旅のすすめ


 <目次と要点>

(1)、はじめに
  *わが国らしい生き方 *「知と情」を磨く

(2)、JUUU−NETの活動に何故「旅」を重要視するのか

  *中村雄二郎氏の「共振する世界

* 老松克博氏の「漂泊」

  *共振」は「漂泊の旅」の中にある

  *セカンドハウスに悠々の時間を過ごす

  *リゾートオフィスで自然との触れ合いを楽しみながら仕事をする

  *コミュニケーションの世界

  *マルチメディアを駆使した「旅人の社会」

(3)、旅のさまざま

  *旅の幕開け * 新しい知識をもとめての旅(先進地視察)

  *志士たちの交流が明治維新へのいとぐちをつくっていく

  *食客

  *旅行の設備や機関がととのってくるにつれて

民衆が民衆に接し、学ぶ機会が失われてくるとともに、知識をもとめ、伝達し、自己形成のために役立てようとした旅から、単なる娯楽への旅が展開してくる。それでもなお旅に出て自分のいままでの生活の中にないものを得ようとする気持ちはつよい。

* 共通の観念をもちつつも

それに気がついていない人びとが地域毎によどんでいる。その人たちが目ざめて手をつなぎあう。それは、旅をすること以外に目のひらきようのないものである。みんなであるいてみる。あるいて別の世界にふれてみる。またあるきつつ道づれをつくる。一人で見るよりは二人で見るのがよい。教え教えられながらあるく。

本当にそんな旅がしたいものである。

* 旅は気まぐれである。

何かにぶつかり、どんな人に出会うかわからない。その気まぐれな時間のなかで、旅人は何かを感じる。何かを発見する。美しい人、唄、祈り、言葉には言いつくせない哀しさ、優しさ、温かさ。

都市生活者は都市の中に閉じこめられているだけでは息苦しくて生活できないまでに過密化している。その上静かに考える場すら失われしまった。私たちはその解決の道の一つに旅を見出したい。

* 旅のさまざま

(テクテク歩く旅・長期間滞在して日本は、山国であるとともに海国茅手のふるさと小さな宿

* 思えば

日本の民衆はいつも社会の下積みにせられ、歴史の表面に出てくることはなかったが、大変なエネルギーを持って、黙々と生活を築き、文化をつくりあげ、いつも変わらぬ日本人の心を持ち伝えてきた。旅はそういうことを教えてくれる。

旅をして地方の先覚者に会いともに語り、またそれぞれ現地における活動の様と地方の現状を知る。その土地に活気の満ち溢れているところにはすぐれた指導者とそれに同調する人々がおり、そういう土地の持つ生産力は素晴らしいものがある。

山が貧しいのではない。山に住む人たちとそれを導いていく人の意識の立ち遅れが、山村を苦しみに落としているのではないだろうか。しかし、地域によっては、すごい人生観や活力を持った人たちがまだまだいる。旅をしてそういう人たちと会いたいものだ。

 

(4)、JUUU−NETの活動方針

(5)、旅のライブラリー

私は、実験的に、私のホームページで「私の散歩路」を紹介している。こういったページが地域において蓄積されいけば、大変価値のある旅の情報ライブラリーとなるのではないか。

 

旅のすすめ

 

(1)、はじめに

 国際化が進展する中で、社会のグローバル化が進展する中で、或いは地球化が進展する中でと言っていいかも知れないが、今後、わが国は、わが国らしい生き方をしていかなければならない。われわれ日本国民は、世界における、それぞれの民族文化の違いというものを十分わきまえ、かつ、それぞれの民族文化というものを大切にしながら、その上でわが民族らしい生き方をしていかなければならない。

 経済的には、国際分業の中で、伝統産業というものを大切にしながら、歴史・文化を大切にしながら、情報産業という先端産業を育んでいかなければならない。「両頭裁断」という言葉があるが、伝統産業の育成と先端産業の育成という、一見矛盾するものを両立させなければならい。

