藤原良継 716‐777(霊亀2‐宝亀8)

ふじわらのよしつぐ

 

奈良時代の官人。藤原宇合(うまかい)の二子で,母は石川麻呂の娘。はじめ宿奈麻呂(すくなまろ)といったがのち良継と改名。

 

740年(天平12)兄藤原広嗣の反乱に連座して伊豆に流されたが2年後に放免され,少判事をへて746年従五位下となる。以降,権力を集中する藤原仲麻呂に対しては反対の立場を堅持し,大伴家持らと謀って仲麻呂を排除しようとした陰謀は発覚したが,自分の単独犯と主張して官位を奪われた。

764年(天平宝字8)恵美押勝の乱に際しては兵を率いて追討し,功により従四位下勲四等が授けられ,大宰帥となった。のち兵部,770年(宝亀1)参議となり,式部から中納言を経て,称徳天皇没後には藤原百川らと白壁王擁立を企て,その即位(光仁天皇)とともに正三位となり,翌年内臣となって天皇の側近を構成した。

 

777年内大臣となったが同年没した。娘乙牟漏(おとむろ)は桓武天皇の皇后となり,平城朝には太政大臣正一位が追贈された。

                        佐藤 宗諄

 

(c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.

Iwai-Kuniomi