平和の民

 

 

私は先に、「アメリカはやはり強者の論理のまかり通る国であると思う。アメリカンドリームという言葉が幅を利かす弱肉強食の国である。戦いを愛する 王者の国である。光の哲学に裏打ちされた一神教の国であると思う。」と述べた。いわゆる白人を戦いを愛する王者と考えているわけだ。そして、「アメリカイ ンディアンは平和の民である。西部劇で戦うインディアンが強調されているが、戦いを挑んでいるのは白人のほうだ。」とも述べたが、アメリカインディアン は、「環太平洋の環」つまり「東北」の民なるが故に、また文化人類学的にみて明らかなように、戦いの王者ではない。平和の民なのだ。戦いの王者は白人のほ うである。その白人が現アメリカの主流をなしているのでアメリカは戦いの王者となっているというわけだ。

 

それではいつものように、中沢新一の書物から関係部分を抜粋しておきたい。

 

『 アメリカの文化人類学者ローウィが、1948年に書いた論文で、南北アメリカのインディアン社会の観察をもとにして、首長(titular)が 備えている特長を三つにまとめています。

@ 首長は「平和をもたらすもの」である。首長は、集団の緊張を和らげる者であり、そのことは平和時の権力と戦時の権力が、たいがいの場合は分離されているこ とに示されている。

A 首長は、自分の財物について物惜しみをしてはならない。「被統治者」によるたえまない要求を斥(しりぞ)けることは首長にはできない。ケチであることは、 自分を否定するに等しい。

B 弁舌さわやかなものだけが、首長の地位を得ることができる。 』

 

 

『 首長という存在は、弁舌によって平和をもたらし、歌や踊りでみんなを楽しませながら、社会調和をつくりだそうとする存在でした。そのために シャーマンや戦士のリーダーとは対照的な役目を果たしていました。そういう社会では、首長が戦争のリーダーの職にとどまったり、軍事力や神秘的な権力を身 につけたまま首長になったりすることを、けっして認めませんでした。つまり、対称性社会において、首長は「王」にはなれなかったのです。 』

 

 

『 このことをよくあらわしているのが、アメリカ・インディアンの首長ジェロニモをめぐる悲劇的な物語です。ジェロニモは19世紀後半の、インディ アンたちにとってきわめて困難な時代を生き抜いた首長の一人でした。

 ジェロニモはアパッチ族の若い戦士でした。すぐれた資質は別としても、他の若者と同じような生き方をした戦士の一人にすぎませんでした。しかし、 メキシコ軍が部族のキャンプ地を襲撃して、女性と子供を虐殺する事件が発生して、彼の人生は一変することになります。この虐殺でジェロニモの家族も皆殺し にされてしまいました。この暴挙に怒ったアパッチ諸部族は、連盟をつくって虐殺への復讐を決め、ジェロニモに戦いの指揮権を託したのです。

 ジェロニモはこのとき、天才的な軍事指導者として能力をはじめて見せたのです。メキシコ軍守備隊はアパッチの攻撃でたちまち殲滅(せんめつ)さ れ、戦いはアパッチの大勝利に終わりました。この勝利に導いたジェロニモの権威は、まさに朝日の昇るような勢いでした。そのとき彼の内部になにかの微妙な 変化がおきはじめたのです。アパッチの人々としては、復讐戦はこうして大勝利に終わったのだし、もうそれで目的は果たしたものと考えられていたのに、ジェ ロニモの中に燃えていた個人的な復讐心はそれだけではおさまらなかったのです。

 

 彼はメキシコ軍とメキシコ人に対するさらなる復讐を主張し、そのための全アパッチ族の戦士たちに対する指揮権を自分に与えてほしい、と要求したの です。つまり、ジェロニモはアパッチ族の全体をメキシコに対するたえざる戦争状態にある「戦争機械」に変貌させて、その指揮権を求めたのです。メキシコや アメリカの大統領には、そういう権限が与えられていました。ジェロニモはインディアン社会にも、それと同じような権限をもった新しいタイプの首長がつくら れなければ、インディアン全体が直面している危機に、積極的に対処できないと考えたようです。ジェロニモはこのとき、首長であることを飛び越えて、「王」 になろうとしたわけです。 』

 

『 アパッチ諸部族は、ジェロニモのこのような考えを知って、即座にこれを拒否します。彼らの社会には「王」や大統領のような存在は、出現してはな らないからです。復讐戦のために各地から集まってきたアパッチの人々は、つぎつぎと軍営を去っていきました。それでもあきらめないジェロニモは、少数の仲 間を誘ってメキシコ軍への攻撃を続けようとしますが、それは「私」の怨みにもとづく戦いとして、アパッチ族の「公」の意志によっては認められないものと なってしまったのです。 』

 

 

 以上であるが、もう一度肝心なところをいう。アメリカインディアンは、「環太平洋の環」つまり「東北」の民なるが故に、また文化人類学的にみて明 らかなように、戦いの王者ではない。平和の民なのだ。私たちの日本人と同じように・・・・・。


次はアメリカの新たな挑戦

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