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・・・地域づくりの哲学と実践・・・

 

岩井國臣

 

      

 

 

 

地域づくり

 地域づくりの哲学は、自然、文化、交流のネットワークから生まれる。五感を研ぎ澄まし、心で人と語り合いたい。  

JUUU−NET・・・その社会的意義

 「バラバラでいっしょ」をテーマに、webの世界におけるその新しい展開としてjuuu-netを設立しました。このコーナーではjuuu-netについての私の思いを書きました。

「バラバラでいっしょ」が私たちの合い言葉!

私の旅

 自然と触れ合い、歴史・文化と触れ合い、そして人々と触れ合う旅に出よう。「ロマンある地域づくり」を唱え、旅をすすめているのも、畢竟、「知と情」を磨き、自分らしい生き方をするために・・・。

河童大明神

 川の守り神、それは河童大明神・・・・・。

 私は、全国の河童族と協力しながら、水がきれいで瀬と淵のある素晴らしい川づくりに取り組んでいます。

 

 

 

 

 

自己紹介

 

・・・岩井 國臣・・・

 

 

 

 

昭和35年 京都大学工学部土木工学科卒業

昭和37年 同大学院終了

昭和37年 建設省入省

昭和52年 関東地方建設局京浜工事事務所長

昭和61年 九州地方建設局河川部長

昭和63年 河川局河川計画課長

平成元年 中国地方建設局長

平成4年 河川局長

平成5年 (財)河川環境管理財団理事長

平成7年 参議院議員

「桃源雲情」

地域づくりの哲学は、自然、文化、交流のネットワークから生まれる。五感を研ぎ澄まし、心で人と語り合う、地域づくりへの熱き想いがここにある。

−主要内容−

序にかえて・中国地方との出会い・草ぐさのおもい・交流活充運動の理念と提唱・人と地域と国を繋ぐ・饒舌の平和から明るい平和都市へ・三次、庄原の明日を素描・伝承が埋もる比婆を照射・総都市化に健全な未来はない・清麻呂復活にかける町づくり・世々日本文化を受継いだ百姓衆・おしゃべりコンチェルト・地域づくりの哲学とは何か。

新公論社刊 (平成6年)

 

 

 

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これからますます増えていく予定です。乞うご期待!!!

 

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地域づくりの哲学

自然、文化、コミュニケーションの時代

21世紀は自然再認識の時代、共生の時代です。川や水を通して地域の自然を考えよう、地域の歴史・文化を考えよう、そして、交流活動を実践していく、そういう時代です。

共生、コミュニケーション、連携

共生・コミュニケーション・連携をキーワードとした地域づくりを進めることが大切です。

共生・コミュニケーション・連携は同根の言葉ですから、共生社会、コミュニケーション社会、連携社会を目指そうと言ってもほぼ同じ事になると思います。

ハイコミュニケーションシステム

パソコン通信・インターネットのオンライン、交流会等のオフライン、これら二つのコミュニケーションを活用し、有機的に組み合わせることにより、産・官・学・野のコミュニケーション(ハイコミュニケーション)を作っていくことが、今、焦眉の課題です。

リージョナルコンプレックス

小さいサークルから大きな団体までいろんな組織が生き生きとそれぞれ独自の活動をし、共通のテーマで緩やかに結ばれている地域社会をリージョナルコンプレックスと呼びます。これからは、理想的な地域社会づくりとしてリージョナルコンプレックスを目指すことです。地域づくりの哲学

  ・随想

  ・講演

  ・論文

地域づくりの実践

私の川づくり・地域づくり語録

 第一集

 第二集

 第三集

多摩川

多摩川における川づくり

地方の時代と川づくり

・川づくりは地方が中心

・主役は市町村

奥秩父

 

 

 

 

 

  

地域づくりの実践

ロマンある地域づくり

 私は、今、「ロマンある地域づくり」ということを言いながら「交流活充運動」という運動を展開している。その目指すところは、地域の自然的特性、歴史・文化的特性にもとづき、人々の感受性の深層部分を震わせるような気配りのされた個性ある地域づくりであって、それは共生の思想にもとづいて行われなければならないと考えている。

 よく地域づくりは人づくりと言われるが、地域づくりに取り組むサークルや団体が生き生きしていなければ決して良い地域づくりはできない。数名のサークルから大きな団体までいろんな組織があって、生き生きと独自の活動をし、そして、それらの組織が、ある共通のテーマで結ばれている、そういう地域社会は生き生としている。

 福井県立大学の坂本慶一学長は、リージョナルコンプレックスと呼んでおられるが、今後、我が国は、そういう地域社会の実現を目指さなければならない。交流はコミュニケーションと言い換えてもよく、また、共生とコミュニケーションと連携は同根の言葉であるので、そういう地域社会は、共生、コミュニイケーション、連携をキーワードとする共生社会でもある。

 リージョナルコンプレックスを形成していくため、福祉その他各般の施策が必要であるが、国土政策においてもそのことが重視されなければならない。地域における多くのサークルや団体が何を共通のテーマにして連携するのが適当なのか、今後、そういった議論が必要であろう。

活充(交流活充運動)

 活充の「活」は地域活性化の「活」、「充」は精神的充実の「充」。中国地方の先鋭的な過疎化現象の中で、私たち地域づくりの仲間が作った熟語です。

 地域活性化のためには経済的な側面だけでなく、伝統的文化に根差しつつ、国際的視野に立って心の充実感を追求していくことが大切です。このような観点から全国の地域づくり、川づくりに参加し、支援しています。

 

 

 

 

  

地域づくり語録

 私の地域づくりへの想い・・・・。

   第一集

   ・里山、裏山の文化

   ・我が国の自然は世界に誇れる美しさ

   ・兼業農家とクラインガルテン

   ・神話は地域づくりの貴重な素材

   ・比婆さとやま公園を歴史のふれあい回廊の拠点に

   第二集

   ・歴史を生きる

   ・常に新しいニーズに

   ・国際化社会に対応できるのは地方

   ・平成はロマンの時代

   ・「美しき我が村」は河川から

   第三集

   ・道くさシステム

   ・両頭裁断

   ・都市と農山村の共存共栄を考える

   ・趣味やイベントを通した交流がコミュニケーション

   の第一歩

   ・遺跡を生かした地域活性化−歴史公園村

 

 

 

 

 

  

地域づくり語録

 地域づくり 第一集

<目次>

 ・里山、裏山の文化

 ・我が国の自然は世界に誇れる美しさ

 ・兼業農家とクラインガルテン

 ・神話は地域づくりの貴重な素材

 ・比婆さとやま公園を歴史のふれあい回廊の拠点に

 

里山、裏山の文化

中国地方の自然は、瀬戸内海、日本海、中国山地がそれぞれ素晴らしい個性を持っている。しかも、それぞれ地域の歴史・文化と深く関わっている。

中国山地は、ほぼ一様になだらかな山々で、数多くの盆地を抱えている。そこには古くからの生活と生活に溶け込んだ身近な自然がある。このような里山・裏山の自然は中国山地独特のものである。

日本人の伝統的な思想では、人工が自然を完成し、自然が人工を完成する。このような自然と人間との関係に根ざした山の文化は、日本文化の基礎を成してきた。山と山の神への信仰は、日本人の心の最も深層部に横たわる宗教感覚ではないか。

従って、里山・裏山の保全と整備にあたっては、そういった日本の伝統や、山の信仰も大切にする必要がある。中国山地は今後、世界の中で極めて高い評価を受ける可能性がある。

(1992年6/13・14歴史を活かした地域づくりシンポジウム)

 

我が国の自然は世界に誇れる美しさ

我が国は地形が急峻なために、国土の68%が林地です。林地の率は、フィンランドの森林率69%とほぼ同じです。世界屈指の森林国なのです。しかもその植生は、地形の変化に応じて、すこぶる変化に富み、美しい風土的な景観を示しています。我が国の自然というのは、中国地方に限らず、全般的に箱庭的であり、スケールの点でははるかに諸外国に及ばないものの、変化に富んだ美しさにおいては、はるかに勝っているのではないかと思っています。

また、広葉樹の中にも多くの針葉樹が天然分布しており、植生の種類も非常に多いのです。温暖帯に数多くの針葉樹が天然分布しているなどということは、世界的に見て非常に珍しい現象だとさえ言われております。日本の森林の特徴は、ズバリここにあります。(1990年6/18吉田村視察懇談会)

 

兼業農家とクラインガルテン

全国的にみますと、大規模営農と言いますか、専業農家の育成が一つの流れになっています。中国地方を考えた時に、東北、その他と違いまして、どうしても兼業農家になってくるのではないかという気がして仕方ないわけです。一部例外的な岡山とか、耕地に恵まれているところはいいですけれども、そうでないところはやっぱり兼業農家となる。そうすると、何と兼業するかということを考えるわけです。

私は、やっぱり観光とか、レクリエーションとか、そういうことが一つあるのではないかと思えてならないのです。兼業農家を考えた時に、西ドイツのクラインガルテンが浮かびます。いろいろな制度が確立されており、さらに大きな自然がありますから、都市の人たちが来て、農村の生活を体験するだとか、自然の中で心の安らぎを感じるだとか、そういうことが行われているんです。クラインガルテンは勉強する課題ではないかと思っているのです。

(1989年12/6対談記録)

 

神話は地域づくりの貴重な素材

中国地方は、出雲神話の時代から今日に至るまで、その時々に歴史上かけがえのない舞台となってまいりました。それだけに中国地方の歴史的特性は、価値が高いと思います。

神話は言うまでもなく作られたものであって、歴史的事実をそのまま語ったものではありません。しかし、神話という具体的なイメージは、過去の出来事ないしその断片に基づいて作られているのでしょうから、全く歴史性がないとは言い切れません。また、神話が作られたものであると言っても、その時代の共同社会が必要としていたイデオロギーとか政治的な方向性が語られているのであって、その意味から言っても、全く歴史性がないとは言い切れません。このように、神話といえども、我が国の、あるいはその地方の歴史を語る上で、無視し難い側面を持っております。

私は、その地域の歴史的特性の中に、それを活かしていきたいと考えているのであります。ロマンある地域づくりを進める場合、中国地方は極めて有利な条件に恵まれているのであって、それを活用しない手はない、このように考えているのであります。

(1992年6/13・14歴史を活かした地域づくりシンポジウム)

 

比婆さとやま公園を歴史のふれあい回廊の拠点に

中国地方建設局で進められている国営・比婆さとやま公園は、相当の埋蔵文化財が眠っていること、また周辺が三次・庄原という極めて古墳の多い地域であることを勘案して、“歴史とのふれあい”というテーマを大きな柱としております。国営・比婆さとやま公園は歴史公園としての性格も持っている、ということです。

埋蔵文化財については、現状保存を図るよう基本計画を変更しました。開園後も発掘調査は続けるつもりです。そして、入園者には、発掘調査そのものを見てもらい、歴史を実感してもらおうと考えております。また、比婆さとやま公園は、中国地方における唯一の国営公園ですので、中国地方における歴史的資産に関する様々な情報を発信するようにしたい。さらに、中国地方における他の歴史公園との連携とか、歴史を活かした地域づくりと取り組んでおられる人たちとの交流を計画し、交流拠点にしていきたいと考えております。そして、国営・比婆さとやま公園を拠点として、中国地方における、ふれあい回廊というものの実現を目指していきたいと考えております。

(1992年6/13・14歴史を活かした地域づくりシンポジウム)

 

 

 

 

 

  

地域づくり語録

 地域づくり 第二集

<目次>

 ・歴史を生きる

 ・常に新しいニーズに

 ・国際化社会に対応できるのは地方

 ・平成はロマンの時代

 ・「美しき我が村」は河川から

 

歴史を生きる

中国地方は古代国家の形式過程で重要な役割を演じてきました。例えば、古墳時代、吉備では、増山古墳のような機内の大王墓に匹敵する規模の古墳が築造されております。出雲地方でも、その地域独特の古墳、方形墳というものが造られております。中世においても、平家の交流と滅亡、それに続く東国武士の進入と土着、さらには毛利氏の中国地方の統一、あるいは織田・羽柴軍との抗争など、中国地方は我が国の歴史を語る上で、欠くことのできない存在でありました。神話の時代から現代まで、それぞれの時代において、ドラマチックに面白い歴史を持っている、それが中国地方ではないかという気がします。

中村雄二郎先生は、「自分達の生きている時代や社会をより認識するために、また、込み入った問題、解決しにくい問題に対処して生きていくために、この時代、この社会をできるだけ相対的、多角的に映し出す鍵が必要だ。歴史とは、私たち人間にとって、まず何よりもそういう鏡ではないだろうか」とおっしゃっておられます。さらに、先生の言葉をお借りすれば、「私たちは身体を持つのではなく、身体を生きるのである。歴史についてもそれと同じように、私たちは人間として歴史を持つのではなくて、歴史を生きるのである。つまり、歴史とは、拡張された私たちの存在そのものだ」。

地域において歴史・文化を語ること、歴史・文化をテーマに、いろんな人々と交流すること、そして国際的視野に立って新しい地域文化の創造を目指すこと、それが“歴史を生きる”ということであります。

(1992年6/13・14歴史を活かした地域づくりシンポジウム)

 

常に新しいニーズに

マズローの欲求5段階説によりますと、人間の欲求には最も低次の生理的欲求から、高次の自己実現の欲求まで5段階の欲求がある。そして、低次の欲求がある程度満足されないうちは次の欲求が起きず、また逆に、低次の欲求をある程度充足している人は、必ずそれ以上の高次の欲求を求めて、然るべき行動を起こす、というのであります。こういったことは、成熟化社会に突入した我が国におきましては、国民のニーズにこたえていくという意味で、国づくりや地域づくりの面でも十分意識されなければならないのではないかと思います。従来の施策を踏襲しているだけではいけないのであって、新たな施策というものが常に求められる所以であります。

(1992年6/13・14歴史を活かした地域づくりシンポジウム)

 

国際化社会に対応できるのは地方

こんなこと言うと東京の人に叱られそうですけれども、東京を通さなくても本物をやっていれば世界とつながることができることがわかりました。

これから国際化社会でしょう。国際化社会に入っていくと、それに対応できるのは地方だと思うんです。事実、地方には日本文化が残っているでしょう。そういうものに外国の人は興味を持つわけです・東京へ行ってもニューヨークとあまり変わらないのです。だから、斐川町へ来たらびっくりするわけですね。日本らしいものがここにあるというので、多分びっくりしていると思うのですよ。

(1997年6/19斐川町視察懇談会)

 

平成はロマンの時代

私は、平成という時代の生き方と、あるいはこれからの地域づくりにおきまして、我が国の伝統文化、それから国際化、そしてそれらに根ざしたロマン、この3つのキーワードを重視したいと思っております。平成という時代とは、いわばロマンの時代であろう、こんなふうに考えております。

平成という時代は、都市におきましても、農山村におきましても、経済的な側面のみならず精神的なゆとりとか、安らぎとかいうものが追求されなければならないと思います。地域づくりにおきましても、経済的な側面での地域活性化のみならず、そういった人々の精神的充実を追求する必要があると思います。

私は、地域活性化の活と精神的な充実の充をくっつけまして「活充」という新語を作って、それを好んで使っているわけです。「地域活充化」というその言葉には、経済的な側面もさることながら人々の精神的な充実感を重視していきたいという思いが込められています。

(1991年10/15江の川文化圏会議三次サミット大会)

 

「美しき我が村」は河川から

自然は、やはり水と緑が二大要素だと思います。昔から日本人は水に神霊を感じ、水と共に生活してきました。人の一生も水に始まって水に終わります。水と緑は生命の根源で、人はそれを美しいと感じ、心の安らぎを感じるのではないでしょうか。

そういう人間の感受性の深層部分を震わせるような素材が水と緑、特に「水」です。これを題字にして、美しき我が村作りの中心テーマに据えられなければならないと思います。地域の水とは、池、小川、滝、噴水などさまざまですが、やはり中心となるのは河川です。

河川の特徴を整理すると、まず1つめは水、土、石、魚、昆虫、鳥、草花、樹木など多様な自然を持っているということです。

2つめは「静」と「動」があり、川には瀬も、淵もあるということ。普段静かに流れている川も、一度洪水となれば激しく流れます。

3つめは河川は歴史的に地域と共に移り変わるということ。そこには文化があります。いわば地域の顔です。

4つめは、河川は線的広がりを持っているため、地域の水と緑のネットワークを形成する際の主軸ということです。

5つめは、河川は地域の景観上、かけがえのない風景を与えてくれるということです。

このように河川というものは自然の中核で、しかも身近なものです。これ以上、身近な自然というものはありません。

(1991年9/14・15神戸川流域シンポジウム)

 

 

 

 

 

  

地域づくり語録

 地域づくり 第三集

<目次>

 ・道くさシステム

 ・両頭裁断

 ・都市と農山村の共存共栄を考える

 ・趣味やイベントを通した交流がコミュニケーションの

  第一歩

 ・遺跡を生かした地域活性化−歴史公園村

 

道くさシステム

今後、ますます地域の人々とのふれあいが大事になってくるだろうと思います。しかも都市と農山村との交流が、基本的に大事になってくるだろうと思います。幹線道路も大事ですが、ふれあいには人間のヒューマンスケールのスピードでないと触れられないと思います。おそらくリズムとも関係してくると思います。人間の生命体としてのリズムでないと出会いは難しいだろうと思います。

私はD.C.W.と言っていますが、Drive and Climing and

Walking日本語で言うと「道くさシステム」と言い換えても良いと思いますが、小道があれば入ってみるとか、どこかにパーキングしてその辺を歩き回るとかして道くさをしてゆく。時間的に余裕のある場合は、道すがらを楽しんでいくという、全体としてのシステムを構築したらどうかと思っています。

(1992年6/19道路と社会空間を考える)

 

両頭裁断

禅の言葉に「両頭裁断して一剣天に依ってすさまじ」というのがあります。長いので私はいつも両頭を断つとか、両頭裁断とかいっております。白か黒か、善か悪かという物のとらえ方を一般的にはするわけですけれども、そういう相対的なものの認識のしかたを戒めた言葉です。善でもないし、悪でもない、善でもあるし、悪でもある。そこでは、個と全体というものの捉え方が大事なのではないかと思います。個のレベルでのリンケージがあるわけです。

中国山地には、共通のテーマがあると思います。もちろん個々の特性というものもなければなりませんが、これを超えて共通のテーマ姓を持ってリンケージしていくということも必要ではないかと思います。

(1991年9/28中国・地域づくり交流会1周年記念大会)

 

都市と農山村の共存共栄を考える

都市と農村というのは、相対するような感じでとらえられますが、そうではなくてお互いの共存共栄が図れないだろうか。

これからはレジャーとか、リゾートとかいうようなことが国全体としては大きな課題となります。そのために民間の資本をうまく利用しながら大規模なリゾート開発をやるという形態もさることながら、いわゆる農山村型のリゾート開発という形も必要ではないか。

農山村型というのは、自然をそのまま生かし、農山村をそのまま生かして都市との交流を行うようなリゾート、レジャー開発です。自然との触れ合い、町における伝統文化との触れ合いを楽しむという趣旨のものです。

これからは車の時代ですから、都市の人も車に乗りましていろいろなところに出掛けていく。建設省では、派手ではないけれども楽しいルート、自分の好きなルート、というものを一般に公募しています。観光道路というほどのものではないけれども、こういったところが結構いいですよというルートをいくつか選定する。中国地方にそういうネットワークを徐々に広げていければいいと思っています。これは、道路のお話ですが、いってみれば農山村型のレジャー開発の趣旨と同様のネットワークを広めて、都市と農山村との共存共栄に資することができれば、と考えているわけです。

(1992年4/24岡山県備中町視察懇談会)

 

趣味やイベントを通した交流がコミュニケーションの第一歩

コミュニケーションで大事なことがあります。たとえ価値観の異なるものでも、心の通じ合える、そのための具体的な方法、身につく手段というものがなければコミュニケーションはとれません。要するに、精神論だけではだめということです。

ではコミュニケーションの具体的な方法、身につく手段は何かというと、それは趣味であり、お祭りなどのイベントではないかと考えます。互いに価値観の異なるものであっても、心を通いあわせることができるし、回を重ねるうちに自然に相手を理解しあえるようになるのではないでしょうか。

とにかく積極的にいろいろなイベントに参加することや、日常的にできるだけ共通の趣味を持つことが必要でしょう。いろいろな趣味、サークル活動そして文化活動が、地域活充化を大きく進める鍵になるでしょう。

農山村の人が都市の人と交流し、趣味などを通じてコミュニケーションを深めることができるとすると、おそらく皆さん自身が楽しくなる、いきいきとしてくると思います。趣味の仲間が増えるということは、実に楽しいことです。都市には人間性豊かな人、趣味の豊かな人、おもしろい人がたくさんいます。そういう人たちとできるだけつき合ってもらいたいと思います。そうすれば、皆さんの人生がきっと豊かなものになると確信します。

(1991年9/14・15神戸川流域シンポジウム)

 

遺跡を生かした地域活性化−歴史公園村

市町村長さんの中には、遺跡を地域活性化に生かしたいという思いを持っておられる方が多い。

文化庁との関係が出てくるわけですが、ある程度地域活性化に結びつけようとなると、ある程度の整備をして、人にある程度来てもらって、そこでいろいろ勉強してもらい、ロマンを感じてもらう、そういうことを考えたい。

遺跡のあるところには、車の2、3台も停められる駐車場もいるでしょうし、遊歩道も作らないといけないでしょうし、ゆっくりできる公園的な整備もいるかもしれない。しかるべき保存を図りながら、それをうまく活用するために整備を行っていく。やっぱり保存と整備と、両立しないといけないのではないかという感じがします。公園緑地行政の中で、歴史公園ということも一部やっております。大きい国営公園では、飛鳥の国営公園があるわけです。

一定の面積を買収して、点在するものを点在するまま整備して、ネットワーク化していく。その中に集落もありますし、田んぼもあります。そういう整備の仕方しかないかなと思っています。私は、そういう意味で「歴史公園村」と言っているのです。

(1989年12/14対談記録)

 

 

 

 

 

  

地方の時代と川づくり

川づくりとは・・・

川づくりという言葉は、国づくり、地域づくりなどの表現に類するものとして使われているが、これまで特段の定義はされていない。しかし、21世紀の川と人々の関係を考えるとき極めて重要な概念であると考えられる。

川の景観を地域の人々がどのように身近に感じているか、川をどのように愛しているか、あるいは川をどのように楽しんでいるか、そのようなものまで含めて、そのより良い方向を目指すことを川づくりという言葉は意味している。

すなわち、川づくりは、単に川の形態にかかるハードな意味での川づくりということだけではなくて、川と関わっておられるいろんな人たち(魚を釣る人、生物生態系との関わり合いの中で生きがいを感じている人、周辺を散策する人など)の様々な関わり合いの中で、

川が良くなっていかなければならない。

このように、広い概念として川づくりを捉えれば、つまり即物的な河川空間づくりから景観や利用まで含めるとなると、その実現や維持のためには、市民がむしろ主役として重要な役割を果たしていかなければならないことがはっきりする。もう一つ留意すべき点は、

産・官・学・野の連携が必須であることだ。ソフト面の川づくりということを考えると、河川管理者だけで良い川づくりを行うことはむずかしい。

これからの川づくりは地域が中心であり、その主役は市町村であろう。今後、私も、そういった川づくりを進めるため、引き続きそのお手伝いをさせて頂きたいと考えている。

 

 

 

 

 

 

  

地方の時代と川づくり

川づくりは地域が中心

 日本の近代的河川改修は、明治29年に旧河川法が制定されて以来、昨年で100年を迎えた。その間、河川制度は、我が国の社会経済の変化に応じて幾たびかの改正が行われ、特に昭和39年の新河川法の制定以降、高度成長時代における新しい国土建設にを進める上で、極めて重要な役割を果たしてきた。

しかし、近年、河川は単に治水、利水の対象としてだけでなく、豊かな自然環境を形成し、生活にもかけがえのない価値を持つものであること、或いは地域づくりにとって極めて重要な要素であることが強く認識されるようになった。

このような状況を踏まえ、昨年6月、河川審議会は、「21世紀の社会を展望した今後の河川整備の基本的方向について」の答申を行った。その中でも、良好な河川環境の整備・保全や地域住民の意向の反映のための制度について、検討を行うよう求めている。

具体的には、治水、利水、環境の総合的な観点から、河川の整備の基本方針と整備計画を策定すること、また、計画策定にあたっては、地域の意向を反映する手続きを導入することとしている。大変結構なことだ。

 

 

 

 

 

 

  

地方の時代と川づくり

主役は市町村

 明治以来、確かに中央集権は強まったが、同時に、地域の人たちにも親方日の丸というか、自ら地域をつくる意識が十分に育たなかった。それを育みながら、住民や市町村の権限を増やす、そんな地方分権を進めるべきである。川も、国など河川管理者だけでは、いい川

は絶対にできない。

 地域住民、さらに行政の最先端である市町村がかかわらないと川は良くならない。そこに住む人が、川や人を通して地域の自然と歴史・文化を考えながら地域づくりを行えるよう、財源も含め国や県が市町村をサポートできるように、個別の法律や制度を変えていく必要がある。

 また、地方が体力をつけるために町村合併も必要かも知れない。 いずれにしても、、川づくりの主役は市町村である。

 

 

 

 

 

 

  

多摩川

私と多摩川

私は、ライフワークとして様々な「川づくり・地域づくり」に取り組んでいるが、多摩川を最も身近で大切なフィールドとしている。そこには、産、官、学、野のコミュニケーションが既に始まっている。

近年、パソコン技術と通信技術の発達により、「パソコン通信システム」と「パソコンを用いたデータベースシステム」が、コミュニケーションを行う上で極めて有力なツールとして用いることが可能となってきた。さらに、コミュニケーションを推し進めるためには、「情報・交流拠点の活用」と「イベントの実施」が極めて有効な手段であることがわかってきた。

すなわち、フィールドでのふれ合いとパソコン通信でのふれ合い、両方を大事にしていくことによって、よりコミュニケーションが深くなっていく。

このようなパソコン通信とデータベース、情報・交流拠点とイベントの組み込まれたコミュニケーションを「ハイコミュニケーションシステム」と呼び、ハイテク(先端技術)を用いることにより、ハイグレード(良質)でハイタッチ(人間的)なコミュニケーションを実現するシステムである。正に、高度情報化社会、マルチメディア社会、インターネット社会、コミュニケーション社会、共生社会、連携社会に対応した、これからの川づくりのためのコミュニケーションである。

その今日的ツールのパソコン通信・インターネット・マルチメディアを駆使し、新しい21世紀紀型コミュニケーションシステムを目指した「たまがわネット」も生まれた。多摩川をフィールドに共生社会・ネットワーク社会・連携社会を皆さんと共に目指していきたい。地域づくりの哲学

 

 

 

 

 

 

  

多摩川における川づくり

概況

多摩川は自然保護運動の発祥の地と言われており、これまで行政と地域とのコミュニケーションが様々な形で行われてきた経緯がある。私も、昭和52年7月に京浜工事事務所長になって以来、多摩川の川づくりに関わってきた。

近年における多摩川のコミュニケーションの最大の成果は、川の利用と自然の保全という川づくりの重要課題に関して「多摩川河川環境管理計画」を策定したことである。自然保護団体などの市民団体と行政とのコミュニケーションにより、こうした重要課題について、基本的な認識の一致というか、意識の共有が図られてきている。かかる観点から、多摩川は今までの経緯からみてコミュニケーションの先進地域であると言える。多摩川における市民運動は、告発型から提案型に移ったということである。