 われわれは歴史を生きなければならないのである。歴史というものは、われわれ身体の一部である。われわれ自身である。したがって、歴史を大切にしない限り、われわれ自身の能力、「知と情」は育たない。「知と情」が育たない限り、先端産業の育成なんてものは到底期待できないではないか。

 私は、これからわが国が先端産業で生きていくためには、われわれ自身が「知と情」を磨かなければならないと思っている。

「知と情」を磨くためには、何が大事か。おそらく、自然との触れ合い、歴史・文化との触れ合いがない限り、「知と情」は磨くことは難しいであろう。また、人との触れ合いがなければ、

 われわれ自身の「知と情」を磨くことは到底できないであろう。

 願わくは、天籟を聞き、地籟を聞き、人籟を聞かなければならない。

 自然と触れ合い、歴史・文化と触れ合い、そして人々と触れ合うそういう環境が身近に整っていなければならないし、又われわれは、旅に出なければならないと思う。われわれは大いに歩き、見て、聞かなければならない。「あるき、みる、きく」、そのための旅に出なければならない。私が、「ロマンある地域づくり」を唱え、旅をすすめているのも、畢竟、「知と情」を磨きわれわれらしい生き方をするためだ。

さあ、皆さん、これからは大いに、・・・・天籟を聞き、地籟を聞き、・・・そして人籟を聞く旅に出ようではないか。

 

(2)、JUUU−NETの活動に何故「旅」を重要視するのか

 JUUU−NETは、個人に焦点を当て、それぞれが精神的にも充実した生活ができるよう、共生、コミュニケーション、連携をキーワードに、新しいイキイキとした地域社会を目指している。

 私たちの言葉としては・・・・地域の活充化ということだが、私たちJUUU−NETでは、それぞれ個人の個性というものを大切にし、お互いにお互いを認め合いながら共生していく、そのような社会を目指している。そして、その場合、それぞれ個人が実行するライフスタイルとしては、定住ではなくて半定住、言い変えれば・・・セカンドハウスやリゾートオフィスに基づいた「マルチハビテーション」であり、そして漂泊にも似た「旅」をこよなく愛し、別世界との出会い、コミュニケーションを楽しむ生活である。

 そして、さらには、会社人間ではなくて半会社人間、言い換えれば・・・・・地域づくりなどボランティアにも熱心な「マルチ人間」であり、仲間とのネットワーク・・・言い換えれば「コミュニケーション」と「連携」、そういったものに基づいて、常に何かをやりたいと願う行動派の人間である。そして、言うまでもなく、コミュニケーションの手段としては、勿論「触れ合い」というものをもっとも大切にしつつも、インターネットやパソコン通信・・言い換えれば「マルチメディア」を愛用している。

 今ここでは「旅」に焦点を当てて、これからの生き方について普遍しておきたい。

 我が国を代表する哲学者・中村雄二郎氏は21世紀の世界像として「共振する世界」を描いておられ、又新進気鋭のユング派精神分析家・老松克博氏は「共振の感覚は定住的なものの見方からはでてこない」と・・・「漂泊を生きる」ことの重要性を言っておられるが、まず、中村雄二郎氏の「共振する世界」をかいま覗いてみよう。

 永い間人々は、<天球の音楽>や<天球のハーモニー>というのを、詩的な表現か、せいぜい比喩的な表現としてしか受け取らなかった。だが今日では、電波望遠鏡の発明と発達によって、大宇宙が現実に音とリズムに充ち充ちていることが明らかになった。すなわち、われわれは、太陽系の惑星、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星の発する電磁波を電波望遠鏡をとおして音に換えて聞くことができるようになった。私もそれら大宇宙の音を聞いたことがあるが、それは胎児が聞く母親の胎内音と実によく似ている。私たちは、そういった宇宙のリズムに包まれて誕生し、宇宙のリズムに包まれて生きている。生きとし生けるものすべてがそうなのだ。否、量子の場もそうであるとすれば、大宇宙のすべてがそうだということであろう。

