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私と京都
私は、京都に生まれ、京都に育った。小学校は、四年生まで安井小学校である。安井小学校というのは、花園と太秦との間にある。蚕の社というのが学校のすぐ近くにあって、そこの湧水池で良く遊んだものだ。水泳も、嵐山で覚えた。嵐山は歩いて行ける距離にあるので、夏は、毎日のように嵐山に泳ぎに行った。
嵐山のあの付近は、一般的には桂川であるが、地元では大堰川と言う。渡月橋のすぐ上流に今も立派な堰あって、その水面が嵐山の風景を殊のほか引き立てているが、その付近には古くから堰があってその名が生じたのであろう。
都1200年ということであったが、さらにその昔、秦の始皇帝の子孫と言われる弓月君(ゆづきのきみ)が、多くの人を引き連れて京都に入ってきたと言われている。それが秦氏の祖先である。秦氏というのは、良く知られているように、機織り、養蚕、潅漑、酒造など殖産の技術をもって、全国にその勢力を拡大していった氏族だ。
その神様松尾神社は、嵐山のすぐ近くにあるが、秦氏ゆかりの神社である。嵐山の堰も、勿論、秦氏の造営に始まる。蚕の社も、秦氏ゆかりの神社で、松尾神社と同様その歴史は誠に古い。蚕の社で遊び、大堰川で泳いで育った私である。私の歴史好きの源流はこの辺にあるのかも知れない。ちなみに、太秦の広隆寺(峰岡寺)について言えば、あの弥勒菩薩は、秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子から拝領してお祭りしたものである。秦河勝は、聖徳太子の側近だが、物部守屋との戦いで守屋の首を打ち落とす功績を上げたと言われている。その功績により、あの弥勒菩薩を拝領したのかもしれない。小説「斑鳩の白い道のうえに」に描かれている守屋との戦いに挑む聖徳太子のあの勇姿は、又河勝の姿でもあったであろう。
京都は、身近な所にごろごろ歴史が転がっており、歴史好きにとってはたまらない。いろんな想像をかき立ててくれる。何となくロマンを感じるのは私だけではなかろう。私は、今も京都に帰ると何となしに落ち着く。それは、京都の地形が盆地であり常に周りの山が見えるということもあるが、空気にも歴史の重みが感ぜられ、それゆえに落ち着くということがあるのだろう。
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