「TAMAらいふ21」では、市民・団体・法人・学識経験者・行政関係者が一体となって、流域全体の自然環境保全と回復、市民ネットワークの形成等の課題について研究活動を進めてきている。こうした実績から、川づくりのコミュニケーションの新たな課題として

「川づくりに関する産・官・学・野のコミュニケーションのシステムづくり「

市民活動、市民団体の流域をカバーするコミュニケーションネットワークの形成の2つが浮かび上がっている。多摩川では、市民活動のネットワークとして多摩川センターが誕生したが、まだ緒についたばかりである。

このように、多摩川における川づくりについての地域の認識は、コミュニケーションのあり方も含めて、河川審議会答申で述べられている川づくりの方向と軌を1つにするものであり、その意味でも、多摩川は、全国の河川を先導する形で進んできていると言える。これからの更なる進展が強く期待される。地域づくりの哲学

 

 

 

 

 

 

  

奥秩父

心の故郷がここにある

 奥秩父は、荒川・多摩川・笛吹川・千曲川の源流である。

 その奥深い森林と深く刻まれた渓谷の大自然はすばらしい。

私は数年前、秩父の里の生活を求め、マルチハビテーションよろしく秩父市に居を定めた。そして、奥秩父の山や谷を歩くためのベースキャンプとして山小屋もできた。山小屋付近からはすばらしい景色が広がっている。秩父の魅力を少し書いてみた・・・・・・。

 

 

心の故郷 秩父

 

・・・目次・・・

私と秩父

秩父の人々と生活

ロマンある地域づくり

秩父のこれから

 

1、私と秩父

 奥秩父は、荒川、多摩川、笛吹川、千曲川の源流である。その広大な山地には、2,000m以上の山が20もあって、北アルプス、南アルプスに次ぐ高山地帯を形成している。その奥深い森林と深く刻まれた渓谷の大自然たる姿はすばらしい。

 私のこれからの人生で、奥秩父の山や谷をできるだけ歩きたい、そんな想いから数年前マルチハビテーションよろしく秩父市に居を定めた。秩父は、その歴史も古く、伝統・文化が豊か、人情も豊かであるので、奥秩父の大自然もさることながら、里の生活を求めてのことでもある。 奥秩父の山や谷を歩くため、そのベースキャンプとしてやっと山小屋もできた。三峰口駅から歩い二十分、マイカーだと車から降りて十分、少し急な坂を登り尾根筋にある。秩父というところは、日本列島で一番古い地層、秩父古生層で有名な所だが、その秩父古生層と第三紀層との間の断層が荒川本川のその辺に出ていて、その断層は、地質学者なら一度は見るべきところだそうだ。昔、あのナウマン象で有名なナウマン博士が、東大地質学科の初代教授のおり、そこを訪れ、その辺の景色に感嘆したとかしないとか、そんな場所が私の山小屋の登り口にある。もっとも今では、遠景の武甲山が石灰岩採掘のためその美しい姿をすっかり変えてしまっているし、荒川の流れも発電のためすっかり少なくなっているため、往時のすばらしい姿はないのだが・・・。それでも私の山小屋付近からは、ナウマン博士が絶賛したその風景を彷彿とさせるすばらしい景色が楽しめる。また、私の山小屋の登り口は、御嶽山の登山口のすぐ近くだ。木曽の御嶽山を開いた普寛行者の在所が近くにあり、秩父にも御嶽山がある。その景色はすばらしく、両神山、雲取山、甲武信岳など奥秩父の山々が一望に眺められる。私の山小屋は、その御嶽登山に格好の場所にある。

雲取山の神々しい夜明け 冬の雲取小屋、そこにも生活がある

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2、秩父と人々の生活

 雁坂峠からは縄文時代の石器が出土しているし、雲取山でも縄文時代の打製石斧が出土した。縄文人も峠道などを通り、広く交流していたのであろう。秩父は、今なお縄文文化の息づくところのようだ。

山国秩父にだけ芽生えたお犬信仰、これは多分縄文時代にまで想いを馳せて考えなければならない問題であろう。もっとも、そのお犬信仰が今の形を整え流布されるのは三峰神社中興の祖日光法印のときだが、お犬信仰そのものはもっと古く、我が国古来の山岳信仰の変形でないかと思っている。 三峰神社は、日本武尊の創建と言われているが、これももっと古くから神の山として崇められていたところに、大和朝廷の関係で神社の形態が採られたということであろう。妙法岳、白岩山、雲取山の三峰が修験者のメッカであったことも、その源は我が国古来の山岳信仰或いは縄文人の自然崇拝にまで溯るのではなかろうか。 雲取山は、冬山が楽しめ、東京からも多くの人が訪れる。そして、鎌仙人につづき今も新井信太郎さんが仙人のような生活をしながら雲取小屋を守っておられる。お二人とも秩父の人である。甲武信小屋、十文字小屋を守っている人も秩父の人である。消えゆく漂白の職人と言われる木地師だが、秩父にはまだ木地師が健在だ。秩父は、ただそこに山があるというだけではなく、山の生活があり、山の信仰があり、そして山の歴史と山の文化がある。

 秩父と言えば、銅、つまり、元明天皇の御時世のとき朝廷に和銅が献上され和銅の改元ともなったあの「和同開珎」を思い出す。しかし、秩父の銅そのものは、それ以前のものが発見されており、上代から秩父は特殊な地域になっていたのではないか。さらに、「国造本記」に知知夫国造の記事が出てくること、秩父神社がその祖をお祭りしてあること、或いは日本武尊の伝説が秩父には誠に多いことなどから、上代から秩父と大和朝廷とは深い関係にあったのではないかと思考される。そして、そのことは人々の潜在意識の中に深く組み込まれているのである。 秩父は山国である。しかも、秩父古生層特有のヤカンの底のような地形から、平地が少なく又川からの水を得にくい。したがって、勢い、耕地と集落は、河岸段丘上や傾斜の緩やかな山に、谷川や泉の水の量に応じ発達せざるを得ない。「耕地」と称する10戸、20戸といっ小集落が数多く点在するのはそのせいだ。比較的平坦な河岸段丘上には町並みも発達しているが、みんな小規模である。地質年代の古さに起因する複雑な地形とあいまって、生活の単位となるムラの数が多いということだ。

したがって、お祭りや伝統行事が小規模ながらもムラごとに誠に多い。秩父盆地の極め付きとでも言うべき祭りは、いうまでもなく「秩父夜祭り」だが、私は、それぞれの「耕地」において行われているあくまでも素朴な伝統行事に魅力を感じている。私らがとっくに無くしてしまった「ふるさと」がそこににある。

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3、ロマンある地域づくり

 私は、今、「ロマンある地域づくり」ということを言いながら「交流活充運動」という運動を展開しているが、その目指す「ロマンある地域づくり」は、私に言わせれば、「その地域の自然的特性、歴史・文化的特性にもとづき、人々の感受性の深層部分を振るわせるような気配りのされた、個性ある地域づくりであって、それは共生の思想にもとづいて行われなければならない。」・・・そんな言い方になろうか。地域づくりは人づくりとよく言われるが、地域づくりに取り組むサークルないし団体が生き生きしていなければならない。数名のサークルから大きな団体までいろんな組織があって、きいきと独自の活動をしている。そして、それらの組織が何か・・ある共通のテーマで結ばれている、そういう地域社会はいきいきしている。福井県立大学の坂本慶一学長は、リージョナルコンプレックスと呼んでおられるが、今後、わが国は、そういう地域社会の実現を目指さなければならない。交流はコミュニケーションと言い換えても良く、又共生とコミュニケーション

と連携は同根の言葉であるので、そういう地域社会は、共生、コミュニケーション、連携をキーワードとする共生社会でもある。リージョナルコンプレックスを形成していくため、福祉その他各般の施策が必要であるが、国土政策においてもそのことが重視されなければならないのであって、地域における多くのサークルないし団体が何を共通のテーマにして連携するのが適当なのか、今後、そういった議論が必要であろう。

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4、秩父のこれから

 明治以降、我が国は、近代化の道をまっしぐらに進むことになる。秩父はそれにやや遅れはするものの、大正初期に秩父鉄道が開通してから、大きく変貌していく。奥秩父における森林の伐採、秩父セメントや昭和電工の立地、電源開発などは秩父の風土を大きく変えていく。近年では、西部秩父線開通のインパクトが顕著である。ゴルフ場やミューズパークなどのリゾート開発が進み、秩父は観光地として様相を一変しつつある。国道140号雁坂トンネルが来年には開通するので、リゾート開発にさらに拍車がかかるかと思われる。秩父の風土をどう回復又は保全していくのか、秩父は、誠に難しい問題を抱えている。英知を集めて対処して行かなければならないと思っている。

 今、秩父が抱える課題は少なくないが、河川について、少し地域の声を聞いてみよう。「水は全ての生物を育み、人間をも育む。子供達は本来水遊びが大好き。それは生物の本性に基づくものだろう。この春行って驚いた。その沢は両岸を高いコンクリートのブロックで固められ川底もコンクリートで固められた。ああ、・・・これじゃあ、カニがとれないやー。」、「下流の、釣場という地名の起こりの岩をめぐる淵と、もう一カ所ぐらいしか山女魚が住み、釣り糸の垂れうる所はなくなった。ここを除く上流も下流もコンクリートブロックに囲まれ、・・・」、「赤平川で遊んだ私たちは、まさに正統派のミズガキだった。いまどれだけの子供達が遊んでいるだろうか。ミズガキとカジカがもどってくる赤平川にしたい。自然と共生する思想を持った言い伝えが秩父にはたくさんある。言い伝えは忘れてはならない。」等々・・・。 さて、リージョナルコンプレックスというのは、先にも述べたように、小は数人のサークルから大は農協や自治体といった団体までともかくいろんな団体が地域にあって、それらが地域における何らかの共通目標で緩やかに結ばれている状態を言うのだが、秩父は、自然との共生という観念が人々の潜在意識の中に刷り込まれているので、「川の自然を取り戻す」という目標は、容易に地域の共通目標になり得ると思う。問題は、そういう諸団体の連携ができるかどうか、それはいつに地域の指導者の資質にかかっている。 これからは、共生、コミュニケーション、連携の時代である。地域もそのことを十分認識する必要がある。建設省は、既に、そういう地域の想いに応える用意があるので、そういう共通目標にもとづき諸団体の自助努力さえ行われれば、河川管理者と地域とが連携して、川の自然を取り戻すことはそれほど難しいことではあるまい。 しかし、森の問題はなかなか容易ではないと思う。我が国は、世界有数の森林国であり、森が荒廃すれば我が国の持続的な発展はとてもおぼつかない。深刻だと思われるのは人工造林の問題だ。戦後植林した杉林が秩父にも多いが、外材との価格競争から林業経営が難しくなっている。また、過疎問題ともからんで林業後継者が激減している。山にも若者が定住できるよう何か有効な手を打たないと、いよいよ山が荒れる。農山村における若者の定住、これこそ現下の緊急の課題だ。農山村に若者が定住しない限り、秩父の自然も伝統文化も、それを守ることは難しい。森林の問題は、農林業後継者の問題でもあり、新たな観点に立って地域づくりを進める以外に方策はあるまい。 基本的には、共生、コミュニケーション、連携をキーワードとした地域の取り組みがあって、それを行政が支えていくという地域構造、すなわちリージョナルコンプレックスというものが

できていけば、新たな地域づくりが展開できる筈だ。共生の思想にもとづくロマンある地域づくりを進めることであり、地域リーダーの交流、上下流交流、都市と農山村との交流、国際交流等外との交流を重層的に行うことだ。そして、そのために必要な基盤整備を進めなければならない。多分、これからはそうでないと、若者の定住はおぼつかなく、農山村の活性化、農山村の地域づくりは成功すまい。写真家で有名だった清水武甲さんは、「秩父とは何であるか、どの点が秩父の持つ特質であるかを知らねばならない」、そうおっしゃっているが、今こそ我々は、秩父をより深く知ることによって、地域づくり、国づくりの有り様を考えなければならない。そして、秩父におけるロマンある地域づくりを実践することによって、21世紀における我が国の国づくりに繋げていかなければならない。私の予感としては、共生、コミュニケーション、連携をキーワードとする地域づくりを進めることによって、秩父は、その自然と歴史・文化を生かしながら、我が国が世界に誇り得るすばらしい地域に変貌していくに違いない。

 

  

  

私の旅

 国際化が進展する中で、社会のグローバル化が進展する中で、或いは地球化が進展する中でと言っていいかも知れないが、今後、わが国は、わが国らしい生き方をしていかなければならない。われわれ日本国民は、世界における、それぞれの民族文化の違いというものを十分わきまえ、かつ、それぞれの民族文化というものを大切にしながら、その上でわが民族らしい生き方をしていかなければならない。

 経済的には、国際分業の中で、伝統産業というものを大切にしながら、歴史・文化を大切にしながら、情報産業という先端産業を育んでいかなければならない。「両頭裁断」という言葉があるが、伝統産業の育成と先端産業の育成という、一見矛盾するものを両立させなければならい。

 われわれは歴史を生きなければならないのである。歴史というものは、われわれ身体の一部である。われわれ自身である。したがって、歴史を大切にしない限り、われわれ自身の能力、「知と情」は育たない。「知と情」が育たない限り、先端産業の育成なんてものは到底期待できないではないか。

 私は、これからわが国が先端産業で生きていくためには、われわれ自身が「知と情」を磨かなければならないと思っている。「知と情」を磨くためには、何が大事か。おそらく、自然との触れ合い、歴史・文化との触れ合いがない限り、「知と情」は磨くことは難しいであろう。また、人との触れ合いがなければ、われわれ自身の「知と情」を磨くことは到底できないであろう。願わくは、天籟を聞き、地籟を聞き、人籟を聞かなければならない。

 自然と触れ合い、歴史・文化と触れ合い、そして人々と触れ合うそういう環境が身近に整っていなければならないし、又われわれは、旅に出なければならないと思う。われわれは大いに歩き、見て、聞かなければならない。「あるき、みる、きく」、そのための旅に出なければならない。私が、「ロマンある地域づくり」を唱え、旅をすすめているのも、畢竟、「知と情」を磨きわれわれらしい生き方をするためだ。

 さあ、皆さん、これからは大いに、・・・・天籟を聞き、地籟を聞き、・・・そして人籟を聞く旅に出ようではないか。 旅のすすめ

京都の散歩道

 ・阿吽の虎

 ・金閣寺道

 ・京見峠

 ・針抜き地蔵

 ・上賀茂神社

 ・尺八の池

 ・賀茂川

 ・双葉稲荷

 ・すぐきの里

 ・太田神社

 ・賀茂の用水

 ・賀茂の磐くら

 ・神光院

 ・京野菜の里

 ・堀川

 ・松尾神社

 ・神泉苑

 ・車折神社

帰京報告

 ・私と京都

 ・我が家の「草の庭」

 ・いつもの散歩道

北の旅

愛犬との散歩道

多摩川の桜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旅のすすめ

 

 

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 <目次と要点>

 

(1)、はじめに

  *わが国らしい生き方 *「知と情」を磨く

 

(2)、JUUU−NETの活動に何故「旅」を重要視するのか

 

 

共生、コミュニケーション、連携

 

  *中村雄二郎氏の「共振する世界」

 

* 老松克博氏の「漂泊」

 

  *共振」は「漂泊の旅」の中にある

 

  *セカンドハウスに悠々の時間を過ごす、

 

  *リゾートオフィスで自然との触れ合いを楽しみながら仕事をする

 

  *コミュニケーションの世界

 

  *マルチメディアを駆使した「旅人の社会」

 

(3)、旅のさまざま

 

  *旅の幕開け * 新しい知識をもとめての旅(先進地視察)

 

  *志士たちの交流が明治維新へのいとぐちをつくっていく

 

  *食客

 

  *旅行の設備や機関がととのってくるにつれて、

 

民衆が民衆に接し、学ぶ機会が失われてくるとともに、知識をもとめ、伝達し、自己形成のために役立てようとした旅から、単なる娯楽への旅が展開してくる。それでもなお旅に出て自分のいままでの生活の中にないものを得ようとする気持ちはつよい。

 

* 共通の観念をもちつつも、

 

それに気がついていない人びとが地域毎によどんでいる。その人たちが目ざめて手をつなぎあう。それは、旅をすること以外に目のひらきようのないものである。みんなであるいてみる。あるいて別の世界にふれてみる。またあるきつつ道づれをつくる。一人で見るよりは二人で見るのがよい。教え教えられながらあるく。

 

本当にそんな旅がしたいものである。

 

* 旅は気まぐれである。

 

何かにぶつかり、どんな人に出会うかわからない。その気まぐれな時間のなかで、旅人は何かを感じる。何かを発見する。美しい人、唄、祈り、言葉には言いつくせない哀しさ、優しさ、温かさ。

 

都市生活者は都市の中に閉じこめられているだけでは息苦しくて生活できないまでに過密化している。その上静かに考える場すら失われしまった。私たちはその解決の道の一つに旅を見出したい。

 

* 旅のさまざま

 

(テクテク歩く旅・長期間滞在して・日本は、山国であるとともに海国・茅手のふるさと・小さな宿)

 

* 思えば、

 

日本の民衆はいつも社会の下積みにせられ、歴史の表面に出てくることはなかったが、大変なエネルギーを持って、黙々と生活を築き、文化をつくりあげ、いつも変わらぬ日本人の心を持ち伝えてきた。旅はそういうことを教えてくれる。

 

* 旅をして地方の先覚者に会いともに語り、またそれぞれ現地における活動の様と地方の現状を知る。その土地に活気の満ち溢れているところにはすぐれた指導者とそれに同調する人々がおり、そういう土地の持つ生産力は素晴らしいものがある。

 

* 山が貧しいのではない。山に住む人たちとそれを導いていく人の意識の立ち遅れが、山村を苦しみに落としているのではないだろうか。しかし、地域によっては、すごい人生観や活力を持った人たちがまだまだいる。旅をしてそういう人たちと会いたいものだ。

 

 

 

(4)、JUUU−NETの活動方針

 

(5)、旅のライブラリー

 

私は、実験的に、私のホームページで「私の散歩路」を紹介している。こういったページが地域において蓄積されいけば、大変価値のある旅の情報ライブラリーとなるのではないか。

 

 

 

旅のすすめ

 

 

 

(1)、はじめに

 

 国際化が進展する中で、社会のグローバル化が進展する中で、或いは地球化が進展する中でと言っていいかも知れないが、今後、わが国は、わが国らしい生き方をしていかなければならない。われわれ日本国民は、世界における、それぞれの民族文化の違いというものを十分わきまえ、かつ、それぞれの民族文化というものを大切にしながら、その上でわが民族らしい生き方をしていかなければならない。

 

 経済的には、国際分業の中で、伝統産業というものを大切にしながら、歴史・文化を大切にしながら、情報産業という先端産業を育んでいかなければならない。「両頭裁断」という言葉があるが、伝統産業の育成と先端産業の育成という、一見矛盾するものを両立させなければならい。

 

 われわれは歴史を生きなければならないのである。歴史というものは、われわれ身体の一部である。われわれ自身である。したがって、歴史を大切にしない限り、われわれ自身の能力、「知と情」は育たない。「知と情」が育たない限り、先端産業の育成なんてものは到底期待できないではないか。

 

 私は、これからわが国が先端産業で生きていくためには、われわれ自身が「知と情」を磨かなければならないと思っている。

 

「知と情」を磨くためには、何が大事か。おそらく、自然との触れ合い、歴史・文化との触れ合いがない限り、「知と情」は磨くことは難しいであろう。また、人との触れ合いがなければ、

 

 われわれ自身の「知と情」を磨くことは到底できないであろう。

 

 願わくは、天籟を聞き、地籟を聞き、人籟を聞かなければならない。

 

 自然と触れ合い、歴史・文化と触れ合い、そして人々と触れ合うそういう環境が身近に整っていなければならないし、又われわれは、旅に出なければならないと思う。われわれは大いに歩き、見て、聞かなければならない。「あるき、みる、きく」、そのための旅に出なければならない。私が、「ロマンある地域づくり」を唱え、旅をすすめているのも、畢竟、「知と情」を磨きわれわれらしい生き方をするためだ。

 

さあ、皆さん、これからは大いに、・・・・天籟を聞き、地籟を聞き、・・・そして人籟を聞く旅に出ようではないか。

 

 

 

(2)、JUUU−NETの活動に何故「旅」を重要視するのか

 

 JUUU−NETは、個人に焦点を当て、それぞれが精神的にも充実した生活ができるよう、共生、コミュニケーション、連携をキーワードに、新しいイキイキとした地域社会を目指している。

 

 私たちの言葉としては・・・・地域の活充化ということだが、私たちJUUU−NETでは、それぞれ個人の個性というものを大切にし、お互いにお互いを認め合いながら共生していく、そのような社会を目指している。そして、その場合、それぞれ個人が実行するライフスタイルとしては、定住ではなくて半定住、言い変えれば・・・セカンドハウスやリゾートオフィスに基づいた「マルチハビテーション」であり、そして漂泊にも似た「旅」をこよなく愛し、別世界との出会い、コミュニケーションを楽しむ生活である。

 

 そして、さらには、会社人間ではなくて半会社人間、言い換えれば・・・・・地域づくりなどボランティアにも熱心な「マルチ人間」であり、仲間とのネットワーク・・・言い換えれば「コミュニケーション」と「連携」、そういったものに基づいて、常に何かをやりたいと願う行動派の人間である。そして、言うまでもなく、コミュニケーションの手段としては、勿論「触れ合い」というものをもっとも大切にしつつも、インターネットやパソコン通信・・言い換えれば「マルチメディア」を愛用している。

 

 今ここでは「旅」に焦点を当てて、これからの生き方について普遍しておきたい。

 

 我が国を代表する哲学者・中村雄二郎氏は21世紀の世界像として「共振する世界」を描いておられ、又新進気鋭のユング派精神分析家・老松克博氏は「共振の感覚は定住的なものの見方からはでてこない」と・・・「漂泊を生きる」ことの重要性を言っておられるが、まず、中村雄二郎氏の「共振する世界」をかいま覗いてみよう。

 

 永い間人々は、<天球の音楽>や<天球のハーモニー>というのを、詩的な表現か、せいぜい比喩的な表現としてしか受け取らなかった。だが今日では、電波望遠鏡の発明と発達によって、大宇宙が現実に音とリズムに充ち充ちていることが明らかになった。すなわち、われわれは、太陽系の惑星、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星の発する電磁波を電波望遠鏡をとおして音に換えて聞くことができるようになった。私もそれら大宇宙の音を聞いたことがあるが、それは胎児が聞く母親の胎内音と実によく似ている。私たちは、そういった宇宙のリズムに包まれて誕生し、宇宙のリズムに包まれて生きている。生きとし生けるものすべてがそうなのだ。否、量子の場もそうであるとすれば、大宇宙のすべてがそうだということであろう。

 

 そしてより重要なことは、それらのリズムはお互いに「共振」しているということだ。この「共振」という働きは、宇宙や自然界のいたるところに見出される驚くほど普遍的な現象である。脳波同士の共振から始まって、動物固体の心筋細胞の共振、潮の干満のリズムと女性の生理との共振等等である。

 

 このように、この現実の世界は、正に「共振する世界」である。それはまた・・・「五大にみな響きあり」とするあの空海の「マンダラの世界」でもある。そういう認識が重要なのだ。そして、そういう認識の下、この現実の世界で今正にやらなければならないことは、中村雄二郎氏が言うように、生命的なリズム感覚を取り戻すこと、リズムを通しての根元的なコミュニケーションというものを取り戻すことである。今自分の住んでいる世界とは違う世界のリズム、いろいろな地域の持つリズムとの「共振」、言い換えればいろんな地域文化との響き合い、そういったものを実感するところから始めなければならない。それによってはじめて私たちの目指す「共生社会」がより現実のものになってくる。

 

 

 

 次に、老松克博氏の「漂泊」という概念に触れておきたい。

 

 日本の文化を貫く特徴として「漂泊」というものがある。俳句や能、歌舞伎、浄瑠璃など日本の代表的な文化には漂泊的なものが多い。「漂泊」は、私たちの行動パターン、つまりライフスタイルとの関係で言えば、「今が一番大事」という仏教で言うところの「無常観」、そういう世界観を持って生きていこうとする生き方である。悪く良くと刹那主義になるかもしれないが、すべてが起こっては消えていく中で、そこに生きる意味、価値を見出していこうとするもの、それが「漂泊」だ。老松克博氏によれば、西洋の「定住的な自我」に対し、日本人の自我には漂泊的な部分が多い。

 

 私たちは私たちの文化を生きていかなければならないが、それはとりもなおさず日本人の自我の特性・・・「漂泊」を生きていくということだ。

 

 その際、大事なことは、「共振」ということだ。漂泊を生きるには、今の言葉で言えば「縁(シンクロニシティー)」というものを信じることが大事であり、そのためには旅にでて、いろんなものと「共振(シンクロナイズ)」して、「縁」というものを実感することである。「袖触れ合うも他生の縁」。・・・仏教で言うところの「無常観」の中から逆に積極的な生き方が見出されていく。「共振」は、離れていて関係がなさそうなのに通じ合うということだが、それは定住的なものの見方からはでてこない。

 

「共振」は「漂泊の旅」の中にある。

 

 

 

 JUUU−NETは、個人に焦点を当て、それぞれが精神的にも充実した生活ができるよう、共生、コミュニケーション、連携をキーワードに、新しいイキイキとした地域が、私たちJUUU−NETでは、それぞれ個人の個性というものを大切にし、お互いにお互いを認め合いながら共生していく、そのような社会を目指している。

 

 そうだとすれば、私たちは、セカンドハウスに悠々の時間を過ごすなり、リゾートオフィスで自然との触れ合いを楽しみながら仕事をすることが必要だ。また漂泊にも似た「旅」をしなければならない。そうすることによってはじめて生命的なリズムを取り戻すことができるのではなかろうか。

 

 21世紀は、コミュニケーションの世界であり、情報の世界である。世界はまさしくウェブ(蜘蛛の巣)のごとく情報のネットに包み込まれてしまうのだが、その主役はあくまで個人である。そして、谷口正和氏がその著書「パラダイムの予言」で述べているように、それぞれ個人の個性というもの、個性という差異を認め合い、評価し合い、それを楽しみの交換にしていく社会、それは先行性というものが全社会的に活性化され、個人的特性というものがまるで」お花畑のように咲き誇るイキイキとした地域社会である。

 

それはとりもなおさずマルチメディアを駆使した「旅人の社会」でもある。

 

 

 

 (3)、旅のさまざま

 

 「旅」の歴史はとても古い。初期には、生活必需品を求め合うための旅から、或いは大和朝廷の命により任地におもむいた官吏の旅、そういった個人的欲求とは隔絶した点で旅はなされた。しかし、ある程度の経済的安定が満たされたとき、あるものは我が信じる神を求めて出かけた。これこそ自由な意志による旅の幕開けといえよう。

 

 平安時代から始まった熊野参詣は、鎌倉・室町時代には最大の盛り上がりを見せた。信仰の力は実に驚くべきものがあると感心する。伊勢詣でや四国88カ所めぐりなどの巡礼は時代を超えて盛んだ。

 

 信仰について言えば、信者のみならず宗教の布教活動も盛んに行われたのであり、これを見逃すわけにはいかない。例えば一遍上人。一遍上人は、民衆を固定した地域社会の中かに見出したのではなく、旅をすることによって、地域社会を超えることによって、見出したのである。旅をしなければ民衆全体を発見することはできなかった。