 そしてより重要なことは、それらのリズムはお互いに「共振」しているということだ。この「共振」という働きは、宇宙や自然界のいたるところに見出される驚くほど普遍的な現象である。脳波同士の共振から始まって、動物固体の心筋細胞の共振、潮の干満のリズムと女性の生理との共振等等である。

 このように、この現実の世界は、正に「共振する世界」である。それはまた・・・「五大にみな響きあり」とするあの空海の「マンダラの世界」でもある。そういう認識が重要なのだ。そして、そういう認識の下、この現実の世界で今正にやらなければならないことは、中村雄二郎氏が言うように、生命的なリズム感覚を取り戻すこと、リズムを通しての根元的なコミュニケーションというものを取り戻すことである。今自分の住んでいる世界とは違う世界のリズム、いろいろな地域の持つリズムとの「共振」、言い換えればいろんな地域文化との響き合い、そういったものを実感するところから始めなければならない。それによってはじめて私たちの目指す「共生社会」がより現実のものになってくる。

 

 次に、老松克博氏の「漂泊」という概念に触れておきたい。

 日本の文化を貫く特徴として「漂泊」というものがある。俳句や能、歌舞伎、浄瑠璃など日本の代表的な文化には漂泊的なものが多い。「漂泊」は、私たちの行動パターン、つまりライフスタイルとの関係で言えば、「今が一番大事」という仏教で言うところの「無常観」、そういう世界観を持って生きていこうとする生き方である。悪く良くと刹那主義になるかもしれないが、すべてが起こっては消えていく中で、そこに生きる意味、価値を見出していこうとするもの、それが「漂泊」だ。老松克博氏によれば、西洋の「定住的な自我」に対し、日本人の自我には漂泊的な部分が多い。

 私たちは私たちの文化を生きていかなければならないが、それはとりもなおさず日本人の自我の特性・・・「漂泊」を生きていくということだ。

 その際、大事なことは、「共振」ということだ。漂泊を生きるには、今の言葉で言えば「縁(シンクロニシティー)」というものを信じることが大事であり、そのためには旅にでて、いろんなものと「共振(シンクロナイズ)」して、「縁」というものを実感することである。「袖触れ合うも他生の縁」。・・・仏教で言うところの「無常観」の中から逆に積極的な生き方が見出されていく。「共振」は、離れていて関係がなさそうなのに通じ合うということだが、それは定住的なものの見方からはでてこない。

「共振」は「漂泊の旅」の中にある。

 

 JUUU−NETは、個人に焦点を当て、それぞれが精神的にも充実した生活ができるよう、共生、コミュニケーション、連携をキーワードに、新しいイキイキとした地域が、私たちJUUU−NETでは、それぞれ個人の個性というものを大切にし、お互いにお互いを認め合いながら共生していく、そのような社会を目指している。

 そうだとすれば、私たちは、セカンドハウスに悠々の時間を過ごすなり、リゾートオフィスで自然との触れ合いを楽しみながら仕事をすることが必要だ。また漂泊にも似た「旅」をしなければならない。そうすることによってはじめて生命的なリズムを取り戻すことができるのではなかろうか。

 21世紀は、コミュニケーションの世界であり、情報の世界である。世界はまさしくウェブ(蜘蛛の巣)のごとく情報のネットに包み込まれてしまうのだが、その主役はあくまで個人である。そして、谷口正和氏がその著書「パラダイムの予言」で述べているように、それぞれ個人の個性というもの、個性という差異を認め合い、評価し合い、それを楽しみの交換にしていく社会、それは先行性というものが全社会的に活性化され、個人的特性というものがまるで」お花畑のように咲き誇るイキイキとした地域社会である。

それはとりもなおさずマルチメディアを駆使した「旅人の社会」でもある。

 

 (3)、旅のさまざま

 「旅」の歴史はとても古い。初期には、生活必需品を求め合うための旅から、或いは大和朝廷の命により任地におもむいた官吏の旅、そういった個人的欲求とは隔絶した点で旅はなされた。しかし、ある程度の経済的安定が満たされたとき、あるものは我が信じる神を求めて出かけた。これこそ自由な意志による旅の幕開けといえよう。

