新しい文明の鍵・「後戸」(うしろど)

 

 わが国経済はどうやら永引くデフレ不況を脱したのではないかという意見が大勢を占めるようになった。しかし、私のように、地方を回っていると建設 業界に関する限り、そのような実感はまったくない。

 わが国経済は、製造業と非製造業、中央と地方、大企業と中小企業、勝ち組と負け組み等、あらゆる面で二極分化が進んでいるが、地方の中小建設業に 景気回復の実感が出て来ない限り、私は、わが国経済が景気回復の本格軌道に乗ったとは、やはり言えないのではないかと思う。まだまだ安心するのは早い。

 

 しかしながら、わが国経済・社会の潜在的な力は衰えておらず、どうも今年は、新たな飛躍の年になりそうである。あの「ソフトパワー」の提唱者で有 名なジョセフ・ナイが、日本は再びアジアの手本になる旨、昨日(平成16年1月6日)の日本経済新聞に書いているが、彼の言いたいことの重点は経済にある ように思う。しかし、経済もさることながら、特に私は、わが国の文化面に注目しており、その文化面から、どうも今年は、新たな飛躍の年になりそうでだと私 は思うのである。

 今年は、歴史的に見て世界の中で、日本を中心に新しい文明の芽が出て来るのではないか。そのような予感を感じている。新しい文明とは、ダーウィン の進化論でいう弱肉強食社会ではなく、今西錦司の「すみ分け論」でいうところの共生社会を目指す文明である。今をときめく哲学者中沢新一の「モノとの同 盟」である。「違いを認める文明」の芽が、今年、この日本からそろそろと出て来るのではないか、そんな予感するのである。今、中沢新一は、次々と「太古の リズム」を打ち続けているが、そのリズムが人々の心を震わし、新しい文明を生み出す萌芽が出てくる予感がするのである。

 新しい文明の鍵、それは・・・中沢新一の言うところの・・・・世界の「宿神の王」・「後戸」 (うしろど)である。中沢新一は、その最新の著書「精霊の王」(2003年11月20日、講談社)でそう言っているのり、ここではとりあえず帯だ けを見ておこう。

 

 〈魂の原日本〉を求めて縄文へと遡る思考の旅

 日本という国家が誕生したとき、闇へと埋葬された「石の神」とは?  芸能、技術、哲学の創造を司る霊妙な空間の水脈をたどる。

柳田國男『石神問答』の新たな発展がここにある!

世界の王たる宿神の正体とは?

日本人の精神史をくつがえす!

 私はこの本で、思考する行為に「後戸」の空間にみなぎる霊力を注ぎ込むことによって、私たちの生き る世界からすっかり見えなくなってしまった「創造の空間」への通路を、あらためて開削しようとする試みにとりくんだ。この世界のいたるところに「後戸」を つくりだすこと。私たちの心の内部に凍結され眠らされている潜在能力の耳元で、目覚まし時計のように激しい励起の鈴を鳴り響かせ、そこにもういちど生き生 きとした「創造の空間」を立ち上がらせてみたいというのが、この本を書いた私の願いなのだ。

 この本を読み終えた方は、これまで語られてきた「日本人の精神史」というものが、根底からくつがえされていく光景をまのあたりにすることだろう。 石の神、シャグジの発する不思議な波動にはじめて接して以来何十年もの歳月をへて、ようやく私の学問はその波動の発する宇宙的メッセージに接近し、それを 解読していく方法に近づくことができたような気がする。(プロローグより)

 

 「精霊の王」(2003年11月20日、講談社)の帯は以上のとおりであるが、要は、わが国の「歴史と伝統・文化」の神髄は「後戸」にあるよう だ。私は、今、あこがれの会津を旅してまだその途中である。徳一ゆかりの恵日寺を見ているさいちゅうである。まだまだ先は永いのだが、ちょうど「丸石道祖 神」のところまで来て、ようやく「ミシャグチ」に触れることができるようになった。いよいよわが国の「歴史と伝統・文化」の神髄・「後戸」に触れることが できるようになったということだ。

 

 いやいや、まだ急いではいけないのかもしれない。わが国の「歴史と伝統・文化」の神髄は「後戸」に触れる前に、やはり、(中沢新一、「カイエソ バージュ・、神の発明」、2003年6月、講談社)を勉強しておかないといけないのではないか。会津の旅をつづけながら、神とは何か、スプリットは何か、 そういった基礎的勉強を急ぐことにしよう。

 

それでは神やスプリットに関する

・・・基礎的勉強の始まりですが、

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