憑物

つきもの

 

憑物とは,文字どおりに解すれば,人間その他の事物に憑依(ひようい)する〈もの〉,つまり霊のことである。

 

このような意味にそって憑物をめぐる信仰を理解するならば,一方に事物に憑く可能性をもったさまざまな霊たちの群,他方にはそうした霊に憑かれる人間を含むさまざまな事物の群,そして特定の霊が特定の事物に憑いた状態,つまり憑霊現象の群が想定される。したがって,これら三つの群の複雑な関係とそれを支える諸観念の統合化された総体を,憑物信仰ないしは憑霊信仰と呼ぶのが妥当であるが,憑物研究を進めてきた民俗学や文化人類学の研究はまだその段階にまで達していない。

 

 憑物の信仰にもっとも早く着目した民俗学は,〈憑物〉という語を,上に述べた広い意味での憑物としてではなく,その一部をなす特殊な信仰に限定し,そうした信仰の伝承状況,分布,成立過程などを解明しようとしてきた。民俗学でいう〈憑物〉とは,特定の家において神として祭祀されている,あるいは飼い養われている動物霊のことであって,この動物霊は家の主人の命令もしくはその意をくんで他人に憑依し,病気や死をもたらすと信じられている。このような霊をまつることによってその家は富貴自在となるが,それは他人を犠牲にしてのものであり,しかもひとたびこの神を勧請すれば末代までその子孫たちがまつり続けなければならない。さもなければその霊は周囲の人々に祟り(たたり)をなすばかりでなく,その家の一族の者たちにも祟りをなすと信じられていた。周囲の人々はこのような動物霊をまつっていると考えられる家と婚姻関係をもつのを嫌ったため,民俗社会内に被差別的色彩の強い家筋が形成された。これを民俗学では〈憑物筋〉と呼ぶ。このような家筋を形成する〈憑物〉には〈オサキ狐〉(関東),〈イヅナ(飯綱使い)〉(東北,中部),〈クダ狐〉(中部,東海),〈人狐(にんこ‖ひとぎつね)〉(山陰),〈トウビョウ〉(=蛇。中国,北四国),〈犬神(いぬがみ)〉(中国,四国,九州),〈ヤコ〉(=野狐。南九州)などがあり,トウビョウを除くほとんどが,〈憑物〉の形状をイタチ大かそれ以下のキツネもしくは犬のような動物として語っている。

 

 こうした〈憑物〉に憑かれたときには,ほとんどの場合,修験,山伏や神職,巫女(みこ)などに祈してもらってはらい落とした。〈憑物筋〉の成立に関しては,同様の動物霊を〈憑物〉を落とす祈師たちが自分の守護・使役霊として用いている例が多いので,それとの関連を説く説,たとえばそうした宗教者の村落への定着説,あるいは近世中期以降に貨幣・商品経済の成長と,その農村への浸透によって農村内部の社会階層の変動が生じたとき,新たに台頭した勢力を旧勢力が〈憑物筋〉として排除し,その台頭を阻止しようとしたとする説,などがある。しかし家筋と宗教者の定着とが必ずしも一致しない犬神筋では,近世初頭にすでに家筋の形成が確認される,などといったこれまでとは異なる見解や史料が最近では提出されているので,この点に関してはなお研究を深める必要がある。こうした民俗学的研究に対して,後発の文化人類学的研究は,民俗学の成果をふまえつつ,〈憑物〉の社会的機能の解明や諸外国の類似の信仰との比較,さらには広義の憑物信仰の一部分として従来の〈憑物〉をとらえ直す作業などを通じて,これまで考慮されなかった憑依する霊への注目やシャマニズムとの関係,〈悪〉としてだけでなく,〈善〉としての性格をもつ憑霊現象,異常なできごとの説明体系としての憑霊といった,従来の〈憑物〉研究にはみられない側面についての見解を提出することで独自性を発揮している。また,人類学では従来の〈憑物〉およびその研究と一線を画するために,憑霊,憑霊現象,憑霊信仰という語を多用し,それをもって広義の憑物研究であることを表明しようと試みており,しだいにこれが定着してきているようである。

 人類学では,統御された憑霊現象と統御されない憑霊現象という区別を立てる。前者の典型をシャマニズムの憑霊現象,後者を山や原野にすむ動物霊憑きや生霊憑きに求めているが,そうした類型化でいえば,従来の〈憑物〉は両者の中間をなすものといえる。さらにこうした人類学的な憑物研究の展開によって,東北地方の妖怪座敷童子(ざしきわらし)や各地にみられる山姥(やまうば)憑きや河童憑きなど多くの憑霊を憑物信仰=憑霊信仰の射程内に入れることができるだけでなく,古代の〈物の怪(もののけ)〉信仰や現代の〈つき〉という語の意味についても憑物信仰として検討する可能性が開けたといえる。         小松 和彦

[憑物と憑霊]  日本語の〈憑物〉と外国語の〈憑霊 spirit possession〉との間には厳密には少なからず差異がある。R. ファースは〈憑霊はトランスの一形態であり,ある人物の行動が,彼の身体に入るか,さもなくば影響している超人間的実在によって指示されていると信じられていること〉と定義した。すなわち憑霊は,神霊,精霊,死霊,祖霊,妖怪などの超人間的実在=霊的存在がある人物に憑依して,彼にある行動をとらせたり,幸福にしたり不幸にしたりするとみられる現象である。

 ファースは憑霊をトランス(通常意識の変異状態)の一形態とみなすが,憑物=憑霊は必ずトランスを伴うとは限らない。また外国人研究者は憑霊を人間に限定する傾向があるが,憑物=憑霊は人間に限定されず,動植物や自然物,人工物にも生起する。

 日本では,霊的存在は鏡,神(仏)像,御幣,(さかき),石,動物などにも憑依する例が多い。さらに外国語の憑霊は憑依する当体を超人間的存在=霊的存在に限定しがちであるが,憑物=憑霊は,呪力,威力,神秘力など人格性の定かでない力の憑依をも含んでいる。このように憑霊の概念は,民族や社会によって内容を異にする点に注意すべきである。

 憑霊にはシャーマンのように,みずからの意志で霊的存在をその身に憑依させる意図(自発)的憑霊と,憑依患者のように,みずからの意志とはかかわりなく,霊的存在がその身体に憑依して病気をもたらすような非意図(非自発)的憑霊とがある。

 またファースが憑霊を〈入る〉と〈影響する〉とに区分したように,霊的存在が被憑霊者にかかわるしかたには種々の異なる位相がある。すなわち憑霊には,(1)霊的存在が当体内に入りこみ,当体を霊格化させてしまう場合,(2)霊的存在が当体に付着し,病や苦痛をもたらすもの,(3)霊的存在が当体に外側から放射線のように影響するものなどある。これら憑霊の諸位相が重要なのは,その差異によって関連する儀礼の内容や職能者の役割が異なってくるからである。

 またシャーマンも霊的存在とのかかわり方の特徴によって霊媒型(人格が霊格化して役割を果たすもの),予言者型(霊的影響を受けつつ役割を果たすもの)などに区別される。憑物=憑霊は,各学問領域からの研究が進展するにつれて,従来考えられていたよりもはるかに広範囲に及んでいること,またそれは未開社会のみならず現代社会にも広くみられる現象であることが明らかになってきた。⇒シャマニズム          佐々木 宏幹

 

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