 平安時代から始まった熊野参詣は、鎌倉・室町時代には最大の盛り上がりを見せた。信仰の力は実に驚くべきものがあると感心する。伊勢詣でや四国88カ所めぐりなどの巡礼は時代を超えて盛んだ。

 信仰について言えば、信者のみならず宗教の布教活動も盛んに行われたのであり、これを見逃すわけにはいかない。例えば一遍上人。一遍上人は、民衆を固定した地域社会の中かに見出したのではなく、旅をすることによって、地域社会を超えることによって、見出したのである。旅をしなければ民衆全体を発見することはできなかった。

 また、俳人など芸術家の旅はよく知られているところだろう。芭蕉が、素晴らしい作品を大成したのも、旅によって、ものに触れ自然を見つめることからきているのであろう。芭蕉の文学を、足で書かれた文学とするのは、決していいすぎではあるまい。

 幕末の頃になると信仰の旅を名としつつも、新しい知識をもとめての旅がいよいよ盛んになってくる。私の尊敬するかの民俗学者・宮本常一の言うところにしばし耳を傾けてもらいたい(旅の発見、旅の民族と歴史3、宮本常一編著、八坂書房)。

 瀬戸内海地方に薩摩芋がひろく栽培せられるようになったのも新しい知識を求めての旅であったし、兵庫県加東郡社町のあたりで釣り針の製造が盛んなのもそうである。地方に見られるいろいろな手工業の由来をしらべてみるとそのほとんどが、そういった旅によって技術がつたえられたものが多いとのことである。

 今日のように農事試験場が各地にでき、また農業改良普及活動が盛んになってくると、旅をしなくても農業知識はいろいろ得られるようになってきているが、しかしそれだけではやはり十分ではなく、先進地視察はいよいよ盛んになろうとしている。しかもそれは単に農業だけではなく、あらゆるものについて言えることなのである。

 幕末の志士たちとよばれる人びともほとんど旅をし、先学者にあうことによって目をひらいている。吉田松陰、橋本左内、高野長英、平野国臣らをはじめ名をあげていけばきりがないほどである。それぞれの地方に住む有志にあうことによって目をひらき、また日本全体について考えるようになってきたのである。と同時にその頃は人材について言えば、中央と地方の差は

なかった。むしろ地方にすぐれた学者が少なくなかった。そしてこれらの志士たちの交流が明治維新へのいとぐちをつくっていく。

 宮本常一は、旅人のなかにはずいぶんのんきなものもいたと言っている。画家や詩人などのたぐいにそれが多かったようである。旅に出ていって気に入った家でもあると何日でもそこに滞在した。またそういう人をとめておいて文句を言わないような豪家や寺などがあったもののようである。

 まずしい画家たちはそのようにして地方の豪家などで食客をしつつ何日でもすごす。そして宿銭をおくかわりに絵を描いておくことが多かった。一芸一能に秀でておれば、金はもたずとも、そういう人をとめる豪家があった。またそういう家があるために当時の知識人も旅をすることができた。宮本常一はそのように述べている。さらに、宿へとまってもチョンガレ語りといえばただであったらしい。しかしその夜は泊まり客にチョンガレ(浪花節の前身をなすもの)を語ってきかせなければならなかった。宿といっても木賃宿であるが・・・。

 旅行の設備や機関がととのってくるにつれて、民衆が民衆に接し、学ぶ機会が失われてくるとともに、知識をもとめ、伝達し、自己形成のために役立てようとした旅から、単なる娯楽への旅が展開してくる。それでもなお旅に出て自分のいままでの生活の中にないものを得ようとする気持ちはつよい。そしてそれは国内の旅だけでなく、次第に国の外へ向かってひろがりを持ちはじめている。しかし旅本来の姿は自分たち以外の民衆を発見し、手をつなぐものであったことを忘れてはならない。昔はその中に自分を、また世の中を発展させる要素を見出していったが、いまもそのことはかわりないと思う。宮本常一はこのように言っているし、又次のようにも言っている。大変示唆に富んだ言である。