 

 また、俳人など芸術家の旅はよく知られているところだろう。芭蕉が、素晴らしい作品を大成したのも、旅によって、ものに触れ自然を見つめることからきているのであろう。芭蕉の文学を、足で書かれた文学とするのは、決していいすぎではあるまい。

 

 幕末の頃になると信仰の旅を名としつつも、新しい知識をもとめての旅がいよいよ盛んになってくる。私の尊敬するかの民俗学者・宮本常一の言うところにしばし耳を傾けてもらいたい(旅の発見、旅の民族と歴史3、宮本常一編著、八坂書房)。

 

 瀬戸内海地方に薩摩芋がひろく栽培せられるようになったのも新しい知識を求めての旅であったし、兵庫県加東郡社町のあたりで釣り針の製造が盛んなのもそうである。地方に見られるいろいろな手工業の由来をしらべてみるとそのほとんどが、そういった旅によって技術がつたえられたものが多いとのことである。

 

 今日のように農事試験場が各地にでき、また農業改良普及活動が盛んになってくると、旅をしなくても農業知識はいろいろ得られるようになってきているが、しかしそれだけではやはり十分ではなく、先進地視察はいよいよ盛んになろうとしている。しかもそれは単に農業だけではなく、あらゆるものについて言えることなのである。

 

 幕末の志士たちとよばれる人びともほとんど旅をし、先学者にあうことによって目をひらいている。吉田松陰、橋本左内、高野長英、平野国臣らをはじめ名をあげていけばきりがないほどである。それぞれの地方に住む有志にあうことによって目をひらき、また日本全体について考えるようになってきたのである。と同時にその頃は人材について言えば、中央と地方の差は

 

なかった。むしろ地方にすぐれた学者が少なくなかった。そしてこれらの志士たちの交流が明治維新へのいとぐちをつくっていく。

 

 宮本常一は、旅人のなかにはずいぶんのんきなものもいたと言っている。画家や詩人などのたぐいにそれが多かったようである。旅に出ていって気に入った家でもあると何日でもそこに滞在した。またそういう人をとめておいて文句を言わないような豪家や寺などがあったもののようである。

 

 まずしい画家たちはそのようにして地方の豪家などで食客をしつつ何日でもすごす。そして宿銭をおくかわりに絵を描いておくことが多かった。一芸一能に秀でておれば、金はもたずとも、そういう人をとめる豪家があった。またそういう家があるために当時の知識人も旅をすることができた。宮本常一はそのように述べている。さらに、宿へとまってもチョンガレ語りといえばただであったらしい。しかしその夜は泊まり客にチョンガレ(浪花節の前身をなすもの)を語ってきかせなければならなかった。宿といっても木賃宿であるが・・・。

 

 旅行の設備や機関がととのってくるにつれて、民衆が民衆に接し、学ぶ機会が失われてくるとともに、知識をもとめ、伝達し、自己形成のために役立てようとした旅から、単なる娯楽への旅が展開してくる。それでもなお旅に出て自分のいままでの生活の中にないものを得ようとする気持ちはつよい。そしてそれは国内の旅だけでなく、次第に国の外へ向かってひろがりを持ちはじめている。しかし旅本来の姿は自分たち以外の民衆を発見し、手をつなぐものであったことを忘れてはならない。昔はその中に自分を、また世の中を発展させる要素を見出していったが、いまもそのことはかわりないと思う。宮本常一はこのように言っているし、又次のようにも言っている。大変示唆に富んだ言である。

 

 共通の観念をもちつつも、それに気がついていない人びとが地域毎によどんでいる。その人たちが目ざめて手をつなぎあう。それは、旅をすること以外に目のひらきようのないものである。みんなであるいてみる。あるいて別の世界にふれてみる。またあるきつつ道づれをつくる。一人で見るよりは二人で見るのがよい。教え教えられながらあるく。本当にそんな旅がしたいものである。

 

 

 

旅は気まぐれである。何かにぶつかり、どんな人に出会うかわからない。その気まぐれな時間のなかで、旅人は何かを感じる。何かを発見する。美しい人、唄、祈り、言葉には言いつくせない哀しさ、優しさ、温かさ。

 

 都市生活者は都市の中に閉じこめられているだけでは息苦しくて生活できないまでに過密化している。その上静かに考える場すら失われしまった。私たちはその解決の道の一つに旅を見出したい。

 

  それでは、現代の人々がどんな想いで旅をしているのか、「あるく、みる、きく」(企画監修宮本常一、日本観光文化研究所編、発行者馬場勇)から、旅のさまざまを紹介しておきたい。

 

@、アメリカの話しにこういうのがある。もっとも安く旅をするには飛行機を使い、もっとも         デラックスな旅をしたいと思えば各駅停車の汽車に乗ればよいそうだ。日本で考えると、さしずめ新幹線の旅と歩く旅がそれに当たるだろう。

 

 歩幅60センチでテクテク歩く旅は、自動車の砂煙で鼻のあたりを真っ黒にしながら、イライラするほどのあせりがあっても、未知の地を歩き、未知の人を知り、未知のものに遭遇する楽しみある。そして、こんな世界や考え方があったのかと驚き、びっくりしているうちに、ふと自分の見方考え方が違ってきていることに気がつくのである。

 

(67年5月号、「本陣への旅」、宮本常一)

 

A、私の旅は、広い地域を急ぎ足で動き回るというものではなく、あるところに長期間滞在して、土地の人々と生活を共にするものです。稲垣尚友三はそう言いながら、次のように述べておられます。(69年8月号、「人間らしさの原型を求めて」、稲垣尚友)

 

 「人間どこでどんな人にお世話になるかもしれん。わしのせがれも万が一にもあんたのような人に世話にならんともかぎらんからなあ。」といって微笑しながら旅人をいたわってくれたのだそうです。そういったことはどの村に行ってもそうだった。こうして稲垣さんは、生まれて初めて人間の生々しい触れ合いを経験することになりました。都会暮らしの稲垣さんには、生の人間をぶっつけ合う機会も少なく、人間らしいみずみずしさとはどんなものなのかを問うてみることすらなかったのを、エラブ島の人たちによって稲垣さんは生まれて初めて知ることになったのです。そういった人間のみずみずしさといい、青い珊瑚礁の海、そしてまた、外国語を聞くようでほとんどわからない島の人たちの交わす言葉、独特の哀調を奏でる蛇皮線の音、芭蕉の葉で葺いた家々、すべて初めて見る光景に稲垣さんは胸をわくわくさせたのでした。「何もかも東京の真似事かと思っていた私には、日本にもこんな個性豊かな土地が合ったのかと思ってうれしくてなりませんでした。」・・・稲垣さんはそうおっしゃっておられます。

 

B、日本は、山国であるとともに海国です。そして三陸海岸は、海と山がもっとも強くつながり合い、融け合っているところです。だからこそここで生き、ここを開発してきた人たちは、有無を言わさず山と海の両方にかかわりをもってきたのではないか。そしてそういう人たちの心には、ふだんわたしたちの気付かない人生観や自然観があるはずだ。旅は、そういうわたしたち以外の人の人生観や自然観を知り、それを知ることによって、私自身のそれを確かめ、広げ、深めることができる、言い換えれば私自身の内面の可能性を無限に押し広げていくためのある体験だ、と私は思っています。(69年8月号、「三陸海岸」、姫田忠義)

 

C、会津田島は茅手のふるさとである。茅手とは、屋根葺き職人のことで、毎年5、6人の組を作って、関東は、栃木、千葉、東京、山梨方面まで出稼ぎに出ていった。彼らは年季の入った旅人であった。江戸時代から始まり昭和初期は勿論のこと最近までのことだ。葺き場には毎年世話になる宿があった。「わらじむぎ」という。宿といっても普通の農家であった。茅手にとっては会津にいる家族と連絡する場所になる。草屋根はもうなくなろうとしています。でもまだ茅手たちは各地に健在。技術も分布も教えてくれるでしょう。歩くときは、できるだけ乗り物を降り、大きな道もはずして下さい。そのほうが発見も大きく、楽しみも大きいからです。バスもなければ便乗も宿も頼まざるを得ないし、失われた「旅」も失われていないことに気付くでしょう。(69年9月号、「草屋根、会津茅手見聞録」、相沢つぐ男)

 

D、旅先で接する温かい人の心は何よりも嬉しいもの。行きずりの私たちへ示してくれた、この真心のこもった親切は心に深くしみ通った。村でただ一軒という小さな宿の屋根裏部屋で粗末なベッドに泊まったこの夜が、今までの立派なホテルより心温まる一夜であったことはいうまでもない。その夜、寝静まった村の道に寝ころんで星空を仰いだとき、私は心からこの旅にきてよかったと思った。旅の本当の良さは、思いがでず、あるいは苦労して自分で得た、他の誰でもない、自分自身の体験から生まれるものであろう。集団の旅では、景色の印象は残っても、本当の旅の良さは余り望めない。

 

 (69年12月号、「欧州アルプス・22日間」、吉川洋子)

 

 

 

 さて、以上は旅の様態を示すほんの一端であり、書き出すときりのないほど旅の様態というものはさまざまだと思う。またまた宮本常一で恐縮だが、宮本常一の言でこの節を締めくくりたいと思う。

 

 思えば、日本の民衆はいつも社会の下積みにせられ、歴史の表面に出てくることはなかったが、大変なエネルギーを持って、黙々と生活を築き、文化をつくりあげ、いつも変わらぬ日本人の心を持ち伝えてきた。旅はそういうことを教えてくれる。

 

 旅をして地方の先覚者に会いともに語り、またそれぞれ現地における活動の様と地方の現状を知る。その土地に活気の満ち溢れているところにはすぐれた指導者とそれに同調する人々がおり、そういう土地の持つ生産力は素晴らしいものがある。

 

 山が貧しいのではない。山に住む人たちとそれを導いていく人の意識の立ち遅れが、山村を苦しみに落としているのではないだろうか。しかし、地域によっては、すごい人生観や活力を持った人たちがまだまだいる。旅をしてそういう人たちと会いたいものだ。

 

 旅に生涯を、あるいは半生をかけたような人たちの旅は単に過去を懐かしみ、あるいはただあそびのためのものは少なかった。旅することによって何ものかを学ぼうとし、何ものかを発見しようとした。

 

 したがって、旅はいつも一つの問いかけであった。それは相手への問いかけであり、自分への問いかけであった。そして旅の発見は真実に生きている人間の発見であり、自分自身の発見でもあった。そして生きるということはどういうことであるかを考えるいとぐちをつくった。

 

 そのような旅は単に国の内のみでなされるにとどまらず。国の外に向かってもなされることによって、旅がさらに重要な意味をもってくるであろうことを痛感する。

 

 

 

(4)、JUUU−NETの活動方針

 

 旅の現状について、旅行するものにも、受け入れる土地にも、また旅行業者にも多くの不満があります。しかもその原因は、旅行業者だけでなく、地元も旅行者もそれぞれせっせとこしらえたいるもののようです。本当に楽しめる旅を取り戻すためには、どうすればいいか。

 

 そんな問題意識から、「あるくみるきく」の会では、会の活動に関しひろく会員の意見を聞かれたことがある(「あるく、みる、きく」、69年10月号)。大変参考になると思うので、その主なものを掲載させていただく。

 

 

活動としては、こんなところにも観光資源があるという紹介、資源をどのように保護市営久賀の問題、各地の郷土研究家との交流・連携、正しい地図の読み方、観光資料の交換とそれらの検討機関誌、地域の諸団体との交流・連携(例えば、植物友の会の旅行プランとつながりが持てないか)。(長野辰野町、小野正幸)

 

 

未知の土地を訪ねるたびに、知らない、余りにも知らない処の多い日本の国土の広さに驚かされます。旅するということが何を求めることか、常に自分たち自身の中に観照しあう会であって欲しいと思います。また、次第に画一化されてくる日本の国の中で、その土地固有のローカル色を何らかの形で記録し、体系化していくこと、そのような活動を会員の積極的な志向とともに行えたらと思います。(京都新宿区、永岡秀子)

 

  3.「観光」ではなく、人間形成の面から見た「ほとり旅」・・・そういった精神的な啓発   を期待する。(東京都葛飾区、吾妻敏夫)

 

 

趣味的な会でなく、社会的な大きな影響力を持った会にすべきである。自然及び歴史的文化の保護のための諸活動をおこない、観光開発の在り方についてコンサルタント的な、行政に対する働きかけができるようにする。(北海道羅臼町、羽賀克己)

 

 

日本の自然及び人々の培ってきた風物、民俗はすばらしいものがあります。これをできるだけ多くの人が親しみ勝つ保護維持する必要があります。その手目には、これらのものを暖かく見守る会が必要かと思います。そして会員による旅行など旅の研究をさかんにし、単に娯楽の旅行の旅でなく、人間一人一人の向上、やすらぎのある旅にするため、旅の研究活動をすることだと思います。またその成果を一つ一つ出版していきたいものです。(広島市呉市、三好義雄)

 

 

多忙な生活をさいて旅に出るのだから、余り遠距離でない所を取り上げていただきたい。会も各地域に分けて・・・。また青年とか老人向きとか、健脚向き、家族向きなどに分け、特に旅に対する感慨は非常に差がありますから、歴史的とか地理的とか民俗的とかの好みによって分けていただきたい。(埼玉県春日部市、小川正雄)

 

 

「観光について、観光行政に投影できるような、社会発見のできる会。したがって、各地域、各界、各層の理解者と熱心な推進者、関心ある同好者で組織する。そして余暇の創造的活動として民俗的観光(史跡観光、産業観光に対して)をうみだしてゆき、自然、風土、民俗(有形・無形)の隠れた資源を見出し、正しく観光資源化し、系統的に発掘し、方法を指導し、記録し、まとめ、紹介する機関を確立する。(兵庫県宝塚市、田中照三)

 

 

古きがよいという考え方もあらためて、新しい観光地は如何にあるべきかを調査研究する機関が欲しい。やたらに懐古趣味にふける時代でもないと思います。(東京都大島町、成瀬喜代)

 

 

その対象内容に興味を持つ人が、余暇時間の多少や金銭的余裕の有無に係わらず参加できるような土地土地に即した会を望む。それには文書活動とともに、地域毎にできるだけ細密な組織単位を設け、会費も年額100円ぐらいにし、地域間の連携・・横の活動に、そしてその発意に重点を置くことである。(大阪市大東市、織戸健造)

 

 

さらに、「あるく、みる、きく」の1969年11月号掲載のアンケート結果は、JUUU−NETの今後の活動方針を考える上で大変参考になるので掲載しておく。このアンケートは、宮本常一著「私の日本地図」の読者1700余人に対しておこなわれた「旅の会」の設立に関するアンケートである。回収率は9%であり、150名の回答があった。以下その結果である。

 

 1、どのような会にするか

 

@現在多数を占める「旅」又は「観光」に対する批判、および本来の「旅」の姿を求める(16)

 

 レジャー的旅を排す、旅に対する観念の是正、観光反対、主体性をもった旅、観光とは何か、かって先人の求めた旅、新しい旅と観光、理念のある旅、本来の旅の在り方、旅に求めることを常に自分自身に問える旅・・・このようなことが考え、語り合え、実行のできる「会」

 

A旅を通じて自己を、日本を考える(12)

 

・・旅によって人生を探り、心の糧を養う。日本再発見を誘い、新しい愛国(郷)心を助長。今、文明の時代に埋もれてしまっている日本人の本来の姿を探求。観光のモラル向上。真の心ある国土をつくる。観光を国民に普及させるために、リーダーとなる若人の育成。人間形成の面から見た「ひとり旅」の啓発。日本人の精神衛生運動。

 

B社会的影響をもつ(33)

 

  観光の在り方について、観光行政に投影。各地域、各界、各層の理解者と熱心な推進者、      そして関心のある同好者で組織、社会的影響力を持つ。文化人の団体として、政治、経済人に意見する。自然および歴史的文化の保護。

 

  Cアマチュアの立場からの研究を・・・(15)

 

・・民芸、民俗、文化財等を探る。自然科学(昆虫、植物、地質、古生物など)。学習の色を濃くする。単なる同好の士の集まりではなく、明確な研究発表を進めるとともに、創造的発表の場とする。我が国および外国の民間伝承の研究。研究所の成果を反映させる。

 

D会員相互の親睦および土地の人たちとの交流(12)

 

 

 

2、どのような活動を望むか

 

@旅の企画、実施(32)

 

・・・会員の旅行会の企画、実施。小グループ、個人の旅に便宜を。一カ所に長期滞在。その道の講師を中心にグループ旅行。安く楽しい旅。旅行の情報交換や道案内としての連絡所を各地にもつ。外国旅行の研究と実施。ツーリストを使っての秘境の旅。

 

A機関誌を出す(23)

 

・・・機関誌を通じて会員相互の旅に関する情報交換、質疑応答、旅に関する刊行物の紹介。会員の声を、人々が何を求めているか。紀行文、会員の旅日記。研究を発表。テーマ別編集、「旅」より一歩突っ込んだもの。余り難しいものにならないように。今までの旅行雑誌の如き会報では嬉しくない。機関誌は読み捨てにならず、記録として保存しておきたくなるもの。当分の管は機関誌中心で。旅行記、案内を出版。

 

B講演、映画会などの開催(25)

 

・・・映画、スライドによる講演会。雑談、座談会。実施踏査の体験や現地の研究家による講演。

 

C情報、資料の収集および提供(18)

 

・・・できるだけ豊富な資料、情報の提供。図書資料室をつくる。余り世に知られてない辺地の会員からの資料を収集。土地固有のローカル色を何らかの形で記録、体系化。世界の観光地紹介。

 

 

 

(5)、旅のライブラリー

 

 旅は歩くに限る。飛行機や列車、そして自動車での移動は当然として、目的地に着いたらともかく歩くことだ。歩いておれば、地元の人との出会いがあるかもしれないし、何かを感じ何かを発見するだろう。それが旅の本当の楽しさだと思う。ただ、時間の制約もあって、ある程度効率よく歩かなければならないという人も少なくないであろう。そのための情報が必要だ。情報には、学術的な情報、行政情報、市民レベルの情報があるが、市民レベルの情報こそ地域の情報としてもっとも価値がある。地域に密着したきめの細かい情報は行政ではそれを集めることは難しい。神社に関することは神主が一番詳しいし、その地域の歴史についても郷土史家がやはり一番詳しい。祭りや花見など人々の生活に密着した町のさまざまな様子も市民レベルでないとわからないことが多いのである。

 

 

 

今後、個人的なこだわりの旅行が増えていくといわれる中で、旅行業者の情報システムは飛躍的に整備されていくと思う。しかし、市民レベルの情報は旅行業者でこれを捕捉することはむつかしい。

 

 

 

私は、実験的に、私のホームページで「私の散歩路」を紹介している。こういったページが地域において蓄積されいけば、大変価値のある旅の情報ライブラリーとなるのではないか。

 

 

 

 

  

   

阿吽(あうん)の虎

 

鞍馬寺は、その鎮守社である由岐(ゆき)神社の本殿前に、一対の猛々しい虎が睨みをきかせている。

 

 

 

 これは口をきっと閉ざした吽形の虎。すべて物事の始まりと終わり。

阿は口を開けて出す音で梵語では最初の字、吽は口を閉じて出す音で梵語における最後の字。

そんなところから阿吽という言葉はすべて物事の始まりと終わりを表す。 JUUU−NETも、この阿吽の虎にあやかって、スムーズにスタートして欲しい。阿吽の呼吸よろしきをもって・・・。  

旅のすすめ

 

京都の散歩道

 ・阿吽の虎

 ・金閣寺道

 ・京見峠

 ・針抜き地蔵

 ・上賀茂神社

 ・尺八の池

 ・賀茂川

 ・双葉稲荷

 ・すぐきの里

 ・太田神社

 ・賀茂の用水

 ・賀茂の磐くら

 ・神光院

 ・京野菜の里

 ・堀川

 ・松尾神社

 ・神泉苑

 ・車折神社

 

帰京報告

 ・私と京都

 ・我が家の「草の庭」

 ・いつもの散歩道

 

 

北の旅

 

愛犬との散歩道

 

多摩川の桜

 

juuu-net|私の旅|河童大明神|地域づくり|自己紹介|リンク集|e-mail|home

 

 

 

  

   

金閣寺道

 

光悦寺から京見峠への自動車道を右に見て急な坂を降りる。 前方に丹後街道の分かれが見える。

 

 

 

 反対方向に曲がると暫くは古都ならではの雰囲気。

本当にいい散歩道だ。

 

 

 

 

 

鷹が峯は紙屋川に沿って下っていくことになるが、まもなく「しょうざん」に着く。ここらは、京都五山「左大文字山」の山麓ぞ沿いに行く。間もなく天皇火葬塚だ!  

 

  

   

京見峠

 

京見峠は、京から杉坂へ抜ける峠。京都の町を眺める格好の峠だが、日の出は特に美しい。京見峠にゆく私の散歩道は大きく分けて二つある。丹後街道と裏山道である。丹後街道は自動車道路と旧街道、裏山道は樵(きこり)道と京都五山「船山」への峠道に続く旧道である。便宜上それぞれ自動車道、後街道、樵道、船山峠道と呼ぼう。往きは丹後街道か樵道を使い、還りは自動車道か船山道を使う。

一気に登りゆっくり降りてくるという寸法だ。

光悦寺から自動車道を右に見て急な坂を下ると丹後街道の分かれ、北山杉の材木屋がある。

 

右に行く。もう山道だ。北山杉を見ながら旧道を行く。 旧道としての雰囲気があふれ、磨崖仏はあるし、眺めもいい。

 

 

 

 

お地蔵さんを過ぎればすぐ京見峠だ。

 

 

 

峠を少し行き、右にとると氷室。氷室は私の桃源郷。しずかで美しい。

 

 

  

   

針ぬき地蔵

 

 

 

釘抜きを祀った・・大工さんの寺???

苦抜き地蔵が変じて釘抜き地蔵となったもので、

毎朝、早朝から大変な賑わいだ!

毎朝五時六時から賑わう・・・・・

こんな庶民的な寺は全国でもめずらしいと思う。

 

さすが弘法大師だ

 

 

  

   

上賀茂神社

 

この上賀茂の地域は・・歴史的風土特別保存地域になっていて、京都の中でも独特の雰囲気を持つ地域である。

 

 

 

上賀茂神社をやや詳しく・・・!

 

 

   

尺八の池

 

ほんまに、京都はええどすなあ!

(帰京の際必ず散歩する散歩道です)

 

家から2、3分の所に・・東海自然歩道は尺八の池・・。

 

 

  

   

賀茂川

 

道端に・・お地蔵さんが・・・。

賀茂川のミソノ橋を渡れば・・・すぐに上賀茂神社。

 

 

 

   

双葉稲荷

 

上賀茂神社は京都で最も古い神社の一つであり、

「岩上」など・・

いくつか上世のなごりをとどめているのであるが・・・・、

双葉稲荷の雰囲気は・・、

その雰囲気に合っていて、私は気に入っている。

 

 

 

  

   

すぐきの里

 

上賀茂の地域はまたすぐきの里でもある。

「すぐき」は京都でもここしかできず、

農家はみな裕福だ。

この土塀の雰囲気・・いいですね・・実にいい!

 

 

 

 

   

太田神社

 

上賀茂は、賀茂一族の落ち着いたところ。

太田神社は猿田彦大神を祀っている。

伊勢の猿田彦神社との関係が気になるが、

猿田彦大神をお祀りしたのは、

おそらく太田神社の方が大分古いのではないか?

 

 

 

   

賀茂の用水

 

賀茂一族の落ち着いたところ、

それは・・・・水利の要所であった。

 

上賀茂神社の正に本殿前を流れる水は、

禊ぎの水であり、曲水宴の水であり

又社家の庭を造形する水でもあるが、

本質的には、当然農業用水であった。

 

この水は、各すぐき農家の家の中に導かれており、

「京のすぐき」はこの水なくしてあり得ない。

 

京文化の奥深いところだ!

 

 

 

 

 

 

  

   

賀茂の磐くら

 

上賀茂神社背後の山は当然神域だ!

 

 

 

 

 

  

   

神光院

 

上賀茂神社の神のお告げにより建立された寺。

 

京の三大弘法の一つに数えられるなど

大変栄えたときもあったようだ。

 

 

 

門を入ってすぐ右後ろの一寸わかりにくいところに、

蓮月尼の碑が立っている。

 

 

  

   

京野菜の里

 

西賀茂は京野菜の里である。

京野菜は、キュウリにしてもなすびにしても、

皆ご進物になる高級品である。

 

これも京の文化である・・・・。

 

京野菜の畑を横に見ながら家路を急ぐ。

 

 

 

 

   

堀川の想い出

 

 私は、小学校5年生になるときに、安井小学校から梅屋小学校に転校した。

 梅屋小学校は丸太町は府庁前にある。家は、堀川(厳密には東堀川丸太町を少し下がった所にあった。その後、中学校は滋野、高校は朱雀、そして大学は京都大学であるから、大学院を終了し建設省に入るまで、大半は堀川丸太町の家で育ったことになる。

 

 家の 前は、3〜4メートルの道路を隔ててその向こうが例のチンチン電車、我が国で最初に走ったとされる堀川のチンチン電車が走っていた。その向こうが堀川であるから、家から堀川まで10メートルもない。正に、私の家は掘川沿いにあったのであり、私は毎日堀川を見て育ったのだ。

 

 私の小中学校時代は、終戦後のとにかく物のない時代であったので、雨の後堀川を流れてくる野球のボールは、大変貴重な天からの贈り物であった。柄の長い網を持って、川の縁から或いは橋の上から流れてくるボールを手際よく掬ったものだ。よほど嬉しかったものらしく、そのことは今も鮮明に覚えている。

 

 堀川の水は下水道の整備とともにしだいしだいに少なくなって来て、今ではすっかり涸れてしまった。川底もコンクリートが張ってある。

いわゆる三面張の川になってしまったのだ。勿論、当時は、水も豊かで三面張ではなかった。

 川としての機能が全くなくなってしまったので、下水道として蓋をされても仕方のないことかもしれないが、私としてはちょっと寂しい。

 

 

 

 

 

 

  

   

松尾神社

 

古くから酒造りの神様として信仰される古社。境内の湧き水「亀の井の水」は酒造りの際に加えると酒が腐らないと、酒造家に尊ばれている。背後の山に磐座(いわくら)があり、この社の起源は神奈備(かんなび)信仰から成立したと考えられている。葛野(かずの)の地に進出した秦氏の祀るところとなった。上鴨神社、下鴨神社、松尾神社は秦氏が祀った三所大明神と言われている。

 

 

 

 

 

洛西用水竣工の碑

 

上古泰氏来居葛野蒙松尾大神之霊験拓保津峡

築大堰通一之井二之井是則為洛西用水是始丐

近世角倉了以務為修改然星霜婁移且荒廃甚矣

於是京都府則納有關農民之要望即整備桂川雨

岸一帯用水排水溝既関十九年耗資九億昭和四

十二年完竣其工因聊記之刊石以伝於後昆云

 

 昭和五十年四月   洛西土地改良区

 

 

 

 

松尾神社の境内を流れる洛西用水

 

境内にこんな神社が・・・!

