鳥山石燕(とりやませきえん)

 

 

1、今昔画図続百鬼(こ んじゃくがずぞくひゃっき)

2、今昔百鬼 拾遺(こんじゃくひゃっきしゅうい)

3、画図百鬼夜行(がずひゃっき やこう)

 

 

作者 鳥山石燕について

 江戸時代の妖怪絵師 鳥山石燕(佐野豊房)は、正徳四年(一七十四)生まれの江戸の人で明八年(一七八八)八月十三日に、七十七歳で没し、江戸浅 草光明寺(東京都台東区元浅草四丁目)に葬られている。船月堂零陵堂・玉樹洞・月窓などの号を使い、俳人としても広く活動した。近世風俗研究会から出版さ れている『諸家人名江戸方角分』によると石燕は東京の根津に在住していたとある。

 『日本画家辞典』には代々幕府の御坊主を勤む。初め書法を狩野玉燕季信に学ぶ。されど其の書く所のものは、浮世絵に等しき書風なり。江戸根岸に住 す。喜多川歌麿等は、この門に出づ。『塵塚談』に宝暦の頃浅草観音堂に歌舞伎女形中村喜代三郎の狂言似顔を額に書きて奉納す。人之を奇とすとあり。

 と解説している。幕府の御用絵師である狩野はの流れを汲む人であったらしい。

 

 石燕は狩野元信を祖とする狩野派の絵師で、門弟に恋川春町・喜多川歌麿などを育て、喜多川派・石燕派と呼ばれる流派を形成する。 石燕の門下には 歌川派を形成した歌川豊春がいる。歌川派は、寛政末から文化文政幕末までの、浮世絵界の殆どの絵師が歌川派であると言われたほど繁栄した一派である。その 祖である豊春の門弟である歌川豊国の弟子歌川国芳は「浅茅が原一つ家之図」「風流人形の内 一つ家之図・祐天上人」など多くの妖怪画を描き、また国芳の門 人である月岡芳年・河鍋暁斎も「奥州安達が原ひとつ家之図」「一魁随筆・一つ家老婆」や「暁斎百鬼画談」「幽霊図」と多くの有名な妖怪・幽霊画を描いてい る。

 このように、妖怪画家が一つの系譜となって繋がっているというのは、とても面白いと思う。

 

 石燕は、浮世絵画法において「フキボカシ」なる技法を発明し、安永三年刊の絵本『鳥山彦』という本で最初に使い、以降百鬼夜行シリーズにもフキボ カシが使われている。

フキボカシとは版画の摺りで、色をぼかす方法である。まず換板のぼかそうとする部分に水をふくませたぼかし雑巾で軽く拭いてぬらす。そして濡らした 刷毛の一角にだけ色料をつけて、その水気の上をはく。それから紙を下ろして力を入れないで摺り、グラデーションをつける方法である。百鬼夜行シリーズの中 では、「反枕」「死霊」「蜃気楼」etcにフキボカシの技法が使われていると思われる。

 

 石燕の画業について『画図百鬼夜行 後編』の鳥山石燕豊房画目録を見ると、「粉画鳥山彦 全二巻 出来」「画図百鬼夜行 全三巻出来」「同 後編  全三巻出来」「絵本 水滸画潜覧 全三巻 出来」「同 後編 全三巻 近刻」「絵枚見可根近刻」「百鬼拾遺 全三巻 出来」「絵事比肩 全三巻 出来」 「同続編 全三巻  近刻」「同 花鳥の部 全三巻近刻」「同 山水の部 全三巻近刻」「絵本 ○○○○ 全三巻 近刻」「絵本六々鱗 近刻」が記載され ている。上記の目録に、本論文にも使用した『百鬼徒然袋』が記載されていないのは、『画図百鬼夜行』『今昔画図続百鬼』『今昔画図百鬼拾遺』の三作を「書 房 出雲寺和泉ジョウ 書林 遠州屋弥七」が出版し『百鬼徒然袋』のほうは「書林 勢州洞津 長野屋勘吉」から出版されたためである。四作の中で一作だけ 違う出版元から発行されているということから、石燕の百鬼夜行シリーズが最初から四部作でいこうと予定されてかれたわけではなく、 おそらく『画図百鬼夜行』 『今昔画図続百鬼』『今昔画図百鬼拾遺』の三作が人気を博したため、『百鬼徒然袋』も出してみ

ようということではなかろうか。

 

『百鬼徒然袋』の四部作全十二巻は最初の『画図百鬼夜行』の刊行年が安永五年(一七七六)に刊行、最後の『百鬼徒然袋』が天明四年( 一七八四)に刊行されているところを見ると、石燕は一七八八年に没しているのだからこの百鬼夜行シリーズが石燕晩年の作品であるといえるだろう。とはい え、鳥山石燕の残した作品について刊行年が一番古い作品は、『新増補浮世絵類孝』に鳥山彦 彩色摺二冊。或云此時ふきぼ かしの板行を始とせしと云。安永三年板也と記載されている『鳥山彦』である。石燕がその後『百鬼夜行』シリーズでも多用しているふきぼかしの技法を最初に 使用した作品とある。この『鳥山彦』にしても刊行年が安永三年(1774)であるので、正徳四年(1714)生まれの鳥山石燕六十歳の作品である。

 

鳥山石燕は名の知られている割に、彼の生涯の大部分が伝わっていない。『 新増補浮世絵類考』『古画備考』が記す石燕の記述もわずか数行に終わっている。『画図百鬼夜行』シリーズを完さるせるのにかかった年月は、八年。単純計算 で二週間に一体の妖怪を描いたわけだが、妖怪一体一体に付記されている説明書きの出典を見ると、古代中国の『山海経』『抱朴子』などの博物書。『史記』 『漢書』などの歴史書。『荘子』『孟子』などの思想書。わが国の『徒然草』『今昔物語』などの古典文学や古辞書。江戸期に書かれた百物語集など、多岐にわ たる資料を駆使して「百鬼夜行」シリーズを完成させている。石燕は恐らく、人生の前半では絵を学ぶのと同時に膨大な知識を蓄積していったのだろう。そうし て、彼は七十四年の生涯の晩年に、長い時間をかけてためた知識の全てを注ぎ込んだ『画図百鬼夜行』シリーズを刊行し、人生に幕を閉じたのだと思う。

 

Iwai-Kuniomi