 共通の観念をもちつつも、それに気がついていない人びとが地域毎によどんでいる。その人たちが目ざめて手をつなぎあう。それは、旅をすること以外に目のひらきようのないものである。みんなであるいてみる。あるいて別の世界にふれてみる。またあるきつつ道づれをつくる。一人で見るよりは二人で見るのがよい。教え教えられながらあるく。本当にそんな旅がしたいものである。

 

旅は気まぐれである。何かにぶつかり、どんな人に出会うかわからない。その気まぐれな時間のなかで、旅人は何かを感じる。何かを発見する。美しい人、唄、祈り、言葉には言いつくせない哀しさ、優しさ、温かさ。

 都市生活者は都市の中に閉じこめられているだけでは息苦しくて生活できないまでに過密化している。その上静かに考える場すら失われしまった。私たちはその解決の道の一つに旅を見出したい。

  それでは、現代の人々がどんな想いで旅をしているのか、「あるく、みる、きく」(企画監修宮本常一、日本観光文化研究所編、発行者馬場勇)から、旅のさまざまを紹介しておきたい。

@、アメリカの話しにこういうのがある。もっとも安く旅をするには飛行機を使い、もっとも         デラックスな旅をしたいと思えば各駅停車の汽車に乗ればよいそうだ。日本で考えると、さしずめ新幹線の旅と歩く旅がそれに当たるだろう。

 歩幅60センチでテクテク歩く旅は、自動車の砂煙で鼻のあたりを真っ黒にしながら、イライラするほどのあせりがあっても、未知の地を歩き、未知の人を知り、未知のものに遭遇する楽しみある。そして、こんな世界や考え方があったのかと驚き、びっくりしているうちに、ふと自分の見方考え方が違ってきていることに気がつくのである。

(67年5月号、「本陣への旅」、宮本常一)

A、私の旅は、広い地域を急ぎ足で動き回るというものではなく、あるところに長期間滞在して、土地の人々と生活を共にするものです。稲垣尚友三はそう言いながら、次のように述べておられます。(69年8月号、「人間らしさの原型を求めて」、稲垣尚友)

 「人間どこでどんな人にお世話になるかもしれん。わしのせがれも万が一にもあんたのような人に世話にならんともかぎらんからなあ。」といって微笑しながら旅人をいたわってくれたのだそうです。そういったことはどの村に行ってもそうだった。こうして稲垣さんは、生まれて初めて人間の生々しい触れ合いを経験することになりました。都会暮らしの稲垣さんには、生の人間をぶっつけ合う機会も少なく、人間らしいみずみずしさとはどんなものなのかを問うてみることすらなかったのを、エラブ島の人たちによって稲垣さんは生まれて初めて知ることになったのです。そういった人間のみずみずしさといい、青い珊瑚礁の海、そしてまた、外国語を聞くようでほとんどわからない島の人たちの交わす言葉、独特の哀調を奏でる蛇皮線の音、芭蕉の葉で葺いた家々、すべて初めて見る光景に稲垣さんは胸をわくわくさせたのでした。「何もかも東京の真似事かと思っていた私には、日本にもこんな個性豊かな土地が合ったのかと思ってうれしくてなりませんでした。」・・・稲垣さんはそうおっしゃっておられます。

B、日本は、山国であるとともに海国です。そして三陸海岸は、海と山がもっとも強くつながり合い、融け合っているところです。だからこそここで生き、ここを開発してきた人たちは、有無を言わさず山と海の両方にかかわりをもってきたのではないか。そしてそういう人たちの心には、ふだんわたしたちの気付かない人生観や自然観があるはずだ。旅は、そういうわたしたち以外の人の人生観や自然観を知り、それを知ることによって、私自身のそれを確かめ、広げ、深めることができる、言い換えれば私自身の内面の可能性を無限に押し広げていくためのある体験だ、と私は思っています。(69年8月号、「三陸海岸」、姫田忠義)

