心の故郷 秩父
・・・目次・・・
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私と秩父
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秩父の人々と生活
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ロマンある地域づくり
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秩父のこれから
1、私と秩父
奥秩父は、荒川、多摩川、笛吹川、千曲川の源流である。その広大な山地には、2,000m以上の山が20もあって、北アルプス、南アルプスに次ぐ高山地帯を形成している。その奥深い森林と深く刻まれた渓谷の大自然たる姿はすばらしい。
私のこれからの人生で、奥秩父の山や谷をできるだけ歩きたい、そんな想いから数年前マルチハビテーションよろしく秩父市に居を定めた。秩父は、その歴史も古く、伝統・文化が豊か、人情も豊かであるので、奥秩父の大自然もさることながら、里の生活を求めてのことでもある。 奥秩父の山や谷を歩くため、そのベースキャンプとしてやっと山小屋もできた。三峰口駅から歩い二十分、マイカーだと車から降りて十分、少し急な坂を登り尾根筋にある。秩父というところは、日本列島で一番古い地層、秩父古生層で有名な所だが、その秩父古生層と第三紀層との間の断層が荒川本川のその辺に出ていて、その断層は、地質学者なら一度は見るべきところだそうだ。昔、あのナウマン象で有名なナウマン博士が、東大地質学科の初代教授のおり、そこを訪れ、その辺の景色に感嘆したとかしないとか、そんな場所が私の山小屋の登り口にある。もっとも今では、遠景の武甲山が石灰岩採掘のためその美しい姿をすっかり変えてしまっているし、荒川の流れも発電のためすっかり少なくなっているため、往時のすばらしい姿はないのだが・・・。それでも私の山小屋付近からは、ナウマン博士が絶賛したその風景を彷彿とさせるすばらしい景色が楽しめる。また、私の山小屋の登り口は、御嶽山の登山口のすぐ近くだ。木曽の御嶽山を開いた普寛行者の在所が近くにあり、秩父にも御嶽山がある。その景色はすばらしく、両神山、雲取山、甲武信岳など奥秩父の山々が一望に眺められる。私の山小屋は、その御嶽登山に格好の場所にある。
雲取山の神々しい夜明け 冬の雲取小屋、そこにも生活がある
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2、秩父と人々の生活
雁坂峠からは縄文時代の石器が出土しているし、雲取山でも縄文時代の打製石斧が出土した。縄文人も峠道などを通り、広く交流していたのであろう。秩父は、今なお縄文文化の息づくところのようだ。
山国秩父にだけ芽生えたお犬信仰、これは多分縄文時代にまで想いを馳せて考えなければならない問題であろう。もっとも、そのお犬信仰が今の形を整え流布されるのは三峰神社中興の祖日光法印のときだが、お犬信仰そのものはもっと古く、我が国古来の山岳信仰の変形でないかと思っている。 三峰神社は、日本武尊の創建と言われているが、これももっと古くから神の山として崇められていたところに、大和朝廷の関係で神社の形態が採られたということであろう。妙法岳、白岩山、雲取山の三峰が修験者のメッカであったことも、その源は我が国古来の山岳信仰或いは縄文人の自然崇拝にまで溯るのではなかろうか。 雲取山は、冬山が楽しめ、東京からも多くの人が訪れる。そして、鎌仙人につづき今も新井信太郎さんが仙人のような生活をしながら雲取小屋を守っておられる。お二人とも秩父の人である。甲武信小屋、十文字小屋を守っている人も秩父の人である。消えゆく漂泊の職人と言われる木地師だが、秩父にはまだ木地師が健在だ。秩父は、ただそこに山があるというだけではなく、山の生活があり、山の信仰があり、そして山の歴史と山の文化がある。
秩父と言えば、銅、つまり、元明天皇の御時世のとき朝廷に和銅が献上され和銅の改元ともなったあの「和同開珎」を思い出す。しかし、秩父の銅そのものは、それ以前のものが発見されており、上代から秩父は特殊な地域になっていたのではないか。さらに、「国造本記」に知知夫国造の記事が出てくること、秩父神社がその祖をお祭りしてあること、或いは日本武尊の伝説が秩父には誠に多いことなどから、上代から秩父と大和朝廷とは深い関係にあったのではないかと思考される。そして、そのことは人々の潜在意識の中に深く組み込まれているのである。 秩父は山国である。しかも、秩父古生層特有のヤカンの底のような地形から、平地が少なく又川からの水を得にくい。したがって、勢い、耕地と集落は、河岸段丘上や傾斜の緩やかな山に、谷川や泉の水の量に応じ発達せざるを得ない。「耕地」と称する10戸、20戸といっ小集落が数多く点在するのはそのせいだ。比較的平坦な河岸段丘上には町並みも発達しているが、みんな小規模である。地質年代の古さに起因する複雑な地形とあいまって、生活の単位となるムラの数が多いということだ。
したがって、お祭りや伝統行事が小規模ながらもムラごとに誠に多い。秩父盆地の極め付きとでも言うべき祭りは、いうまでもなく「秩父夜祭り」だが、私は、それぞれの「耕地」において行われているあくまでも素朴な伝統行事に魅力を感じている。私らがとっくに無くしてしまった「ふるさと」がそこににある。
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3、ロマンある地域づくり