 

  

   

神泉苑

 

 平安初期庭園の遺跡。京都市中京区門前町に所在。

平安京選定と同時に計画された禁苑で、大内裏の南東に隣接し、北は二条,南は三条,東は大宮、西は壬生の大路に囲まれた南北4町、東西2町の広大な地を占め、周囲に築地をめぐらし六つの門を開いていた。

 

 

 苑内北東部に神の泉の名のとおり水量豊富な湧泉があり中央部の大池にたたえられ、池には大きな中島があった。

 池に南面して正殿(乾臨閣)があり屋根には鴟尾(しび)を上げた。正殿の左右に閣が、池に臨んで東西に釣台があり、これらは廊でつながれていた。

 湧泉から池までの流れは,滝とも呼ばれる瀑流をなし、小橋を架け、滝殿を構えた。池の北岸には神泉苑監で画家として著名な巨勢金岡(こせのかなおか)が立てた庭石が数多くあった。

 神泉苑は立地がよく、豊富な水をもつ大規模な自然園に近い園池に人工的な部分を加えたもので、池に南面して左右対称の堂々たる建築をもっており、まもなく寝殿造や浄土庭園として形を整えてゆく前駆をなすものであった。

 <日本紀略>800年(延暦19) 桓武天皇の行幸記事が初見で、802年2月には早くも舟を浮かべ,この月は4度の行幸があった。3月には観花、5月には競馬、7月には納涼、七夕、相撲、9月には射術、琴歌、挿菊の遊びがあった。また詩賦吟詠、狩猟、釣魚などが行われた。これら恒例儀式のだいたいは《内裏式》等によって知られる。

 神泉苑でのこれら宴遊は桓武天皇末年から平城・嵯峨両天皇の間が最盛期であり、天長年間(824‐834)以降は、神泉苑は信仰の浄地とされ祈雨、止雨の霊場とされた。空海の祈雨修法の伝説は名高い。

 天慶年間(938‐947)以降神泉苑の水は潅漑用水としても利用された。平安時代末期には池水も汚濁し、池水の掃除が行事の一つとなり東寺がもっぱらこれに当たった。鎌倉・室町時代には何度か補修されたが荒廃の一途をたどり、慶長年間(1596‐1615)の二条城造営により北部4分の1が城内にとりこまれ、江戸時代には民家に侵食された。現存する部分はかつての苑地北東の一部であり旧規の6□ほどにすぎない。

 

                               牛川喜幸

 

   

車折神社

 

 最初の鳥居を入ってすぐ、左側に小さな祠がある。ミズハメノの神をお祭りした水神社である。そこに、こういうう説明がしてあって、大変参考になるので紹介しておきたい。

 昔、大堰川が辺を流れていて、時々大洪水が出て荒れ狂う多らしい。その都度官吏である清原の氏人を選んで、その復旧工事の監督を命じ領地であったからである。この神社の境内地もその領地の一部であって、祭神清原頼業公の墓所を営み、お墓は現在の神殿の下にあって法名を宝寿院殿と称えた。

 大堰川の治水については、現在この境内より少し南の方松尾の里に至る土堤を築いたこともある。これをフシ原堤という。清原氏の分家である伏原家の家領に分譲された。

 また、古来、大堰川の出水には、いつも付近の住民が苦しめられていたので、この里に住んでいた秦氏の人たちもこの川の周辺に神々を祀って治水を祈り、常に灌漑用水に力を入れて五穀の豊穣に意を用いた。嵐山の麓を流れる大堰川に堰堤を築いたのは秦川勝公と称せられ、今に大堰川と呼ばれている。

 

 

 

 ここに祀る水神社もこの信仰によるもので文明5年よりこの境内に祀っている。最近まで境内ソウカイ神社に合祀してあったが、昭和37年、神戸市に居住する松川茂氏夫妻の発願によってここに移した。毎朝ここにある浄水井から清水を汲んで、宝寿院社殿(車折神社)の遺跡を偲んで篤くお祀りする・・ということをやっている。

 また、車折神社では、この水神社において、三船祭の斉行の由を奉告し水上行事の安全を祈願することとなっている。

 

 

境内にこんな神社が・・・・!

  

   

私と京都

 

 私は、京都に生まれ、京都に育った。小学校は、四年生まで安井小学校である。安井小学校というのは、花園と太秦との間にある。蚕の社というのが学校のすぐ近くにあって、そこの湧水池で良く遊んだものだ。水泳も、嵐山で覚えた。嵐山は歩いて行ける距離にあるので、夏は、毎日のように嵐山に泳ぎに行った。

 

 嵐山のあの付近は、一般的には桂川であるが、地元では大堰川と言う。渡月橋のすぐ上流に今も立派な堰あって、その水面が嵐山の風景を殊のほか引き立てているが、その付近には古くから堰があってその名が生じたのであろう。

 

 都1200年ということであったが、さらにその昔、秦の始皇帝の子孫と言われる弓月君(ゆづきのきみ)が、多くの人を引き連れて京都に入ってきたと言われている。それが秦氏の祖先である。秦氏というのは、良く知られているように、機織り、養蚕、潅漑、酒造など殖産の技術をもって、全国にその勢力を拡大していった氏族だ。

 

 その神様松尾神社は、嵐山のすぐ近くにあるが、秦氏ゆかりの神社である。嵐山の堰も、勿論、秦氏の造営に始まる。蚕の社も、秦氏ゆかりの神社で、松尾神社と同様その歴史は誠に古い。蚕の社で遊び、大堰川で泳いで育った私である。私の歴史好きの源流はこの辺にあるのかも知れない。ちなみに、太秦の広隆寺(峰岡寺)について言えば、あの弥勒菩薩は、秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子から拝領してお祭りしたものである。秦河勝は、聖徳太子の側近だが、物部守屋との戦いで守屋の首を打ち落とす功績を上げたと言われている。その功績により、あの弥勒菩薩を拝領したのかもしれない。小説「斑鳩の白い道のうえに」に描かれている守屋との戦いに挑む聖徳太子のあの勇姿は、又河勝の姿でもあったであろう。

 

 京都は、身近な所にごろごろ歴史が転がっており、歴史好きにとってはたまらない。いろんな想像をかき立ててくれる。何となくロマンを感じるのは私だけではなかろう。私は、今も京都に帰ると何となしに落ち着く。それは、京都の地形が盆地であり常に周りの山が見えるということもあるが、空気にも歴史の重みが感ぜられ、それゆえに落ち着くということがあるのだろう。

 

 

 

 

   

我が家の「草の庭」

 

ほんまに、京都はええどすな!!

 

京に田舎あり・・・・我が家の「草の庭」

 

「草の庭」の写真集です。ご覧ください。

 

「草の庭」その1   「草の庭」その2   「草の庭」その3

 

 

   

いつもの散歩道

 

 京都の家に帰っても、朝早くから、日課の散歩には出かけることにしている。大体は上賀茂神社方面だが、日変わりメニューで、釘抜き地蔵方面に出かけることも多い。今日はそれを紹介したい。

 

 家を出て、人の家の石垣やら門(かど)を見ながら、千本通りへと下って行く。右手向こうに鷹ケ峰が美しい。その手前が紙屋川であり、鷹ケ峰から見れば、今歩いている道は、紙屋川を隔てたいうなれば広い尾根筋に当たるところだ。今は、真っすぐ千本通りに続く、バスの通る広い道であるので、初めての人ならそういった地形は判らないかもしれない。勿論ここは洛外、玄琢の里である。ゆるやかで長い坂道を下っていくと、・・・・・・・・間もなく「御土居」であり、京の七口の一つ「長坂口」だ。

 

 京の七口は、豊臣秀吉が洛中四辺に御土居を築き、皇都を守ることとしてから著名になった。その一つが丹後に向かう街道の一つ「長坂口」である。長坂越えは京見峠から杉坂に出る。

 

 御土居はバス通りから少し離れたところにあるが、寄り道をして仏教大学に出る。もう千本通りだ。

 

 千本通りは、丸太町付近までずっと下れば朱雀大路のことだが、この付近は蓮台野といい、昔は鳥辺野(とりべの)、化野(あだしの)と並ぶ葬送の地だ。日蔵上人という人が醍醐天皇の供養のために千本塔婆を立てたころから、いついうことなく千本通りというようになったらしい。醍醐天皇は、菅原道真を左遷したことから地獄で苦しみを受けていたのだという。醍醐天皇の御陵が千本北大路の角にある。

 

 北大路を過ぎ、上品蓮台寺、千本鞍馬口、閻魔堂の前を通って、釘抜き地蔵に着く。この付近は、昔が葬送の地であっただけに寺が多い。千本釈迦堂も、千本通りと北野天満宮の間、すぐ近くにある。

 

 釘抜き地蔵でお参りをして帰路につく。帰路は、上品蓮台寺まで戻り、東に曲がりすぐ船岡山だ。船岡山を越え、大徳寺、今宮神社を通って長坂口に戻る。もう一時間半は過ぎただろうか。

 

結構腹が減ってきた。急いで帰ろう!

 

 

 

   

北の旅

 

千歳川河畔の・・小さな小さなレストラン

千歳川のむこうに

常磐公園を眺めながら....

野鳥と一緒に

美味しい食事が楽しめます。

週に3日の営業・・・後は仕込みとか・・・。 きれいな奥さんの心のこもった料理です。

野鳥と一緒に・・・・  

       すてきな食事を!

斜路湖はやっぱり.....いいですね!

露天風呂もあるし・・・。

 

 

   

私の旅

 

 

多摩川の桜。

 

いわゆる「さくら(ソメイヨシノ)」はまだですが、緋寒桜(彼岸桜)です。桃や木蓮の花なども・・・いいですね!

 

のんびり桜など見ながら、小さな旅を経験するのもいいです。

 

 

 

 

   

私は、河童族の末裔である!?

 

 昔昔、中国での話だ。河童大明神が、世のため人のため数々の良いことをした、そのご褒美に神様から一人の子供を授かった訳だ。その子供は、人間ではあるが、河童の子でもある。神様の計らいで、河童の遺伝子と神の遺伝子が少し混じった形で生まれた。だから、今では、河童大明神の子孫には河童と人間がいるのである。つまり、我々人間の中には、それほど多くはないが、河童大明神の子孫がいると言うことだ。

 

 ・・・実を言うと、・・・・私も、(正真正銘の人間ではあるが、)親父のびっくりする話しによれば、河童大明神の子孫なんだそうだ。

 

 私たち河童族としては、人間との共生が図られられるよう、水がきれいで瀬と淵のある素晴らしい川づくりに取り組まなくてはならない!みんなで力を合わせて!

 

 

河童に係わる古証文

 

 No.01〜10

 No.11〜20

 No.21〜30

 No.31〜40

 No.41〜48

 

河童のつぶやき

 

 No.01〜10

 No.11〜17

 

 

河童文庫

 

河童に係わる芸術・文学

 

河童伝承

 

河童族

 

 河童共和国

 我が血統の秘密

 

juuu-net|私の旅|河童大明神|地域づくり|自己紹介|リンク集|e-mail|home

 

 

 

 

 

 

   

河童に係わる古証文

 

 

 

 これはNiftyserveの「川とロマンのホームパーティー」で語られたログを収録したものです。

 

 

無題 河童

川と音と風 みずすまし

芦田川と中川美術館 河童

大野川 河童

水辺の散歩道 みずすまし

岩 河童さんこんにちは

岩 皆さんお久しぶり

ドラゴンPのこと 弥生

河童の初夢 大分の河童

河童の遺伝子点検運動 みずすまし

はじめまして 綾

無題その2 河童

参加者名簿 みずすまし

水辺の散歩道 みずすまし

岩 大分の河童

岩 ドラゴンPについて

岩 大分の河童さんこんにちは

岩 河童の会(1)

岩 河童の会(2)

縄文人さんお願い みずすまし

河童の社会的地位 みずすまし

呪文を教えてください みずすまし

岩 本田君こんにちは

岩 河童談義

岩 本田君こんにちは

岩 多摩川源流から帰ってきました

「流域活動支援と河川管理のあり方について」のコメント 大澤

筑後川の河童レインコートの謎?

多摩川源流サミット  みずすまし

つくしんぼ/魚がいました

こんにちは/弥生

岩 奥多摩に行って来ます

岩 弥生さんこんにちは

岩 筑後川の河童

ガラッパふるさとに帰る/池

Res:・・・・岩

謹賀新年  河童

Res:・・・・岩

再オープンおめでとう

Res:・・・・岩

岩さん今日は/鮎

Res:・・・・岩

少し遅くなりましたが/つくしんぼ

岩  河童の子の歌

岩  大分の河童どん

河童の新刊本の紹介/ガラッパ

Res:・・・・岩

共生社会の一側面について・・・ 河童に係わる古証文

 

 No.01〜10

 No.11〜20

 No.21〜30

 No.31〜40

 No.41〜48

 

河童のつぶやき

 

 No.01〜10

 No.11〜17

 

 

河童文庫

 

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河童族

 

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 我が血統の秘密

 

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河童に係わる古証文

 

 

 

 これはNiftyserveの「川とロマンのホームパーティー」で語られたログを収録したものです。

 

 

 

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084 [94/07/02 04:16] KYB03341 無題 河童

 

 

 動画を見ながら音楽を聞く時、その動画が川の景色ならほとんどの音楽に合うのが不思議です。少々の歌詞があっても大丈夫。ずばり「海」などはだめですが 。川の良さの一つに「音」があるような気がします。川沿いに歩いている時ちょっとした壁になるようなもの(藪とか小屋とか)が、私と川の間にあると音が無くなります。逆に音を意識させられます。

 せせらぎ・瀬音・濁流の音・・・・もし川に音が無かったら・・・・・おかしいです。知らない町を歩いてみたい、いや、知らない町を歩いていても、もし「おや」と思う坂があったら、その先に川があります。

 河川工事をしている時は、水辺まで車で行けます。工事の車の道があるからです。下流の住民は、生活用水を管で海や川に捨てます。上流の 人達は、川にゴミなんかを捨てる様な生活をしています。

 名水の里とかいう看板の近くに、廃車になった車の山があったり、ごみ 捨て場があることが多いように感じます。

 きれいな川で魚を釣る人や、カヌーをやる人は、結構エゴイストです。

 あまり立ち入らないほうがいい場所に「川はきれいだ」とか「川を守ろう」とかいいながら、自分たちだけは、平気でどんどん進入し、またそれをエッセイなんかにして、自己満足しています。

川を守ろうとするだけでなく、何か提言できるようになれればいいなと思います。

 このごろ、本屋に行くと、川とか水とか、題名についていると、すぐに買ってしまいます。ホームパーティのなかには、本の紹介があります。欲しくなってしまいます。

本の中で、結構面白いもののなかに、法律があることを発見しました。

 多摩川の歴史が、結構河川法になっているのですね。

 ホームパーティの皆さん。もし、地球に川がなかったら、皆さんは何をしていますか。きっと、そう変わりなく生きていると思います。無くてもいいのですが、お蔭で皆さんにお会い出来たことに感謝します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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085 [94/07/04 00:21] PFA00120 川と音と風 みずすまし

 

 

 河童さん 無題の話、すばらしいです。インパクトを受けました。川の動画と音楽とがよく合うとのお話、大変示唆的です。次のような関係なのでしょうか。

 川とは水の流れである。

 水の流れを実感するためには時の流れに沿わなければならいない。

 そして音楽も同じように時の流れに沿わなければ実感できない。

 このように時の流れに沿って感覚を動員するという点で川と音楽がマッチするのでしょうか。

川の音とは川の奏でる音楽そのものであると考えると、川の音が川の良さであるとおっしゃられたことが当を得たことであることがよく判りました。

 水辺の散歩で実感していることから追加させていただきますと、様々な匂いや暑さ寒さ、湿気などの多様な要素があります。これらの多様な要素と音は私にとっては風を通して感覚できます。そこで川の環境を水と風で捉えることもできるのではないかなどと考えています。川の良さは水の流れの良さと吹く風の良さであるなどと気取って話したてみたい・・・。たしかに、川に沿って吹く風もまた時の流れに沿って吹きます。

                     みずすまし

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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088 [94/07/05 02:12] KYB03341 芦田川と中川美術館 河童

 

 

 7月2日と3日に福山市の中川美術館に行ってきました。美術館に行く途中に芦田川があります。見事に整備された川で、まさに人工が自然をつくり、自然が人工を完成させるのではないかと思われます。宮沢総理の出身地であり、岩さんの居た所ですね。芦田川の良さに道路と土手が同じレベルです。車で通りながら川を見れます。下流の川は、普通は土手で見れません。

 中川美術館はとんでもない美術館です。もし、中国に興味のある方は是非行って下さい。中国の若手の近代画・版画・水墨画の力に圧倒されます。

 2日の夜は、中川館長に中華料理を御馳走になり、自宅に招かれました。

 すばらしい絵と家具(王朝家具)と磁器に触れながら、中国という国の性格について、茶の心、秀吉と茶、正宗と利休、間について、まさに1000年の時を越えて尽きることがありませんでした。

 翌日、美術館で、まず鈞窯の磁器を見、墨絵、油絵、水墨画、版画80点を約2時間鑑賞し藤の木の下で昼食をとります。

 お話その1.田中角栄が日中国交樹立時に貰って帰った書の話題。漢詩の内容は、言ったことをきちんと実行して頂き、本当に誠実で・・・・実は、下の句が書かれていませんでした。その下の句は、そういう人を小人と言うそうです。

 お話その2.天高く馬こゆる秋.それは中国では淋しい秋、悲しい秋のことだそうです。

 お話その3.忙しい人は下級の意味があるそうです。ですから、お忙しい中ようこそおいで下さいまして・・・みたいな挨拶は、中国の人には使えません。

 

 お話その他沢山ありました。

 次が圧巻です。1000年前の茶器(宋の時代の青白磁)、明の時代の鈞窯の茶器、ルビーの茶器等での茶会です。座っているいす、テーブルは王朝のもの。1000年の気を体内に取り込んでしまいます。端渓の硯もいいですね。みずすましさんの言葉を借りれば、1000年前の風の音が聞こえます。

 

PS・・・・・・みずすましさん。財団で見ました「川のある風景」という写真集がありますね。 風景....風の景色ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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091 [94/07/07 23:53] KYB03341 大野川 河童

 大分県で一番長い川・大野川は、阿蘇の外輪山、久住山、祖母山を源流として、大分市を下流とする、やく60キロの一級河川です。肥後の国・細川の殿様の参勤交代道路に沿って流れており、豊後の国の中に数カ所の肥後の領地があります。

 

 

 別府湾にある港・鶴崎の町は、肥後藩の領土です。

 熊本県との県境にある町・竹田で私は育ちました.滝連太郎の出生地で、 岡城(臥牛城)という日本三堅山の一つがあります。湧き水とトンネルの多い町なので別名、蓮根の町とも言われます。前回の猛威を振るった19号台風で、川が氾濫し、大きな被害を受け、現在、河川の拡幅工事の最中で、今年は台風が来なければいいなと祈っています。

 氾濫の原因は、多量の杉の流木と、低い橋、山から流れる急流だそうです。

 ダムが出来るようですが、一つの対策だと思われます。私の住んでいたころは、水量も多く、イダ(ウグイ)、ハヤ、エノハ、マス、フナ、コイ、アブラメ、カマスカ、ウナギ等の魚が沢山いましたが、現在はどうなのかよくわかりませんので、近いうちに一度川遊びに行って来ようと考えています。

 弁当のおかずが前期魚のどれかだったことを思い出します。

 梅雨時、水を見に行くのが好きで、大野川を祖母の麓まで行くのが一番のコースです。

 

 

 

 原尻の滝、その近くにある連水車は、一つの風物詩です。今年の九州は雨がほとんど降らず、このままでいくと、水不足、断水になりそうで、大野川上りも出来そうにもありません。

 

 

 

暑中お見舞い申し上げます。

      ホームパーティの皆様へ。 大分の河童より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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092 [94/07/08 06:42] PFA00120

水辺の散歩道  4  みずすまし

 

 

水辺の散歩道シリーズ 第一話 散歩通勤 その4

 

 

 

 枯れ木も山の賑わい・・・・川とロマンのホームパーティーの埋め草発言が続いています。

 

 

 

3 生活スタイルとしての散歩通勤

 私にとって水辺の散歩通勤は大変好ましいものですが、最初に考えた「快適な環境を楽しむ散歩のような通勤」という認識から最近ではもう少し発展させて考えています。

 「ゆとりある生活」「ゆったりした生き方」などという言葉がよく聞かれます。これからの新しい時代の生活スタイルを示す言葉です。

 日本社会の成熟に伴って「ゆとりある生活」は当然だと思います。

 しかし、最近まで私は「ゆとりある生活」を社会現象として捉え、他人事として考えていましたが、自分の生活として、自分事としては考えてみませんでした。「ゆとりある生活」とは漠然としてでありますが、大金のいる生活と考えていたからです。

 しかし、歩きながらよく考えてみると、私の今行っている散歩通勤は「ゆとりある生活」であり、「ゆったりした生き方」なのではないか気付き、今まで自分の生活に抱いていたイメージが逆転してしまいました。

 毎日計一時間十分もかけて歩き、肉体的爽快感を味わい、勝田川と谷地の風景を観賞し、野鳥と交流し、知的発想をすること。これが「ゆとり」、「ゆったり」でないはずはないと直感したのです。

 「ゆとりある生活」イコール「高級リゾートでリッチな生活」といったイメージになじめなかった自分は、実は「ゆとりある生活」という言葉を利用したコマーシャリズムになじめなかっただけだということがわかりました。

 このように、散歩通勤をゆとりある生活の一部として捉えてみると、水辺の散歩通勤で得られた新しい生活感覚が、時代の流れに整合した新しい生活スタイルをつくっていく上で重要な役割をするかもしれないと考えるようになったのです。散歩通勤を個性ある生活スタイル確立の問題として考えるようになったのです。

 ありふれた水辺の環境が、実は、私のそして人々の生活スタイルの確立にまで影響している、あるいは影響する可能性がある。そう考えると水辺の新しい意味が見えてきたような気がしました。

   つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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096 [94/07/12 08:52] SGU01350 岩  河童さんこんにちわ

 

 

 大分の河童どん、こんにちわ。久しぶり。

 君が頑張り始めたようであるので、仲間と思うて、取って置きの身の上話をしておくばい。河川局長になったとき、親父から打ち明けられた私の身の上のもにも関連する信じられない無いような話だ。しかし、本当の話ですぞ。

 

 

 

 人間の遺伝子には二種類あって、普通の人間、つまり猿と基本的には同じ遺伝子を持った人間と少し神がかった人間、つまり神の遺伝子が少し混じった人間がいる。

 後者の場合、桃から生まれたり竹から生まれたりする場合もあるが、何か特別の事情によって、神から子供を授かり、その子供が大きくなって普通の人間と結婚、以来、子孫が繁栄している訳だ。

 河童大明神は、人間ではなく河童だが、一人素敵な人間の子供を授かったそうだ。

 

 

 

 昔昔、中国での話だ。河童大明神が、世のため人のため数々の良いことをした、そのご褒美に神様から一人の子供を授かった訳だ。その子供は、人間ではあるが、河童の子でもある。神様の計らいで、河童の遺伝子と神の遺伝子が少し混じった形で生まれた。

 だから、今では、河童大明神の子孫には河童と人間がいるのである。つまり、我々人間の中には、それほど多くはないが、河童大明神の子孫がいると言うことだ。

 

 

 

 大分の河童こと河野さんもその仲間かもしれない。芥川龍之介、火野葦平、清水崑などはそうらしい。めたらやったら河童が好きなんですからね。・・・・・

 ・・・実を言うと、・・・・私も、(正真正銘の人間ではあるが、)親父のびっくりする話しによれば、河童大明神の子孫なんだそうだ。

 親父曰く。「家には、人には見せてはならない家宝がある。いずれお前に譲るが、それを用い、オン、アビラウーンクハンと10回唱え、もし河童大明神に通ずれば、3日間だけ河童に戻れる。・・・・・・今は、河童も少なくなったが、水がまあまあきれいで豊富なところで、トロトロガンドウの有るところには、居ることは居る。

 最近はいろいろと困っているようなので、話を聞いてやって、助けてやって欲しい。

 

 

 

 お前と同じような人間、河童大明神の子孫もたくさん居るので、是非、力をあわせるように。」 そんな話だった。

 

 

 

 そして、親父は、こうも言ってた。

 「全国には、そういった河童大明神の子孫で、気の利いた連中が、河童連邦共和国という組織を作っている。」 

 そして、河童と仲よく暮らそうという市町村長の支援団体「河童のふるさと創り全国連絡協議会」というのも有るとのことだ。

 

 

 

 その辺の詳しい情報、親父から聞いた面白い話、トロトロガンドウについては、また機会をみて。・・・・・とっぴんぱらりのぷう。/E

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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101 [94/07/12 19:57] SGU01350 岩さん  皆さんお久しぶり

 

 みなさんお久しぶりです。大分の河童へのメッセージを見て頂けたでしょうか?

 如何でしょうか?・・・

 河童大明神はれっきとした河童です。しかし、今では神の分身として、河童からも人間からも崇められているのです。分身ではあるが、水の神、川の神として。

 ところで、龍神もそう。

 こう言った水の神、川の神を崇めながら、いい川にして行かなければならない。・・・

 ・・・そんな考えもあって、九頭龍川のドラゴンプロジェクトというのが始まっております。これから、時々、水の神、川の神河童や龍について、語り合いたいと思いますが、そのイントロとして、とりあえず九頭竜川のドラゴンプロジェクトについて紹介しておきたいと思います。

 さて、まことに恐縮ですが、弥生さん、九頭龍川のドラゴンプロジェクトに関連して、皆さんに話してあげて下さいませんか。その件で福井に行ったとか、何でもいいですから・・・・・・・

あとは、私が解説をします。

 

 

 

 

 

 

 

 

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103 [94/07/13 13:05] KGF03471 ドラゴンPのこと/弥生

 

 

 今日もよい天気・・・そろそろ雨が府って欲しいですね。

 私、雨降りってキライじゃないんですよね。

 何日も降り続いて洗濯物が乾かないと主婦として困るけど。

 

 

 

 岩さん・・・ドラゴン・プロジェクトの話ですか?

 うう?ん、出席した会議は二回ほどで、後はワープロ作業で目にした程度の知識しかないんですけど・・・・門前の小僧状態ということでお許しください。

 

 

 

 本格的にこのプロジェクトが起動し始めたのが今年の冬。まだ雪の降る2月の終わりに第1回の委員会がありました。

 このメンバー、主には福井県と川に関係ある学識経験者の方にお集まりいただいたのですが、ちょっとおもしろいのはその専門が広範囲なこと。それもそのはず、このプロジェクト、社会系・文化系・生態系・水系という多方面から「川」をとらえようとする企画だからなのです。

 先生方のディベートも各方面からの専門的な知識を九頭竜川と絡めて、なかなか白熱するものになりました。

 

 

 

 お話によると、九頭竜川という川、歴史的な話題も豊富な川のようです。また、経済的にもいろいろな役割を果たしてきた川とか。私は残念ながら、まだこの川を見ていないのですが、この流域に住む人々にとっては、生活に密着したいろいろな思いのある川なのではないでしょうか。

 

 

 

 話は変わりますが、生まれ育った町や村の川、今住んでいる町の川については、他の土地の人とはひときわ違った、それなりの知識や思いがあるように思います。

 私にとって「太田川」というと、母や父やもっと昔の祖先からずっとかかわってきた川ですから、「洪水で浸水した箪笥」だとか、「ひいおじいちゃんの架けた吊橋の話」とか、「川えびをとって瓶に入れていたら日光で赤くなってしまった」だとか思い付くままに書くときりがないほどの話がでてくるわけです。(そういえば、昨日の未明に「熊」がこの川を下って市内に出没したらしいですね。)

 

 

 

 ということで、今年の夏あたりに開催される予定の九頭竜川のシンポジウムでは九頭竜川の流域の人々を中心に、川のことを考えたり、話し合ったりする会にしようと、今、企画されている最中です。

 

 

 

 川のことについて話し合い、もっと川のことを知れば、自然のおもしろさ、偉大さについて、身近に感じられるようになるかもしれませんね。河童も顔を出してくれるようになるかも?