C、会津田島は茅手のふるさとである。茅手とは、屋根葺き職人のことで、毎年5、6人の組を作って、関東は、栃木、千葉、東京、山梨方面まで出稼ぎに出ていった。彼らは年季の入った旅人であった。江戸時代から始まり昭和初期は勿論のこと最近までのことだ。葺き場には毎年世話になる宿があった。「わらじむぎ」という。宿といっても普通の農家であった。茅手にとっては会津にいる家族と連絡する場所になる。草屋根はもうなくなろうとしています。でもまだ茅手たちは各地に健在。技術も分布も教えてくれるでしょう。歩くときは、できるだけ乗り物を降り、大きな道もはずして下さい。そのほうが発見も大きく、楽しみも大きいからです。バスもなければ便乗も宿も頼まざるを得ないし、失われた「旅」も失われていないことに気付くでしょう。(69年9月号、「草屋根、会津茅手見聞録」、相沢つぐ男)

D、旅先で接する温かい人の心は何よりも嬉しいもの。行きずりの私たちへ示してくれた、この真心のこもった親切は心に深くしみ通った。村でただ一軒という小さな宿の屋根裏部屋で粗末なベッドに泊まったこの夜が、今までの立派なホテルより心温まる一夜であったことはいうまでもない。その夜、寝静まった村の道に寝ころんで星空を仰いだとき、私は心からこの旅にきてよかったと思った。旅の本当の良さは、思いがでず、あるいは苦労して自分で得た、他の誰でもない、自分自身の体験から生まれるものであろう。集団の旅では、景色の印象は残っても、本当の旅の良さは余り望めない。

 (69年12月号、「欧州アルプス・22日間」、吉川洋子)

 

 さて、以上は旅の様態を示すほんの一端であり、書き出すときりのないほど旅の様態というものはさまざまだと思う。またまた宮本常一で恐縮だが、宮本常一の言でこの節を締めくくりたいと思う。

 思えば、日本の民衆はいつも社会の下積みにせられ、歴史の表面に出てくることはなかったが、大変なエネルギーを持って、黙々と生活を築き、文化をつくりあげ、いつも変わらぬ日本人の心を持ち伝えてきた。旅はそういうことを教えてくれる。

 旅をして地方の先覚者に会いともに語り、またそれぞれ現地における活動の様と地方の現状を知る。その土地に活気の満ち溢れているところにはすぐれた指導者とそれに同調する人々がおり、そういう土地の持つ生産力は素晴らしいものがある。

 山が貧しいのではない。山に住む人たちとそれを導いていく人の意識の立ち遅れが、山村を苦しみに落としているのではないだろうか。しかし、地域によっては、すごい人生観や活力を持った人たちがまだまだいる。旅をしてそういう人たちと会いたいものだ。

 旅に生涯を、あるいは半生をかけたような人たちの旅は単に過去を懐かしみ、あるいはただあそびのためのものは少なかった。旅することによって何ものかを学ぼうとし、何ものかを発見しようとした。

 したがって、旅はいつも一つの問いかけであった。それは相手への問いかけであり、自分への問いかけであった。そして旅の発見は真実に生きている人間の発見であり、自分自身の発見でもあった。そして生きるということはどういうことであるかを考えるいとぐちをつくった。

 そのような旅は単に国の内のみでなされるにとどまらず。国の外に向かってもなされることによって、旅がさらに重要な意味をもってくるであろうことを痛感する。

 

(4)、JUUU−NETの活動方針

 旅の現状について、旅行するものにも、受け入れる土地にも、また旅行業者にも多くの不満があります。しかもその原因は、旅行業者だけでなく、地元も旅行者もそれぞれせっせとこしらえたいるもののようです。本当に楽しめる旅を取り戻すためには、どうすればいいか。

