めて危険なる故に・・・・・、律令制度の中で、陰陽寮が設置され、もっぱら宮中専属とされたのではないか。こんなものが市中に出回ってはたまらない。

 そして、空海や円仁によって密教が我が国に伝えられてくると、次第に・・・・密教が陰陽道(おんみょうどう)と対抗できるようになっていき、宮中においても密教が陰陽道(おんみょうどう)と並立するようになっていったのではないかと思う。今私が申しているのは宮中のことである。それまでの仏教では、陰陽道を超えることは叶わなかったのではないか。私はそんなふうに見ているが、その真偽はともかく、平安時代は宮中において陰陽道(おんみょうどう)が隆盛を誇っていたことは間違いない。藤原道真などは常に多くの陰陽師(おんみょうじ)を従えていたといわれている。

その後武家社会になっては、当然陰陽道の宮中での重みは薄らいでいく。そして、宮中での立場が崩れるに連れて陰陽道の市中での普及が強くなっていく。これは当然の帰結であろう。我が国の文化における道教なり陰陽道なりの影響は大変大きい。道教や陰陽道を語らずして我が国の文化を語ることはできない。』  

 私は、「劇場国家にっぽん」の哲学を「種の論理」と「場所の論理」に求めている。先に「種の論理」については、このホームページでも少し勉強をした。「場所の論理」についてはこれからである。また、そういった哲学から政治として具体的な政策を考えていきたい。「憲法の改正」を意識して・・・・・だ。「場所の論理」を求めての旅、具体的な政策を求めての旅・・・・・、そして、上述のように、私としてはどうしても「修験道」を中心に宗教を考える旅をしたいと思っている。さらに、憲法改正となるとどうしても「明恵」を中心に「宗教」や「天皇制」のことを考えねばならない。そういった旅も必要である。前途遼遠だ! 

 とりあえずは、先に孝明天皇について触れたので、まずは孝明天皇ゆかりの「場所」に旅・・・・しよう! そうだ。そうだ。行こう!行こう! 

論説18、歴史的自己といての孝明天皇

 

 

廬山寺(ろさんじ) 

 私は先に、明治天皇のお生まれになった「場所」を訪れた。京都御所のほんの片隅にある小さな家である。今回はそこからすぐ近くの紫式部の家を訪れよう。家と言っても廬山寺(ろさんじ)というお寺だが、彼女はそこで源氏物語を書いた。京都御所は梨木神社の横である。 

「天皇制の両義性」を考える旅として、源氏物語ゆかりの「場所」は欠かせない。

 

 

 

 これは、天皇自らお刷りになって・・・・・・

人々に授けられた不思議なお札です。

 

現在は、角大師(つのだいし)といって、

廬山寺など元三大師ゆかりのお寺で授けられております。

元三大師は、

がんざん大師、又はがんさん大師と呼ばれています。

 

角大師というのは元三大師の化身なので、ものすごい御利益があるのです。

 

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いかみの怨霊 

 最近は誠におぞましい事件があとを立たないが、それらおぞましい事件の中でも親が子供を殺す、子供が親を殺すという事件ほどおぞましい事件はない。母親の気持ちとしては、自分は殺されてもいい、子供だけは何とか助けて欲しい・・・というのが当たり前・・・。それが、事もあろうに、自分も殺され、最愛の子供も殺される。しかも・・・・自分が信頼していた夫に・・・である。怨めしい。夫が怨めしい。これが怨みをはらさいでか・・・。  

いかみの怨霊はそういう・・・夫を怨む母親の怨霊である。何を隠そう、その母親こそ・・・、いかみ(井上)内親王、光仁天皇の皇后である。聖武天皇の娘である。場合によれば天皇になってもおかしくないお方である。地位の高いお方の怨霊は凄まじい。いかみの怨霊はどんなに恐ろしいことか・・・・・。こんな恐ろしい怨霊が今までの歴史にあったであろうか。

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Iwai-Kuniomi