                       弥生

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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105 [94/07/13 22:40] KYB03341 河童の初夢 大分の河童

 

 

岩さん他皆様へ

 今朝起きて思わず頭を触ってみると、何と頭の中央に白磁の皿が付いているではありませんか。薄くて軽い淡い黄土色をしたものです。食いしん坊の私の皿は、昨晩つまみ食いした太宰府で買ってきた茶菓子のあんが残っています。

 みずすましさんの皿は端渓の硯に似ています。への河童さんのはボタンが沢山付いていてタイムカプセル用のスイッチがあります。弥生さんのは、ちょっと深めで、都忘れの花が生けてあります。おーい竜馬さんのは草が生えていてなんとも面白い皿です。

岩さんの皿は、ブルーにグリーンを混ぜた色合いで、朱色の文様の入った鈞窯の皿で、底のほうには、ちょっぴり酒らしきものが残っています。

 きっと昨晩は養老の滝にでも行って来たのでしょう。二日酔いで呪文を唱えていますが、果してききめがあるのでしょうか。

 皆さん。最近、河童の皿を盗んで、お茶会を楽しんでいるへの河童さんの話に出て来そうなやつがいるそうです。気をつけましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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107 [94/07/14 10:42] PFA00120 河童の遺伝子点検運動 みずすまし

 

 

 7月12日13日で合計12の発言! それぞれにコメントしたいのですがなかなか間に合いません。水源から流れ出した小さな流れが急流に出くわしたと言う感じです。

 

 

 

 岩さんの河童の血筋の告白がきっかけで河童談義がはじまりました。川とロマンのホームパーティー参加者諸氏にあられては、ご自身の遺伝子の中に河童の遺伝子が含まれているかどうか点検してみませう。

 私にあっても遺伝子の点検をします。点検方法は 1)親から真の血統 について聞きただす(ヒアリング) 2)自身の過去の行状で不審な点は ないか、特に神がかったことがないか(行動分析) 3)河童に対して親 しみを持っているか(心理分析) 4)他人から河童だといわれたことが あるか(風貌分析)などを採用し、遺伝子の存否を総合判断する予定 です。点検の結果は後程ご報告いたします。

 河童は単なる川のシンボルではなく、日本民族の神の系譜を引き、歴史的文化的伝統の中で育ち、人と自然の共生という抽象概念を姿、映像で示したアレゴリーであると思われます。岩さんの言葉に翻訳すると、自然・文化・コミュニケーションを水辺で姿、映像で示したものが河童であると言うことになるのではないでしょうか。ホタルやトンボやカワセミなどはどちらかというと水辺というフィジカルな環境のシンボルですが、河童は「川と人の生活との共生」と言う歴史的、文化的に培われてきた理念のシンボルなのではないでしょうか。

 河童の話し、河童文化史、河童の出没する川・・・・など河童をり口にして水辺の楽しさ、水辺のあり方などについて議論してみるのも面白いと思います。河童族の一員の告白をしつつある岩さん、縄文時代からのヘノカッパさん、大分の河童さん、弥生さん、つくしんぼさんはじめ皆さんいかがですか。河童づくしのホームパーティーも面白いかもしれません。アーチェリー、台風、龍などについてはあらためて話します。 水辺の散歩道シリーズもあらためて。 大分の河童さん、名簿も追って掲載します。                        みずすまし

 

 

 

   

河童に係わる古証文

 

 

 

 これはNiftyserveの「川とロマンのホームパーティー」で語られたログを収録したものです。

 

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108 [94/07/14 18:44] PXK06210 綾 はじめまして

はじめまして

PXK06210綾

 渇水がまた巡ってきました。いささかロマンがない事態です。 荒木さんから、パーティを覗くようにとのご招待があり、遅ればせながらNIFTYに加盟した次第です。パソコン通信は300ボーの時代に少々やっていただけなので、すっかり忘れていました。やはり時間がかかるので暇を見つけて参加したいと思います。

 川に対するイメージは仕事の分野次第の面があります。子供の頃は清流であった五ヶ瀬川でOOチンで泳ぎ、うなぎのしらすや白魚を手ぬぐいで掬って石の上で干して食べたものです。水質汚濁の仕事をやっていると、川はなつかしい対象から怒りをもよおす物になってしまいました。一昔前に、下水処理水を使った人工の河川や流水の復活を考えていたときも、やはり自然の流れを失ったことへの反逆だったと思います。水遊びの場のイメージは年をとるにつれて忘れてしまい、破堤寸前の洪水を見に行った印象の方が先に思い出してしまいます。人工的な日本の河川の姿は、工学の対象であっても自分には親しみが湧かないのです。なんだか、自分向けではなく他人に水に親しめるような場を一生懸命仕事としてやっている気がします。

 それでも川は見に行っています。バングラディシュのバドマ川 (ガンジス川の下流です。)の突堤で、大勢の人たちが夕日が沈むまで川面を眺めていた光景は印象的でした。世界の3大滝も見ました。ビクトリア滝が一番気に入りました。イグアスの滝は先月行きました。大きいけど観光地化されていてがっかりしました。一番楽しかったのは、10年ほど前にタイ北部山間部の清流で小屋にキャンプしたときでした。蛙の声に囲まれてメコン(タイウイスキー)をかたむけ語り明かしたものです。その場所も、観光地になりホテルがいくつも建っているそうです。いずこも自然は失われていくのでしょうか。贅沢を要求しているのでしょうか。

 初めてなのに不平をつぶやいて申し訳ありません。皆さんの話に参加してロマンを取り戻す努力をしたいと思います。 では失礼。

 

 

 

 

 

 

 

 

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109 [94/07/15 01:53] KYB03341 無題その2 河童

 もう少し原稿のストックがあるので、取り急ぎ処分します。

1.九州は殆ど雨が降りません。水たまりもないのでボーフラもわかず殆ど蚊がいません。

2.入道雲を今年は見たことがありません。雷も鳴りません。

3.ゴルフ場の池の水が2割位しかありませんでした。池に入ったボールが沢山ころがっています。何故だか、池の鯉が水辺で並んで、体を半分、水上に出して日光浴をしています。

4.花屋の話と川の話をすると、初対面の人でも安心してもらって話が弾みます。コンピュータの話をすると大変ですねと言われます。

5.生活水が川を、水を汚していることはわかっているのですが、実感としてわからないのが、現実でしょう。この部分に一つの焦点をあててトライする必要があるようです。皆さんから意見を頂きたい課題です。

6.自分は川に興味をもっていて。まだ、こどもを川で遊ばせたことがありません。いけない親です。反省。

7.発想・空想は自分のいる場所によって随分変わります。町の中、汽車の中、飛行機の中、船の上、山の上、山中、土手の上。逆に、何も考えない場所に、土手の上もあります。ただ感じるだけの場所。

8.蛇足。女房は疎開先の栃木県の那珂川の傍で生まれ、那珂子といいます。・・・・歳。  次女すみれはまだ川に縁がありませんが、一番、自然が好きな子です。中3。 長女はるかは、小さい頃からのニックネームがを『河童』です。私は河童の親父です。 大学3年.東京で生活しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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110 [94/07/15 09:47] PFA00120 参加者名簿 みずすまし

 

 

 弥生さんの協力のもとに川とロマンのホームパーティーの参加者リストを作成しましたので、掲載いたします。みずすまし

 

 

 

<川とロマンのホームパーティー発言者リスト> 平成6年7月15日現在 (発言順 敬称略)

 

 

 

 ID     名前       ハンドルネーム

 

 

 

PFA00120 荒木 稔さん      みずすまし

KGF03471 奥村喜代さん      弥生 

NAD03147 本田 敦さん

SGU01350 岩井國臣さん      岩さん

KYB03341 幸野敏治さん      河童(大分の河童)

MXF02556 布村明彦さん

HDC02461 松下哲雄さん カのカッパ、ヘのカッパ、縄文人等

GCB02071 大澤浩一さん

VFC02217 最上淳子さん      つくしんぼ

PFE00327 阿保和久さん      おーい竜馬

PXK06210 綾 日出教さん

 

 

 

メッセージを寄せた人

幸田瑞雄さん

堀内道夫さん

古橋敬治さん

 

 

 

上記以外に参加された方

7名

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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113 [94/07/17 08:14] PFA00120 水辺の散歩道 5 みずすまし

水辺の散歩道シリーズ 第1話 散歩通勤 その5

第1話 散歩通勤の最終回です

 

 

4 散歩通勤のすすめ

 私は散歩通勤を、サラリーマンであるならば一度試してみる程度の価値はあるのではないか、との感想を持っています。

 散歩通勤の効用は肉体的壮快感、環境に対してリアルな気付きを持てること、頭脳明晰化効果などがありますが、その意義を時間の使い方(つまり生き方)から要約してみると、次のようになります。

 都市生活者にとって自然的歴史的外界との対話および自分との対話が実は日常的に不足しています。散歩通勤の意義はこの不足している対話を可能にする落ち着いた時間をもてるということです。仕事やレジャーなどの目的のある生活で全ての時間を埋め尽くすことが都市生活者にとってあたりまえのこととなっていますが、散歩通勤はいわば目的や意図の無い時間を毎日定期的に作ることであります。孤独の時間を作ることでもあります。高度な生活技術を必要としない、心理学的な意味での儀式やゲームを必要としない気楽な時間をつくることであります。そのために様々な効用が生まれると考えられます。このような意義の大きな散歩通勤をおすすめします。

5 水辺の散歩道

 快適な散歩通勤をするために必要な条件のうち特に重要なものとして水辺の存在があります。私の散歩通勤を私は水辺の散歩通勤と呼んでいるのですが、実は勝田川に沿った道があって歩いているのではありません。流水を見るのは勝田川の馬橋という橋を渡る時だけです。

 しかし私にとって勝田川の流れる谷地に足を踏みいれた瞬間から水辺の感じを受けます。谷地があって川が流れているのですが、谷地と川は分離しているのではなく合わせて一体の水辺です。谷地の縁の斜面は樹林に覆われていますが、夜にはそこにホタルが舞っていることもありますし、広さからいっても、分析的に斜面樹林と河川などと分けてみてもしょうがないことのように実感されます。ともあれ、川に水があり生きものがいることが谷地の環境の基本となっており、そうだからこそ、谷地全体が水辺として意識されているのだと思います。このような水辺の環境を改善し、よりよい水辺の散歩道にしていきたいものです。

 おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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116 [94/07/18 23:34] KYB03341 岩   大分の河童

 

 

 以前から女房に、川が面白くて本格的に取り組んでみようと話していました。

 岩さんの話や、みずすましさんの話も時々していますが、彼女が面白そうだと思っているのは、川と言うテーマもそうだが、財団の人達や、川に取り組んでいる人達のすばらしさが想像できるからです。先日の『河童大明人』の話を一緒に聞かせて頂きました。

 三回目にお会いした時に、『川を一緒にやってみようよ』と言われた時から自分なりに決心を(それも、何の無理もなく)しましたが。今回、お前も河童かもしれないと言われて少々プレッシャーを感じますが、また、何も出来ないかもしれませんが、少なくとも川が好きだという気持ちを一生持ち続けることは出来ますので、どうか仲間にいれて下さい。

 八月の第一週に、大分川か大野川の川縁でバーベキュウを楽しみながら第一回の顔見せをおこないます。どんな話になるかわかりませんが、次の回までに皆の川に対する思いを書いてもらって、第二回は、その発表の場としたいと考えています。

 その時、是非とも大分に来ていただければと思います。

岩さんの来て頂ける時を、川のロマンネットワーク21のキックオフにします。

 『万象に天意を覚ゆる者は幸なり。』という碑文の話を結構、使わせて頂いています。

 色んな思いを一つに凝縮させ、昇華させたすばらしい言葉で、川の流れに似たりと感じます。

  1994年盛夏 宇宙ではめだか、金魚、いもりが泳いでいる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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118 [94/07/19 20:03] SGU01350 岩  ドラゴンPについて

 

 

 九頭竜川のドラゴンプロジェクトですが、弥生さんの話にありましたように、今年の2月末からスタートした、誠にユニークというか、私が今後大いに力を入れたいと思っているプロジェクトです。

 河川環境管理財団・大阪研究所で事務局をやってもらっており、弥生さんにもいろいろお手伝いいただいていると言うわけです。

 

 

 

 第一回の会議が福井であったとき、私は、会議後の懇親会で、弥生さんとパソコン通信の話をし、力添えをお願いしました。

 そのことが今日に繋がっていることを思うと、九頭竜川のドラゴンプロジェクトが弥生さんとこのHPとの縁を作ってくれたと言えるかも知れません。

 

 

 

 皆さんも感じておられるように、このHPにおいて、河川環境管理財団ではみずすまし君と弥生さんが中核的存在ですので、九頭竜川のドラゴンプロジェクトを語るに際し、まず、弥生さんにご登場いただいたわけです。

 

 

 

 弥生さん、話の切り出し、ありがとう。

 

 

 

 さて、ドラゴンプロジェクトというのは、

そもそも国際日本文化研究センター(日文研)の安田喜憲教授

の提案によりスタートしたプロジェクトです。

 

 

 

安田先生の考えによると、

西欧では竜はこの世の邪悪なものとして退けるべき存在、

東洋では竜は神の分身として恐れ敬うべき存在であるが、

 

 

 

世界におけるこれからの文明は、

そう言った東洋的な思想を十分加味していかないといけないのであって、そのためのケーススタディーをどこかの川でやる必要がある。

梅原猛さんの言われる第三の文明を模索するひとつの試みとして・・・・。

 

 

 

そういった安田先生の考えに共鳴する点が多いのですが、私の考えは必ずしも安田先生と同じでないかもしれません。

 

 

 

 自然というものに畏敬の念を以て接しなければならないと言う点は同感ですが、 個人レベルではいざ知らず、行政レベルの取り組みにドラゴンを持ち出すわけにはいかないでしょう。この点が安田先生と若干想いを異にしているかも知れません。

 

 

 

 また、梅原猛さんの言われる第三の文明というものを模索していかなければならないと言うことについても同感ですが、理念はともかく、地域での実践段階に第三の文明を持ち出すことは適当でないでしょう。

 この点も安田先生と若干想いを異にしているかも知れません。

 

 

 

 つまり、(個人的な立場で)竜神思想や第三の文明について大いに語るとしても、(公的な立場で)それを地域に押しつける訳にはいかないと思います。

 

 

 

 九頭竜川のドラゴンプロジェクトについてはまたお話ししたいと思いますが、今日のところは、「21世紀にあるべき第三の文明ということを念頭に置いて竜を登場させたいと考えておられる人がいる」そのことをとりあえず紹介して話を終わります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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119 [94/07/21 08:08] SGU01350 岩  大分の河童さんこんにちわ

 

 

 河童連邦共和国や河童のふるさとづくり全国連絡協議会など河童一族の組織について、親父に詳しく聞いたところ、河童のふるさとづくり全国連絡協議会は市町村長の集まりなので、早速連携するようにとのことでした。会長は、菱刈町の久保町長だそうです。佐賀市の西村市長も熱心なメンバーだそうです。

 私の調べによれば、建設省川内川工事事務所の上杉所長も河童一族で久保町長と一緒に河童のために頑張っているそうです。

 上杉君は、清水さんが大変親しいはずですので、いちど折を見て会っては如何ですか。

 営業活動も兼ねて・・・・。/E

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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120 [94/07/21 12:00] SGU01350 岩  河童の会について

 

 

河童のふるさとづくり全国連絡協議会会員(市町村)

 

 

 

北海道名寄市、青森県大畑町、宮城県色麻町、涌谷町、茨城県牛久市、栃木県栗山村、高知県高知市、島根県桜江町、福岡県田主丸町、佐賀県佐賀市、北波多村、熊本県八代市、鹿児島県川内市、菱刈町

以上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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121 [94/07/21 13:12] SGU01350 岩  河童の会について(その2)

 先に述べたように、河童連邦共和国については、若干時間をかけて、国情とか国民性とか、或いは指導者の人柄などを調べてみないといけませんが、とりあえず組織だけお知らせしておきます。

 

 

大統領府・・東京 (浅草、上野、日本橋、千駄木、利根川、神田川、おいてけ堀、江戸川、武蔵野など大統領府直属の各かっぱ村)

 

 

 

大使館・・・名寄、札幌、岩手、福岡、長崎、宮崎

 

 

 

国・・・・・旭川かっぱ村、砂川かっぱ村、定山渓温泉かっぱ村、札幌かっぱ村、みちのく河童村、牛久かっぱ村、川越かっぱ村船橋かっぱ王国、わたらせ河童王国、新治かっぱ村、西松かっぱ村熱海かっぱ村、河口湖かっぱ村、静岡かっぱ村、浜名湖かっぱ村、浜名湖西かっぱ村、駒ヶ根天竜かっぱ村、越前かっぱ村、奥飛騨かっぱ村、奥長良かっぱ村、えな河童村、みの河童村堺かっぱ村、讃岐かっぱ村、長崎かっぱ村、川内がらっぱ共和国

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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124 [94/07/24 12:11] PFA00120 縄文人さんお願い みずすまし

縄文人さんにお願い     みずすまし

 

 

 岩さんから河童について沢山の話(NO96、101、118、119、120)をしていただいていますが、河童連邦共和国や河童のふるさとづくり全国連絡協議会などこんなにあるとは驚きでした。

 河童連邦共和国はパロディー共和国というもののようですが、河童の末裔こと縄文人さん、パロディー共和国とはどんなものか教えていただけませんか。うわさによると縄文人さんは「ニコニコ共和国」の関係者でいらっしゃって、岩さんを案内したこともあるとか。

 

 

 

 

 

   

河童に係わる古証文

 

 

 

 これはNiftyserveの「川とロマンのホームパーティー」で語られたログを収録したものです。

 

 

 

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125 [94/07/24 12:12] PFA00120 河童の社会的地位 みずすまし

河童の社会的地位  みずすまし

 

 

 伝説や昔話からみると、河童の社会的な地位は元来東に低く西に高いといわれていますが(「山島民譚集(一)」柳田國男集27卷p102)、河童のふるさとづくり全国連絡協議会のメンバーをみますと東低西高が如実に現れていて面白く感じました。会長が久保菱刈町長というのもうなずけることです。数年前に菱刈町地先の川内川の河川空間整備のお手伝いをさせていただいたことがあり、河童大明神はじめ多数の河童の像が川中の公園におかれておりましたが、岩さんからの情報で、今やっとあの公園が日本の河童社会の一大中心地であることが判った次第です。ちなみに数十の河童像は地元の人々の手作り作品をはじめ様々な団体が持ち寄って来たものでした。

 伝説や昔話からみた河童の社会的地位の歴史的東低西高はともかく、現代の川や水と人との好ましい関係のシンボルとしての河童の社会的な地位の高さは全国共通のようです。これは川や水の大切さを示そうとする時に河童が絶えず図案としてもちいられていることからもわかります。ちなみに河川環境管理財団の「川の本」(年2回刊)にも毎号かわいい河童の子供が出て中身の案内をしています。

 そういえぱ、荒川下流でも川づくりに関してカッパクラブとか子ガッパクラブとがつくられるようです。名前の由来を誰か教えてくれませんか。

 21世紀にはもっと河童の社会的な地位が向上している。そうしたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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126 [94/07/24 12:14] PFA00120 呪文を教えてください みずすまし

 

 

オン、アビラウーンクハンについて

 96番の岩さんの発言には沢山のキーワードが出てきました。

河童大明神、河童の遺伝子と神の遺伝子、芥川龍之介、火野葦平、清水崑、「オン、アビラウーンクハン」、トロトロガンドウ、河童連邦共和国、河童のふるさとづくり全国連絡会議などです。

 このうち「オン、アビラウーンクハン」、トロトロガンドウのふたつは単なる創作なのか意味がある言葉なのかわかりません。アビラはアラブカタブラーのアラブに通じるか?トロトロガンドウについては、トロトロはたらたらたれると言うような粘液状の形容詞と岩頭の組み合わせか? 本当の意味がわかりません。岩さん教えてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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130 [94/07/27 19:09] SGU01350 岩  本田君こんにちわ

 

 

 本田君、お元気そうでなりよりです。

 それにしても毎日本当に熱いですね。オートキャンプに行ったとの話が、過日HPで話題になっていましたが、全くうらやましいです。

 お聞きおよびのように、当河川環境管理財団にもMACとIBMが入りました。マルチメディアに関する業務(多摩川の水辺の生物館や木曽川文庫等における画像情報・・目下、みずすましが中心になってハイコミュニケーション研究会で検討中)に当然使いますが、近々「ライブラリー&サロン」が当財団に出来ますので、そこに置いて、そういった財団業務のPRにも使うつもりです。

 河川環境管理財団も大いに変わりつつあります。それも本田君のお陰ですね。今後ともいろいろと手伝って下さい。

さて、私のMACですが、河川環境管理財団で作業した98ファイルを自宅のMACで使うときに、変換がうまく行かなかったのです。

 悪戦苦闘の結果、原因が判りました。一番最初に、アプリケーションプログラム(JTERM)をインストールする際、簡易インストールでインストールしたため、必要な変換プログラムがインストールされてなかったのでした。お粗末・・・。

 ご心配いただきありがとう。今後ともいろいろ悪戦苦闘すると思いますので、よろしくお願いします。本田君がいるので安心し居られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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:岩   河童談義

 

 

確認 岩   河童談義 (1:OK 2:NG)

:1

本文 ( 100行まで 終了は行頭で/E)

 トロトロガンドウというのは、意味のあるれっきとした日本語ですがアビラウーンクハンというのは、呪文ですから、当然意味はありません。

 トロは、瀞の意で、河水が深くて流れの静かなところ。

淵とどう違うのですかね・・・・。

 トロトロは、河童一族でしか使っていないので、一般的ではありませんが、瀞が連続している様を言うそうです。

 一般的には、みずすまし君が言うように、固体が融けて粘液状になった様を言うのでしょうね。また、トロトロするなと言うときは、ゆっくりしたさまを言うのでしょうね。

 ドウは、洞で、木の洞穴と岩の洞穴があります。河童一族では、岩の洞穴をガンドウと言っているそうです。しかも、鍾乳洞のように、奥深く河童の世界まで続いているのを言うのだそうです。

 芥川龍之介の河童にでてくる洞穴は、単なるガンドウで、トロトロガンドウは、瀞が連続して続いているような所にあるガンドウのことだそうです。

 やっぱり私は、河童の系統、京都にいる頃は、嵐山上流の トロトロガンドウでよく泳いだものです。当然ガンドウ探しの潜り専門ですね・・・・。

 最近では、広島時代、太田川の上流、加計町の丁川(よろがわ)ですね、 そこのトロトロガンドウによく出かけました。

 地元の人もほとんど行かないような所ですが、実に良いところです。

 ちなみに、私の水泳は大したもので、潜りだけでなく、格好はいいし、とても速いのです。一度機会があれば、その姿をお見せしたいものです。

 

 アビラウーンクハンは、河童大明神と交信するときの信号です。

 

宇宙の神と交信するときの信号は、

「オンボダロシャニソワカ、オンバサラダドバン、オンアビラウーンクハン、オンアメリタティー、ゼイカラウーン、ノウマクサバンダ、ボダナン」です。

 

 これも意味不明ですが、これを無心に唱えていると、宇宙の神と交信が出来て、何か感じるところがあるのです。

 宇宙の神との響き合いがあるということでしょう。

 

 是非試してみて下さい。

/E

 

 

 

 

 

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:岩   本田君こんにちわ

確認 岩   本田君こんにちわ (1:OK 2:NG)

:1

本文 ( 100行まで 終了は行頭で/E)

本田君、お元気そうでなりよりです。

それにしても毎日本当に熱いですね。オートキャンプに行ったとの話 が、過日HPで話題になっていましたが、全くうらやましいです。

お聞きおよびのように、当河川環境管理財団にもMACとIBMが入りました。マルチメディアに関する業務(多摩川の水辺の生物館や木曽川文庫等における画像情報・・目下、みずすましが中心になってハイコミュニケーション研究会で検討中)に当然使いますが、近々「ライブラリー&サロン」が当財団に出来ますので、そこに置いて、そういった財団業務のPRにも使うつもりです。

河川環境管理財団も大いに変わりつつあります。それも本田君のお陰ですね。今後ともいろいろと手伝って下さい。

さて、私のMACですが、河川環境管理財団で作業した98ファイルを自宅のMACで使うときに、変換がうまく行かなかったのです。

悪戦苦闘の結果、原因が判りました。一番最初に、アプリケーションプログラム(JTERM)をインストールする際、簡易インストールでインストールしたため、必要な変換プログラムがインストールされてなかったのでした。お粗末・・・。

ご心配いただきありがとう。今後ともいろいろ悪戦苦闘すると思いますので、よろしくお願いします。本田君がいるので安心し居られます。

/E

 

 

 

 

 

 

 

 

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確認 岩 多摩川源流から帰ってきました (1:OK 2:NG)

 

 

毎日暑いことです。河童一族は、水不足が一番応えますね。

でも、私は、先週末、多摩川の源流のトロトロガンドウに行って来て英気を養ってきましたので、すこぶる元気です。

 

さて、多摩川源流の里フェスティバル(前回、水源の里フェスティバルと言ったのは、私の早とちり)については、みずすまし君からの報告通りですが、私もいろいろと勉強になりました。

いよいよ水を中心にした国土管理、川を中心にした国土管理、流域を中心にした国土管理に力を入れなければならないと、実感した次第です。

 さて、多摩川源流の里フェスティバルは神金小学校という小学校がメイン会場だったのですが、来春、その小学校が廃校になるとのことでした。過疎が大変深刻な状況ですね。何とかならないものかと思いませんか。

そこで、私が、そういった源流地域の活性化のため、ちょっと思いつい たことがあります。

 

その廃校となる小学校を借り受け、何かできないか・・・・。多摩川源流総合研究所なるものを開設できないでしょうかね・・・。今思案中です。

生涯学習としての春期大学、夏期大学、秋期大学或いは小中学生を対象に林間学校ならぬ源流学校を開きたい。

自然学を教えるとともに、森の大切さを教え、水の大切さを教え、

川とか流域というものについての認識を深めるようにしたい。

勿論楽しみながら・・・・・。山登り、沢歩き、岩魚釣り、野鳥観察、植物観察などを体験するようにしたい。星を見て宇宙を考えることもできるかもしれません。

山菜料理も楽しみましょう。

河童や天狗や川・山に関する民話を集め、夜は語り部がそれを語る、楽しいではありませんか。

多摩総研の日常の研究は、多摩川の源流をフィールドにして、今は亡き今西錦司さん提唱の自然学の研究と過疎地域の活性化の研究です。

 

基本的にボランティアでやるという発想です。家族連れ或いは仲間と保養がてらきて貰ったらいいのですからね・・・。無料で宿泊(食事は自炊)して貰います。

 この指たかれの方式で、教授30名と研究員60名は公募したいと思いますが、希望者はあるでしょうかね・・・。

 

以上、どんなものでしょうか。意見や良い知恵があったら教えて下さい。

 

 なお、教材の作成はマルチメディア(メディアフレンド)を使い、教授や研究員との情報交換、過疎地域或いは類似の研究所との情報交換は、パソコン通信(川のロマンフォーラム)を使えるかも・・・。

 

 メディアフレンドについて、大分の河童君からご披露して下さい。よろしく。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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150 [94/08/11 17:51] GCB02071

:RE:(仮)流域活動センター構想

 

 

「流域活動支援と河川管理のあり方について」のコメント    大澤

 ご無沙汰しております。突然、岩さん、みずすましさんから「流域活動支援と河川管理のあり方について」の資料が出ましたので、ちょっと違和感をお持ちの方もいらしゃるかもしれません。少し具体的なことでコメントさせていただきたいと思います。

 先に鶴見川での市民活動についてちょっとふれましたので、鶴見川流域ネットワーキングのことについてお話します。3年ほど前から、鶴見川に関心のある流域の市民団体が集まって緩やかな交流を続けています。自然保全活動を主とする団体、川歩きを行う団体、地域の歴史や川の歴史を尋ねる団体、川遊びやイベントをしながら街づくりに生かそうと活動している団体、子どもたちで環境学習をしているグループなどさまざまです。基本は各団体が主体的に活動することで、互いの活動に参加し知り合う、鶴見川が良くなることであれば互いに協力し会う、、をモットーに行政とも協力して活動しています。その中で、「ニュースの発送や会合の場所など、やはり活動の拠点がほしい」「活動の小道具(イベントの七つ道具、パネルやPRグッズなど)の置き場が必要になってきた」「鶴見川の情報や資料を一ヶ所に集めていつでも利用できるようにしたい」「川に関心のある人たちが気軽に集まれる場所がほしい」等の要望がでてきています。この解決策のひとつとして「バクハウス(流域活動センター)」をつくろうと検討を始めたところです。

 一方、行政は市民団体との連携で鶴見川のPRや理解者の拡大ができることになり、従来とは違った啓発事業の展開が見えてきたようです。鶴見川いきいきセミナーやふれあって鶴見川のイベントを通じて、着実に関心をもつ人たちが増えてきていることと思います。ところが、関心を持った人々が次にどうステップアップするか、行政としてこれにどう答えるか、一方でまだまだ鶴見川に関心を持ってもらいたい人々もいるため底辺を広げることも必要です。どんどん取り組むべき課題が増え続けています。しかも担当者はおおむね2年で変わってしまうので、これを継続させることは至難の業と言うことになります。いいことなのだがやればやるほど市民の要望も期待もどんどん膨らみ、担当者の大変さが増します。なにかいい知恵はないのもか。まちづくりでは今、まち

づくりセンターやまちづくりハウスなど市民活動をサポートする仕組みが検討され試行されつつあります。川でも取り組めないか、しかも広い意味で川の管理の一環として。これが提案した趣旨です。

 所で、鶴見川のような悩みを持ってらっしゃる方や体験されて方もいらしゃるのではないかと思います。是非、体験談や事例、いい知恵、ご意見等お聞かせください。おまちしてます。また、河川管理の基本を勉強しようと思っています。なにかいい参考図書や資料がありましたら教えてください。次回は(仮称)流域活動センターのイメージを小生なりにスケッチしてみたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・  大澤浩一

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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152 [94/08/12 10:03] SGP01441

筑後川の河童 レインコートの謎?