 そんな問題意識から、「あるくみるきく」の会では、会の活動に関しひろく会員の意見を聞かれたことがある(「あるく、みる、きく」、69年10月号)。大変参考になると思うので、その主なものを掲載させていただく。

  1. 活動としては、こんなところにも観光資源があるという紹介、資源をどのように保護市営久賀の問題、各地の郷土研究家との交流・連携、正しい地図の読み方、観光資料の交換とそれらの検討機関誌、地域の諸団体との交流・連携(例えば、植物友の会の旅行プランとつながりが持てないか)。(長野辰野町、小野正幸)
  2. 未知の土地を訪ねるたびに、知らない、余りにも知らない処の多い日本の国土の広さに驚かされます。旅するということが何を求めることか、常に自分たち自身の中に観照しあう会であって欲しいと思います。また、次第に画一化されてくる日本の国の中で、その土地固有のローカル色を何らかの形で記録し、体系化していくこと、そのような活動を会員の積極的な志向とともに行えたらと思います。(京都新宿区、永岡秀子)

  3.「観光」ではなく、人間形成の面から見た「ほとり旅」・・・そういった精神的な啓発   を期待する。(東京都葛飾区、吾妻敏夫)

  1. 趣味的な会でなく、社会的な大きな影響力を持った会にすべきである。自然及び歴史的文化の保護のための諸活動をおこない、観光開発の在り方についてコンサルタント的な、行政に対する働きかけができるようにする。(北海道羅臼町、羽賀克己)
  2. 日本の自然及び人々の培ってきた風物、民俗はすばらしいものがあります。これをできるだけ多くの人が親しみ勝つ保護維持する必要があります。その手目には、これらのものを暖かく見守る会が必要かと思います。そして会員による旅行など旅の研究をさかんにし、単に娯楽の旅行の旅でなく、人間一人一人の向上、やすらぎのある旅にするため、旅の研究活動をすることだと思います。またその成果を一つ一つ出版していきたいものです。(広島市呉市、三好義雄)
  3. 多忙な生活をさいて旅に出るのだから、余り遠距離でない所を取り上げていただきたい。会も各地域に分けて・・・。また青年とか老人向きとか、健脚向き、家族向きなどに分け、特に旅に対する感慨は非常に差がありますから、歴史的とか地理的とか民俗的とかの好みによって分けていただきたい。(埼玉県春日部市、小川正雄)
  4. 「観光について、観光行政に投影できるような、社会発見のできる会。したがって、各地域、各界、各層の理解者と熱心な推進者、関心ある同好者で組織する。そして余暇の創造的活動として民俗的観光(史跡観光、産業観光に対して)をうみだしてゆき、自然、風土、民俗(有形・無形)の隠れた資源を見出し、正しく観光資源化し、系統的に発掘し、方法を指導し、記録し、まとめ、紹介する機関を確立する。(兵庫県宝塚市、田中照三)
  5. 古きがよいという考え方もあらためて、新しい観光地は如何にあるべきかを調査研究する機関が欲しい。やたらに懐古趣味にふける時代でもないと思います。(東京都大島町、成瀬喜代)
  6. その対象内容に興味を持つ人が、余暇時間の多少や金銭的余裕の有無に係わらず参加できるような土地土地に即した会を望む。それには文書活動とともに、地域毎にできるだけ細密な組織単位を設け、会費も年額100円ぐらいにし、地域間の連携・・横の活動に、そしてその発意に重点を置くことである。(大阪市大東市、織戸健造)
  7. さらに、「あるく、みる、きく」の1969年11月号掲載のアンケート結果は、JUUU−NETの今後の活動方針を考える上で大変参考になるので掲載しておく。このアンケートは、宮本常一著「私の日本地図」の読者1700余人に対しておこなわれた「旅の会」の設立に関するアンケートである。回収率は9%であり、150名の回答があった。以下その結果である。

 1、どのような会にするか

@現在多数を占める「旅」又は「観光」に対する批判、および本来の「旅」の姿を求める(16)

