国家の統治構造について

 

 

 国家というものは権力体によって統治される。権力体は、明治維新以降は立法と行政と司法の三権に分立され、それを、通常、国家権力と呼んでいる。それまでの武家社会では幕府である。統治されるのは、一言でいえば、国民であるが、個々の国民のほか、企業、社団法人、財団法人、非営利団体等を含む。統治するものとされるもの、これを二元論的に呼ぶとすればどう呼ぶのがいいか。いろいろと探してみたが、統治体と被統治体という以外に、今のところ言葉がないようである。したがって、今後、私は、権力体のことを統治体、統治される国民のことを被統治体と呼ぶことにする。統治という行為に焦点を絞っての呼び方である。ここでは、統治という行為に焦点を絞って、国家構造のあり方を考えてみたい。

 私は先に、次のように述べた。『 日本神話の構造は、基本的にはトライアッド構造でだが、それは「グウチョキパー構造」ではなくて、二つの相対するものとその中間的の存在の・・・トライアッドである。その中間的存在は、理想をいえば、無為であればあるほどいい。無為を理想とする思想、それは老荘の思想でもあるのだが、河合隼雄は、そういう思想は日本にも古来からあった世界観、宗教観であると言っている。河合隼雄はそういう無為の存在を中心としてトライアッドを「中空均衡構造」と呼んでいる。アメノミナカヌシという無為の中心が、すべての創造の源泉と考えられている。』・・・と。河合隼雄もいうように、自然とともに生きる民族の理想とする国家構造はトライアッドな中空構造である。そこで、私は、トライアッドな中空均衡構造(以下、中空構造と呼ぶ)というものを念頭において、これからあるべき理想の国家構造というものを検討することを提唱したい。つまり、私は、今、「劇場国家にっぽん」ということでこれからのあるべき日本の姿を提唱しているが、その「劇場国家にっぽん」の国家構造は、トライアッドな中空構造である。皆様方から大いに問題点の指摘を受け、考え直すことも多かろうと思うが、とりあえずの提案としては、トライアッドな中空構造というものを考えてみたい。

 

 河合隼雄は、その著「神話と日本人の心」(2003年7月18日、岩波書店)の最終章で、「日本神話の構造と課題」と題して今後の日本の進むべき方向を模索している。そして、結論的には、次のように言っている。

 『ここで、われわれが課題とするのは、言うなれば、中心統合構造と中空均衡構造の両立ではないだろうか。両立しがたいものを両立させるには、どのようなモデルが考えられるか、という疑問が生じてくる。これについて、筆者はずいぶん長らく考え続けてきたが、おそらく今世紀においては、ひとつのモデルやひとつのイデオロギーによって、人間について、世界について考えるということは終わったのではないかと思う。』・・・と。

 また、『中空均衡構造と中心統合構造の併存とは、両者を無理して「統合」することを試みず・・・云々』とも述べているが、河合隼雄は、中空均衡構造で象徴される日本の生き方と中心統合構造で象徴される欧米の生き方のどちらに偏することもできないと考えており、その考えを両者を「統合」するモデルやイデオロギーはもはや見つからないと考えているのである。

 河合隼雄は、京都大学の創立100周年の記念講演会で特別講演をして、これからの時代私たちは「矛盾システム」を生きていかなければならないと述べた。「矛盾システム」を生きる。良い言葉である。私もそうだと思う。現状は確かにそうだと思うが、将来はどうか。河合隼雄は、中沢新一の「モノとの同盟」という考え方や「光と陰の哲学」をどう見ているのか。その点を聞いてみたいところだが、私は、未来に対する希望はけっして捨ててはならないと思う。私は、「矛盾システム」を生きながら何とかそれを乗り切る知恵こそ大事で、それが民族としての英知であると思っている。民族としての英知、それは「歴史感覚」からしか学び得ない。民族としての英知は必ず存在している。見えないだけだ。しかし、「歴史感覚」をもってよくよく見れば・・・、見えないものが自ずと見えてくるのではないか。今必要なのは、「矛盾を乗り切る平衡感覚」である。それは「歴史感覚」そのものである。私も、私なりの「歴史感覚」から、今の「矛盾システム」は何とか乗り切れるのではないかと直感している。私はよく「両頭截断」ということを言うが、それは「矛盾システム」を何とか乗り切ろうということである。「矛盾システム」を乗り切るところに新しい発展がある。中沢新一は、人類最古の哲学としての「神話」にスポットを当て、「モノとの同盟」ということをいっている。私は、中沢新一など素晴らしい学者の手によって、必ず未来の地平は拓けてくるものと考えている。

 

 河合隼雄は、さらにこう述べている。『現代日本人の課題は、神話的言語によって表現するならば、遠い過去に棄て去られたヒルコを日本の神々のなかに再帰させること、と言えるだろう。しかし、それはほとんど不可能に近いことだ。少々の対立があっても全体に収める中空均衡構造に収まらなかったからこそ、ヒルコは棄てられたのだ。ヒルコを不用意に再帰させると、中空均衡構造は壊滅してしまう。』・・・と。ヒルコは不用意に再帰させるわけにはいかないが、何とか中空構造をある程度温存しながらヒルコの再帰を企てれないかと、河合隼雄は考えている。しかし、私にいわせれば、ヒルコは、好むと好まざるにかかわらずもうとっくの昔に再帰している。今や日本でも思いのまま自由奔放にのさばっているのではないか。ヒルコの詳細については、河合隼雄の著書「神話と日本人の心」を見てもらいたいが、要するに、ヒルコとは、中空構造そのものに反する神のことで、アマテラスの対極にある男性の太陽神のことである。河合隼雄のイメージとしては、多分、市場原理主義或いは科学万能主義の神ということだろう。