 

 

 書き込みが遅くなりました 申し訳在りません。

 弥生さん、みずすましさん、つくしんぼさん 歓迎ありがとうございます。まず、皆様の疑問を解決したいとおもいます。

 浮羽は筑後川中流に位置し、林業、農業(特に果実)中心の長閑で住み易い場所です。

 私は、色にたとえるなら 紫、それも鮮やかな、パステル系のパープルだとおもっています。

 第一に、山紫水明 の むらさき 第二は、特産品であります 巨峰葡萄をおもう 紫、最後は、筑後川の対岸には、万葉人が住んだ、朝倉の宮がありますが、そこの中に額田大王が居たとおもわれます。朝な夕なに我が、ふるさとの山を、みて現代に迄残る、歌を作ったんでしょう。 そのような歴史を思う、紫です。

 まあ、一度おいでください。レインコート族の仲間と、歓待申し上げます。

 そうですね、このレインコート族とゆうのが、謎でした。

10年ぐらいまえに、浮羽郡田主丸町の、河童族より河童大祭の案内が届きました。

浮羽町の河童連中が、首をそろえて参加したのですが、同じ河童族でも、浮羽町の河童は、学がある? と 河童=合羽=レインコート なる 図式を考え出し それ以来レインコート族となった訳です。

単純な話であきれられたかもしれません。

 ホストの運営は、手探り状態ですが、情報の新しい伝達手段としての、

機能は十分に果たしています。

 ネットの、活性化はやっぱり人が鍵です。口コミで、メンバーを増やしているのですが、新しく入会したメンバーに聞いてみるとログインしたときに、なにか新しいかき込みを期待しているそうです。

 ネット上で、話題を作りそれに参加していただくには、ホストを守っているシステムオペレーターの、努力が不可欠です。

 浮羽ネットは青年会議所のメンバーが中心となって運営しておりますが長く続けて行くには、システムオペレーターの後継候補の選択をして何人かの習熟したオペレーターを作って行くことが急務です。

だらだらと 書きましたが、宜しくお願いします。

           筑後川の河童 こと レインコート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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149 [94/08/08 12:04] PFA00120 多摩川源流サミット みずすまし

 

 

 多摩川源流の里フェスティバル、源流サミットに参加してきました。

 8月5日の実行委員会前夜祭に始まり、6日早朝の多摩川源流水干(水神)参拝と笠取山登山、親子ふれあいサマーキャンプ、源流学習ウォーク、7日の清流の里フェスティバル(源流コンサート、特産市場、ファミリーウォーク、ヤマメ・マス釣り大会、自然写真展)そしてメインイベントの源流サミットに参加してきました。東京の実行委員会サイドからは岩井理事長、久保田所長・小針副所長・大月副所長および坂本河川環境課長をはじめとする京浜工事事務所の方々、とうきゅう環境浄化財団の山道さん、世田谷区で川づくりに取り組んでいる皆さんなどが参加しましたが、財団の事務局として遠藤調査役と共に小生も参加させてもらいました。大変刺激にあふれた源流行となりましたが、幾つか感想を述べさせてもらいます。

 感想第一 早朝の多摩川源流は山頂まで清涼な空気に満ちあふれ、鳥の声と清流の流れる音を聞きながら爽快感あふれる山登りを久しぶりに味合うことが出来ました。「源流」を体で感じることが出ました。

 感想第二 源流地域と普段見ている中下流の多摩川の文化・生活の違いを肌で感じました。イベントの会場となった、神金第二小中学校は小中学合わせて生徒が小学2年生の女の子一人だけです。そして来年の3月には事実上の廃校になります。校舎の中を見学してみましたが、府中市で文化財として復元した校舎の内部ととても似ていました。中下流で復元して保存の対象にしようとしているものが、ここでは現存し消滅しようとしている。何かとても複雑な印象を持ちました。

 感想第三 源流サミットで岩井理事長が過疎地域の活性化、自然と水の再認識・流域圏構想の再認識、流域における交流(リージョナルコンプレックス)のそれぞれの重要性について最初に講演され、塩山市長、丹波山村長、小菅村長を含め参加者に強い共感、共鳴の念を与えました。討議では3市村長、地元の人々と世田谷、川崎などの川づくりに熱心な人々の間で実りある討議がもたれ盛り上がり、こうした試みを継続して、上下流交流を確かなものにしたいという声が多く出されました。初めての源流サミットがきっかけとなって

上下流交流の大きなうねりがはじまる、リージョナルコンプレックスの実体がつくられてそれらを結ぶ上下流の参加型ネットワークがつくられいく、そうした端緒の時期に今立っていると感じました。

 このほか沢山感想があるのですが、あらためて報告します。

                    みずまし

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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148 [94/08/06 22:40] VFC02217 つくしんぼ/魚がいました

 

弥生さん、転居する家の裏に流れている川が恩田川だったら、本当にご近所だ とおもいます。引っ越してくるのを楽しみにしています。

 以前に恩田川には >゚))彡 がいないと発言したのですが、先日 <゚)))彡  を発見しました。川底に段がついていて、少し深くなっているところがあるのですが、そこに鯉が数匹泳いでいたのです。30センチくらいある鯉なのですが、野生の鯉かどうかは不明です。横浜にある別の川には、赤や白の色がだいぶぬけて、黒っぽく変わった鯉が沢山いるという話を聞いたことがあります。ペットとして飼われていたのに捨てられてしまったのでしょう。

 恩田川の鯉が野生か、家庭で飼われていたか本人(本魚?)に聞ければいいのですがそうもいかない。やはり川岸から「ポンポン」と手をたたいてみるのが一番確実なのでしょうか?

 

 

 

 

 

   

河童に係わる古証文

 

 

 

 これはNiftyserveの「川とロマンのホームパーティー」で語られたログを収録したものです。

 

 

 

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147 [94/08/05 16:17] KGF03471 こんにちは/弥生

 

 みずすましさん、こんにちは。

 このHPもどんどん人が増えて賑やかになってきましたね。

 流域コミュニケーションのお話もおもしろそう。

 昨日から大澤さんにいただいた鶴見川のウォーキングガイドをじっくりと眺めているのですが、上下流いろんなところがあってとても参考になります。

 鶴見川は川の汚れワースト5なんだそうですが、美しい川を取り戻すにも流域の人々の協力は不可欠ですものね。

 

 

 

 岩さん、いらっしゃい。

 東京も暑いようですが、多摩川の上流は少しは涼しいでしょうか。

 この暑さは、偏西風が平年の位置とずれていることが原因なのだそうですが、どっちにしたって暑いことは暑いですね。

 

 私は来週、広島の実家に帰省する予定にしています。

 転勤や出産でしばらく帰省できなくなりそうなので、久しぶりにゆっくり帰ってくるつもりです。

 帰省中もアクセスできればするつもりですが、しばらくお休みするかもしれません。ということでみなさまよろしく。

                        弥生

 

 

 

 

 

 

 

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146 [94/08/05 12:16] SGU01350 岩  奥多摩に行ってきます

 

 

 まったく熱いですね。地球温暖化が進行しているのかも。

 スーパーの氷が品不足だそうで、女房がぼやいています。

 

 さて、これから多摩川の上流、奥多摩に避暑にいってきます。

・・・・といえば聞こえがいいのですが、仕事です。

 多摩川の上下流交流会です。詳細は、後日誰かから報告してもらいますが、市町村長からなる多摩川協議会と山梨県塩山市の主催で開かれるもので、京浜工事の久保田所長、坂本環境課長、東急環境浄化財団研究主任の山道さんなどと一緒です。

 子供たちのキャンプ村や水源地フェスチバルが開かれます。

 サミット会議も予定されており、私の話題提供により、どんな話になりますやら。

 

川のロマンを語ってきますか・・・。

・・・・・・・・・・・では、行ってきます。・・・・ 岩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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岩   弥生さん こんにちわ

 

 

 弥生さん、こんにちわ

 久しぶりの実家の味は如何でしたでしょうか。

 

 友達とは会えましたか。

 私の実家は京都ですが、京都に帰ると数回に一度は、当時仲の良かった友達と何人か会ってきます。

 毎回という訳にはいきませんが、やはり、故郷というものは良いものですね。

 

 広島の町には出かけましたか。私も、先週、新交通システム「アストラムライン」の開通式のため広島に行っておりました。

 アジア大会のためか、広島は随分変わりましたね。

 何と言いましたっけ、そごうの裏に立派なホテルとかショッピングセンターが出来てますね。吃驚しました。

 

 ところで、弥生さんの引っ越しが近づいてきましたね。引っ越しというものはだいたい大変なものですが、余り無理をしないで下さい。

 いずれにしろ東京でお会いできるのを楽しみにしています。

/E

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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岩  筑後川の河童へ

 

 

 ちっこ川の河童どん こんにちわ

 私も河童一族。本貫地は行橋です。でも本籍だけで、生まれは京都です。親父が若い頃九州から関西にでてきて私が京都で生まれたという訳です。勿論、九州出身だから河童一族と言うわけではなく、それには深い深い訳があります。

 

 さて、言い遅れましたが、過日ちっこ川にお邪魔したときはありがとうございました。皆さんとお会いでき楽しかったです。

 皆さんと力を合わせ、ちっこ川を素晴らしい川に、そして浮羽郡、朝倉郡を素晴らしい地域にするよう、私も応援したいと思いますので、今後ともよろしく。その内に、又、そちらの方に出かけたいと思っています。

 今泉君が頑張っていますので、よろしくお願いします。

 佐藤さんにもよろしく。

 

 ところで、応仁天皇は、そちらの出身との説がありますね。

 邪馬台国もそちら、という説もありますね。

 私は、邪馬台国畿内説ですが・・・・。

 いずれにしろ、浮羽郡、朝倉郡という所は、歴史的に見て、随分由緒のあるところのようですね。

 

 素晴らしい自然を生かし、素晴らしい歴史と文化を生かし、交流とかコミュニケーションとかいうものを大切にしていけば、浮羽郡、朝倉郡は更に素晴らしい地域になると思います。

 その鍵は、やっぱりちっこ川が握っているかも知れません・・ね。

 お互い頑張りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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257 [95/12/13 00:32] KYJ05057 ガラッパ ふるさとに帰る/池

 

 

 久しぶりにHPにアップします。何となくホッとする雰囲気ですネ。先週島原に行ったついでに、鹿児島まで足を伸ばしました。というのも、島原でシンポジュムを主催した土木学会火山工学小委員会の幹事長は大学の同期生で、現在鹿児島大学海洋土木の北村教授です。彼の車に同乗して、島原から鹿児島まで4時間の長距離ドライブです。この夏、加久藤トンネルが開通して大分便利になりました。 

 車の中で、甲突川の石橋のことや栗野町の薬師寺町長の話題など、話は尽きませんでした。薬師寺さんのことは、岩さんが桃源雲情でも紹介されています。彼も、薬師寺さんのことはよく知っていました。

 ところで、鹿児島といえば、ガラッパです。その本家本元ともいえる川内川のガラッパが「GARAPPARK」なるものを12月12日にオープンさせるという地元新聞の記事(一面全面広告)がありました。といっても、これは、地元の民間企業によるアミューズメント、レジャー施設との事です。

 鹿児島では、ガラッパがまちおこしに随分貢献しています。そのうちに、地元からこうした話題をアップしてもらいます。

 北(オホーツク)のロマンもいいですが、南(鹿児島)もいいですよ。

 

 

 

     久々のガラッパ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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RES・・・・岩

 

 

 池水さん久しぶりです。

 ガラッパ天国にお帰りの由・・・・うらやましい限りです。鮎さんこと森口さんと川内川ガラッパ天国に行く約束があり、そのうちに必ず行きたいと思っています。薬師寺さんとも会いたいし、栗野岳温泉の蒸し風呂にも入りたいですですからね・・・・。そうそう、・・・菱刈町の前久保町長が大変な河童気違い???ですので、久しぶりに久保さんともお会いしたい・・・。池水さんも折を見て、薬師寺さん、久保さんと会ってください。私から行けと言われて来たと言えば二人ともきっと喜んで下さると思います。久保さんには大分の河童も会っています。

 

 

 

 北村教授にもよろしく。そして南からの情報発進・・・よろしく。一月にはドンコこと杉田君と北に行ってきます。北は杉田君のふるさとです。

 北と南の交流を是非実現しましょう。

 年内に是非一杯飲みましょう。みずすましこと荒木君と日程調整をしてください。

それでは・・・オンアビラウーンクハン・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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009 [96/01/01 05:45] SDI00885 謹賀新年 河童

 

 

 あけましておめでとうございます。

 

 

 

 荒木さんから宿題を頂いていた、1995年のキーワードについて、年越しになりましたが、夜更かしをしながら考えています。

 1994年のキーワード集が手元にないので確かなことは言えませんが、1994年は、これから何かをしようとか、何かをするには、といった言葉が多かったように思えます。

1995年を考えてみますと、何かをやり始めた言葉が多かったようです。それが1994年のキーワードを基本としているのは言う迄もありません。

 

 

 

 

 

 

トラバーユ

岩井さんの参議院議員への転身

荒木さんのとらばーゆ

坂本さんの転属、古川さんの転属もはいるとおもいます。

堀内さんの目白倶楽部の閉鎖

・・・・・・・・・これらは、何かをやりなさいという、天の声です。

 

 

 

りばーる

阪神大震災にたいして、運動神経的に反応したパソコン通信の力で、前年度の『コミュニケーション』というキーワードの実践です。震災におけるコミュニケーションのあり方を考えさせられました。

 

 

 

全国区

岩井さんの全国区

パソコン通信の全国区『川のフォーラム』の誕生

九州地域づくりフォーラム・活充の会・多摩川ネットワークの・・・・・・・・・・・ゆるやかな連携がスタート

リコネットは、上記連携のさらなる連携で、これは1996年度の課題です。

サロンネットワークはまた新しい夢を与えてくれます。

 

 

 

小川の復活・・・博多の夜の『オフ酒』で討論した、ちょっとマイナーな、キーワドです。『川のフォーラム』でも話題になりました。

河童小屋・・・これも博多の夜にでてきた言葉です。いかにも河童の出そうな、ころに小屋をたてて、河童の養成をしようという試みです。

 

 

 

山間地、過疎地、環境教育、小川の復権、河川等を含む言葉だろうと思います。

おふ酒・・・『オフに酒を飲みながら、楽しく語ろう』・・広島の西林さんらしい新語です。コミュニケーション・連携の、実践の場の一つでしょう。

野点コーヒー・・簡易浄水器。綾先生・松下さんのペアで、多摩川の水で野点をしました。川で何を考えるか・・遊び心で一つの示唆をしてくれました。

活動家のパソコンアレルギー・・1996年度の大変な課題となりました。

HPの改装オープン・・コミュニケーションの神髄が、ここにはあるようです。

 

 

 

            おめでとうございます。

 

 

 

まだまだ、沢山あると思いますが、皆さんで去年を振り返っていただいて、新しい目標をたてていただければと思います。

 

 

 

本年もどうぞよろしく、お願い申し上げます。

 

 

 

                     河童こと幸野敏治

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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RES・・・・岩

 

大分の河童どん あけましておめでとう。

綾先生が、よき深淵を………とおっしゃっておられましたが、今年がよい深淵に恵まれる年でありますように………心から祈念申し上げます。

 

 

 

さて、大分の河童どん!………深淵を求めて、江の川を往く……なんてのはいかがでしょうか。

雑誌「河川レビュー」の、藤山さんには既に話がしてあります。大分の河童に、わが国の代表的な大河川を、ともかく河童の目で視てもらい、又地域の仲間と交流してもらって、何かを感じてもらう。

そして、その熱き感じが消えないうちに、私ともう一人誰か、文学者とか民族学者とかを入れて、鼎談をする。

それを「河川レビュー」にシリーズで載せる。

こんな趣向ですが、如何でしょうか。

                 オンアビラウーンクハン!

                 河童大明神こと……岩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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008 [95/12/31 20:05] KYJ05057 再オープンおめでとう。

              ・・・・・・・・ガラッパ

 川とロマンのHPのリニューアルオープン

          おめでとうございます。

大地の一撃でスタートした今年は、まさに激動の年でしたが、いよいよ暮れようとしています。来年こそ平穏な年を願いたいものです。

 今年の身近なトピックは、やはりこのHPにめぐり会えたたことです。パソコン通信は、業務では遠隔地の現場とのデータ通信として使っていましたが、コミュニケーションの手段としては、このHPが初めてでした。

 フォーラムの成長、そしてバーチャルカンパニー、etc、来年もチャレンジすることは山ほどありますが、微力ながら協力させて頂きます。

 では、皆さん、よいお年をお迎え下さい。

      ガラッパこと池水

 

 

 

 

 

 

 

 

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RES・・・・岩

 

 

 ガラッパ君、あけましておめでとうございます。

 昨年は、ホンとにお世話になりました。今年もどうかよろしくお願いします。

 4日から9日まで、名古屋、大津、京都、大阪、伊勢と回ってきます。これは、公務というか政務というか、そっちのほうですが、中、下旬には、福井でドラゴンプロジェクト、京都では風水説との関連で川について、それぞれ語ってこようと思います。

 風水説は、今でいえば、環境工学というところでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

   

河童に係わる古証文

 

 

 

 これはNiftyserveの「川とロマンのホームパーティー」で語られたログを収録したものです。

 

 

 

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07 [95/12/30 23:54] VEM01623 岩さん今日は/鮎

 

 やっと今日仕事納めを終え、今頃になって慌てて年賀状を書いたりしています。今年1年を振り返ると、本当にいろんなことがありました。

 岩さんと知り合えたことでこのHPのことを知り、そしてフォーラムの開設お会いしたことはなくとも、沢山の方とお話が出来たことを大変ありがたく思っております。

 今年同様、また来年も大いに遊びたいと思います。

 さて、最近おとなしかったカッパの貫太郎が岩さんにメッセージがあるということ何で私が変わりに、・・・・。

(イイカゲンニパソ通オボエテホシイノデスガ・・・・。)

 

 

 この1年新たな出会い、思い出に残る交流や出来事が数多くありました。

 このパソ通を通じ新しい仲間づくりや連携づくりが「川へのロマン」をテーマに始まったことは環境までも考えた新しい日本づくりが始まったとうれしく思います。

 私こと貫太郎は、熊本県内の地域づくりや住まいである緑川流域の環境浄化とネットワーク、チーム作りに頑張っていますが、事務局長の立場も考え色々な仕掛人として会場「すみか」づくりが完成しました。

 

 

 

 100年ぐらい前の蔵を改造して「いろりの学校」(カッパ塾)を築きました。是非皆さん九州へお立ち寄りの際は是非とも貫太郎に声をかけてください。

 

 

 

 「火8人、木8人」を実験してみたいと思います。

 「火8人、木8人」戸は、冬に火を焚け8人集まる、夏は木の下に8人集まると言うことです。

 

 

 

  皆様良いお年をお迎えください。

                95/12/30(土) 23:02 鮎(VEM01623)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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RES・・・・・岩

 鮎さんとカッパの貫太郎へ。

 あけましておめでとうございます。

 

 

 鮎さんも貫太郎君も大変頑張っておられ、うれしくおもいます。

 緑川ネットの「すみか」としての「いろりの学校」(カッパ塾)、いいですね…………。場所はどこにあるのでしょう。

 サロン「緑川倶楽部」でいいのか、サロン「川尻倶楽部」なんでしょうか。

 ………いずれにしても、これで又………………

 サロンネットワークの拠点が増えますね。うれしい限りです。

 それにしても貫太郎君は、不言実行、その行動力には頭が下がります。

 ことしもよろしく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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540 [95/01/04 16:26] VFC02217 少し遅くなりましたが/つくしんぼ

 少し遅くなりましたが、あけましておめでとうございます

 本年も、よろしくお願いいたします。

 

 

 もう、昨年の話になってしまいましたが、河童さん。河童の肌の色を教えて下さってありがとうございます。

 >>九州筑後川の河童は褐色で総身に毛がある。

 >>豊前の河童は白魚のように水中では透明。

 >>陸中の河童は顔赤く朱のようだ。

これには驚きです。私の考えていた河童のイメージと全然違うのです。

 私と同じように河童のイメージが浮かばなかった あなた のために、3つのタイプの河童を私なりに現代の動物にたとえてみました。

 

 

 

九州筑後川の河童は褐色で総身に毛がある

 

 

 

 水の中で棲んでいるのに、総身に毛があるということは、毛ガニかな?でも、海ではなく、川に棲んでいるので、「ビーバー」か「かわうそ」というところでしょうか。もしかしたら「ニホンカワウソ」は河童が進化したものかもしれません。

 

 

 

豊前の河童は白魚のように水中では透明

 

 

 

 これは難しい。卵のころや、生まれたばかりなら透き通っている動物もいますが...

 そうだ数年前ブームになっていた「ウーパーウーパー」はどうでしょう。

 肌色みたいな色をしていたような気がしますが、水の中であのような色はめずらしいですよね。

 

 

 

陸中の河童は顔赤く朱のようだ

 

 

 

 赤い金魚というのは安易ですよね。「アカガエル」というのも安易だとは思いますが、カエルと河童は口の形が似ていて、いろいろ共通点があるので簡単ですが「アカガエル」に決定。

 

 

 

 いかがでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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岩   河童の子の歌

 

 古川君、河岸君、河太郎君、はじめまして、岩です。

 三人一緒に並べびっくりしたのですが、全部河川ですね。古川君は本名でしたっけ・・。

 いずれにしろ、うれしい限りです。宜しくお付き合い願います。

 名刺替わりに、取って置きの「河童の歌」を披露します。

 皆さんの、ふるさとの川を思い出してください。

 

 

河童がぽつんと、ただひとり。

はっと思えば、またひとり、

岸にひらりと手をかけて、つららつららと

踊りあがった河童の子。

頭のお皿も青白く、

真実、れいろう、素っ裸

こえも立てねば音もせず。

  (中略) いつまであそぶ河童の子。

つららつららと河童の子。

 

 

 

 我が一族に伝わる河童の子の歌です。

 どうもこれからの川づくりにおいて河童がひとつのキーワードになりそうです。

 時々は、我が一族の「河童の話」をしたいと思います。

 それでは、ウン アビラウーンクハン、さようなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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岩   大分の河童どん

 

 せんで川、ご苦労さんでした。

 上杉君や久保町長も喜んだことと思います。

 二人とも河童も河童、立派な河童ですので、これから親しく付き合ってください。

 

 

 私もそのうちにせんで川にいくこともあるでしょう。

 上杉君が私の出番を考えると言っています。

 そうそう、川のロマンネットワーク21・・誕生おめでとう。

 心強い限りです。いよいよ大分に行かなければなりませんね。

 申し訳ありませんが、清水さんと相談した上で、大分工事事務所と相談してください。

 大分工事事務所には、私が是非行きたいと言っていると伝えてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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[96/03/10 19:38] KYJ05057 河童の新刊本の紹介/ガラッパ

 

 

 河童一族の皆さん、河童に関する新刊本の紹介です。

書名、著者は下記のとおりです。

 

 

 

ISBN     :4-88888-248-7

刊 行 年    :1996

書   名    :河童の日本史

著   者    :中村禎里 著

出 版 者    :日本エディタースクール出版部

出 版 年 月  :1996.2

頁又は冊数    :414p

サイズ      :20cm

定  価     :3500円

 

 

 

 年度末でバタバタしており未購入・未読ですのでコメントは出来ませんが新聞の書評の引用によれば、

 

 

 

著者ははじめ生物学者であった。次いで科学史家になり、

次第に歴史・民族に関心を持ち始め、狸の研究をへてつい

に河童の研究者になった。本書を読めば、河童という架空

の動物が、近世の人々の信仰や風俗や、恐れや願望の結節

点であったことがよくわかる。河童の図がたくさん載って

おり、見るだけでも楽しめる本とのことです。

 

 

 

 河童の話題ついでに、ガラッパのふるさと鹿児島の川内川のニュースを紹介します。

 先々週、九州地方建設局に所用で出かけた際、「水辺だより」という情報誌を入手しました。河川計画課の廊下に置いてありました。水に親しむことを目指して、1986年に創刊とありました。九州各県に編集委員とモニターがいて最新情報を集めているようです。

 この最新号に川内川の小さな旅というタイトルの紹介記事を見つけました。川内川といえば河童です。中流の伊佐郡菱刈町には「ガラッパ公園」というユニークな河童が並んだ公園がありますが、ちゃんと紹介されていました。

 

 

 

 以下は新聞からの抄録です。(昨年8月の新聞)

 

 

 

 

 

 

 菱刈町ザ・ガラッパひしかり夏祭り、趣向凝らした筏レース

 

 

 

伊佐郡菱刈町でザ・ガラッパひしかり夏祭りが開かれ、いかだ下りレースなどを楽しんだ。川内川であったいかだ下りレースには十二チームが参加。大きな張り子のカッパを据え付けたり、地区に伝わる踊りにちなんだ装飾を施した手作りのいかだが登場した。

ガラッパ公園をスタートし、途中、ボール投げや回転などが義務づけられた八カ所のポイントを通過する約三キロのコースでタイムを競った。レースは麓青壮年が一位、アイデアコンテストでは田中青壮会が最優秀賞になった。

 

 

 

 例年開催されているかどうか判りませんが、もし今年も開催されるようであれば熊本の皆さん、筏流しの実演をされるくらいですから、遠征されては?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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RES・・・・岩

大分の河童ドンへ!    岩より

 

 

 メディアフレンドの本家を忘れていました。KAPPAサロンには、もうとっくの昔にメディアフレンドがあったのでしたっけ?