 レジャー的旅を排す、旅に対する観念の是正、観光反対、主体性をもった旅、観光とは何か、かって先人の求めた旅、新しい旅と観光、理念のある旅、本来の旅の在り方、旅に求めることを常に自分自身に問える旅・・・このようなことが考え、語り合え、実行のできる「会」

A旅を通じて自己を、日本を考える(12)

・・旅によって人生を探り、心の糧を養う。日本再発見を誘い、新しい愛国(郷)心を助長。今、文明の時代に埋もれてしまっている日本人の本来の姿を探求。観光のモラル向上。真の心ある国土をつくる。観光を国民に普及させるために、リーダーとなる若人の育成。人間形成の面から見た「ひとり旅」の啓発。日本人の精神衛生運動。

B社会的影響をもつ(33)

  観光の在り方について、観光行政に投影。各地域、各界、各層の理解者と熱心な推進者、      そして関心のある同好者で組織、社会的影響力を持つ。文化人の団体として、政治、経済人に意見する。自然および歴史的文化の保護。

  Cアマチュアの立場からの研究を・・・(15)

・・民芸、民俗、文化財等を探る。自然科学(昆虫、植物、地質、古生物など)。学習の色を濃くする。単なる同好の士の集まりではなく、明確な研究発表を進めるとともに、創造的発表の場とする。我が国および外国の民間伝承の研究。研究所の成果を反映させる。

D会員相互の親睦および土地の人たちとの交流(12)

 

2、どのような活動を望むか

@旅の企画、実施(32)

・・・会員の旅行会の企画、実施。小グループ、個人の旅に便宜を。一カ所に長期滞在。その道の講師を中心にグループ旅行。安く楽しい旅。旅行の情報交換や道案内としての連絡所を各地にもつ。外国旅行の研究と実施。ツーリストを使っての秘境の旅。

A機関誌を出す(23)

・・・機関誌を通じて会員相互の旅に関する情報交換、質疑応答、旅に関する刊行物の紹介。会員の声を、人々が何を求めているか。紀行文、会員の旅日記。研究を発表。テーマ別編集、「旅」より一歩突っ込んだもの。余り難しいものにならないように。今までの旅行雑誌の如き会報では嬉しくない。機関誌は読み捨てにならず、記録として保存しておきたくなるもの。当分の管は機関誌中心で。旅行記、案内を出版。

B講演、映画会などの開催(25)

・・・映画、スライドによる講演会。雑談、座談会。実施踏査の体験や現地の研究家による講演。

C情報、資料の収集および提供(18)

・・・できるだけ豊富な資料、情報の提供。図書資料室をつくる。余り世に知られてない辺地の会員からの資料を収集。土地固有のローカル色を何らかの形で記録、体系化。世界の観光地紹介。

 

(5)、旅のライブラリー

 旅は歩くに限る。飛行機や列車、そして自動車での移動は当然として、目的地に着いたらともかく歩くことだ。歩いておれば、地元の人との出会いがあるかもしれないし、何かを感じ何かを発見するだろう。それが旅の本当の楽しさだと思う。ただ、時間の制約もあって、ある程度効率よく歩かなければならないという人も少なくないであろう。そのための情報が必要だ。情報には、学術的な情報、行政情報、市民レベルの情報があるが、市民レベルの情報こそ地域の情報としてもっとも価値がある。地域に密着したきめの細かい情報は行政ではそれを集めることは難しい。神社に関することは神主が一番詳しいし、その地域の歴史についても郷土史家がやはり一番詳しい。祭りや花見など人々の生活に密着した町のさまざまな様子も市民レベルでないとわからないことが多いのである。

 

今後、個人的なこだわりの旅行が増えていくといわれる中で、旅行業者の情報システムは飛躍的に整備されていくと思う。しかし、市民レベルの情報は旅行業者でこれを捕捉することはむつかしい。

 

私は、実験的に、私のホームページで「私の散歩路」を紹介している。こういったページが地域において蓄積されいけば、大変価値のある旅の情報ライブラリーとなるのではないか。

 

Iwai-Kuniomi