河童伝承

 九州一帯では・・・山ワロ・河ワロの俗伝が行われている。中国以東の川童が淵池ごとに弧居するのに反して、九州ではミズシン・またはガアラッパと称する者は、常に群をなして住んでいた。そうして冬に近づく時それがことごとく水の畔を去って、山に還って山童(やまわろ)になると考えられ、夏はまた低地に降りてくること、山の神、田の神と同じであった。・・・・紀州熊野の山中においてカシャンボと称する霊物もほぼこれに類する習性を認められている。
 壱岐の島では一人の旅人が夜通しがやがやと宿の前を海に下って行く足音を聴いた。夜明けて訊ねるとそれは山童の山から出てくる晩であった。或いはまた山の麓の池川の堤に、子供のかと思う小さな足痕の、無数に残っているのを見て、川童が山に入ったという地方もある。秋の末近く寒い雨の降る夜などに、細い声を立てて渡り鳥の群が空を行くのをあれがガラッパだと耳を峙てて聴く者もあった。
 阿蘇の那羅延坊などという山伏は山家に住みながら川童予防の護符を発行した。すなわち夏日水辺に遊ぶ者の彼らの害を懼るるごとく山に入ってはまた山童を忌みはばかっていた結果かと思われるが近世に入ってからその実例がようやく減少した。大体にこの小さき神は、人間の中の小さい者も同じように、気軽な悪戯が多くて驚かす以上の企てえなかった。・・以上、柳田国男著「遠野物語・山の人生」岩波文庫(1993年10月15日第31刷発行P196、20、深山に小児をみるということ)・・より。



1、小川芋銭(うせん)と河童

 「河童と言えば芋銭(うせん)、芋銭と言えば河童」と呼ばれる小川芋銭は、利根川は、牛久沼(茨城県)のほとりに住んで、河童の絵をたくさん描いた。


 「ねえ、芋銭のおじさま。河童はホントに居るん?」 芋銭は、子供に河童の話しをするのが好きで、或る程度大きくなるとたいがいの子供は芋銭の河童話を聞いた。たいていの子供は芋銭の話を真剣に聞くのだが、たまには頭の悪い子(?)が居て、そう質問する奴も居る。
そういう場合、芋銭は、
「ああ居るとも。ほれ、あそこに松があるじゃろ、あれは河童松だぞ。沼からあがってきた河童が、よく相撲をとるところじゃよ。」
と言っては、子供たちを沼のそばに連れていったと言う。そして、沼を覗き込んで、
「ほれ、ほれ、波が立ったぞ。ほれ、そこに河童が居る。
・・・・・・・・・見えるじゃろ。」・・・・・・。
「見えないよ。」
「なに、見えない?・・・ほれ見えるじゃないか・・ほれ。」
「?????」
「やっぱり見えるには訓練がいるか。・・・暫くじっと立って、見る訓練をしていなさい!」
芋銭は、いつもそう言って、サッサと一人で帰ったそうだ。


 牛久沼を見渡すこんもりした木立の中に、「河童碑」が建っている。
 芋銭は、昭和13年、私の生まれた年に、70歳で亡くなった。
「河童碑」に描かれた芋銭の河童は、私が治水課の建設専門官の頃父の話を思い出してわざわざ見に行ったことがあったが、見事な絵だ。沼で暮らした昔を懐かしむように、じっと牛久沼をみつめている。


 以上は、「利根川おばけ話」(ろん書房、TEL0471ー58ー0035)の芋銭河童こばなしを、私が、本当らしく、少し脚色したものである。

それでは、以下に、利根川の河童ばなしを紹介しよう。


2 利根川の河童ばなし

 

[河童の腕][つね吉河童と猿回し]

[たねんぶちの河童][河童のお伊勢参り]

[河童と化けがらす][三日月池の河童]

[河童のきずぐすり][河童ととっくり]

[かっぱもみじ]

[かっぱぐも][河童の税金]

[芋銭(うせん)河童こぼればなし]

[河童を見た人の話(芋銭河童百図より)]

 

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