 すみませんでした。

 

 

 

 そうそう、まだKAPPAサロンの開局に「おめでとう」を言っていませんでした。

 正月の挨拶を兼ねて・・・河童の諸君! おめでとう。

 

 

 

お祝いに、私が小さい頃、父から聞いた話を一席。

 「河童と言えば芋銭(うせん)、芋銭と言えば河童」と呼ばれる小川芋銭は、父の叔父である。

 利根川は、牛久沼(茨城県)のほとりに住んで、河童の絵をたくさん描いたそうだ。

 私の家にも随分ある。清水昆ほどうまくないが、まあまあの絵だ!

 

 

 

 「ねえ、芋銭のおじさま。河童はホントに居るん?」 芋銭は、子供に河童の話しをするのが好きで、或る程度大きくなるとたいがいの子供は芋銭の河童話を聞いた。たいていの子供は芋銭の話を真剣に聞くのだが、たまには頭の悪い子(?)が居て、そう質問する奴も居る。

 そういう場合、芋銭は、

「ああ居るとも。ほれ、あそこに松があるじゃろ、あれは河童松だぞ。沼からあがってきた河童が、よく相撲をとるところじゃよ。」

と言っては、子供たちを沼のそばに連れていったと言う。そして、沼を覗き込んで、

「ほれ、ほれ、波が立ったぞ。ほれ、そこに河童が居る。

・・・・・・・・・見えるじゃろ。」・・・・・・。

「見えないよ。」

「なに、見えない?・・・ほれ見えるじゃないか・・ほれ。」

「?????」

「やっぱり見えるには訓練がいるか。・・・暫くじっと立って、見る訓練をしていなさい!」

 芋銭は、いつもそう言って、サッサと一人で帰ったそうだ。

 

 

 

 牛久沼を見渡すこんもりした木立の中に、「河童碑」が建っている。

 芋銭は、昭和13年、私の生まれた年に、70歳で亡くなった。

 「河童碑」に描かれた芋銭の河童は、私が治水課の建設専門官の頃父の話を思い出してわざわざ見に行ったことがあったが、見事な絵だ。沼で暮らした昔を懐かしむように、じっと牛久沼をみつめている。

 

 

 

 以上は、「利根川おばけ話」(ろん書房、TEL0471ー58ー0035)の芋銭河童こばなしを、私が、本当らしく、少し脚色したものです。これを元に、また誰かが脚色してください。どんどん亜種が出来てくるでしょう。それが元よりいいとは限りませんが、ひょっとするととってもいい作品が生まれるかも知れません。文章だけでなく、絵や写真、映像、音声も含めて・・・・エンカルタの自己増殖とは、例えば、こんなことです。全員参加型です。

 カオス構造とはこういうものをいいます。予測不可能、つまり可能性一杯の世界です。お解りか???・・・オンアビラウーンクハン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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共生社会の一側面について・・・(大分の河童に関連して)

 

 

 共生社会においては、ご承知のとおり、地域社会はリージョナルコンプレックス(RiCO、リコ、おリコーさん)でなければならない。いろんなサークルやボランティア団体があって、そして又、それらを支援或るいは一緒になって活動するNPO(非営利団体)がある。NPOは、イギリスのグランドワークタイプのもの、アメリカの501C団体タイプのもの、いま田中さんらがやっているトラストタイプのものなどいろいろのものが該当します。勿論、財団は典型的なNPOですし、多摩川センターや中国・地域づくり交流センターもそうですね。我が国は、いま混沌(カオス)状態ですから、当面いろんなものが模索されていいでしょう。

 

 

 

 アメリカでは、ともかくNPOが非常に発達しているようで、我々はアメリカの実情を詳しく勉強する必要があります。日経新聞(1994・12・18、SUNDAI NIKKEI、以下12・18日経という)によると、日本太平洋資料ネットワークというところがあって、「アメリカのNPOシステム」というものを出しておられるので、これは是非我がHPのライブラリーに備えておく必要があります。・・・・・・・・・これは、みずすまし君にお願い・・・。

 

 

 

 さて、12・18日経によると、上記ネットワークの岡部一明さんが大変いい事を言っておられる。

 * 日本では、政府にしろ自治体にしろ、公共に対していだいているイメージは基本的に一つである。選挙で選ばれた議会が政策を決定し、それを行政が実行する。行政機関とはほとんどの場合官僚機構である。官僚機構というのは活動目標が上から与えられ、決められたものを決められたとおりに効率的に実行するためのものである。

(この点についてコメントすると・。国民がおリコーさんになればなるほど、・・・・要するに、・・・・RiCo社会、共生社会になれば、中央集権的というか集中管理方式的な社会システムではやって行けないので、いままでの官僚機構も自ずと変わらざるを得ない。)

 * 市民活動が自由に組織されてそれが分権的に多様な公共サービスを提供すれば、中央の代議制と官僚制は必要性が少なくなる(勿論、広域根幹的な機能は中央に残る。それまで市民活動でやれと言ってもそれは無理でしょう)。

 * ここでは、市民は、単に投票するだけでなく直接に公共に参加する。必要と思う公共活動を直接に組織する。少数派は少数派なりに自身の活動を行う(拙著、桃源雲情で紹介した山崎禅雄さんの0.1%論を参照)。多数決によって少数派が封じられない。

 社会には多様な価値観と活動が保障、促進される。直接民主主義、参加多元主義を生み出す新しい公共の出現である。

 

 

 

 そして、12・18日経で、内橋克人さんが言っておられる。

 * 地域社会、地方都市の未来を決めるのは、地域社会に住む人々自身であり、その役割を担うのは、NPOである。

 * 今、21世紀に向けて始まろうとしているのは、情報社会(私に言わせれば情報社会というのは、共生社会の一側面にしか過ぎないので、この部分は共生社会と置き換えた方がいい)への動きである。そこでは、モノではなく目に見えないソフトが、又ハコではなくネットワークが優位に立つ。

 * 情報社会を機能させる優れた情報サービスは、それぞれの地域に蓄積された草の根的な連携の土壌の上に生まれる。地域の特性を熟知し、長い時間をかけて丹念に拾い上げ、システムとして育て上げなければならない(私がエンカルタシステムの必要性を強調する所以)。

 * そのように育った地域のネットワークが、初めて、世界のネットワークへと進化していく。

 * 霞が関から一元的な指令で全国をコントロールするといういままでのやり方は、これからの情報社会ではもはや十分な機能を発揮することは出来ない。

 * 情報化が進めば進むほど地方分権の方向を取らざるを得ず、草の根的な地域活性化の在り方が必然のものとなる。多元化社会に向けて一歩でも早く踏み出した社会が間違いなく優位に立つのだ。

 

 

 

 又、12・18日経で、人材派遣会社パソナグループの代表、南部靖之さんが言っておられる。

 * これからは、正社員化アルバイトか、そのどちらでもない、第三の働き方がある。この第三の道こそ本当に自由な職業人の望む働き方だ。21世紀は、これが主流にならなければならない。

 * 複数の「働き方」が社会に用意され、その数多くの選択肢の中から、働く側のライフスタイルに合わせて個人が選ぶ。それが第三の働き方である(注、大分の河童が実践)。

 

 

 

 以上、共生社会について重要な点を紹介しましたが、要するに、共生社会を実現していくためには、発想の転換、パラダイムの転換が必要ですが、その際のキーワードは、RiCo(NGOの存在が前提)、NPO、エンカルタシステム、大分の河童です。

 そうそう、バーチャルカンパニー・・・・

・・・・・・・・・・・・これを忘れてはイカンですバイ。

 

 

 

 

 

   

河童のつぶやき

 

 

 

 これは [河童に係わる古証文] から川づくりや地域づくりのあり方に関する示唆に富むと思われる発言を再掲したものです。

 

・・・発言目次・・・

 

無題 河童

川と音と風 みずすまし

岩 河童さんこんにちは

岩 皆さんお久しぶり

水辺の散歩道 みずすまし

岩 ドラゴンPについて

岩 大分の河童さんこんにちは

岩 河童の会(1)

岩 河童の会(2)

河童の社会的地位 みずすまし

呪文を教えてください みずすまし

岩 河童談義

岩 多摩川源流より帰ってきました

流域活動センター構想 大澤浩一

多摩川源流サミット みずすまし

岩 筑後川の河童へ

大分の河童ドンへ! 岩 河童に係わる古証文

 

 

 

 

   

河童に係わる古証文

 

 

 

 これはNiftyserveの「川とロマンのホームパーティー」で語られたログを収録したものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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084 [94/07/02 04:16] KYB03341 無題 河童

 

 

 動画を見ながら音楽を聞く時、その動画が川の景色ならほとんどの音楽に合うのが不思議です。少々の歌詞があっても大丈夫。ずばり「海」などはだめですが 。川の良さの一つに「音」があるような気がします。川沿いに歩いている時ちょっとした壁になるようなもの(藪とか小屋とか)が、私と川の間にあると音が無くなります。逆に音を意識させられます。

 せせらぎ・瀬音・濁流の音・・・・もし川に音が無かったら・・・・・おかしいです。知らない町を歩いてみたい、いや、知らない町を歩いていても、もし「おや」と思う坂があったら、その先に川があります。

 河川工事をしている時は、水辺まで車で行けます。工事の車の道があるからです。下流の住民は、生活用水を管で海や川に捨てます。上流の 人達は、川にゴミなんかを捨てる様な生活をしています。

 名水の里とかいう看板の近くに、廃車になった車の山があったり、ごみ 捨て場があることが多いように感じます。

 きれいな川で魚を釣る人や、カヌーをやる人は、結構エゴイストです。

 あまり立ち入らないほうがいい場所に「川はきれいだ」とか「川を守ろう」とかいいながら、自分たちだけは、平気でどんどん進入し、またそれをエッセイなんかにして、自己満足しています。

川を守ろうとするだけでなく、何か提言できるようになれればいいなと思います。

 このごろ、本屋に行くと、川とか水とか、題名についていると、すぐに買ってしまいます。ホームパーティのなかには、本の紹介があります。欲しくなってしまいます。

本の中で、結構面白いもののなかに、法律があることを発見しました。

 多摩川の歴史が、結構河川法になっているのですね。

 ホームパーティの皆さん。もし、地球に川がなかったら、皆さんは何をしていますか。きっと、そう変わりなく生きていると思います。無くてもいいのですが、お蔭で皆さんにお会い出来たことに感謝します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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085 [94/07/04 00:21] PFA00120 川と音と風 みずすまし

 

 

 河童さん 無題の話、すばらしいです。インパクトを受けました。川の動画と音楽とがよく合うとのお話、大変示唆的です。次のような関係なのでしょうか。

 川とは水の流れである。

 水の流れを実感するためには時の流れに沿わなければならいない。

 そして音楽も同じように時の流れに沿わなければ実感できない。

 このように時の流れに沿って感覚を動員するという点で川と音楽がマッチするのでしょうか。

川の音とは川の奏でる音楽そのものであると考えると、川の音が川の良さであるとおっしゃられたことが当を得たことであることがよく判りました。

 水辺の散歩で実感していることから追加させていただきますと、様々な匂いや暑さ寒さ、湿気などの多様な要素があります。これらの多様な要素と音は私にとっては風を通して感覚できます。そこで川の環境を水と風で捉えることもできるのではないかなどと考えています。川の良さは水の流れの良さと吹く風の良さであるなどと気取って話したてみたい・・・。たしかに、川に沿って吹く風もまた時の流れに沿って吹きます。

                     みずすまし

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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096 [94/07/12 08:52] SGU01350 岩  河童さんこんにちわ

 

 

 大分の河童どん、こんにちわ。久しぶり。

 君が頑張り始めたようであるので、仲間と思うて、取って置きの身の上話をしておくばい。河川局長になったとき、親父から打ち明けられた私の身の上のもにも関連する信じられない無いような話だ。しかし、本当の話ですぞ。

 

 

 

 人間の遺伝子には二種類あって、普通の人間、つまり猿と基本的には同じ遺伝子を持った人間と少し神がかった人間、つまり神の遺伝子が少し混じった人間がいる。

 後者の場合、桃から生まれたり竹から生まれたりする場合もあるが、何か特別の事情によって、神から子供を授かり、その子供が大きくなって普通の人間と結婚、以来、子孫が繁栄している訳だ。

 河童大明神は、人間ではなく河童だが、一人素敵な人間の子供を授かったそうだ。

 

 

 

 昔昔、中国での話だ。河童大明神が、世のため人のため数々の良いことをした、そのご褒美に神様から一人の子供を授かった訳だ。その子供は、人間ではあるが、河童の子でもある。神様の計らいで、河童の遺伝子と神の遺伝子が少し混じった形で生まれた。

 だから、今では、河童大明神の子孫には河童と人間がいるのである。つまり、我々人間の中には、それほど多くはないが、河童大明神の子孫がいると言うことだ。

 

 

 

 大分の河童こと河野さんもその仲間かもしれない。芥川龍之介、火野葦平、清水崑などはそうらしい。めたらやったら河童が好きなんですからね。・・・・・

 ・・・実を言うと、・・・・私も、(正真正銘の人間ではあるが、)親父のびっくりする話しによれば、河童大明神の子孫なんだそうだ。

 親父曰く。「家には、人には見せてはならない家宝がある。いずれお前に譲るが、それを用い、オン、アビラウーンクハンと10回唱え、もし河童大明神に通ずれば、3日間だけ河童に戻れる。・・・・・・今は、河童も少なくなったが、水がまあまあきれいで豊富なところで、トロトロガンドウの有るところには、居ることは居る。

 最近はいろいろと困っているようなので、話を聞いてやって、助けてやって欲しい。

 

 

 

 お前と同じような人間、河童大明神の子孫もたくさん居るので、是非、力をあわせるように。」 そんな話だった。

 

 

 

 そして、親父は、こうも言ってた。

 「全国には、そういった河童大明神の子孫で、気の利いた連中が、河童連邦共和国という組織を作っている。」 

 そして、河童と仲よく暮らそうという市町村長の支援団体「河童のふるさと創り全国連絡協議会」というのも有るとのことだ。

 

 

 

 その辺の詳しい情報、親父から聞いた面白い話、トロトロガンドウについては、また機会をみて。・・・・・とっぴんぱらりのぷう。/E

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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101 [94/07/12 19:57] SGU01350 岩さん  皆さんお久しぶり

 

 みなさんお久しぶりです。大分の河童へのメッセージを見て頂けたでしょうか?

 如何でしょうか?・・・

 河童大明神はれっきとした河童です。しかし、今では神の分身として、河童からも人間からも崇められているのです。分身ではあるが、水の神、川の神として。

 ところで、龍神もそう。

 こう言った水の神、川の神を崇めながら、いい川にして行かなければならない。・・・

 ・・・そんな考えもあって、九頭龍川のドラゴンプロジェクトというのが始まっております。これから、時々、水の神、川の神河童や龍について、語り合いたいと思いますが、そのイントロとして、とりあえず九頭竜川のドラゴンプロジェクトについて紹介しておきたいと思います。

 さて、まことに恐縮ですが、弥生さん、九頭龍川のドラゴンプロジェクトに関連して、皆さんに話してあげて下さいませんか。その件で福井に行ったとか、何でもいいですから・・・・・・・

あとは、私が解説をします。

 

 

 

 

 

 

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107 [94/07/14 10:42] PFA00120 河童の遺伝子点検運動 みずすまし

 

 

 7月12日13日で合計12の発言! それぞれにコメントしたいのですがなかなか間に合いません。水源から流れ出した小さな流れが急流に出くわしたと言う感じです。

 

 

 

 岩さんの河童の血筋の告白がきっかけで河童談義がはじまりました。川とロマンのホームパーティー参加者諸氏にあられては、ご自身の遺伝子の中に河童の遺伝子が含まれているかどうか点検してみませう。

 私にあっても遺伝子の点検をします。点検方法は 1)親から真の血統 について聞きただす(ヒアリング) 2)自身の過去の行状で不審な点は ないか、特に神がかったことがないか(行動分析) 3)河童に対して親 しみを持っているか(心理分析) 4)他人から河童だといわれたことが あるか(風貌分析)などを採用し、遺伝子の存否を総合判断する予定 です。点検の結果は後程ご報告いたします。

 河童は単なる川のシンボルではなく、日本民族の神の系譜を引き、歴史的文化的伝統の中で育ち、人と自然の共生という抽象概念を姿、映像で示したアレゴリーであると思われます。岩さんの言葉に翻訳すると、自然・文化・コミュニケーションを水辺で姿、映像で示したものが河童であると言うことになるのではないでしょうか。ホタルやトンボやカワセミなどはどちらかというと水辺というフィジカルな環境のシンボルですが、河童は「川と人の生活との共生」と言う歴史的、文化的に培われてきた理念のシンボルなのではないでしょうか。

 河童の話し、河童文化史、河童の出没する川・・・・など河童をり口にして水辺の楽しさ、水辺のあり方などについて議論してみるのも面白いと思います。河童族の一員の告白をしつつある岩さん、縄文時代からのヘノカッパさん、大分の河童さん、弥生さん、つくしんぼさんはじめ皆さんいかがですか。河童づくしのホームパーティーも面白いかもしれません。アーチェリー、台風、龍などについてはあらためて話します。 水辺の散歩道シリーズもあらためて。 大分の河童さん、名簿も追って掲載します。                        みずすまし

 

 

 

 

 

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118 [94/07/19 20:03] SGU01350 岩  ドラゴンPについて

 

 

 九頭竜川のドラゴンプロジェクトですが、弥生さんの話にありましたように、今年の2月末からスタートした、誠にユニークというか、私が今後大いに力を入れたいと思っているプロジェクトです。

 河川環境管理財団・大阪研究所で事務局をやってもらっており、弥生さんにもいろいろお手伝いいただいていると言うわけです。

 

 

 

 第一回の会議が福井であったとき、私は、会議後の懇親会で、弥生さんとパソコン通信の話をし、力添えをお願いしました。

 そのことが今日に繋がっていることを思うと、九頭竜川のドラゴンプロジェクトが弥生さんとこのHPとの縁を作ってくれたと言えるかも知れません。

 

 

 

 皆さんも感じておられるように、このHPにおいて、河川環境管理財団ではみずすまし君と弥生さんが中核的存在ですので、九頭竜川のドラゴンプロジェクトを語るに際し、まず、弥生さんにご登場いただいたわけです。

 

 

 

 弥生さん、話の切り出し、ありがとう。

 

 

 

 さて、ドラゴンプロジェクトというのは、

そもそも国際日本文化研究センター(日文研)の安田喜憲教授

の提案によりスタートしたプロジェクトです。

 

 

 

安田先生の考えによると、

西欧では竜はこの世の邪悪なものとして退けるべき存在、

東洋では竜は神の分身として恐れ敬うべき存在であるが、

 

 

 

世界におけるこれからの文明は、

そう言った東洋的な思想を十分加味していかないといけないのであって、そのためのケーススタディーをどこかの川でやる必要がある。

梅原猛さんの言われる第三の文明を模索するひとつの試みとして・・・・。

 

 

 

そういった安田先生の考えに共鳴する点が多いのですが、私の考えは必ずしも安田先生と同じでないかもしれません。

 

 

 

 自然というものに畏敬の念を以て接しなければならないと言う点は同感ですが、 個人レベルではいざ知らず、行政レベルの取り組みにドラゴンを持ち出すわけにはいかないでしょう。この点が安田先生と若干想いを異にしているかも知れません。

 

 

 

 また、梅原猛さんの言われる第三の文明というものを模索していかなければならないと言うことについても同感ですが、理念はともかく、地域での実践段階に第三の文明を持ち出すことは適当でないでしょう。

 この点も安田先生と若干想いを異にしているかも知れません。

 

 

 

 つまり、(個人的な立場で)竜神思想や第三の文明について大いに語るとしても、(公的な立場で)それを地域に押しつける訳にはいかないと思います。

 

 

 

 九頭竜川のドラゴンプロジェクトについてはまたお話ししたいと思いますが、今日のところは、「21世紀にあるべき第三の文明ということを念頭に置いて竜を登場させたいと考えておられる人がいる」そのことをとりあえず紹介して話を終わります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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119 [94/07/21 08:08] SGU01350 岩  大分の河童さんこんにちわ

 

 

 河童連邦共和国や河童のふるさとづくり全国連絡協議会など河童一族の組織について、親父に詳しく聞いたところ、河童のふるさとづくり全国連絡協議会は市町村長の集まりなので、早速連携するようにとのことでした。会長は、菱刈町の久保町長だそうです。佐賀市の西村市長も熱心なメンバーだそうです。

 私の調べによれば、建設省川内川工事事務所の上杉所長も河童一族で久保町長と一緒に河童のために頑張っているそうです。

 上杉君は、清水さんが大変親しいはずですので、いちど折を見て会っては如何ですか。

 営業活動も兼ねて・・・・。/E

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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120 [94/07/21 12:00] SGU01350 岩  河童の会について

 

 

河童のふるさとづくり全国連絡協議会会員(市町村)

 

 

 

北海道名寄市、青森県大畑町、宮城県色麻町、涌谷町、茨城県牛久市、栃木県栗山村、高知県高知市、島根県桜江町、福岡県田主丸町、佐賀県佐賀市、北波多村、熊本県八代市、鹿児島県川内市、菱刈町

以上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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121 [94/07/21 13:12] SGU01350 岩  河童の会について(その2)

 先に述べたように、河童連邦共和国については、若干時間をかけて、国情とか国民性とか、或いは指導者の人柄などを調べてみないといけませんが、とりあえず組織だけお知らせしておきます。

 

 

大統領府・・東京 (浅草、上野、日本橋、千駄木、利根川、神田川、おいてけ堀、江戸川、武蔵野など大統領府直属の各かっぱ村)

 

 

 

大使館・・・名寄、札幌、岩手、福岡、長崎、宮崎

 

 

 

国・・・・・旭川かっぱ村、砂川かっぱ村、定山渓温泉かっぱ村、札幌かっぱ村、みちのく河童村、牛久かっぱ村、川越かっぱ村船橋かっぱ王国、わたらせ河童王国、新治かっぱ村、西松かっぱ村熱海かっぱ村、河口湖かっぱ村、静岡かっぱ村、浜名湖かっぱ村、浜名湖西かっぱ村、駒ヶ根天竜かっぱ村、越前かっぱ村、奥飛騨かっぱ村、奥長良かっぱ村、えな河童村、みの河童村堺かっぱ村、讃岐かっぱ村、長崎かっぱ村、川内がらっぱ共和国<

 

 

 

 

 

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125 [94/07/24 12:12] PFA00120 河童の社会的地位 みずすまし

河童の社会的地位  みずすまし

 

 

 伝説や昔話からみると、河童の社会的な地位は元来東に低く西に高いといわれていますが(「山島民譚集(一)」柳田國男集27卷p102)、河童のふるさとづくり全国連絡協議会のメンバーをみますと東低西高が如実に現れていて面白く感じました。会長が久保菱刈町長というのもうなずけることです。数年前に菱刈町地先の川内川の河川空間整備のお手伝いをさせていただいたことがあり、河童大明神はじめ多数の河童の像が川中の公園におかれておりましたが、岩さんからの情報で、今やっとあの公園が日本の河童社会の一大中心地であることが判った次第です。ちなみに数十の河童像は地元の人々の手作り作品をはじめ様々な団体が持ち寄って来たものでした。

 伝説や昔話からみた河童の社会的地位の歴史的東低西高はともかく、現代の川や水と人との好ましい関係のシンボルとしての河童の社会的な地位の高さは全国共通のようです。これは川や水の大切さを示そうとする時に河童が絶えず図案としてもちいられていることからもわかります。ちなみに河川環境管理財団の「川の本」(年2回刊)にも毎号かわいい河童の子供が出て中身の案内をしています。

 そういえぱ、荒川下流でも川づくりに関してカッパクラブとか子ガッパクラブとがつくられるようです。名前の由来を誰か教えてくれませんか。

 21世紀にはもっと河童の社会的な地位が向上している。そうしたいものです。

 

 

 

 

   

河童に係わる古証文

 

 

 

 これはNiftyserveの「川とロマンのホームパーティー」で語られたログを収録したものです。

 

 

 

 

 

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126 [94/07/24 12:14] PFA00120 呪文を教えてください みずすまし

 

 

オン、アビラウーンクハンについて

 96番の岩さんの発言には沢山のキーワードが出てきました。

河童大明神、河童の遺伝子と神の遺伝子、芥川龍之介、火野葦平、清水崑、「オン、アビラウーンクハン」、トロトロガンドウ、河童連邦共和国、河童のふるさとづくり全国連絡会議などです。

 このうち「オン、アビラウーンクハン」、トロトロガンドウのふたつは単なる創作なのか意味がある言葉なのかわかりません。アビラはアラブカタブラーのアラブに通じるか?トロトロガンドウについては、トロトロはたらたらたれると言うような粘液状の形容詞と岩頭の組み合わせか? 本当の意味がわかりません。岩さん教えてください。

 

 

 

 

 

 

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:岩   河童談義

 

 

確認 岩   河童談義 (1:OK 2:NG)

:1

本文 ( 100行まで 終了は行頭で/E)

 トロトロガンドウというのは、意味のあるれっきとした日本語ですがアビラウーンクハンというのは、呪文ですから、当然意味はありません。

 トロは、瀞の意で、河水が深くて流れの静かなところ。

淵とどう違うのですかね・・・・。

 トロトロは、河童一族でしか使っていないので、一般的ではありませんが、瀞が連続している様を言うそうです。

 一般的には、みずすまし君が言うように、固体が融けて粘液状になった様を言うのでしょうね。また、トロトロするなと言うときは、ゆっくりしたさまを言うのでしょうね。

 ドウは、洞で、木の洞穴と岩の洞穴があります。河童一族では、岩の洞穴をガンドウと言っているそうです。しかも、鍾乳洞のように、奥深く河童の世界まで続いているのを言うのだそうです。

 芥川龍之介の河童にでてくる洞穴は、単なるガンドウで、トロトロガンドウは、瀞が連続して続いているような所にあるガンドウのことだそうです。

 やっぱり私は、河童の系統、京都にいる頃は、嵐山上流の トロトロガンドウでよく泳いだものです。当然ガンドウ探しの潜り専門ですね・・・・。

 最近では、広島時代、太田川の上流、加計町の丁川(よろがわ)ですね、 そこのトロトロガンドウによく出かけました。

 地元の人もほとんど行かないような所ですが、実に良いところです。

 ちなみに、私の水泳は大したもので、潜りだけでなく、格好はいいし、とても速いのです。一度機会があれば、その姿をお見せしたいものです。

 