私は、今、「ロマンある地域づくり」ということを言いながら「交流活充運動」という運動を展開しているが、その目指す「ロマンある地域づくり」は、私に言わせれば、「その地域の自然的特性、歴史・文化的特性にもとづき、人々の感受性の深層部分を振るわせるような気配りのされた、個性ある地域づくりであって、それは共生の思想にもとづいて行われなければならない。」・・・そんな言い方になろうか。地域づくりは人づくりとよく言われるが、地域づくりに取り組むサークルないし団体が生き生きしていなければならない。数名のサークルから大きな団体までいろんな組織があって、きいきと独自の活動をしている。そして、それらの組織が何か・・ある共通のテーマで結ばれている、そういう地域社会はいきいきしている。福井県立大学の坂本慶一学長は、リージョナルコンプレックスと呼んでおられるが、今後、わが国は、そういう地域社会の実現を目指さなければならない。交流はコミュニケーションと言い換えても良く、又共生とコミュニケーシ
ョン
と連携は同根の言葉であるので、そういう地域社会は、共生、コミュニケーション、連携をキーワードとする共生社会でもある。リージョナルコンプレックスを形成していくため、福祉その他各般の施策が必要であるが、国土政策においてもそのことが重視されなければならないのであって、地域における多くのサークルないし団体が何を共通のテーマにして連携するのが適当なのか、今後、そういった議論が必要であろう。
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4、秩父のこれから
明治以降、我が国は、近代化の道をまっしぐらに進むことになる。秩父はそれにやや遅れはするものの、大正初期に秩父鉄道が開通してから、大きく変貌していく。奥秩父における森林の伐採、秩父セメントや昭和電工の立地、電源開発などは秩父の風土を大きく変えていく。近年では、西部秩父線開通のインパクトが顕著である。ゴルフ場やミューズパークなどのリゾート開発が進み、秩父は観光地として様相を一変しつつある。国道140号雁坂トンネルが来年には開通するので、リゾート開発にさらに拍車がかかるかと思われる。秩父の風土をどう回復又は保全していくのか、秩父は、誠に難しい問題を抱えている。英知を集めて対処して行かなければならないと思っている。
今、秩父が抱える課題は少なくないが、河川について、少し地域の声を聞いてみよう。「水は全ての生物を育み、人間をも育む。子供達は本来水遊びが大好き。それは生物の本性に基づくものだろう。この春行って驚いた。その沢は両岸を高いコンクリートのブロックで固められ川底もコンクリートで固められた。ああ、・・・これじゃあ、カニがとれないやー。」、「下流の、釣場という地名の起こりの岩をめぐる淵と、もう一カ所ぐらいしか山女魚が住み、釣り糸の垂れうる所はなくなった。ここを除く上流も下流もコンクリートブロックに囲まれ、・・・」、「赤平川で遊んだ私たちは、まさに正統派のミズガキだった。いまどれだけの子供達が遊んでいるだろうか。ミズガキとカジカがもどってくる赤平川にしたい。自然と共生する思想を持った言い伝えが秩父にはたくさんある。言い伝えは忘れてはならない。」等々・・・。 さて、リージョナルコンプレックスというのは、先にも述べたように、小は数人のサークルから大は農協や自治体といった団体までともかくいろんな団体が地域にあって、それらが地域における何らかの共通目標で緩やかに結ばれている状態を言うのだが、秩父は、自然との共生という観念が人々の潜在意識の中に刷り込まれているので、「川の自然を取り戻す」という目標は、容易に地域の共通目標になり得ると思う。問題は、そういう諸団体の連携ができるかどうか、それはいつに地域の指導者の資質にかかっている。 これからは、共生、コミュニケーション、連携の時代である。地域もそのことを十分認識する必要がある。建設省は、既に、そういう地域の想いに応える用意があるので、そういう共通目標にもとづき諸団体の自助努力さえ行われれば、河川管理者と地域とが連携して、川の自然を取り戻すことはそれほど難しいことではあるまい。 しかし、森の問題はなかなか容易ではないと思う。我が国は、世界有数の森林国であり、森が荒廃すれば我が国の持続的な発展はとてもおぼつかない。深刻だと思われるのは人工造林の問題だ。戦後植林した杉林が秩父にも多いが、外材との価格競争から林業経営が難しくなっている。また、過疎問題ともからんで林業後継者が激減している。山にも若者が定住できるよう何か有効な手を打たないと、いよいよ山が荒れる。農山村における若者の定住、これこそ現下の緊急の課題だ。農山村に若者が定住しない限り、秩父の自然も伝統文化も、それを守ることは難しい。森林の問題は、農林業後継者の問題でもあり、新たな観点に立って地域づくりを進める以外に方策はあるまい。 基本的には、共生、コミュニケーション、連携をキーワードとした地域の取り組みがあって、それを行政が支えていくという地域構造、すなわちリージョナルコンプレックスというものが
できていけば、新たな地域づくりが展開できる筈だ。共生の思想にもとづくロマンある地域づくりを進めることであり、地域リーダーの交流、上下流交流、都市と農山村との交流、国際交流等外との交流を重層的に行うことだ。そして、そのために必要な基盤整備を進めなければならない。多分、これからはそうでないと、若者の定住はおぼつかなく、農山村の活性化、農山村の地域づくりは成功すまい。写真家で有名だった清水武甲さんは、「秩父とは何であるか、どの点が秩父の持つ特質であるかを知らねばならない」、そうおっしゃっているが、今こそ我々は、秩父をより深く知ることによって、地域づくり、国づくりの有り様を考えなければならない。そして、秩父におけるロマンある地域づくりを実践することによって、21世紀における我が国の国づくりに繋げていかなければならない。私の予感としては、共生、コミュニケーション、連携をキーワードとする地域づくりを進めることによって、秩父は、その自然と歴史・文化を生かしながら、我が国が世界に誇り得るすばらしい地域に変貌していくに違いない。