 まあ、ヒルコがどのような神であってもかまわない。それによって日本の中空構造が壊滅することはない。断じてない。したがって、ヒルコの再帰など企てる必要はさらさらない。というより、もうすでにとっくの昔に市場原理主義や科学万能主義は世界を席巻しており、日本もその猛威にさらされている。それでも日本の中空構造はびくともしていない。今後とも壊滅する心配は少しもないと思う。

 

 現在の日本の統治構造は、象徴天皇を中心に左右に統治体と被統治体が控えている構造だ。すなわち、「中空構造」である。無為の存在を中心としてトライアッド構造である。統治体は、国会と政府と裁判所といういわゆる権力機構である。被統治体は、個々の国民のほか、企業、社団法人、財団法人、非営利団体等である。統治体と被統治体とは、統治という行為に関して対極的関係にあり、ある種の緊張関係を保ちながらつながっている。私は、憲法を改正して、天皇及び皇族の国事行為の幅を若干広げるべきだと考えている。統治とは無縁の・・・例えば非営利団体に対する精神的な支援活動などである。政府は、中沢新一のいう贈与経済を非営利団体が受け持てるよう政府はそれを経済的に支援し、天皇及び皇族はそれを精神的に支援する。贈与経済が充分に普及すれば、均衡が復活し、市場原理主義や科学万能主義の猛威はそれほど気にならなくなるに違いない。河合隼雄のいうところの「ゆりもどし」が起こるのである。現代日本の課題は、非営利団体の経済的支援と精神的支援をどこまで国の総力を挙げてやれるかということだ。憲法さえ改正すれば、それは現在の中空構造のままでやれる。

さて、私が「日本神話の構造・・・中空均衡構造」というページで紹介した、河合隼雄の著書「神話と日本人の心」に出てくる「アメリカ先住民のジョシュア神話」を思い出して欲しい。次のとおりであった。

 『二人の創造主がいて、一人がコラワシと呼ばれ、もう一人は名前が定かでない。コラワシは動物や人間をつくりはじめるが二回失敗する。彼の相棒は何もせずに煙草を吸っているが、その間に一軒の家が出現し、そこから美女が出てくる。相棒はこの女性と結婚し、16人の子どもをもうけ、彼らからアメリカ先住民のすべての種族ができたとのこと。』

 すなわち、無為の人は常に無為であるわけではない。色即是空。空即是色。一は多である。無は有である。すなわち、無という意味は、ゼロという意味ではない。有なのである。だから、無為の人も、普段は何も役に立つことはしないのだけれど、時に応じ、大いに役に立つことをする。そういうことだが、今私が提案していることは、無為を止めてもらおうということではない。無為であるということはそのままでなければならない。天皇は無為の人であり続けなければならないのである。しかし、無為の人も、「アメリカ先住民のジョシュア神話」でいえば、煙草を吸うだけで普段は何もしないのであって、これを実際の天皇に当てはめていえば、無為の人天皇は、普段は何も権力的な行為はしないということである。時に応じて「ゆり戻し」のために権力を行使する場合もないではない。しかし、私が今提案していることは、そういうことではなくて、普段は何も権力的な行為はしないのだけれど、煙草ぐらいは吸っていい、つまり精神的に非営利団体を支援するような、日本の伝統文化を守るための価値ある行為だけれど権力とはおおよそ関係のないような行為、そういうものはやっても良いのではないかということである。もういちど言う。憲法を改正して、天皇及び皇族の国事行為の幅を若干広げ、天皇及び皇族は、普段において、統治とは無縁の・・・例えば非営利団体に対する精神的な支援活動はやるべきである。天皇や皇族も普段日本の伝統文化を守るための「煙草」ぐらいは吸っても良い。いや、吸うべきだ。

 

 天皇及び皇族が、普段において、統治とは無縁の・・・例えば非営利団体に対する精神的な支援活動をやったからといって「中空機能」が損なわれるわけではない。河合隼雄のいう「ゆり戻し」機能が損なわれるわけではない。そのことははっきり申しておかなければならない。私が「日本神話の構造・・・中空均衡構造」というページで紹介した、河合隼雄の著書「神話と日本人の心」に出てくるフォン・フランツのコメントを思い出して欲しい。フォン・フランツは、「名称不明の相棒が、積極的な創造ではなく、煙草をすうことによって、人間が存在しうる状態を間接的に生みだします」とコメントしている。つまり、「アメリカ先住民のジョシュア神話」のなかでコラワシの相棒が吸う煙草は、人間が存在しうる状態を間接的に生みだすための煙草なのである。市場原理主義や科学万能主義の猛威が荒れ狂うなかで、私たちは日本の伝統文化を守らなければならない。しかし、それは妥協だ。中沢新一流にいえば、「モノとの同盟」を組むことだ。河合隼雄がいうように、『中空均衡構造で象徴される日本の生き方と中心統合構造で象徴される欧米の生き方のどちらに偏することもできない』のかもしれない。これは国民の生き方の問題である。天皇や皇族が日本の伝統文化を守るための「煙草」を吸うことによって私たちの生き方にバランスが保たれる。生き方の妥協が図られるのである。しかし、問題は統治構造である。統治構造そのものに妥協は無用である。今、市場原理主義や科学万能主義によって統治構造そのものが脅かされているわけではない。統治構造が「中空構造」をこのまま維持し続けることは充分可能である。

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Iwai-Kuniomi