 アビラウーンクハンは、河童大明神と交信するときの信号です。

 

宇宙の神と交信するときの信号は、

「オンボダロシャニソワカ、オンバサラダドバン、オンアビラウーンクハン、オンアメリタティー、ゼイカラウーン、ノウマクサバンダ、ボダナン」です。

 

 これも意味不明ですが、これを無心に唱えていると、宇宙の神と交信が出来て、何か感じるところがあるのです。

 宇宙の神との響き合いがあるということでしょう。

 

 是非試してみて下さい。

/E

 

 

 

 

 

 

 

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確認 岩 多摩川源流から帰ってきました (1:OK 2:NG)

 

 

毎日暑いことです。河童一族は、水不足が一番応えますね。

でも、私は、先週末、多摩川の源流のトロトロガンドウに行って来て英気を養ってきましたので、すこぶる元気です。

 

さて、多摩川源流の里フェスティバル(前回、水源の里フェスティバルと言ったのは、私の早とちり)については、みずすまし君からの報告通りですが、私もいろいろと勉強になりました。

いよいよ水を中心にした国土管理、川を中心にした国土管理、流域を中心にした国土管理に力を入れなければならないと、実感した次第です。

 さて、多摩川源流の里フェスティバルは神金小学校という小学校がメイン会場だったのですが、来春、その小学校が廃校になるとのことでした。過疎が大変深刻な状況ですね。何とかならないものかと思いませんか。

そこで、私が、そういった源流地域の活性化のため、ちょっと思いつい たことがあります。

 

その廃校となる小学校を借り受け、何かできないか・・・・。多摩川源流総合研究所なるものを開設できないでしょうかね・・・。今思案中です。

生涯学習としての春期大学、夏期大学、秋期大学或いは小中学生を対象に林間学校ならぬ源流学校を開きたい。

自然学を教えるとともに、森の大切さを教え、水の大切さを教え、

川とか流域というものについての認識を深めるようにしたい。

勿論楽しみながら・・・・・。山登り、沢歩き、岩魚釣り、野鳥観察、植物観察などを体験するようにしたい。星を見て宇宙を考えることもできるかもしれません。

山菜料理も楽しみましょう。

河童や天狗や川・山に関する民話を集め、夜は語り部がそれを語る、楽しいではありませんか。

多摩総研の日常の研究は、多摩川の源流をフィールドにして、今は亡き今西錦司さん提唱の自然学の研究と過疎地域の活性化の研究です。

 

基本的にボランティアでやるという発想です。家族連れ或いは仲間と保養がてらきて貰ったらいいのですからね・・・。無料で宿泊(食事は自炊)して貰います。

 この指たかれの方式で、教授30名と研究員60名は公募したいと思いますが、希望者はあるでしょうかね・・・。

 

以上、どんなものでしょうか。意見や良い知恵があったら教えて下さい。

 

 なお、教材の作成はマルチメディア(メディアフレンド)を使い、教授や研究員との情報交換、過疎地域或いは類似の研究所との情報交換は、パソコン通信(川のロマンフォーラム)を使えるかも・・・。

 

 メディアフレンドについて、大分の河童君からご披露して下さい。よろしく。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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150 [94/08/11 17:51] GCB02071

:RE:(仮)流域活動センター構想

 

 

「流域活動支援と河川管理のあり方について」のコメント  大澤

 ご無沙汰しております。突然、岩さん、みずすましさんから「流域活動支援と河川管理のあり方について」の資料が出ましたので、ちょっと違和感をお持ちの方もいらしゃるかもしれません。少し具体的なことでコメントさせていただきたいと思います。

 先に鶴見川での市民活動についてちょっとふれましたので、鶴見川流域ネットワーキングのことについてお話します。3年ほど前から、鶴見川に関心のある流域の市民団体が集まって緩やかな交流を続けています。自然保全活動を主とする団体、川歩きを行う団体、地域の歴史や川の歴史を尋ねる団体、川遊びやイベントをしながら街づくりに生かそうと活動している団体、子どもたちで環境学習をしているグループなどさまざまです。基本は各団体が主体的に活動することで、互いの活動に参加し知り合う、鶴見川が良くなることであれば互いに協力し会う、、をモットーに行政とも協力して活動しています。その中で、「ニュースの発送や会合の場所など、やはり活動の拠点がほしい」「活動の小道具(イベントの七つ道具、パネルやPRグッズなど)の置き場が必要になってきた」「鶴見川の情報や資料を一ヶ所に集めていつでも利用できるようにしたい」「川に関心のある人たちが気軽に集まれる場所がほしい」等の要望がでてきています。この解決策のひとつとして「バクハウス(流域活動センター)」をつくろうと検討を始めたところです。

 一方、行政は市民団体との連携で鶴見川のPRや理解者の拡大ができることになり、従来とは違った啓発事業の展開が見えてきたようです。鶴見川いきいきセミナーやふれあって鶴見川のイベントを通じて、着実に関心をもつ人たちが増えてきていることと思います。ところが、関心を持った人々が次にどうステップアップするか、行政としてこれにどう答えるか、一方でまだまだ鶴見川に関心を持ってもらいたい人々もいるため底辺を広げることも必要です。どんどん取り組むべき課題が増え続けています。しかも担当者はおおむね2年で変わってしまうので、これを継続させることは至難の業と言うことになります。いいことなのだがやればやるほど市民の要望も期待もどんどん膨らみ、担当者の大変さが増します。なにかいい知恵はないのもか。まちづくりでは今、まち

づくりセンターやまちづくりハウスなど市民活動をサポートする仕組みが検討され試行されつつあります。川でも取り組めないか、しかも広い意味で川の管理の一環として。これが提案した趣旨です。

 所で、鶴見川のような悩みを持ってらっしゃる方や体験されて方もいらしゃるのではないかと思います。是非、体験談や事例、いい知恵、ご意見等お聞かせください。おまちしてます。また、河川管理の基本を勉強しようと思っています。なにかいい参考図書や資料がありましたら教えてください。次回は(仮称)流域活動センターのイメージを小生なりにスケッチしてみたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・  大澤浩一

 

 

 

 

 

 

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149 [94/08/08 12:04] PFA00120 多摩川源流サミット みずすまし

 

 

 多摩川源流の里フェスティバル、源流サミットに参加してきました。

 8月5日の実行委員会前夜祭に始まり、6日早朝の多摩川源流水干(水神)参拝と笠取山登山、親子ふれあいサマーキャンプ、源流学習ウォーク、7日の清流の里フェスティバル(源流コンサート、特産市場、ファミリーウォーク、ヤマメ・マス釣り大会、自然写真展)そしてメインイベントの源流サミットに参加してきました。東京の実行委員会サイドからは岩井理事長、久保田所長・小針副所長・大月副所長および坂本河川環境課長をはじめとする京浜工事事務所の方々、とうきゅう環境浄化財団の山道さん、世田谷区で川づくりに取り組んでいる皆さんなどが参加しましたが、財団の事務局として遠藤調査役と共に小生も参加させてもらいました。大変刺激にあふれた源流行となりましたが、幾つか感想を述べさせてもらいます。

 感想第一 早朝の多摩川源流は山頂まで清涼な空気に満ちあふれ、鳥の声と清流の流れる音を聞きながら爽快感あふれる山登りを久しぶりに味合うことが出来ました。「源流」を体で感じることが出ました。

 感想第二 源流地域と普段見ている中下流の多摩川の文化・生活の違いを肌で感じました。イベントの会場となった、神金第二小中学校は小中学合わせて生徒が小学2年生の女の子一人だけです。そして来年の3月には事実上の廃校になります。校舎の中を見学してみましたが、府中市で文化財として復元した校舎の内部ととても似ていました。中下流で復元して保存の対象にしようとしているものが、ここでは現存し消滅しようとしている。何かとても複雑な印象を持ちました。

 感想第三 源流サミットで岩井理事長が過疎地域の活性化、自然と水の再認識・流域圏構想の再認識、流域における交流(リージョナルコンプレックス)のそれぞれの重要性について最初に講演され、塩山市長、丹波山村長、小菅村長を含め参加者に強い共感、共鳴の念を与えました。討議では3市村長、地元の人々と世田谷、川崎などの川づくりに熱心な人々の間で実りある討議がもたれ盛り上がり、こうした試みを継続して、上下流交流を確かなものにしたいという声が多く出されました。初めての源流サミットがきっかけとなって

上下流交流の大きなうねりがはじまる、リージョナルコンプレックスの実体がつくられてそれらを結ぶ上下流の参加型ネットワークがつくられいく、そうした端緒の時期に今立っていると感じました。

 このほか沢山感想があるのですが、あらためて報告します。

                    みずまし

 

 

 

 

 

 

 

 

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岩  筑後川の河童へ

 

 

 ちっこ川の河童どん こんにちわ

 私も河童一族。本貫地は行橋です。でも本籍だけで、生まれは京都です。親父が若い頃九州から関西にでてきて私が京都で生まれたという訳です。勿論、九州出身だから河童一族と言うわけではなく、それには深い深い訳があります。

 

 さて、言い遅れましたが、過日ちっこ川にお邪魔したときはありがとうございました。皆さんとお会いでき楽しかったです。

 皆さんと力を合わせ、ちっこ川を素晴らしい川に、そして浮羽郡、朝倉郡を素晴らしい地域にするよう、私も応援したいと思いますので、今後ともよろしく。その内に、又、そちらの方に出かけたいと思っています。

 今泉君が頑張っていますので、よろしくお願いします。

 佐藤さんにもよろしく。

 

 ところで、応仁天皇は、そちらの出身との説がありますね。

 邪馬台国もそちら、という説もありますね。

 私は、邪馬台国畿内説ですが・・・・。

 いずれにしろ、浮羽郡、朝倉郡という所は、歴史的に見て、随分由緒のあるところのようですね。

 

 素晴らしい自然を生かし、素晴らしい歴史と文化を生かし、交流とかコミュニケーションとかいうものを大切にしていけば、浮羽郡、朝倉郡は更に素晴らしい地域になると思います。

 その鍵は、やっぱりちっこ川が握っているかも知れません・・ね。

 お互い頑張りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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大分の河童ドンへ!    岩より

共生社会の一側面について・・・(大分の河童に関連して)

 

 

 

 共生社会においては、ご承知のとおり、地域社会はリージョナルコンプレックス(RiCO、リコ、おリコーさん)でなければならない。いろんなサークルやボランティア団体があって、そして又、それらを支援或るいは一緒になって活動するNPO(非営利団体)がある。NPOは、イギリスのグランドワークタイプのもの、アメリカの501C団体タイプのもの、いま田中さんらがやっているトラストタイプのものなどいろいろのものが該当します。勿論、財団は典型的なNPOですし、多摩川センターや中国・地域づくり交流センターもそうですね。我が国は、いま混沌(カオス)状態ですから、当面いろんなものが模索されていいでしょう。

 

 

 

 アメリカでは、ともかくNPOが非常に発達しているようで、我々はアメリカの実情を詳しく勉強する必要があります。日経新聞(1994・12・18、SUNDAI NIKKEI、以下12・18日経という)によると、日本太平洋資料ネットワークというところがあって、「アメリカのNPOシステム」というものを出しておられるので、これは是非我がHPのライブラリーに備えておく必要があります。・・・・・・・・・これは、みずすまし君にお願い・・・。

 

 

 

 さて、12・18日経によると、上記ネットワークの岡部一明さんが大変いい事を言っておられる。

 * 日本では、政府にしろ自治体にしろ、公共に対していだいているイメージは基本的に一つである。選挙で選ばれた議会が政策を決定し、それを行政が実行する。行政機関とはほとんどの場合官僚機構である。官僚機構というのは活動目標が上から与えられ、決められたものを決められたとおりに効率的に実行するためのものである。

(この点についてコメントすると・。国民がおリコーさんになればなるほど、・・・・要するに、・・・・RiCo社会、共生社会になれば、中央集権的というか集中管理方式的な社会システムではやって行けないので、いままでの官僚機構も自ずと変わらざるを得ない。)

 * 市民活動が自由に組織されてそれが分権的に多様な公共サービスを提供すれば、中央の代議制と官僚制は必要性が少なくなる(勿論、広域根幹的な機能は中央に残る。それまで市民活動でやれと言ってもそれは無理でしょう)。

 * ここでは、市民は、単に投票するだけでなく直接に公共に参加する。必要と思う公共活動を直接に組織する。少数派は少数派なりに自身の活動を行う(拙著、桃源雲情で紹介した山崎禅雄さんの0.1%論を参照)。多数決によって少数派が封じられない。

 社会には多様な価値観と活動が保障、促進される。直接民主主義、参加多元主義を生み出す新しい公共の出現である。

 

 

 

 そして、12・18日経で、内橋克人さんが言っておられる。

 * 地域社会、地方都市の未来を決めるのは、地域社会に住む人々自身であり、その役割を担うのは、NPOである。

 * 今、21世紀に向けて始まろうとしているのは、情報社会(私に言わせれば情報社会というのは、共生社会の一側面にしか過ぎないので、この部分は共生社会と置き換えた方がいい)への動きである。そこでは、モノではなく目に見えないソフトが、又ハコではなくネットワークが優位に立つ。

 * 情報社会を機能させる優れた情報サービスは、それぞれの地域に蓄積された草の根的な連携の土壌の上に生まれる。地域の特性を熟知し、長い時間をかけて丹念に拾い上げ、システムとして育て上げなければならない(私がエンカルタシステムの必要性を強調する所以)。

 * そのように育った地域のネットワークが、初めて、世界のネットワークへと進化していく。

 * 霞が関から一元的な指令で全国をコントロールするといういままでのやり方は、これからの情報社会ではもはや十分な機能を発揮することは出来ない。

 * 情報化が進めば進むほど地方分権の方向を取らざるを得ず、草の根的な地域活性化の在り方が必然のものとなる。多元化社会に向けて一歩でも早く踏み出した社会が間違いなく優位に立つのだ。

 

 

 

 又、12・18日経で、人材派遣会社パソナグループの代表、南部靖之さんが言っておられる。

 * これからは、正社員化アルバイトか、そのどちらでもない、第三の働き方がある。この第三の道こそ本当に自由な職業人の望む働き方だ。21世紀は、これが主流にならなければならない。

 * 複数の「働き方」が社会に用意され、その数多くの選択肢の中から、働く側のライフスタイルに合わせて個人が選ぶ。それが第三の働き方である(注、大分の河童が実践)。

 

 

 

 以上、共生社会について重要な点を紹介しましたが、要するに、共生社会を実現していくためには、発想の転換、パラダイムの転換が必要ですが、その際のキーワードは、RiCo(NGOの存在が前提)、NPO、エンカルタシステム、大分の河童です。

 そうそう、バーチャルカンパニー・・・・

・・・・・・・・・・・・これを忘れてはイカンですバイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

   

河童文庫

 

 

1、河童の日本史

刊行年 1996

書名 河童の日

著者 中村禎里 著

出版社 日本エディタースクール出版部

出版年月 1996

定価 3500円

 著者ははじめ生物学者であった。次いで科学史家になり、次第に歴史・民族に関心を持ち始め、狸の研究をへてついに河童の研究者になった。本書を読めば、河童という架空の動物が、近世の人々の信仰や風俗や、恐れや願望の結節点であったことがよくわかる。河童の図がたくさん載っており、見るだけでも楽しめる本。

 

 

2、九州河童紀行

刊行年 1993

書名 九州河童紀行

著者 九州河童の会編

出版社 葦書房

定価 1900円

 河童のルーツ九州を探る。日本人の生活の中で、河童が持つ意味や象徴性は何か。九州各地の豊富な伝承をもとに、地元河童愛好家が探る新しい河童像への試み。

 

 

3、河童を見た人びと

刊行年 1996

書名 河童を見た人びと

著者 高橋貞子 著

出版社 岩田書院

定価 1500円

 「河童を見た人びと」の舞台は、岩手県下閉伊郡岩泉町。岩泉町は、香川県一県に匹敵する日本一広い面積を持ち、総面積の93%を林野が占めている。豊かな森と水を背景に、岩泉町の人びとは河童ばなしを豊かに語り継いできた。半世紀前の人びとが見たり聞いたりした岩泉河童ばなしを掘り起こして、ひたむきに書きとめて一冊にしたのがこの本である。岩泉河童は本の中に勢揃い。素朴な岩泉河童が、ありのままの姿で登場し、私たちの心をはなしてやまない。

 

 

 

 

   

河童に関わる芸術・文学

 

 

 

 

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河童の子

 

 

 

 

 

河童がぽつんと、ただひとり。

はっと思えば、またひとり、

岸にひらりと手をかけて、つららつららと

踊りあがった河童の子。

頭のお皿も青白く、

真実、れいろう、素っ裸

こえも立てねば音もせず。

いつまであそぶ河童の子。

つららつららと河童の子。

 

 

 

今後は少しづつ河童に係わる作品をそろえたいと思います。

とりあえず「江の川のえんこう」

 

 

 

 

   

河童伝承

 

 九州一帯では・・・山ワロ・河ワロの俗伝が行われている。中国以東の川童が淵池ごとに弧居するのに反して、九州ではミズシン・またはガアラッパと称する者は、常に群をなして住んでいた。そうして冬に近づく時それがことごとく水の畔を去って、山に還って山童(やまわろ)になると考えられ、夏はまた低地に降りてくること、山の神、田の神と同じであった。・・・・紀州熊野の山中においてカシャンボと称する霊物もほぼこれに類する習性を認められている。

 壱岐の島では一人の旅人が夜通しがやがやと宿の前を海に下って行く足音を聴いた。夜明けて訊ねるとそれは山童の山から出てくる晩であった。或いはまた山の麓の池川の堤に、子供のかと思う小さな足痕の、無数に残っているのを見て、川童が山に入ったという地方もある。秋の末近く寒い雨の降る夜などに、細い声を立てて渡り鳥の群が空を行くのをあれがガラッパだと耳を峙てて聴く者もあった。

 阿蘇の那羅延坊などという山伏は山家に住みながら川童予防の護符を発行した。すなわち夏日水辺に遊ぶ者の彼らの害を懼るるごとく山に入ってはまた山童を忌みはばかっていた結果かと思われるが近世に入ってからその実例がようやく減少した。大体にこの小さき神は、人間の中の小さい者も同じように、気軽な悪戯が多くて驚かす以上の企てえなかった。・・以上、柳田国男著「遠野物語・山の人生」岩波文庫(1993年10月15日第31刷発行P196、20、深山に小児をみるということ)・・より。

 

 

 

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1、小川芋銭(うせん)と河童

 

 

 「河童と言えば芋銭(うせん)、芋銭と言えば河童」と呼ばれる小川芋銭は、利根川は、牛久沼(茨城県)のほとりに住んで、河童の絵をたくさん描いた。

 

 

 

 「ねえ、芋銭のおじさま。河童はホントに居るん?」 芋銭は、子供に河童の話しをするのが好きで、或る程度大きくなるとたいがいの子供は芋銭の河童話を聞いた。たいていの子供は芋銭の話を真剣に聞くのだが、たまには頭の悪い子(?)が居て、そう質問する奴も居る。

そういう場合、芋銭は、

「ああ居るとも。ほれ、あそこに松があるじゃろ、あれは河童松だぞ。沼からあがってきた河童が、よく相撲をとるところじゃよ。」

と言っては、子供たちを沼のそばに連れていったと言う。そして、沼を覗き込んで、

「ほれ、ほれ、波が立ったぞ。ほれ、そこに河童が居る。

・・・・・・・・・見えるじゃろ。」・・・・・・。

「見えないよ。」

「なに、見えない?・・・ほれ見えるじゃないか・・ほれ。」

「?????」

「やっぱり見えるには訓練がいるか。・・・暫くじっと立って、見る訓練をしていなさい!」

芋銭は、いつもそう言って、サッサと一人で帰ったそうだ。

 

 

 

 牛久沼を見渡すこんもりした木立の中に、「河童碑」が建っている。

 芋銭は、昭和13年、私の生まれた年に、70歳で亡くなった。

「河童碑」に描かれた芋銭の河童は、私が治水課の建設専門官の頃父の話を思い出してわざわざ見に行ったことがあったが、見事な絵だ。沼で暮らした昔を懐かしむように、じっと牛久沼をみつめている。

 

 

 

 以上は、「利根川おばけ話」(ろん書房、TEL0471ー58ー0035)の芋銭河童こばなしを、私が、本当らしく、少し脚色したものである。

 

   

河童族

わが河童族に幸いあれ!

〜オン、アビラウーンクハン! 〜

 

 河童族! この混沌とした時代に黙っているわけにはいかないねえ。芥川龍之介 や火野葦平・清水昆などがそうであったように、 私たち河童族としてはですねえ、 大いに気を吐き、世の中が間違った方向に行かないよう 各方面で活躍しなければ ならないのではないか。 みんなから期待されているのだ!・・・・なにわともあれ、 河童族と人間との共生が図られられるよう、水がきれいで瀬と淵のある素晴らしい川 づくりに取り組もう!みんなで力を合わせて!まずはネットワークだ。JUUU-NET!

 

 

 

 

 

   

河童族

河童共和国などの組織

 

 

 

1、河童のふるさとづくり全国連絡協議会会員(市町村)

 

 北海道名寄市、青森県大畑町、宮城県色麻町、涌谷町、茨城県牛久市、 栃木県栗山村、高知県高知市、島根県桜江町、福岡県田主丸町、 佐賀県佐賀市、北波多村、熊本県八代市、鹿児島県川内市、菱刈町 以上

 

 

 

2、河童共和国(パロディー共和国)

 

大統領府・・東京 (浅草、上野、日本橋、千駄木、利根川、神田川、     おいてけ堀、江戸川、武蔵野など大統領府直属の各かっぱ村)

 

大使館・・・名寄、札幌、岩手、福岡、長崎、宮崎

 

国・・・・・旭川かっぱ村、砂川かっぱ村、定山渓温泉かっぱ村、

      札幌かっぱ村、みちのく河童村、牛久かっぱ村、

      川越かっぱ村船橋かっぱ王国、わたらせ河童王国、

      新治かっぱ村、西松かっぱ村熱海かっぱ村、

      河口湖かっぱ村、静岡かっぱ村、浜名湖かっぱ村、

      浜名湖西かっ ぱ村、駒ヶ根天竜かっぱ村、越前かっぱ村、

      奥飛騨かっぱ村、奥長良 かっぱ村、えな河童村、

      みの河童村堺かっぱ村、讃岐かっぱ村、長崎かっぱ村、

      川内がらっぱ共和国

 

   

河童族

「告白・・・・我が血統の秘密!」

 

 

 大分の河童どん、こんにちわ。久しぶり。

 君が頑張り始めたようであるので、仲間と思うて、取って置きの身の上話をしておくばい。河川局長になったとき、親父から打ち明けられた私の身の上に関連する信じられない話だ。しかし、これは本当の話ですぞ。

 

 

 

 人間の遺伝子には二種類あって、普通の人間、つまり猿と基本的には同じ遺伝子を持った人間と少し神がかった人間、つまり神の遺伝子が少し混じった人間がいる。

 後者の場合、桃から生まれたり竹から生まれたりする場合もあるが、何か特別の事情によって、神から子供を授かり、その子供が大きくなって普通の人間と結婚、以来、子孫が繁栄している訳だ。

 河童大明神は、人間ではなく河童だが、一人素敵な人間の子供を授かったそうだ。

 

 

 

 昔昔、中国での話だ。河童大明神が、世のため人のため数々の良いことをした、そのご褒美に神様から一人の子供を授かった訳だ。その子供は、人間ではあるが、河童の子でもある。神様の計らいで、河童の遺伝子と神の遺伝子が少し混じった形で生まれた。

 だから、今では、河童大明神の子孫には河童と人間がいるのである。つまり、我々人間の中には、それほど多くはないが、河童大明神の子孫がいると言うことだ。

 

 

 

 大分の河童こと河野さんもその仲間かもしれない。芥川龍之介、火野葦平、清水崑などはそうらしい。めたらやったら河童が好きなんですからね。・・・・実を言うと、・・・・私も、(正真正銘の人間ではあるが、)親父のびっくりする話しによれば、河童大明神の子孫なんだそうだ。

 親父曰く。「家には、人には見せてはならない家宝がある。いずれお前に譲るが、それを用い、オン、アビラウーンクハンと10回唱え、もし河童大明神に通ずれば、3日間だけ河童に戻れる。・・・・・・今は、河童も少なくなったが、水がまあまあきれいで豊富なところで、トロトロガンドウの有るところには、居ることは居る。

 最近はいろいろと困っているようなので、話を聞いてやって、助けてやって欲しい。

 

 

 

 お前と同じような人間、河童大明神の子孫もたくさん居るので、是非、力をあわせるように。」 そんな話だった。

 

 

 

 そして、親父は、こうも言ってた。

「全国には、そういった河童大明神の子孫で、気の利いた連中が、河童連邦共和国という組織を作っている。」 

そして、河童と仲よく暮らそうという市町村長の支援団体「河童のふるさと創り全国連絡協議会」というのも有るとのことだ。

 

 

 

 その辺の詳しい情報、親父から聞いた面白い話、トロトロガンドウについては、また機会をみて。・・・・・とっぴんぱらりのぷう。

 

 

 

 

 

 

次に続く!

 

 

 

「トロトロガンドウ」について

 

 

 

 トロトロガンドウというのは、意味のあるれっきとした日本語ですがアビラウーンクハンというのは、呪文ですから、当然意味はありません。

 トロは、瀞の意で、河水が深くて流れの静かなところ。

淵とどう違うのですかね・・・・。

 トロトロは、河童一族でしか使っていないので、一般的ではありませんが、瀞が連続している様を言うそうです。

 一般的には、みずすまし君が言うように、固体が融けて粘液状になった様を言うのでしょうね。また、トロトロするなと言うときは、ゆっくりしたさまを言うのでしょうね。

 ドウは、洞で、木の洞穴と岩の洞穴があります。河童一族では、岩の洞穴をガンドウと言っているそうです。しかも、鍾乳洞のように、奥深く河童の世界まで続いているのを言うのだそうです。

 

 

 

 芥川龍之介の河童にでてくる洞穴は、単なるガンドウで、トロトロガンドウは、瀞が連続して続いているような所にあるガンドウのことだそうです。

 

 

 

 やっぱり私は、河童の系統、京都にいる頃は、嵐山上流のトロトロガンドウでよく泳いだものです。

 当然ガンドウ探しの潜り専門ですね・・・・。

 最近では、広島時代、太田川の上流、加計町の丁川(よろがわ)ですね、そこのトロトロガンドウによく出かけました。

 地元の人もほとんど行かないような所ですが、実に良いところです。

 ちなみに、私の水泳は大したもので、潜りだけでなく、格好はいいし、とても速いのです。

 一度機会があれば、その姿をお見せしたいものです。

 

 

 

 アビラウーンクハンは、河童大明神と交信するときの信号です。

 

 

 

宇宙の神と交信するときの信号は、

「オンボダロシャニソワカ、

オンバサラダドバン、オンアビラウーンクハン、

オンアメリタティー、

ゼイカラウーン、ノウマクサバンダ、ボダナン」です。

 

 

 

 これも意味不明ですが、これを無心に唱えていると、宇宙の神と交信が出来て、何か感じるところがあるのです。宇宙の神との響き合いがあるということでしょう。

 

 

 

 是非試してみて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

Iwai-Kuniomi