薬師信仰について

 

 

 薬師信仰は、稲荷信仰や地蔵信仰についで庶民に親しまれた信仰である。薬師如来は、本来、時の権力者によって、国分寺などの権威ある寺院に多く建立されたようであるが、わが国の古代信仰と結びついて、庶民に親しまれた薬師信仰というものが誕生していくようである。庶民の信仰ということになると、「お札」の存在が欠かせませんが、「お札」との関連では、信濃の国分寺に「蘇民将来子孫家也」のお守りが注目されます。「お札」といっても こちらは、紙札ではなく木製の護符で、男根に似た形をしています。五穀豊穣を祈る「田の神様」も同様ですが、子孫繁栄を願う護符として、民間伝承などと融合してそのような形になったと思われます。 

 

信濃の国分寺の「お札」いついてはここをクリックして下さい。

 

 奈良県の薬師会のホームページによれば次の通りである。薬師信仰について簡明に説明しているので紹介しておく。詳しくは、ここをクリックして下さい。

 『 正しくは薬師瑠璃光如来という。瑠璃光を以って衆生の病苦を救い給う如来で、その浄土は東方瑠璃光世 界であると説く。大乗仏教になって諸種の如来が登場されたけれども、そのうち最も大衆の信仰を集めたのは薬師如来である。わが国でも飛鳥時代においてすでに聖徳太子は、父用明天皇の御病気平癒を願って薬師像を造顕されており、白鳳・奈良時代を通じても薬師寺の創建、香薬師・峰薬師の造立など、その信仰はいっそう盛んであった。平安時代に入って伝教大師は天台宗、弘法大師は真言宗を伝え、天台宗の本尊は釈迦如来、真言宗の本尊は大日如来であるべきなのに、比叡山の根本中堂ならびに高野山金剛峯寺金堂には、いずれも薬師を本尊とするまでにその信仰は盛んであった。藤原・鎌倉時代になって、浄土教が勃興して天台・真言の牙城をゆすぶったけれども、阿弥陀信仰に対抗してその牙城を護りつづけたものはじつに薬師信仰であったのである。したがってその造像は古往今来、はなはだ盛んで国宝・重文に指定されたものだけでも230余体の多きを数える。 』

 

 なお、日光といえば日光東照宮である。日光東照宮といえば、言うまでもなく徳川家康、東照大権現である。ところで・・・・東照大権現とは、「東に照る(東方薬師瑠璃光)如来が権りに現れた神」という意味 であり、ここでも薬師信仰が現れている。げに、薬師信仰というものはすごいもんだ。近年薬害が大きな社会問題になってきているが、我が国民は薬師信仰というものをもう一度きっちり見直さなければなるまい。

 

 薬師寺といえば、私がかって平安時代への権力闘争で書いたように、下野の薬師寺が歴史的には注目される。関東の中心的な寺院と考えていいのだろう。私は、関東を語るとき、東北を語るとき、下野の薬師寺の存在を忘れるわけにはいかないと思っている。しかし、下野の薬師寺は今はない。今存在している薬師寺でもっとも代表的なものは、言うまでもなく、奈良の薬師寺であろう。日本三大薬師といえば、いろいろな言い方があるようであるが、私は、この奈良の薬師寺と日向薬師、それに会津の勝常寺の薬師如来を言いたい。

 

 先に述べたように、日向薬師は、たしかに地元では日本三大薬師に数えられている。しかし、実をいえば、薬師如来は国分寺の多くで祀られているなど古刹に薬師如来は極めて数が多く、したがって日本三大薬師にはいろいろな言い方がある。まあ、定説がないと言ってよいだろう。

 日本三大稲荷といえば、伏見稲荷と豊川稲荷と笠間稲荷である。佐賀の裕徳稲荷などを数えることもあるが、まあ・・あまりバリエーションはない。古刹としては伏見稲荷と豊川稲荷と笠間稲荷ということでほとんど異論はないようである。虚空蔵菩薩もそれほどバリエーションがあるわけではない。しかし、薬師如来についてはいろんなバリエーションがあって、どれが三大薬師の本命かがよく判らない。

 そこで私は、奈良の薬師寺とこの日向薬師と、もう一つは会津の勝常寺を挙げておきたい。その理由は・・・歴史的な勉強をする上で欠かすことができない・・・・という理由による。仏教を語るとき三蔵法師・玄奘(げんじょう)との関係から奈良の薬師寺を抜きにできないし、源頼朝を語るとき政子との関係から日向薬師を抜きにできないし、徳一を語るとき、それは最澄との宗教論争を語ることであり、それはとりもなおさず違いを認める文化を語ることになるのだが、徳一を語るとき勝常寺を抜きにできない。

 

 

 

さあ、それではいよいよ会津に参ろうか。

会津には日本三大薬師があるし

かの日本三大虚空蔵がある。

急いで会津に参るとしよう!

参ろう!参ろう!(工事中)