響き合い

 

 昨年の9月11日の同時多発テロはアメリカのみならず私たち自由主義社会をまさに驚愕のどん底に陥れた。死者の数はいまだに確定されていないが、6000人は下らないと見られている。真珠湾の犠牲者の約2.5倍だ。しかし、私は、そういった被害の大きさもさることながら・・・・、宗教の恐ろしさというものを今さらながら思い知ると同時に・・・・21世紀における世界平和を願うときに暗澹たる想いにかられる。

 いうまでもなくあのテロはイスラム原理主義のジハード(聖戦)であり、仮にビンラディンがいなくなっても、イスラム原理主義が勢いをを得ているかぎりジハードはなくならないといわれている。アメリカ及び同盟国を敵としたテロはなくならないということだ。日本は間違いなくアメリカの同盟国であるからジハードの対象となりうる。恐ろしいことだ。しかし、恐れてばかりはいられない。わが国においてもジハードは起こりうるという前提で対処しなければならないのではないかと思う。危機管理というか安全管理に万全を期すと同時に、経済援助を中心にアラブ諸国とも平和外交を進めなければならない。経済大国の責務でありこのことはいうまでもないことだが、私は、文化面・・・とりわけ思想とか宗教の面で・・・・もっとわが国というものを世界に知ってもらう・・・・・、そのための努力をしなければならないのではないかと考えている。

 

 日本は山国である。国土面積の約70%が山であるという国は世界にないが、そのこともさることながら、日本では登山の歴史が非常に古く世界に類をみないのである。西洋では、山は悪魔の住むところとして長い間近寄る人は少なかったようであるが、わが国の場合、縄文時代にすでに頂上で祭祀が行われていたようであり、石器時代の狩猟生活を考え合わせてみて、人々と山との係わり合いは相当に古い。

 しかし、今私がここで強調したいのは登山の歴史であって、わが国の場合、登山の歴史が世界に類を見ないほど古く、今から1200年前に、宗教的な登山ではあったが、すでに登山の黄金時代があった。修験者により、富士山、立山、白山等々多くの山が開かれている。記録としては633年の富士山登頂記録が最も古く、1522年にポポカテペトルが登られるまでその記録は破られなかったといわれている(深田久弥の山ものがたり、山岳名著シリーズ、山嶺の嵐、二見書房)

 

 私は、そういう日本の歴史を多くの人に知ってほしいと思っている。世界の人にも知ってほしいと思っている。日本文化の中に如何に山の文化があるか、森の文化があるか、心の源流があるか・・・、そのことを多くの人に知ってほしいと思っている。間違いなく日本人のアイデンティティーは山への畏敬の念、森への畏敬の念からでき上がっている。それは漂泊する自我であり、無の実感である。そのことを多くの人に知ってほしいと思っている。わが国の文化は、そういう漂泊する自我からでき上がっており、違いを認める文化と言ってよいのだが、それはとりもなおさず多神教の文化である。私は多神教が良いといっているのではない。一神教が悪いといっているのではない。そうではなくて、世界は、いろんな文化が共生する世界でなければいけないということだ。違いを認め合う世界でなければならないということだ。もはや世界は一神教の文化ではやっていけないと思うのである。

 

 

 

 奥秩父は、荒川、多摩川、笛吹川、千曲川の源流である。その広大な山地には、2,000m以上の山が20ほどあって、北アルプス、南アルプスに次ぐ高山地帯を形成している。その奥深い森林と深く刻まれた渓谷の大自然たる姿はすばらしい。私のこれからの人生で、奥秩父の山や谷をできるだけ歩きたい、そんな想いからいずれは秩父に住みたいと考えている。秩父は、その歴史も古く、伝統・文化が豊か、人情も豊かであるので、奥秩父の大自然もさることながら、里の生活を求めてのことでもある。 とりあえずは、奥秩父の山や谷を歩くため、そのベースキャンプとしてやっと山小屋ができた。三峰口駅から歩い二十分、マイカーだと車から降りて十分、少し急な坂を登り尾根筋にある。秩父というところは、日本列島で一番古い地層、秩父古生層で有名な所だが、その秩父古生層と第三紀層との間の断層が荒川本川のその辺に出ていて、その断層は、地質学者なら一度は見るべきところだそうだ。昔、あのナウマン象で有名なナウマン博士が、東大地質学科の初代教授のおり、そこを訪れ、その辺の景色に感嘆したとかしないとか、そんな場所が私の山小屋の登り口にある。 もっとも今では、遠景の武甲山が石灰岩採掘のためその美しい姿をすっかり変えてしまっているし、荒川の流れも発電のためすっかり少なくなっているため、往時のすばらしい姿はないのだが・・・。それでも私の山小屋付近からは、ナウマン博士が絶賛したその風景を彷彿とさせるすばらしい景色が楽しめる。また、私の山小屋の登り口は、御嶽山の登山口のすぐ近くだ。木曽の御嶽山を開いた普寛行者の在所が近くにあり、秩父にも御嶽山がある。その景色はすばらしく、両神山、雲取山、甲武信岳など奥秩父の山々が一望に眺められる。私の山小屋は、その御嶽登山に格好の場所にある。

 

 人びととの響き合い、自然との響き合い、宇宙との響き合いの中に、私は、日本人としての心が育まれていくのではないかと思っている。ここで大事なことは歴史である。響き合いというものは時空を越えて行われるから歴史を忘れてはならない。歴史との響き合い・・・・、それは、人びとの響き合いであり、自然との響き合いであり、宇宙との響き合いでもある。そういう響き合いの中で日本人としての心が育まれていくのであろう。そしてまた、私は、・・・・異質な文化との響き合い、異質な人びととの響き合いの中に国際人としての心、平和の心というものが育まれていくのでないかと思っている。このような想いから、・・・・・私は、町づくりにおいて「響き合いの場所・・・知のトポス」を作っていかなければならないと考えているし、同時にまた、・・・・・山が好き、川が好き、源流が好き、自然が好き、そして山村の人々との響き合いを大事にする・・・・そのような人々が少しでも増えていくことを願いながら、・・・・秩父に出かけ、奥秩父の山々に出かけながらさまざまな交流をすすめていきたいと考えている。

 

 

 

 註:上の写真は丹波山村のカレンダーからのものである。稜線冬景色は雲取山であり、中村道子さんの写真である。雲取小屋についてはここをクリックして下さい。私の撮った写真があります。雪の渓流は多摩川の源流で奥富政さんが親川橋で撮った写真です。ご両人に感謝申し上げます。

 註:「多摩川源流の旅」はここ

 註:昨年、丹波山村で「多摩川を生きる」と題して講演をしました。

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 註:その後講演のテープ起こしができましたので、ここにアップしておきます。

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Iwai-Kuniomi